第28話 事情
移動中の夜の見張りは、二人で交代制になっている。今の当番はアルノーとオリヴァだった。敵に見つかるといけないので、焚き火はせずに、呪具のランタンを使っていた。
その薄明りの中で、アルノーは熱心に黒板に書き物をしていた。
「それ、新しい呪文?」
オリヴァが尋ねた。養成所でも使っていた、呪文を考案する時用の小型の黒板だったからだ。
「うん、実際に戦場に出てみると、こんな魔法があったら良いなっていうのが思い付いてきたから」
アルノーは、大地という使い勝手の悪い主属性を、なんとかモノにしようと奮闘していた。
「どうだ! 俺の新呪文!」
黒板に書き上げた呪文をオリヴァに見せる。しかしオリヴァには地属性の適性がない。
「う~ん、僕にはそのルーネは読めないな……」
オリヴァは肩を落とした。彼には彼なりの悩みがあったからだ。
「このランタンみたく、剣を呪具にしてルーネを刻んじゃえば、魔法の威力が上がるかと思ったんだけど、隊長が言うには、魔力量の影響の方が大きいし、戦い方に柔軟性がなくなるからお勧めしないってさ。手ぶらで使う呪文もいくつか教えてもらったけど、何だかしっくり来ないし」
「あんなに凄い雷魔法使えるのに、贅沢な悩みだなー」
アルノーはふてくされた。
「僕はもっと強くなりたいんだよ、自分が満足できるくらいに。“隣の芝生は青く見える”ってことかな」
「俺にとっての芝生はオリヴァやルディなんだけど」
「僕にとっての芝生は隊長かな。僕の周りであんなに魔法が使える人、見たことない。昔の魔法使いって、きっと凄かったんだね」
「それは俺だって同じだよ。でも昔は国中から、魔法の素養がある奴を集めて軍隊に入れてたんだろ? 隊長は他人に魔法教えられるんだから、魔法使いは引き継がれて――あれ、隊長は誰に魔法を習ったんだろうな」
二人して首を傾げる羽目になった。まあ、何処かに師匠はいるんだろう。けれど、強い人なら戦争にも参加してほしい。こっちは猫の手でも借りたい状況なのだから。
「そういや、オリヴァはどうして軍に入ろうと思ったんだ?」
アルノーは、常々知りたかったことを訊いてみた。未成年なのに戦場に来るなんて、それなりの理由があるだろうと思っていたからだ。しかし普段は、隊長による訓練がぎっしり詰まっていて、無駄なお喋りをする暇がないか、疲れ果てて口も開かないのだ。オリヴァは別に隠すつもりもなかったらしく、あっさりと話し始めた。
「――僕の家って、事業やってて、それなりに金持ちなんだよね。僕は四男で、兄達に何かあった時の予備ってだけ。それが嫌で、家を飛び出して来たんだ。まあ、軍に入ったら入ったで、いきなり隊長が乗っ取りとかやって驚いたけど、同時に自由なんだなとも思った。他のみんなも、家にいたら出会えなかったような人ばっかりで、僕はここが結構気に入ってるんだ」
オリヴァの話が何だか面白くて、アルノーは笑った。
「俺は別に生活に不満がある訳じゃなくて、単に国が危ないから、いても立ってもいられないって感じで来ちゃったんだけど、みんな理由はあるんだろうな」
「やってることは人殺しだけどね」
「確かに」
もうすでに、殺した敵の数は数え切れない。通常の罪の感覚が麻痺しているのだろう。戦争とは、平時の価値観がひっくり返るものだと習ってはいるが。
*
翌日の朝、点呼の時にナハトが言った。
「今日はアルノーが、新しい呪文を
「はい!」
アルノーは返事をすると、意気揚々と懐から大きな紙を取り出した。
「取り出だしたるは、俺の描いた特別な地図!」
そして紙を地面に広げる。
「これを地面に置いて、呪文を唱える! 〈地の精よ、人のいるとこ、教えてくれ〉」
すると、地図の上に黄緑色の小さな正六面体がいくつも出現した。
「一つの形が五千人くらいを示してます。例えば、ここから一番近い都市のキーファーには、三万人います」
「キーファーは今、友軍と敵軍が交戦中のはずなんだけど……」
「さすがにそこまでは判別できないです」
口を挟んだナハトは黙った。友軍と敵軍が区別できないなら、戦況は不明だ。使い勝手は悪い。それはアルノーも理解している。
「あと、俺のいる場所から10㎞以上離れた場所は探知できません。これから改良するつもりです」
「う~ん、多少は使い道がありそうではあるかな。でもよく、こんな魔法思い付いたね」
ナハトは言葉に迷ってはいたが、一応アルノーの努力を買ってくれたらしい。アルノーはほっとした。魔法が使えなければ、この部隊ではお荷物なのだ。
「次の目標はこれか」
ナハトは地図上の一点を指差した。正六面体が四個、シバートからこちらに向かって動いていた。
「この辺りは渓谷になってる。敵は多分、一番平らな所を通るから、僕らの移動速度と、適切な射程距離を考えると、もう少し先のここに向かって進もう」
指が正六面体の進行方向の数キロメートル先へと動いた。
「了解」
全員が揃って返事した。
新生ジークムント改め魔術部隊には、馬車が一台、馬が二頭支給されている。隊員の内、馬に乗れるのはナハト、ステファン、イレーネの三人だった。他の者は街で暮らしていたため、馬を扱う機会がなかったようだ。
「ナハト、この速度で大丈夫か?」
二頭の馬を軽々と
「大丈夫だよ、大人数になる程動きは遅くなるし」
むしろ、予想より速いくらいだとナハトは思った。ステファンは元々、騎士団長の息子だ。馬の扱いは誰よりも上手かった。
「この辺だな。ステファン、馬をとめて。アルノー、もう一回魔法使って確かめてみて」
「はい」
アルノーの魔法は、地面に接していないと使えない。地図を地面に置いてみると、予想通りの位置にいた。この時代では、長距離を正確に移動することも、それなりに難しい。
「よし、馬を馬車から外して」
ナハトが言うと、ステファンは従ったが、渋い顔をしていた。
「この悪路を二人乗りとか、無茶すんなよ」
「平気だって。ルディ、行こうか」
「はい」
ナハトが
「はあ……俺らも行くか」
「しゃきっとしなさいよ」
今回ステファンと組むのはイレーネだ。ナハトは、実際やると思わぬ発見があるから、と色々な組み合わせを試したがっていた。
その隣では、アルノーが気勢を上げていた。
「後ろ組! 気合い入れていくぞー!」
「おー!」
「え? そんな名前あったんですか」
オリヴァがノってあげたのに、モニカは冷静にツッコミを入れていた。
ナハトとルディは、順調に進んでいた。縦に細長く伸びた補給部隊の先頭を叩くのが彼らの役割だった。場合によっては移動距離が長くなるから、あえて馬に乗ったのだ。
揺れる馬上で、ルディは口を開いた。
「隊長、お尋ねしたいことがあるんですけど」
「何?」
「ステファンの奴、隊長に馴れ馴れし過ぎません? 下の名前で呼び捨てしたり……」
「僕は、命令に従ってくれるならそれでいいけど」
ナハトが感情を込めずに言うと、ルディは俯いた。
「そうですか……」
二人の間に微妙な空気が流れる。お互い、何を考えているかの探り合いだ。
「そんなこと言ってる間に着いたよ。気持ち切り替えてね」
渓谷の高い場所に来ていた。下には、補給部隊の先頭が見える。
「さ、暴れておいで」
「はい」
ルディは呪文を唱え始めた。実力を示さなくては、この部隊にいる意味がない。
列の先頭で、炎と悲鳴が上がり始めるのを、ステファンとイレーネは聞いた。彼らは列の中央近くに来ていた。
「やってるやってる」
ステファンは単眼鏡で、渓谷の上の方から、火の雨が降っているのを眺めた。
「派手過ぎて、
「順調で良いことじゃない」
イレーネは俯せになると、落ち着いて銃を構える。
「私達は、馬に乗ってる偉そうな上官達を片付ければいいんでしょう?」
「……頼もしいデス……」
ステファンは苦笑した。
ナハトは、上官クラスは列の中央辺りにいると予想していた。そこが一番安全だからだ。指揮官を潰せば、
「仕留めるわよ」
引き金に指を掛けたイレーネは、狩人の眼をしていた。
後ろ組、と称していたのは言葉通り、列の後ろ側を攻撃する組だ。眼下の隊列を見下ろしながら、アルノーが言う。
「ふっふっふ、とうとう俺の新魔法を見せる時が来たようだな」
「あの時、別の魔法も考えてたの?」
アルノーがドヤ顔を決めると、オリヴァが尋ねた。
「二人とも、見張りの時そんな話してたんですか」
モニカは少し驚いた風だった。
「おう、今から見せてやる。えーと、〈地に宿る力よ、我が願いに応えて割れろ〉」
アルノーは呪文を唱え終わると、しゃがみ込んで地面に触れる。するとそこから地割れが起こり、敵兵達の頭上に、岩が
「落石だー!!」
誰かが叫ぶ。人為的なものだと気付く暇もない。
オリヴァとモニカの顔が引き攣った。
「これは僕達も頑張らないとね……」
「というか私達、要らないんじゃないですか?」
それでも、敵を上から狙えるというのは絶好の機会だ。オリヴァとモニカもそれぞれ攻撃を始めた。
ナハトの作戦の概要はこうだった。
『相手の人数が多いから、接近戦は避ける。渓谷だから、最初の任務とは違って逃げ道は少ない。だから、より多くの兵を行動不能にする必要がある。そのために、列の前後を挟み撃ちにして動きにくくすると同時に、指揮官を狙う』
しばらくすると、ナハト達のいる高台から、イレーネ達がいる辺りに青い狼煙が上がるのが見えた。
「首尾良く行ったみたいだね。そろそろ退こうか」
ナハトが言うと、ルディが言い辛そうに切り出した。
「隊長、お話があるんですが」
ナハトは内心で溜め息を吐きたくなった。聞いても楽しくない話なのが、もうわかる。
「――俺は、小さな村の生まれでした。ある日、変な男達がやって来て、女子供を攫っていきました。俺も売られて、奴隷として農園で働かされていました」
突然始まったルディの身の上話は、ナハトの心を揺らした。ずいぶん重い過去だ。
「この前戦争が始まって……軍に逃げれば追っ手も来ないと思ったんです。……お願いです隊長、軍で出世して、大手を振って故郷に帰りたいんです!」
ナハトは、ルディが何故一人で突っ走るのかわかった気がした。奴隷という立場から解放されるには、英雄になるのが一番手っ取り早い。
しかし、それと命令違反は別の話だ。ナハトは無表情を崩さずに答えた。
「まあ、奴隷制は廃止されてるし、法律違反だから」
この約束は果たされるだろうか。戦争という、命があっけなく散っていく戦いの後で。
「君はきっと故郷に帰してあげる」
*
その頃、フォルクバルド共和国の街タンネは、シバート軍により占領中だった。街の一番高台にある城の一室で、一人の少女が仏頂面でソファーに腰掛けていた。
「機嫌悪そうだな、エルナ」
タークが思わず声を掛けると、少女はソファーから急に立ち上がった。
「当たり前でしょ。シルフを取ったと思ったら、キーファーを奪い返されたんだもの。しかも、補給部隊の半分が妨害されるなんて!」
「余程、小回りの利く隊があるんだな」
タークにとっては、戦争などただの陣地取りでしかない。平静な気分だった。むしろ、今着ている赤と紺の軍服が窮屈な方が問題だ。
「大体あいつら、なんで地味な緑の軍服なんて着てるのよ! 見つけにくいじゃない!」
この時代では、銃や大砲の煙で敵味方が判別しにくいため、軍服は派手な方が普通である。
「軍服は昔から緑色だって話はしただろ? 最新の情報は知らねぇけど、俺が覚えてる限りのことは話したはずだぜ」
「それはそうだけど!」
エルナと呼ばれた少女の怒りは、まだ収まりそうになかった。
「あんまカリカリするなよ。最終目標は玉座だろ」
タークは自分のソファーの上で伸びをした。エルナはタークの現在の契約者で、この戦争の総司令官でもある。これにはシバート帝国のお国事情が関係していた。
シバート帝国の皇帝ユリウスの王妃の子供は、エルナとその妹である。しかし慣例上、
「別に権力に興味がある訳じゃないけど」
エルナは言う。
「でも自分で結婚相手も決められないのが腹立つの!」
エルナは今年で十五歳だ。どうしても政略結婚の話は出る。しかもクラウスはまだ十歳だ。あんな青二才に負けてたまるかという思いもあった。
彼女の母親である王妃ヘレネは、事ある毎に彼女に言い聞かせていた。
『エルナ、あんな子供を皇帝にしてはいけません。あなたこそ相応しい。あの女の子供が皇帝になれば、宮廷での私達の立場はなくなってしまう。母を安心させて欲しいの』
母の考えは正しい、が。
「まさか、お父様に出された条件が、フォルクバルドの制圧だなんて予想もしてなかったわ」
シバート帝国に比べたら小国だが、王国時代も含めれば、それなりに歴史のある国である。しかもエルナは、軍事教育など受けたことがなかった。一応指南役は付けてもらったが、彼女自身も戦争に放り込まれた一人だった。
エルナは半年前のことを思い出した。
『女でも戦争が出来ることを証明してみろ。そうしたら私の跡継ぎはお前だ』とは言われたものの、彼女は決心が付かなかった。そこにタークが現れたのだ。城の庭に、まるで魔法のように忽然と。
『おい』と声を掛けられても、物思いに沈んでいたエルナは最初気付かなかった。ふと顔を上げると、見知らぬ青年が立っていた。
『きゃあああ、曲者ー!!』
慌てて逃げ出そうとしたエルナの腕を、タークが掴んだ。
『俺を呼んだのはお前だろ』
『私? 呼んだ?』
エルナは困惑しながら答えた。
『そうだよ、力が欲しいんだろ』
タークが語る魔法の話は、エルナには信じがたがったが、彼女が信頼できる人間はごく限られていた。人間でなくてもいいから、裏切らない味方が欲しかった。だから、エルナはタークと契約することに同意したのだ。全力を尽くして戦うと、その時決心した。
タークとの契約は非常に簡潔だった。右手を握られただけだ。その時に、赤い光の柱が立ったのには驚いたが、それだけだった。手が離れると、自分の右の小指に、赤い痣が、まるで指輪を嵌めたようにぐるりと付いた。
『久し振りの契約者だ。精々楽しませてくれ』
そう言って、タークはにやりと笑った。その瞬間から、エルナの運命の歯車は大きく回りだしたのだ。
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