第8話 プロメテウスの指環

 タークはいらいらしながら、急峻な山道を登っていた。


「何処まで続くんだ、これ」


 普段は滅多に出ない愚痴が零れる。


「大体鍛冶屋って普通、町中にあるもんだろ? なんで山奥まで歩かなきゃいけないんだよ」


 タークがわざわざこんな辺鄙へんぴな場所に来たのには理由がある。この山に、ヴンダーの扱いに長けた鍛冶屋がいると組合所で聞いたからだ。呪具が扱える鍛冶師は少ない。しかし、自分の生命線だ。生半可な仕事をさせるつもりはなかった。


「これで腕前がへぼかったら、ぶっ飛ばしてやる」


 悪態を吐きながらも、タークは一件の小屋を見つけた。粗末な木の板でできているが、煙突が頑丈そうなところを見るに、ここが目的地らしい。

 ドアに付いていた、貧相なドアノッカーを叩く。


「ごめんください」


 静かなのでもう一度呼ぼうかと思った時、ようやく奥から返事があった。


「聞こえてるよ」


 髭を伸ばした白髪の老人が、部屋から現れた。右足を軽く引きっている。


「何か用かの」


「あんたが刀鍛冶の、ウルカヌス=シュミットか?」


左様さよう。久しぶりの客か」


 タークの不躾な言葉にも拘らず、老人はにっ、と笑って見せた。



「随分派手に壊したもんじゃな」


 机の上には、壊れたタークの剣が載っていた。鈍い金色の柄と、コアの魔石は無事だったが、刀身は粉々に砕けている。一応、拾えるだけの破片は拾ってきたが、どうなるかはわからなかった。


「直りそうか?」


「材料がちと足りんな。ん? この柄は……」


 ウルカヌスはタークの方を振り返った。


「お前さん、この剣は何処で手に入れた?」


「ユリアっていう、親代わりみたいな奴に貰った」


 正確に言えば貸してもらったが、ジークムントに入らなかったので返さないでいるのだが、老人は別の言葉に反応した。


「ユリア……じゃと?」


 タークから事情を聴いたウルカヌスは大笑いした。


「ぶわっはっはっ! お前さん、あのお姫様の知り合いかい」


「……姫ぇ?」


「先代国王の娘が降嫁こうかして生まれたのがあの方じゃ。間違ってはおるまい。アイヒェの内乱の時に“戦姫いくさひめ”の異名を取るほど数々の功績を上げた武人じゃよ」


 ウルカヌスはそこで話を切った。


「儂もあの頃は前線から離れていてな。元々は隊長も務めていたことがあるんじゃが」


 老人は懐かしそうに目を細めた。


「エルマーやブルーノは元気かの? まだひよっこじゃったが」


「さあ……最近会ってないから」


 タークは思わず目を逸らした。三年間城に帰っていないなどとは、とても言えない。


「二人とも儂と入れ替わるように入って来たから、上手くやっているか不安でな。ブルーノは正義感が強くて優しい子じゃった。エルマーは若干癖があって、大変だったな」


「ああ、確かに……」


 タークは、城で仕掛けられた数々の悪戯いたずらを思い出して、頭が痛くなった。


「じゃが、ジークムントに一番愛着を持っていたのはあの子じゃな」


 ウルカヌスは遠い日の記憶に思いを馳せた。

 

「彼の家は貴族で、魔力持ちをうとんでいたから、家に居場所がなかったらしい。ジークムントに来てから、実に生き生きしていたよ」


「あのエルマーがねえ……」


 生き生きしすぎて、ふざけていた気もするが、タークは敢えて水を差さなかった。


「まあ、昔話はこれくらいにして、仕事の話と行こうかの」


 老人は不敵に笑った。


「あの剣は、儂がジークムントにいた頃に打った練習用のヴンダーだ。誰にでも扱えるように、初心者向けに作ってあった。しかしお前さんがこれからも戦いを続けるなら、新しい剣が必要じゃ。つまり……」


 タークはごくりと息を飲んだ。


「お代は七千万ラウプ!」


 次いで、脱力した。


「そんな大金あるわけねーだろ!」


「お前さんの貧相な格好を見ればわかる。そこで提案が一つ」


 ウルカヌスは、びしっ、と人差し指を立てた。


「あるのかよ……」


「この近くに、“鉄晶鋼てっしょうこう”という魔石が取れる洞窟がある。それを鞄いっぱいに取って来れたら、タダで作ってやろう」


 ウルカヌスはさすがに疲れたのか、近くの椅子に腰を下ろした。


「昔は一人で行ってたんじゃが、最近は歳のせいかきつくてな」


「それを取って来ればいいんだな。わかりやすい」



 タークは、用意された剣を携えて、洞窟の前に立った。


「戦闘用の呪具がなくてすまんかったな」


「別に」


 腰に差しているのは、魔法の使えない普通の剣だ。それでもタークは物怖じせずに、洞窟の中に入って行った。魔法が使えるからといって、それがないと生きていけないなどとは思わない。魔法が使えない人間だって、普通に生きているのだから、この身一つでだって生きていけるはずだ。


「ここから無事に帰って来れる程の強者なら、いつでも喜んで手を貸そう。健闘を祈るよ、若き魔法使い」


 遠くから、ウルカヌスの声が聞こえた。


 洞窟の奥に入ると、タークはウルカヌスに借りた左の腕輪に魔力を込めた。ルーネが刻まれた金色の腕輪が発光し、周囲10m程度が見えるようになる。眩し過ぎることもない。


「便利な呪具だな」


 両手が空くから、戦闘を邪魔しない。タークは意気揚々と更に深部へ向かった。


「最初の分かれ道を左、しばらく行くと狭い道から広い場所に出る……」


 教えてもらった道順を復唱しながら、人一人がやっと通れる細い道を進むと、確かに広い場所に出た。しかしそこには、先客がいた。白い大蛇のような姿をして、道を塞いでいる。これはもう魔物の領域に入っているだろう。大蛇はとぐろを巻いて、こちらの様子を窺っていた。


(普通は目を潰すんだけどな)


 大蛇の目に相当する部分は、隆起が二つあるだけだ。この暗闇で退化したのだろう。代わりに、頭部から突き出た二本の触角がひらひらと泳いでいた。これ以上動くと、察知されて敵扱いされるかもしれない。


「あそこを狙うか」


 流石にタークも、攻撃意思を示していない魔物をわざわざ殺す趣味はない。剣を抜いて軽く地面を蹴って跳躍する。大蛇の頭の触角を二本とも切り落とすと、その鼻先に乗った。そのまま相手の左側を蹴る。大蛇は左から攻撃されたと勘違いして、鎌首を左へと動かした。その隙に、右側に広く開いた空間から向こう側へ下り立った。


「早く先に進むしかないな」 


 また別の生き物に襲われるかもしれない。タークは呟いて走り出した。更に進むと、地面が浸水している。鉱物を多量に含む土質だから、水が湧くと排水できないのだろう。水の深さは5㎝程で、大した障害ではない。ウルカヌスは何も言っていなかったから、最近できたのかもしれない。 


 ぱしゃぱしゃと音を立てながら歩くと、突然視界の右側を緑色の影が通り過ぎた。


「別の奴か……!」


 抜きっぱなしにしていた剣を構える。ひょろりとしたトカゲに蝙蝠こうもりの翼が生えたような魔物だった。貧相な体付きだが、眼のない顔は奇妙に歪んでいる。トカゲもどきは、明らかに敵意を持ってこちらに向かって突進してきた。応戦する意思を決めたタークは、飛んで来る相手をしゃがんでかわし、その勢いを利用して、胴体をぐように斬る。その時、不意に水で足を滑らせ、転倒した。


(やべ、やられる)


 瞬間、タークの首飾りが光った。そこから現れた黄色い獣は、紫色の瞳を見開くと、大きく口を開けた。その口から放たれた衝撃波は、トカゲもどきを吹き飛ばした。今回は助けてくれるらしい。


「スコル、助かった」


〈礼には及ばない〉


 タークの使い魔は素っ気ない。

 トカゲもどきは壁に打ち付けられて、気絶していた。

 

〈だが……わかっているな? その首飾りに込められた魔力が切れれば、拙者は攻撃どころか、姿を現すこともできなくなる。お前は確かに強く、拙者の出番は少ないが、それだけで生きてはいけない。主は寛大な方だ。戻って頭を下げれば、許していただけるだろう〉


 スコルの主は、タークではなくユリアだ。首飾りを付けていることで、タークを補助してくれてはいるが、それだけの関係だ。ユリアの命令が、今もタークを守っている。タークは、首飾りに埋め込まれた赤い魔石のコアを撫でた。結局自分もスコルも、ユリアに飼われている存在に過ぎないのではないか。そんな不安が頭を過ぎる。


「どの面下げて帰れってんだ。第一、まだ探しものも見つけてないのに」


〈何を探しているかもわからないのに?〉


 スコルに言われて、タークは押し黙った。“何か”を探すために城を飛び出してきたのに、何の手掛かりも掴めていない。


「それでも何処かにあるはずなんだ……」


 頭の中で声がする。探せ、と。それは物ではなくて、人のような気もする。けれど、城の外の世界で、誰を探すというのだろう。自分にも家族がいたのだろうが、全く記憶にないし、向こうも十年以上離れていたタークのことなど、気に掛けてもいないかもしれない。ただ、声がタークを急き立てるのだ。


 タークはスコルとの会話を終わらせて先へと進み、目的地に辿り着いた。洞窟の壁から、水晶のような柱型の形状の、透き通った結晶がいくつか飛び出している。結晶は灰色が混じったような色で、タークの腕輪の光を受けて輝き、それが地面の水と混じり合って、幻想的な空間を生んでいた。タークは少しの間、息を飲んで立ち尽くしていた。城には立派な装飾品も沢山あったが、こうして旅をしていると、素直に美しいと思う自然の光景に出会うことがある。


「ナハトにも見せてやりたいな」


 ふと、呟きが漏れた。彼は石が好きだったから、この光景を気に入っただろう。


「……馬鹿らしい」


 自分の発言をすぐに打ち消す。自分で家出して迷惑を掛けておいて、そんなことが言えるはずもなかった。



 そういえば、城を抜け出した時も、最後に会ったのはナハトだった。どういうわけか、ナハトはタークの居場所をすぐに探し当てる。それはタークも同じだった。近くにいると、何処にいるかわかるのだ。

 あの日は小雨が降る夜だった。タークは廊下を歩いていただけだったが、ナハトは彼が何をしようとしているか、気付いたようだった。


『どうしても行くの?』


 か細い声が後ろから切なげに響いたが、それ以上引き留めはしなかった。まさにあの時、自分達の道は大きくズレてしまって、もう戻らない気がした。



 タークは頭を振って思考を振り切ると、用意しておいた肩掛け鞄を取り出した。その中に鉄晶鋼を入れていく。洞窟はまだ奥に続いていたが、鞄がいっぱいになったので、引き返すことにした。



 帰り道は、大した障害に出くわさなかった。


「おお! よく帰った!」


 ウルカヌスは大袈裟すぎるほどの勢いで、タークの帰りを喜んでくれた。頭をわしわしと撫でられる。タークは驚いたが、彼も元軍人だから、帰らない兵士も沢山いただろう、と思い至って、胸が重くなった。


「子供じゃねーんだから」


「怒るな怒るな。すぐに作ってやる」


 ウルカヌスは鞄を持つと、家の近くにある工房へと向かった。タークがその後を追う。


「そうだお前さん、“マガイビ”という言葉を知っとるか?」


「いや」


「昔話なんじゃが、ある男が、赤い魔石の嵌った、強力な呪具の指輪を持っていたそうじゃ。彼は言った。『これは天から授かりし火である』と。他の者達が、それに匹敵する呪具を作ろうとしたが、無理だった。それで、ある者が『あの石こそが本当の魔石“モライビ”で、あとは全部紛い物まがいものなんだ』と言い出した。

それ以来、普通の魔石は“マガイビ”と呼ばれるようになってしまった。今ではもう古語になってしまったがな。わしもそこそこ長く生きてきたが、“モライビ”らしき物は見たことがない。大方、作り話なんじゃろう。それに、普通の魔石でも、組み合わせれば十分素晴らしい呪具が作れる。お前さんにも、とびきりの物を作ってやろう」



 数日後には、柄ができ上がっていた。ほぼ黒に近い銀の柄には手を守る為のキヨンが付いて、赤い魔石の核が嵌っている。前の物は丸かったが、今度は菱形だ。


「刀身はどうするんだ」


 タークが不思議に思って尋ねると、ウルカヌスは部屋の奥を指差した。地面とほぼ同じ高さになるように掘って作られた水槽は、四角く切られた石でぴっちりと覆われている。水深は30cm程だ。その中には、虹色に光る謎の液体が満ちていた。


「これが刀身の元じゃ。お前さんが取って来た鉄晶鋼も入っている。儂の特製ブレンドじゃ」


 そう言うとウルカヌスは、柄を水槽にドボンと放り込んだ。


「ここから柄を取り出してごらん」


 何をどうしたらそういう発想になるのかわからないが、タークは、もうどうにでもなれという気分で、水槽に手を入れた。意外とさらさらしていて、ぬるま湯のような温度だった。底に沈んでいた柄を握ると、恐る恐る抜き出す。すると、柄に虹色の液体が付いて来た。


「えっ」


「集中しろよ。これはお前さんの心を映す鏡のようなものじゃからな」


 柄を引き出すごとに、細長い刀身が形成されていく。それと同時に、水槽の液体がどんどん減っていく。明らかに、刀身の体積よりも大量の液体が消費されていく。切っ先まででき上がると、水槽にはもう液体は残っていなかった。

 タークは、抜き出した剣を眺めた。刀身はまだ虹色に輝いている。


「後は微調整だけじゃな。名前は何と付ける?」


「は?」


 タークが戸惑っていると、ウルカヌスは溜め息を吐いた。


「前の剣はグラムという名前だったんじゃがな。忘れられてしもうたか。しかしこれはお前さん専用のヴンダーじゃ。名を付けておくといい」


「……“ノートゥング”」


 その言葉が、口から滑り落ちてきた。ウルカヌスは頷いた。


「うむ、良い響きじゃ。仕上げは儂がやるから、しばらくは雑用でもしてくれ」


 労働力は、使えるだけ使う方針らしい。しかし、仕事に集中してほしくもある。タークは、びっこの老人の代わりに、溜まっていた家の雑事を全て片付けてやった。



 二日後に出来上がった剣を持った時、タークはその見事さに惚れ惚れとした。切れ味の良さそうな刃。それでいて、羽のように軽い。良い刀鍛冶に巡り合ったことを、たまには神に感謝したい気分だった。


「試してみなさい」


 ウルカヌスは優し気に言った。

 

 家の裏の森で、タークは剣を構えた。目の前の大木を、一撃で切り落とすつもりだった。はやる心を抑えながら、横向きに薙ぐ。

 すると一陣の風が起こり、大木だけでなく、周囲の木まで数本を切り倒してしまった。


「お前さんに合わせて作ってるんじゃから、前と同じ要領で使うと威力が強すぎるぞ」


 ウルカヌスが呆れたように言う。それは先に忠告しておいてほしかった。


「慣れるまで練習した方が良いな。当分薪には困らなそうじゃ」


 もう少し滞在が伸びるようだ。けれど、タークは悪くない気分だった。 

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