第22話 いにしえのせいねん

 ドルイドは、ヘンゼル国の若き書記官だった。この国では、ルーネ文字をどれだけかいするかで階級や仕事が決まったので、貨幣の価値は相対的に低かった。ドルイドは独り郷里を離れ、身分相応の大きさの家に住み、通いの料理人と、掃除・洗濯などを行う小間使いを雇っていた。この小間使いの名前はフィリと言った。金髪に、スミレのような紫色の瞳をした可愛らしい少女だった。


 ある日ドルイドが仕事から帰ると、家から歌が聞こえて来た。滅茶苦茶な歌詞だったが、澄んだ歌声は非常に美しかった。なるべく音を立てずに家を入ると、繕い物をしながら歌っていたのはフィリだった。


「〈歌っていたのか〉」


 ドルイドが尋ねると、フィリは顔を赤くして頷いた。彼女は、このくらいのルーネは理解できる。


「〈何を歌っていたんだ〉」


「〈適当に歌っただけです〉」


 ドルイドは考え込んだ。フィリは、家族を流行り病でみんな亡くしたため、ドルイドの家に引き取った少女だった。歳は十五才になっていた。そろそろ結婚を考える時期だ。相手を決めるのはドルイドの役割だった。歌が上手だというのは有利に働くかもしれない。しかし、歌詞を考えられるほどルーネが上手くない。そして、ルーネを解さない者が無理矢理ルーネで歌うことはできなかった。


 ふと、以前やって来た旅の一座を思い出した。異国ではまた別の言語があるらしく、その言語で歌われる歌は、何を言っているかわからないのにドルイドを感動させた。それは結ばれない恋人同士の歌だったという。歌詞がわからなくても、歌い手が歌詞に込められた心を表現するから、人々の心を揺らすのだ。

 もしもルーネができなくても、誰もが理解できる別の言語があったら、人々はもっと暮らしやすくなるのではないか。そんな考えがドルイドに浮かんだ。下級階層の人々は、ルーネの代わりに特定の単語を使ってやりとりをしているという。しかし、完全に住み分けられているので、ドルイドは彼らと接触する手段を持っていなかった。


「〈お前、友達はいるか〉」


 フィリは頷いた。ドルイドは必要な仕事が終わるとフィリを好きにさせていたし、お使いに出すこともあったので、フィリを知る者はそれなりにいるはずだった。


「〈今度そいつらを家に呼んでみないか。お茶とお菓子くらいは出す〉」 


「〈みんなお勤めがあるから難しいと思いますが、誘ってみます〉」


 三日後、フィリは同世代の男女四人を連れてきた。さして広くない家は、随分と窮屈になった。

 ドルイドは、家の物を指差しながら、これは何と呼ぶかと訊いてみた。ルーネでの発音に近い言葉が返って来たが、全員バラバラだった。ドルイドはそれらを、羊皮紙に書き取った。家じゅうの物の呼び方を訊ね終わった頃には、もう家に帰らせないといけない時間だった。


「〈また来てくれないか。報酬は出す〉」


 ドルイドは余ったお菓子をお土産として手渡した。彼らとて、否はなかった。


 別の日には森に連れて行き、木や果物の名前を尋ねた。彼らが口々に話す言葉を、板に張り付けた羊皮紙に書き込んだ。ドルイドに質問されない間は、フィリ達は森を駆けまわって遊んでいた。ルーネで意思を伝えきるのは、彼らには難しい。時々身振り手振りで、何とかわからせようとする。

 この研究が完成すれば、みんな言いたいことが言えるようになる、とドルイドは思った。


 その後も研究は続いた。様々な人を集め、物の名前を教えてもらい、共通する音から新しい単語を作り出していく。それは楽しい作業でもあった。しかし、これだけあれば日常生活は何とかなるのではないかという時点まで来た時、悲劇は起きた。

 ドルイドの研究が、上層部にばれたのだ。ルーネが全てを決める国において、別の言語を作ることは反乱を呼ぶとして、処罰が下ることになった。

 結果、フィリ達のような使用人が約二十人死刑になった。ドルイドには何の罪も与えられなかった。彼の優秀さが評価されていたのもあるが、何よりもドルイドは、一応は上流階級に属する人間だったからだ。


「〈君はまだ若いし、過ちは水に流そう〉」


 この国の最高責任者である神官は、長い白髭を撫でながら言った。


「〈ルーネは神が与えたもうた神聖な言葉である。異国の真似をして、新しい言語を作ろうなどとは、今後は考えないように〉」


 何が過ちだ、とドルイドは叫びたかった。人々の不便さが解消されるのだ。それ以上に素晴らしいことなどあるものか。そう怒鳴りたかったが、そうすると自分にも罰が与えられる可能性がある。ドルイドはまだ密かに研究を続けるつもりだったから、それは避けたかった。それが逃げであることは、よく自覚していた。



 月日が流れ、ドルイドはある噂を聞いた。とある中級神官が二つの指輪を買ったというのだ。その話を聞いた瞬間、彼はその指輪が見たくてたまらなくなった。そこで、不躾ながらその人物の家を訪ねた。

 家主である神官は一応迎え入れてくれたが、ドルイドを早く追い返したいという表情をしていた。


「〈大層美しい指輪を手に入れたと聞きました。ぜひ私にも見せていただけませんか〉」


 そう言われれば、誰だって悪い気にはならない。神官は両手を伸ばした。小指に金と銀の指輪がそれぞれ嵌っていた。ドルイドは特に、銀の指輪に目を奪われた。それが欲しくなった。


「〈もしよろしければ、銀の指輪の方を、私に売っていただけませんか〉」


 すると神官は激怒した。


「〈お前はこの前、変な言語を作ろうとした奴だろう。そんな奴に物が売れるか〉」


 そう言った瞬間、神官の身体は、塩の柱になって崩れた。周りにいた使用人達が悲鳴を上げて逃げていく。

 無人になった部屋で、ドルイドは塩にまみれた二つの指輪を拾い上げて、自分の指に嵌めた。すると、頭の中から声が聞こえた。


「〈契約しますか〉」


 慌てて辺りを見回すと、銀の指輪に嵌っている青い石が、水色の光を放っていた。


「〈この力をもって、世界を良くしようと望むなら、契約は成ります。誓いますか〉」


「〈誓う。フィリ達を死なせたのは私だ。願いが叶うなら、何が起きようと構わない〉」


 その瞬間、水色の光は洪水のように辺りを包んだ。ドルイドはあまりの眩しさに目を閉じた。すると、様々な知識が彼の頭の中に流れ込んで来た。二つの指輪があればできること、契約条件、そして二つの指輪と契約できた時、世界が新しく生まれるという“約束”が果たされるのだと。


 ドルイドは、人目を忍んで自宅に逃げ帰った。フィリのもういない家は、ひっそりと静まり返っていた。あの神官の家の者達も、さすがに主人が塩になって死んだとは言いにくいだろう。そういう魔法も作れなくはないが、そんな手間をかけるくらいなら、もっと手っ取り早く殺す手段はいくらでもあるのだ。明らかな死体が残らなかった以上、ドルイドに取り調べなどが来るのはまだ先のことだろうと思った。彼は早速、指輪に願った。


「〈一日だけ、日が昇らないようにしてほしい〉」


 それは銀の指輪と契約し、かつ金の指輪を所有する者が使える、“しょく”という魔法だった。これが発動している間、全ての魔法が使えなくなる。魔法が持続する期間は、本人の魔力量に比例するが、ドルイドの力では精々これぐらいが妥当だと考えた。


(ルーネを使えない者達の苦しみを、神官達も思い知ればいい)


 どす黒い考えが、彼の頭を占めていた。しかしドルイドは、その魔法がどれほど恐ろしい結果を引き起こすか、まだ知らなかった。


 翌日の朝、太陽が昇らないのに気付いて、人々は慌て出した。燃料はあるから、生活にすぐさま支障が出るわけではなかったが、人々の心は憂鬱になった。昼の時間になってもまだ空は夜のままだった。

 家に籠っていたドルイドにも、遠くで何か騒ぎが起きているのが聞こえた。


「〈なんだ?〉」


 ドルイドは外に出た。騒ぎが起きている方を見ると、上流階級の神官が住む住宅街で、いくつもの火事が起きていた。彼は急いで火事の方へ向かった。

 途中で、見知った顔の人物と何人か会った。新しい言語を作るために、密かに協力してくれた人達だった。


「〈ドルイドさん、悪いことは言わない。家にいなさい。ルーネが使える人は危ない〉」


 口々に言われて、ドルイドは家に戻った。

 この魔法も一日限りなのだ。明日にはちゃんと朝が来て、一日が始まる。そう、信じていた。


 そして、朝は来た。その時初めて、ドルイドは昨日何が起きたか知ったのだった。パニックになった下流・中級階級の人々が上流階級の神官の元に押し寄せて騒ぎになり、放火や略奪、殺人などあらゆる暴動が起きた。その結果、国のごく少数を占めていた上流階級の神官が全て殺されるという事態が起きた。元々、ルーネが抜群に読める者しか、政治を司る神官になれないのだ。国の中枢は完全に麻痺していた。


「〈こんなことが・・・・・・〉」


 しかしこれが、彼の願いの引き起こした惨劇だった。

 残された人々はまだ、また日が昇らないのではないかという不安でいっぱいだった。あちこちで喧嘩が起きていた。

 ドルイドは気付いた。人々は恐らく、太陽を昇らせるように神官達に頼みに行ったのだ。しかし彼らにそれはできなかった。だから、日頃の恨みもあって暴動が起きた。常日頃、人々の暴走を抑え込んでいたのは、ルーネによる魔法の報復という可能性があったからなのだ、と。そこまで行き付いた時、ドルイドは膝から崩れ落ちた。国という大きな、寄る辺となるべき存在が、一日にして壊滅したのだ。 

 彼は昼過ぎまで、呆然自失になっていた。しかし、身体は正直だった。腹が空いた、とドルイドは思った。通いの料理人は来ていなかったが、台所から保存食を取り出して食べた。食事している内に、彼の心の中にはある一つの考えが纏まっていた。

 ドルイドは家の外に出て、新しい言語を作るために協力してもらった人達の家を訪ね歩いた。その内の何人かは、主人を殺していた。日頃から使用人に暴力を振るう輩だったから、ばちが当たったのだ。しかしそれを間接的に引き起こしたのは、太陽が昇らないという異常事態だった。自分が責任を取るべきだった。ドルイドは彼らに、新しい国を作らないかと誘いをかけた。誰もが使える、新しい言語を使う国だ。政治機構も別のものに改めよう。その動きは次第に国中に広がった。

 

 そして、フォルクバルド王国が樹立した。初代国王にはドルイドがなった。彼は権力が欲しかったわけではない。彼が発起人であり、新しい言語の創作者であり、他に適任がいなかったからだ。王に祭り上げられても、彼の心は喜びを感じなかった。ただ、彼が編み出した言語は更に成長し、人々はみんなそれを使うようになった。ヘンゼル国の後ろめたい歴史は、誰も口にしなくなった。



 それが、テオの話だった。ドルイドの霊は何も言わぬまま、そこに立っていた。


「その話も、彼から聞いたんですか」


 ナハトは思わず尋ねた。


「ええ。君に効く魔法を考え出すのにも手伝ってもらいました」


 瞬間的に、ナハトは動いていた。幸いなことに、テオ達がいたのは、扉とは別側だった。ベッドを踏んで跳び越え、扉へと走る。鍵は掛かっていなかった。実戦経験が乏しいから、そこまで気が回らなかったのだろう。

 扉を開いて、廊下を走り抜ける。エッシェ城の構造は、長く住んでいたテオの方が詳しい。それに、室内だと動き回れない。そう判断して、ナハトは屋外に出た。考える時間が欲しかった。草を踏みつけながら、後ろを振り向く。ドルイドの霊が追って来ていたが、ナハトから五十メートル程離れた場所で不意に止まり、うろうろしていた。それが多分、テオが霊を動かせる範囲の限界なのだろう。

 住人を失ったエッシェ城は静まり返っていた。家畜ももういない。ナハトは木陰に隠れて、様子を窺った。


 テオの望み通りに、契約できる気はしなかった。自分の事しか考えない人間とは契約できない。しかし、ドルイドの霊が厄介だった。通常の攻撃では倒せない。術者であるテオをどうにかしなければらない。


(折角、国が落ち着いて来たのに、また人を殺すのか)


 向こうだって自分の寿命が掛かっている。本気で来るはずだ。

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