第21話 新しい国と古い国

 仲間達をそれぞれの配置に付かせると、エドアルトは指定された礼拝堂に向かった。重たい扉を開けると、わずかに血液と死の匂いがした。


「こんにちは。来てくれなかったらどうしようと思ってました」


 のんびりとした声が室内に響き渡る。ナハトの声だった。礼拝堂の一番奥まった説教用の机に、ナハトが腰掛けていた。その足元に、三人ばかりの人間が転がっている。椅子は全て端に寄せられて、広く使えるようになっていた。

 少し近付いて、床の上の三人が誰だかわかった時、エドアルトは卒倒しそうになった。国王、宰相、大将という、この国の上層部の人間達が、静かに横たわっていた。その眼がもう二度と開かれないこともわかった。


「敵を倒すにはまず頭を潰せってか。上手くやったもんだな」


 エドアルトは、自分の声が震えていないか気になった。弱気を見せようものなら、自分も殺されそうな予感がした。


「彼らが勝手に潰し合って、最後の一人を僕らが倒しただけですよ。ね、ターク」


 ナハトが首を斜め奥に向けた。ナハトによく似た少年が、壁に凭れ掛かっていた。前に戦った時は、そこまで冷静に観察する時間はなかったが、エドアルトは初めて、タークの顔をまじまじと見た。


「さっさと用件言っちまえよ、めんどくさいな」


 タークと呼ばれた少年は、ナハトよりもやや切れ長の赤い瞳をしていた。そこにはあまり良い感情は含まれていなかった。


「それもそうだね。じゃあエドアルトさん、これ知ってますか?」


 ナハトは傍らの何かを、ひょいと掲げた。

 王冠だった。

 赤いビロード帽を、四本の金色のハーフ・アーチが覆い、ダイヤモンドやルビー、サファイアが散りばめられている。国王が儀式で使う正式な王冠だ。


「……」


 沈黙は、了承と取られたらしい。


「僕が牢で話したこと、覚えてます? あなたに王様になってほしいっていう話。今その気はありますか?」


 何もかもが唐突過ぎた。エドアルトは首を横に振った。自分はそんな器ではない。


「そうですか、まあ仕方ないのかな。無理強いするのも気が進まないし」


 そう言って、ナハトは王冠を手でくるくると回し始めた。それに使われている貴金属と、嵌められた宝石の価値がわかるエドアルトは気が気でない。


「知ってます? “円”の定義って、中心から同じ距離の平面にある点の集合らしいですよ。王冠は国王の権威を示す物なのに、丸い形そのものはむしろ平等を意味しているんです」


 ナハトの話に付いて行けない。何が目的なんだ?


「あなたがこの話を断るなら、議会と交渉して、――まあ、共和制にでも落ち着くでしょうか。それまでどれだけの血が流れるかわかりませんが。いつまでもこの城を無法者に占拠させておけないでしょうから、事態は必ず動きます」


 エドアルトが困惑していると、ナハトは宥めるように言った。


「あなたが王になったとしても、どれだけの犠牲が出るかは計算できません。運を天に任せるしかないですね」


 話を断ったことは責めない、という意思表示なのだろうが、エドアルトは背筋が寒くなる感覚があった。 


「僕とタークが交渉を受け持ちますから、各自持ち場に付いて、逃げないようにしてください。大体全員の顔と名前はわかります。逃げても良いことないですよ」


 最後にしっかりと脅迫紛いの台詞を告げられ、エドアルトは建物から出た。

 太陽は、すでに高く昇っていた。空は青く澄んでいる。この広い城が、わずか数十人に占拠されているなんて、嘘のようだった。 



「あれで良かったのか」


 タークの言葉に、ナハトは目を伏せた。


「なるようにしかならないよ。僕らだって、歴史の流れを大きく変えることはできない」


「でもお前ずいぶん、この国に執着してるんだな」


「フォルクバルドは僕の契約者が作った国だよ。後継者を僕が決めたっていいと思わない?」


「あの眼鏡野郎とは契約できそうなのか?」


 タークが尋ねると、ナハトは首を横に振った。


「出来るなら、そうとわかると思うんだけどね。ちょっと意志が弱いのかな」


 タークは、あの三人が死んだ時点でそれなりに留飲を下げた。それでもこうしてナハトと一緒にいるのは、見ていて危なっかしいからだ。


「ジークムントで罪人を殺し続けたのも、クローネの人達に肩入れしたのも僕の弱さだ。だから、この騒動の後始末はちゃんと付けたい」


 ナハトの性格の、良くない面が出ていた。色々な人間の事情を抱え込み過ぎて、そこから逃げられなくなる。


「まず、王位継承者を上から三人くらい殺したい。あまり有能だって噂も聞かないしね。そうしたら王室派も動きにくくなる。僕はこの城を監視しないといけないから、タークに行ってもらっていい?」


「王政を潰す気か。反発は避けられないぞ。今の国民は、政治体制を新しくしようとまでは考えてない」


「そうだね。でも国家なんて概念なんだよ。あると思えばあるし、ないと思えばない」


 涼しい顔をして物騒な発言をしているが、それでもタークは頷いた。とにかく、それなりに行動を制御していれば問題は起きないはずだ。そう信じたかった。


「この国はもう寿命だ。あの人の望みは叶ったんだ。これで十分だよ。あとは、王族なんて頼りないものに国を任せるんじゃなくて、有能な人が政治をするようになればいい」



 翌年、フォルクバルドは王国から共和国となった。最初の首相は議会から選ばれた。政治の中心は議会に移り、アイヒェ城は軍の居留地くらいの重要性しかなくなった。それでいい、とナハトは思った。

 不可解なのは、目の前でエドアルトとエルマーが政治談議に熱中していることだ。


「やっぱりハロルド王の土地再分配政策は正しかったよな」


「そうだよ。長期で見れば国力が上がったのは確実なのに、既得権益しか見ないから」


 ちょっと付いていけない会話が展開している。最近、エドアルトは政治も勉強するようになったらしい。元々大学に入れるくらいの学力がある人だ。めきめきと詳しくなっているらしい。そして何故か、エルマーと気が合うらしかった。


「二人とも、変な物でも食べたみたい」


 それなりに二人を知っているナハトからすれば、あまり性格は似ていないし、一時は敵同士だったこともある。彼らがどうして仲良くなったのか謎だ。

 エドアルトとエルマーは顔を見合わせた。


「そうだねー、瑠璃色の瞳の男の子とか」


「とんでもない爆弾だったな」


「はあ……」


 二人とも、ナハトに理解させようとはしていないらしい。まあいいや、とナハトは投げやりな気持ちになった。


 そこに、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。入って来たのは、リーゼとマリーだった。


「お疲れ様です。今日はクーヘンにしたんです。お茶を一緒にどうですか?」


 リーゼが尋ねてくる。ナハトは午後の予定を頭の中で再生した。お茶をする時間は十分ありそうだった。


「うん、頂こうかな」


「本当ですか! じゃあ私、お茶淹れて来ます!」


 リーゼがあっという間に、元来た方向へ去って行った。


「後輩が入ったっていうのに、落ち着かないな……」


「でも、いい先輩ですよ。今ジークムントに具士の方はいらっしゃいませんが、練習に付き合ってくださいます」


 後輩こと、マリーはにこやかに笑った。


 この頃には、タークは城から姿を消していた。契約者を探したいらしい。大方の仕事は終わっていたから、ナハトに引き留める理由はなかった。あっさりとした別れだった。多分、必然であればもう一度会えるからだ。

 取り敢えずは、物事は穏やかに推移していた。だから、油断があったのかもしれない。



 その日ナハトは、アイヒェ城の廊下を歩いていた。冬が近いせいか、吐く息が白い。ふと、前方に人影を見つけた。ナハトもよく知っている人物だった。


「どうしたんですか、こんな夜中に」


 それは自分も同じだな、と微笑んで声を掛けた。その人物は何も言わずに近付いて来る。何かおかしいと感じるのと、その男がナハトに手を伸ばして来るのは同時だった。

 ナハトの視界は暗転した。



 目を開けると、古いがそれなりに手の込んだ装飾の天井が映った。外はまだ夜なのか、カーテンはきっちりと閉ざされている。ぼんやりとした意識のまま、ナハトは起き上がった。自分は天蓋付きの大きなベッドに寝ていた。この部屋にナハトは見覚えがあった。エッシェ城の国王用の寝室だ。


「お目覚めですか」


 不意に声を掛けられて、肩が跳ね上がった。ベッドの隣には、男――テオが椅子に腰掛けていた。古くて傷んだ、革表紙の本を読んでいたようだった。


「突然攫ってしまって申し訳ありません。ちゃんと説明しますよ」


 男はこの状況を異常だと感じないらしい。ナハトはベッドから出ると、添えられていたブーツを穿いたが、テオはそれを咎めはしなかった。それにしてもおかしい、とナハトは思った。自分を気絶させられるような魔法が、彼に使えるだろうか。


「……何処からお話ししましょうか。やはり、私が子供の時からですね」


 テオは遠くを見つめる眼差しで話し始めた。


「小さな頃から、私には不思議な力がありました。死霊を呼び出して使役することができたのです。霊には色々な者がいて、それと喋るのも嫌いではありませんでした。この城に来て、“彼”を呼び出すまではね。それが、この日記の持ち主、それがフォルクバルド王国初代国王ドルイドでした。彼はれっきとした魔法使いで、私に様々なことを教えてくれました。彼の生涯も、私の能力も。死霊遣いというのは、自分の寿命を代価に死者を呼び出す。しかし、本人がそれを知らないために短命に終わる、と」


 そう言ってテオは、長袖の裾を引っ張り上げた。上腕から前腕に掛けて、黒い染みが広がっていた。


「これが全身に達した時、私は死ぬと言われました。私はそれまで遊び半分で死者を呼び出していたことを後悔し、絶望しました。そんな時に、君に出会ったのです。……最初は疑い半分でしたが、今は確信しています。君こそが、ドルイドの契約していた指輪なのだと」


 テオが手にしていた本が、淡い黄緑色の光を放った。


「故人の遺物を媒介にすると、やりやすいんです。ほら、見えるでしょう」


 いつの間にか、テオの傍らに、ぼんやりとした緑色のケープを纏った男が立っていた。その姿は半分透けており、輪郭は綻んでは再生するのを繰り返していた。その男は不自然にのっぺりとした顔をしていたが、ナハトが彼を見間違えるはずもなかった。

 初代国王ドルイドがそこにいた。


「私の望みは」


 テオが、ナハトの頬に手を触れた。


「君と契約して、不老不死を手に入れることです」

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