第7話 夜の秘密

「やはり、各地に警備組織を設置するべきでは?」


 またその話か、とユリアは思ったが口には出さない。本人にとっては、納得がいかない重要な問題なのを知っているからだ。

 場所はジークムントの執務室で、椅子に座った自分の目の前に立っているのは、隊員のエルマーだ。今まで何度も行われていた問い掛けだった。


 現在、地域の警備はそれぞれの領主に委ねられ、依頼があった場合や隠密に行動したい場合だけ、国に直属する兵士が動くことになっている。しかしその人員が慢性的に足りず、各地に配備するのも無理だ。国防予算も、最近目立った戦いがないせいか、かなり削られている。頭の痛い問題だった。


「ジークムントが出る程でない案件もあるし、ナハトに危険な任務が多いと感じています。……あの子に社会的地位がないからですか」


 エルマーと二人の時に話すのは、大体仕事での問題だ。しかし、エルマーの考えは半分しか当たっていない。


「危険な任務とは言うが、ナハトにならできると思う案件しか回していない」


「でも、ホールンダーの森の件は、時間が掛かっているようですが」


 エルマーの言葉を遮るように、ドアをノックする音が聞こえた。


「取り込み中だったかな」


 入って来たのは、宰相さいしょうのランドルフ=ヴァイゼだった。ユリアとも旧知の仲で、同等の地位にある。


「そんなことはないぞ」


 ユリアは立ち上がって、ランドルフから差し出された巻き物を受け取った。頼んでいたリストだった。


「もうすぐお茶の時間だが、どうだ? 一緒に」


「残念だが、これから会議だ」


 ランドルフは素気無そっけなく立ち去って行った。


「相変わらずですね、ヴァイゼ宰相は」


 ドアが閉まった後、エルマーが呆れた顔をした。

 用が済んだらすぐに帰る。ユリアに対してそんなことができる人間はかなり限られている。


「本当に時間がないんだろう。愛想あいそもないが」


 愛想、という言葉からふと思い出した。


「そういえば最近、奥方は元気か?」 


「ええ、子供もちゃんと育っていますよ。貴族なのに、魔法使いに普通に接してくれるだけでもありがたいですけどね」


「……そうだな」


 エルマーはジークムントで唯一の妻子持ちだ。あまり危ない任務は振りたくないのは確かだった。けれど彼は、ナハトという存在の本質を理解していない。



 その夜は舞踏会で、ユリアは壁際に据え付けられた椅子に座って、ぼんやりと人々が踊るのを眺めていた。


『壁の花気取りですか』


 声を掛けてきたのは、まだ若い頃のランドルフだった。いつもと違う正装を、落ち着かなさそうに着ている。かくいう自分も、普段着ないドレスを着て、コルセットも締めて、窮屈極まりない。


『今日はカールの誕生会なんだから、あいつが楽しければいいだろう。それに私はダンスが嫌いだ』


 カールは現在の国王で、ユリアのいとこでもある。もう二十三歳なのだが、まだ結婚しないので、側近はやきもきしているらしい。自分に謎の求婚をしてくるが、そんな気は微塵みじんもないので断っていた。


『そうだ、これからこっそり抜け出さないか』


『は?』


 ランドルフは困惑した表情を見せた。彼はまだ一仕官に過ぎないから、王族の血が流れている者の誘いなど受けたことがないだろう。その内に、地位を引き上げてやるつもりだが。


『ナハトとタークも大分大きくなったんだ。たまには顔を見せてやれ』


 ランドルフはあの二人の世話をユリアに押し付けて以来、一度も会いに来たことがない。まあ、魔法使いにするつもりなのだから、事務仕事とは関係ないといえばそうだが、無関係ではないのだから、多少は忘れないでもらいたい。

 ランドルフは、当てが外れたような顔をしたが、渋々と頷いた。


 ジークムントの兵舎に戻ると、ナハトとタークはもう寝ていた。成人用のベッドに、枕を並べて眠っている。


『そうか、子供は寝る時間だったな』


 エルマーかブルーノが寝かしつけたのだろう。二人とも起きる気配がなかった。子供がいないユリアは、そういった些事さじうとい。


『……ユリア様は、結婚するおつもりがあるのですか』


『そうだな、子供は可愛いという感覚はあるが、私は次女で気楽な身だし、軍人として働く方がしょうに合っているよ』


『後悔はありませんか?』


『何に対して?』


『色々と』


 そう言いながら、ランドルフは二人をまじまじと見ていた。


『確かに、成長しているな』


『私もほっとしている。記憶もないようだ』


 これは神にそむく行いだろうか。しかし、ここにいるのは共謀者だ。ユリアは心強かった。三人で決めて、多くの犠牲を払った実験だ。きっと上手くいく。


『私が、ナハトとタークを正しく育ててみせる』


『……そうですね、あなたとその部下の努力に期待します』


 ユリアの言葉に、ランドルフは丁寧な口調ながらも、皮肉交じりに答えた。そういう性格だったからこそ、ユリアも彼を信用したのかもしれない。 



 会議場には、淀んだ空気が満ちていた。


「長く続く国政の赤字に対して、財務省の意見をれて、貴族にも税を掛けるようにしたいのだが」


 ランドルフが発言すると、返って来たのは冷笑だった。


「貴族に税を掛けるなど、言語道断ですよ」


「昔から貴族の仕事は政治と戦争と決まっています」


「なんだったら、この城の物を売り払えばよいのでは? 王室の財産ですからね」


 国王であるカールが政治に出てこないせいで、事務官達は好き勝手に物を言う。宰相という、最も高い位にあるはずのランドルフでさえ、平民出身のせいで、貴族ばかりの議場では立場が弱い。


「カール国王が許可を出すとも思えませんが」


「そうですな、ははは」


「それより農民の税をもっと重くするべきでしょう」


 ランドルフは歯噛みした。


(自分達の保身しか考えない低能共が……!)



 その頃、タークは森の中を一人歩いていた。馬車が一台通れるほどの細い道だ。いつもなら鳥が鳴いていたり、野生動物が動いたりしているのだが、今日はそれもない。彼らは気配に敏感だからだ。


「そういえば」


 独り言を呟くように、後ろに向かって話し掛ける。


「最近何故か、俺に喧嘩を吹っ掛ける奴がいるんだよな。お前が四人目か?」


「……ばれているなら、隠れる必要もないな」


 背後の木の上から、黒いケープを纏った一人の男が降りてきた。フードを深く被って顔は見えないが、まだ若い男のようだった。殺意が隠しきれていない。


「誰に頼まれたんだ?」


 タークは振り返りながら、剣の柄に手を掛ける。


「教える必要はない」


 男は武器を取り出した。二つの短剣が長い鎖で繋がっている。鎖が空中に浮いたまま広がったところを見ると、何かの呪具らしい。


「依頼人の秘密は守るってか」


 先手必勝。タークは鞘から剣を抜くと、低い体勢で走り、下段から斬り付けた。

 相手もそれぐらいは予想していたようで、剣の部分で攻撃を受ける。反撃を予測したタークは、後ろに下がった。


「お前は、存在してはいけないんだ!」


 男が叫ぶように言う。


「うっせえな! 誰なら殺していいとか決められる人間がいるわけないだろ!」


 殺される程恨みを買った覚えもないが、相手が殺す気で来るなら、戦闘不能にするまで終わらないだろう。今までの奴らも、タークを本気で殺すつもりだったはずだ。


「斬りたいから斬る、それでいいじゃねえか!」


 タークは戦い自体は否定しない。剣を交える時の高揚感は何物にも代えがたい。それが片割れには嫌がられるのだが。


「そういう発想が! お前が有害だと証明しているんだ!」


 タークが男の横手に回ろうとすると、短剣がその体を貫こうと伸ばされる。剣の長さの差があるのに、随分速い奴だ。

 仕方なく、そのまま走って距離を取る。すると、短剣が空中を飛んで来た。


(あの鎖は、短剣を遠くに飛ばすための物か!)


 男は短剣から手を放し、鎖を握りしめていた。自由になった二本の短剣が、代わる代わるタークを攻撃してくる。持ち主の意に従って動かせるようだ。鎖鎌でなくて短剣なのも、何処かに刺さってもすぐ抜けるからだろう。


(厄介な奴が来たな。面白いけど)


 鎖の部分を含めれば、広範な攻撃ができる。相手に近付けない。


「どうした? 魔法は使わないのか?」


 男は、自分の優位を感じ取ったらしい。挑発するような言葉を投げかけて来た。


「なら、お望み通りに見せてやるよ」


 剣に魔力を込めて、強度を上げる。ヴンダーの特徴は、持ち主の意図を汲んで、それに合う魔法を生み出せることだ。ほの赤く光り出した剣は、飛んできた二本の短剣を、果物か何かのように易々やすやすと斬った。


(いける!)


 タークは走って前進した。しかし男はにやりと笑った。


「お前の戦い方など、百も承知だ!」


 男が腕を動かすと、鎖がタークの剣に巻き付いた。剣が少しも動かなくなる。この鎖は、空中での位置固定もできるらしい。むしろ、鎖が本命かもしれない。敵ながら、かなりの使い手だった。


「終わりだ化け物、己の罪深さを嘆くがいい!」


 勝利を確信した男は吠えた。


(くっそ、斬れない)


 短剣は斬れたのに、鎖は斬れない。魔力を遮断する作用でもあるのか。いずれにせよ、手詰まりだった。

 剣にびしりと亀裂が入る。タークは初めて焦りを感じた。この剣は、十年以上前に貰った呪具で、あまり手入れをしていない。そのツケが来るか。そう考えた瞬間、剣は粉々に砕け散った。


 男が笑みを浮かべながら、ふところから別の短剣を取り出して、走って来る。

 宙を舞う剣の破片を見ながら、タークは昔の記憶を鮮明に思い出していた。


 城の庭で、ナハトが小さな光の玉を周囲に纏わせていた。その玉は、意思を持つように空中を舞っている。


『何してるんだ? ナハト』


『魔法の制御の練習ー』


 のんびりした声が返って来た。


『タークにも教えてあげようか? ルーネは多少できるんでしょ』


 おせっかい野郎だ。あいつは昔からそうだった。


『俺は具士だぞ』


 呪具をメインに使う具士と、呪文をメインに使う呪士は、魔力の運用方法が違う。それぞれの魔法に熟達する程、もう一方の魔法は使いにくくなる。


『でも、興味あるんでしょう?』


 ナハトは呪文をもう一度、最初から唱え始めた。


「〈小さな光、夜空の星よ、私はあなたに名前を付ける。星と星とを繋ぎ合わせて〉」


 砕けた剣の破片が空中を動き始める。男の周りを鋭い破片が取り巻き、男は一瞬足を止めた。


「具士のくせに詠唱する気か! 命知らずが!」


「〈三は面〉」


 タークの周りに残っていた剣の破片が寄り集まって、光の壁を作る。その防御結界は、短剣の攻撃を防ぎきった。

 男が慌てて下がる。それを逃すつもりは毛頭ない。


「〈二は線〉」


 破片同士が光の線で繋がり、さっき魔法を使った後に残っていた魔力を、一番大きな破片に集中させる。


「〈一は天を射抜く矢!〉」


 破片が一筋の猛烈な閃光を放つ。その光は男の上半身を焼き尽くした。


 地面に倒れた男の足を見ながら、タークは荒い息を吐いていた。体中が痛い。全身の血液が逆流しているようだ。具士と呪士の違いを初めて思い知った。もう一度やろうとしたら、死ぬかもしれない。

 タークは膝から崩れ落ちた。限界だった。


(そういえば、スコルの奴出て来なかった。仕事サボりやがって)


 朦朧もうろうとする意識の中で思い出していたのは、懐かしい、瑠璃るり色の瞳をした少年だった。日が沈む西と反対側の空に似た青紫色に、星のような金色の粒が散った、夜空に喩えられる宝石だ。


『この魔法の名前は、【星座の守り】。魔法書にも載ってる、有名な魔法なんだよ』


 たった一つ覚えていた呪文は、正しい使い方ではなかったかもしれないが、確かにタークを救った。

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