第29話 人と物

 シバート軍によって占領中のビーゼンの城塞では、士官達による軍議が行われていた。


「アイベに三万の兵を追加投入しよう」

「では、ウルメに一万の兵を」

「補給部隊の攻撃用人員はもっと増やせないのか」

「本国からこれ以上は無理だと」


 壮年の軍人達が、会議を進めていく。歴戦の強者ではあるが、エルナにとってはほとんど知らない者ばかりだ。総司令官でありながら、発言力の弱いエルナにとっては面白くない。


「迂回路ばかりにご執心ね。ウルメを経由した方が、道も広くていいじゃない」


 リンデから首都アイヒェに向かうには、ウルメという街を通る経路が最も短い。しかしウルメはフォルクバルドの主力部隊がいる場所だった。


「敵軍もそれを承知しているから、守りを厚くしています。だから未だに攻め落とせないのです。もう少し探りを入れて、急所がないか調べなくてはいけません」


 年配の軍人が言う。


「皇帝陛下からお預かりした兵にも限りがあります。ご理解ください」


 結局、彼らにとって本当の主君は、エルナの父である皇帝ユリウスなのだ。エルナはお飾りの総大将で、父の代わりにここにいるだけだ。


 エルナは冷めかけた紅茶を啜ると、ちらりと後ろの方を見た。タークがいつものように、剣を下げて立っていた。それだけでも、自分が一人ではないのだと安心はする。

 軍議は滞りなく進められ、今後の方針が立てられた。


 その後、エルナは自室に戻った。自室といっても、すぐに出立できるように、最低限の荷物は鞄の中に詰めてあるので、元からあった調度品だけの部屋は余所余所しく感じられる。赤い座面の肘掛け椅子に座ると、エルナは大きく溜め息を吐いた。そこに、立っていたタークが声を掛けた。


「キーファーに行く軍は、一部別行動させて、側面から回り込ませた方が良かったんじゃないか」


 キーファーは一度占領したものの、奪い返された街だ。軍需工場があるので、今日の軍議では、もう一度兵を投入することが決まっていた。


「どうしてそれを、その場で言わないの?」


 エルナが詰問した。フォルクバルドに長く住んでいたタークが言うなら、側面から回る道があるのだろう。それならもっと攻撃しやすくなる。


「助言が欲しかったのか?」


 タークはエルナの言葉には動じない。元は指輪であり、長い間意見を求められることがなかったからだ。


「あなたは本当に私の味方なのかしら。まあいいわ、今から伝令して――どの連隊に行かせようかしら」


 エルナは椅子から立ち上がろうとした。


「特定の隊への指示をすぐに変えると、指揮能力を疑われるぞ」


 タークの忠告が飛んだ。それがエルナを苛立たせる。


「じゃあ、全部の連隊からそれぞれ大隊取って集めるわよ、それでいいでしょ!」


 エルナは叫んだ。

 シバート軍の連隊は約二千人、大隊は約五百人の単位だ。特定の連隊への指示を変えるということは、連隊長への印象を悪くする。また、選ばれなかった連隊には、どういう基準で選んだのかを疑問に思われる。それを回避するために、全ての連隊から一部ずつ取って必要人数を集めるという荒業をやることにした。これにはそれなりのリスクが伴う。元々別の隊に属する者達を纏め上げないといけないからだ。


「戦争がこんなに難しいとは思わなかったわ……」


 エルナが呟くが、タークは気にも留めず言葉を続けた。


「それから、さっきの話だが」


「さっきって何よ」


「俺はお前の味方じゃなくて、道具だと思ってくれ。ナイフで人を刺し殺したとしても、ナイフは罪に問われないだろ?」


 何故いきなり、そんな例え話が出て来たのかは不明だが、エルナにとっては突き放されたような気分だった。


「それは無責任じゃないの?」


「いつでも自分を肯定するだけの奴は味方じゃなく、追従者だ。俺は基本的に、お前の意に沿わないことはしない。だからお前の味方は、利害が一致する限り、お前の言うことなんて聞かないあの軍人共だ」


「あなたの考え方はよくわからないわ……」


 エルナは首を振った。あの軍人達を味方だとはとても思えない。そもそも皇帝は健在なのだから、エルナを総大将とするこの出兵自体がある意味異常なのだ。


(お父様は、私を殺したいのかしら)


 ユリウスは、息子のクラウスの方を気に入っているのはわかっていた。しかし宮廷では、現時点では皇妃の方が優勢である。エルナが優秀だったからだ。外国語も歴史も、きちんと学んだ。クラウスの方はまだ、これといった才能は見せていない。


 では、エルナを皇位から遠ざけるにはどうしたらいいか? 簡単なのは、暗殺することだ。しかし、国内で死ぬと騒ぎになるし、エルナが死んでも、妹であるヘレナも控えている。なら戦争で戦死に見せかけて殺す方が手っ取り早い。そんな発想に至る自分の頭も嫌だが、思い付いてしまうものは仕方ない。


(お母様は気付いているのかしら)


 エルナの母のヘレネは、音楽・絵画・服飾に至るまで様々な芸術を支援している。


『芸術を育てるにはお金と時間が掛かりますが、人の心を豊かにします』


 それがヘレネの口癖だった。エルナは小さい頃、その言葉に何の疑問も持っていなかった。人間はどんな分野であれ、努力して成果を出すということだからだ。考えが変わったのは、妹が生まれてからである。妹のヘレナは勉強が好きではなかった。いつも使用人と遊んでいたし、少し頭が足りないようだった。しかし母親は何も言わず、本人の好きにさせていた。

 跡継ぎの息子を生めなかったことは、母にとって唯一の汚点らしかった。だから、母はエルナに希望を託した。


(私が女帝になることはお母様の望みで、私の望みでもある……のだろうか?)


 一瞬、嫌な考えが頭を掠めた。そんなはずはない。自分の望みは別にあるなんて、そんなことは。

 震える手で、服の中に入れているメダイエを取り出す。不安な時はいつもこれを握りしめるのがエルナの習慣だった。これは、優しい思い出に繋がっているからだ。



 エルナが十歳くらいの頃、フォルクバルド共和国のリンデにある教会に巡礼に行ったことがある。色々な奇跡が起きた、霊験あらたかな場所らしいが、当時のエルナは興味がなかった。ただ、気晴らしがてら、お忍びで母親に連れられて行っただけだ。

 案内役の僧侶は、えらくお喋りだった。


『今日は評判の聖歌隊が歌いますのでね。ご滞在中に日程が重なって丁度良かった』


 偶然ではなく、そうなるように予定を組んだのだろう。しかしエルナにとってはどうでも良いことだったので、黙っていた。 


 聖歌隊の歌は確かに良かったが、少し眠くもなった。教会の敷地内では基本的に徒歩で移動するので、エルナは眠気を払うために、あちこち眺めながら歩いていた。すると、耕した空き地で、一人の少年が何かの種を蒔いていた。エルナは気になって、少年に近付いた。


「ねえ、何をしているの?」


 エルナは宮殿育ちだったから、それまで種蒔きを見たことがなかった。だから尋ねたのだが、相手の少年はからかわれているのかと思ったらしい。


『ニンジンの種蒔いてるんだよ。他に何に見えるんだ?』


 金髪に緑の瞳の、恐ろしく綺麗な少年だった。口調はぞんざいだったが。


『よくわからなかったら訊いたのよ。勘違いしてたら、その方が良くないもの』


『それは悪かったな、世間知らずさん』


 少年はめんどくさそうに答えた。そしてエルナの背後をちらりと見た。


『護衛みたいな人間も連れてるし、何処かの金持ちか?』


 振り向くと、側近達がはらはらしながらこちらを見ていた。皇妃と皇女が来ているのは公にされていなかった。取り敢えず、話題を逸らすことにした。


『あなた、見ず知らずの人に対して失礼なんじゃない? あなたの神様は思いやりについて教えないのかしら』


『生憎俺は、信心深くないもんでね』


 少年は怯む様子もなかった。


『俺の兄さんが軍人になって、残った息子が俺一人だったから、聖職者になれって親に言われたんだ。そうすれば、万が一戦争が起きても戦わずに済むだろ? 子供が少ないと、人生に自由なんてないんだよ』


 エルナはしばらく考えた後、破顔した。


『あら、私達、意外と似た者同士だったのね』


 子供のくせにませていて、自由がない。まさか隣の国で、自分と同じような人物に偶然出会うとは思っていなかった。


『気が変わったわ。仕事が終わってるなら、教会を案内してくださる?』


 これには、傍で見ていた執事の方が怒った。


『いけません。この後も用事が入っております』


 しかし、母のヘレネがそれを執り成した。この頃はまだ跡継ぎ争いが表面化しておらず、母親も比較的穏やかに過ごしていた。


『私一人でも大丈夫です。食事時には帰ってらっしゃい』


 一緒に付いて来た僧侶も困ったらしい。おろおろとしていた。


『どっちでもいいから、さっさと決めてくれよ』


 少年は最後の種を蒔き終わったらしく、生成りの質素な服の上に、深緑色のケープを羽織った。


 結局、エルナは少年と警備兵と共に、教会を回ることになった。警備兵といっても、武器を隠し持っているだけで私服である。少年は仕事と割り切ったのか、場所を説明しながら案内してくれた。


『あっちは墓地。有名人の墓とか結構ある。あれは修道院。聖職者が住んでる所だな』


 しばらく行くと、比較的小さめの小屋があった。


『あそこはチーズ作ってる』


『チーズ? 意外だわ』


『他にもお菓子とか作ってる。みんな買いに来る』


『市民が買いに来るの? それが普通なの?』


 少年の案内は、最後に店に及んだ。本当に、チーズやお菓子が並んでいた。しかし、エルナの目を引いたのは、壁に飾られたメダイエだった。銀色の楕円形の枠に、色の付いた面が収まっている。八色もあって、中央には彫刻が刻まれているようだ。


『何これ、ガラスでできてるの?』


『“幸運のメダイエ”だよ。巡礼の証ってよりは、持ってると願いが叶うお守りっていうか……好きな色があれば 、記念に買ってくか?』 

 


(平気、大丈夫)


 緑色のメダイエを握っていると心が落ち着いて来た。あの少年は今どうしているだろうか。聖職者への道を選んだなら、戦場で会うことはないだろう。

 祈るようにメダイエを握っているエルナを、タークが冷ややかな目線で見ていた。


 エルナは気を取り直して、メダイエを軍服の中に仕舞った。何の願いでもいいけど、叶うといいな、それで幸せになれるといいな、と思った。ふと、隣の彼はどうなんだろうと考えた。


「タークは叶えたい願いとかってある?」


「そんなものはない」


「あ、なんか予想通りの答え」


 タークはそれ以上エルナに付き合うつもりがないらしく、くるりと背を向けて呟いた。


「欲望を焚き付けるのが、俺らの役目だからな」


 エルナはその言葉を上手く聞き取れなかった。


「何か言った?」


「別に。そのメダイエ、お前の大事な物なんだな。精々なくさないようにしろよ」


 タークが道具や物の話をしたのには理由があった。例えば、ある人が欲しい商品を見つけて、購入するためにお金を稼いだとする。それは見方を変えると、商品という物のために働かされたとも言える。人間はそうやって、道具を使っているようで、道具に操られてもきた。しかしそれはエルナが知らなくてもいいことだ。彼女の人生は彼女のもので、タークはそれに力を貸すだけだ。道具に操られて、道を誤らなければいいのだ。それぐらいのことは出来ると思った。



 同じ頃、ナハト達は養成所に戻って来ていた。立て続けに任務が入ったため、しばらく任務が止まったのだ。しかし、普通の兵のように休暇とはならなかった。現に今は、組み手の練習をしている。ナハトが、近接格闘も少しやっておきたいと言い出したからだ。おかげで六人の部下は、慣れない組み手に四苦八苦していた。

 その様子を眺めていたナハトの元に、一人の軍人がやって来た。フェアトラーク曹長、と彼は呼んで敬礼した。ナハトは肩の階級章に目をやった。成程、自分よりも一つ下だ。


「何でしょう?」


 ナハトも敬礼した。


「あなた宛ての指令書です。あんな追剥ぎのような振舞いでも、実績にはなるらしいですね」


 口調こそ柔らかいが、皮肉が効いている。あまり好かれていないようだ。別に構わないが。

 ナハトは巻かれた指令書を開けて、内容に目を通した。


「……よっぽど、人手が足りないらしいですね」



 訓練を終えたステファン達は、割り当てられた部屋に戻った。兵は色々な所に出兵させられるから、その時空いている部屋が振り当てられる。

 この養成所が任務と違った所は、郵便があることだった。首から箱を下げた職員がやって来て、四通の手紙を渡してきた。


「兄さんからだ!」


「お母さんから来てる」


「郵便って届くんだな」


 三者三様の反応をよそに、手紙を受け取ったオリヴァの表情は暗かった。手の込んだ美しい封筒だったが、そんなことは何の慰めにもならない。開封すると、父親の筆跡で“軍隊から帰るように”という内容が書いてあった。オリヴァは手紙を握り潰した。


 ステファンは、喜々として兄からの手紙を開けた。


≪こうして手紙が出せるのを嬉しく思う。お前が生きていて、軍に入ったと聞いた時の俺の驚きは、ちょっと言葉では言い表せない程だ。お前の所の隊長はずいぶんな変わり者だという噂だが、お前が信頼に値すると思うなら、恐れることなく付いていくといい。リンデの家がどうなっているかこの目で確かめたいが、シバートに占領されている以上無理だろう。あまり時間がないので手短になってしまうが、残ったのは俺達二人だけだと思う。身体にはくれぐれも気を付けるように。 

                      親愛なる兄上ディートハルトより≫


 確かに短いが、兄も進軍の最中に真摯に書いてくれたのだろう。持ち前の明るい性格が伝わってくるようだった。ステファンは愛おし気に手紙を撫でた。久し振りに家族のことを思い出した。軍人として働くのは辛くはあるが、きっと仇を取って、故郷を取り戻してみせる。


 いつの間にか目を閉じて、思い出に浸っていたらしい。怒鳴るような声が聞こえて、ステファンは目を開いた。


「何よ、文句あるの!」


「大ありだ!」


 イレーネとアルノーがいがみ合っていた。 


「病気の母親に仕送りするために軍に入ったのが、おかしいって言うの!?」


「そんな理由で人殺しすんなってことだよ! 別の仕事でもいいだろ!」


 どうやら、イレーネの母親からの手紙が切っ掛けで揉めているらしかった。

 ルディやモニカ、オリヴァはどう対処したらいいか困っているらしい。仕方なくステファンが仲裁に入った。


「二人ともやめろよ!」


 両者の間に、身体を捻じ込む。


「俺が戦ってるのは、家族を殺されて故郷を奪われたからだけど、お前らが生きている人の為に戦ってるのは同じだろ」


「……」


 イレーネとアルノーは静かになった。二人で目配せする。暗黙の了解ができたようだった。


「……今日の所はこれで終わりな」


「あら、命拾いしたわね」


 二人はあっさりと離れた。

 ステファンはほっとした。何だかわからないが、解決したようだ。

 実は、一番被害を受けているステファンがいるのに揉めるべきではないと二人が気付いたからだが、そんなことは彼が知る由もなかった。  



 翌日、ナハトは上層部からの作戦内容を伝えた。


「キーファー南東部において、友軍一万と敵軍二万が衝突予定。我が隊はこれを援護します。……初めての合同任務になるね。合流後は第三師団の指揮下に入る予定だけど、到着時の状況によっては、独自に動かないといけない」


 乾いた口調で言って、ナハトは指令書を閉じた。

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