第11話 それぞれの行く先


「〈大気の水よ、刃となって我が敵を切り裂け〉」


 大気中の水分を掻き集めてできた、ブーメランのような形状をした水が、まとになっていたカカシを切り裂く。表面のわらが切れて、断面が剥き出しになった。


「こんなもんか~。なかなか切り落とせないな」


 フォルカーは溜め息を吐き、その様子をナハトは中庭の柱に凭れ掛かって眺めていた。この短期間で魔法が当たるようになったのはそれなりの進歩だが、ナハトの魔法に及ぶべくもない。


「使えそうな人はいますか?」 


 テオが声を掛けて来た。彼自身は魔力量も読めるルーネも少ないので、そこまで身が入らないようだった。


「伸びしろで言うと、フォルカーさんとゲオルクさんですかね。マリーは元々魔力量が多いから、ヴンダーの使い方のコツを掴めば一気に伸びると思いますが」


「そうですか。ゲオルクは同胞なので、褒められると嬉しいですね」


 そう言ってテオは、魔法の練習をしている人々を見渡した。


「あれ、カミラとカミルは」


「ここはもう危ないので、元いた町に帰しました。彼らの実力だと、あれ以上教えられることもないので、これからは自力でやるしかないですね」


「確かにあの二人は幼いですが、あなたが思っている以上にしたたかですよ」


 何か含みのある言い方だったが、ナハトはあまり気にしないことにした。


「この城に来ても、住みつかない人は多いんですか?」


「ええ。各地に散って、色々協力してくれています。カミラとカミルは、二年間くらいはここに住んでましたね」


「……そうですか」


 テオの言葉通りなら、クローネの犯罪にも加担しているのかもしれない。それでもナハトは、あの二人の安否を気遣わずにはいられなかった。



「依頼がない?」


 町の組合所で言われた言葉は、タークにとって衝撃だった。受付の男性は渋い顔をしていた。


「いま来ている依頼で、一人で任せられるようなものはないね」


 彼らも、当人に見合わない危険な任務を割り振ったりはして来ない。「一人だと……」と呟くと、ふと思い出したように、彼は顔を上げた。別の分類の紙の束を棚から取り出す。


「これなんかどうだい。“屋敷の護衛、報酬は後払い、泊まり込み”……嫌そうだね」


 タークは余程嫌そうな顔をしていたらしい。確かに、魔物の討伐依頼が目的だったのに、堅苦しい護衛の仕事をさせられるのは不本意だった。


「実はここ数週間、貴族ばかり狙った泥棒が出るんだよ。この辺りは首都に近くて、金持ちが多いしね。なんでも、二人組の魔法使いらしい」


「魔法使い……」


 タークは、机の上の依頼書を取り上げた。


「本当の魔法使いなら、他にも仕事はあるだろうに……そのつら拝んでやるか」


 そしてタークは、その依頼を受けることにした。


 通された部屋で、依頼主の貴族の男性が出迎えてくれた。短い髪をきっちりと分けて撫でつけた、いたって普通の顔立ちだった。

 タークはこの壮年男性の頭をまじまじと眺めていた。この国では、地位が高い程、髪の毛を伸ばしたりカールさせたりして、身分を誇示する。貴族なら尚更だ。


「髪が薄いから、普段はカツラを被って仕事してるんだがね」


 男性は初対面のタークにも、気さくに話し掛けてくれた。そして、咳払いを一つする。


「よく来てくれた。礼を言う」


「その泥棒を捕まえれば、賞金が出るんだよな?」


「ああ。この町の自警団は屋敷の敷地内まで入って来れないから、いささか不安だったんだよ」


 よろしく頼む、と言われてタークは頷いた。



 その日の夜、屋敷の柵の片隅で、二人の人間がこそこそと動いていた。門の前には、守衛が一人立っている。


「まだ入ってないの、この家だけだよね」


「そうよ、こっちが風上でちょうどいいわ」


 少女の方が呪文を唱え始める。


「〈霧よ、集い集いて、目を塞げ〉」


 屋敷周囲だけが、深い霧に包まれた。


「なんだか、様子が変だな」


 守衛が自分の手を見ると、その輪郭すらもぼんやりしている。


「ひどい霧だ。何も見えない」


 呟きは、バチンという鋭い音に中断された。守衛の身体がずるずると崩れ落ちていく。


「がっ……」


 体が麻痺して動かなくなった。地面に倒れ伏すと、軽い足音が二人分、石畳で舗装された地面に響いた。


 二人は慣れた手つきで軽々と屋敷に侵入すると、廊下を走りだした。しかしその足はすぐに止まる。暗がりの中、目の前に一人の男が立ち塞がっていた。


「ガキが冒険するには、随分遅い時間だな」


 彼自身もまだ成人していなそうな、張りのある声をしていた。


「くっ」


 カミルは慌てて呪文を唱え始めた。


「〈雷よ、集い集え〉」


 少年の手の上に電気の玉が生まれる。静電気を起こして集めたものだ。


「これでも食らえ!」


 カミルは電気の玉を、相手目掛けて投げつけた。しかし男が抜き身の剣を胸元に掲げると、光る玉は弾かれた。


「呪文に必要な要素は一応入れてるみたいだな。でも元素固定もできないんじゃ、魔法使いを名乗る資格はないな」


 そう言って青年――タークは、自分の剣の柄を力を込めて握った。瞬時に剣が、赤い稲妻を纏う。

「これぐらいはできるようにしとけ!」


 赤い一閃が、カミルとカミラを襲った。カミラは小さな悲鳴を上げて、壁に叩き付けられた。


「カミラ!」


 カミルが呼び掛けても反応がない。気絶したようだった。


「手ぇ抜いてやったのに、なんだか弱い者いじめしてるみたいだな。お前ら何しに来たんだ?」


 タークは呆れた口調で言った。


「馬鹿にするな……!」


 カミルはもう一つの呪文を唱え始めた。


「〈雷よ、我の身体を包め、我に力を与えよ!〉」


 唱えながら走り出す。普段では決して出ない速度に達する。そのままタークの剣に手を伸ばした。この武器がなければ、こいつは魔法を使えないはずだ。しかしカミルの身体は、剣に届く前にタークの蹴りによって、床に転がった。


「今のはちょっとびっくりしたぜ。電気を身にまとうと、行動速度が上がるのか」


 帯電したカミルの身体を蹴ったせいで、僅かに痺れたままの左足をぶらぶらと揺らすと、タークはカミルの方へ歩いて行った。


「もう立てないか。お前の基本属性はかみなりなんだな。あっちとの耐性の差が出るわけだ」


 タークはまだ気絶したままのカミラを一瞥いちべつした。その様子を、カミルは床に這いつくばったまま睨んだ。脇腹を蹴られたせいで、まともに息もできない。それでも文句を言わずにはいられなかった。


「あんただって、呪具が使えなきゃ、僕らと変わらないくせに……!」


「そうだな。でもこの剣はそれなりの代償を払って手に入れたんだが」


「そんなのどうだっていいよ。この世界の不平等に比べたら」


 数日ナハトに魔法を習っただけで、魔法の才能がそれぞれで明らかに差があるのが分かった。その差は、どんなに努力しても埋めようがないことも。


「……お前の師匠は何も言わないのか」


 タークの口調が少し穏やかになった。


「あの人は関係ないよ。自分が教えた魔法が盗みに使われてるなんて、知ったら悲しむだろうな」


「盗みに入るのは、誰かに言われたからか?」


「僕らで決めたことだ」


「……お前、随分と生き辛そうだな」


 タークがカミルに向ける眼差しにはもう、侵入者に対する敵意は含まれていなかった。


「選ばせてやるよ。このまま捕まるか、ここで死ぬか」


「ちょっと、待ちなさいよ」


 ようやく目を覚ましたカミラが口を挟んだ。まだタークの魔法のせいで動けないらしい。


「……死ぬのは駄目だ。カミラがいるのに死ねない」


「そうか、よくわかった」

 

 タークは頷くと、他にもいるはずの見張りの人間を集めるために、呼子よびこを吹いた。



 翌日の朝、カミラとカミルは後ろ手に縛られ、護送車に乗せられることになった。その様子をタークは少し離れた場所から眺めていた。最初にカミルが車に入り、カミラが乗る時点で、彼女は立ち止まった。そしてタークに向かって言った。


「あなた、私達に魔法を教えてくれた人に似てるわ」


 タークはわずかに目を丸くした。


「最初見た時は暗かったから、あの人が来たのかと思ったけど、性格は全然違うわね」


 守衛が急き立てるように、カミラの背中を軽く押した。さすがに子供を手荒く扱う趣味はないらしい。


「お兄ちゃんのこと、殺さないでくれてありがとう。さよなら」


 そう言い残して、カミラは車に乗り込んだ。二人は車に乗せられて静かに運ばれていった。


 タークは二人が去った後、カミラの言葉を反芻はんすうしていた。


(俺に似てる奴……ナハトか? でもあいつが、犯罪者になりそうな奴に魔法を教えたりはしないだろ。しかもあんなに素質がない奴に)


 考えが堂々巡りを始めそうだったので、タークは溜め息を吐いて、思考を切り替えた。気は進まないが、本人に会って直接確かめればいいのだ。


「行くか、首都アイヒェ」

 


 穏やかな秋の始め、リーゼはアイヒェ城の庭を散策していた。秋の薔薇が丁度見頃を迎えている。王宮に相応しい、手入れの行き届いた美しい庭だった。


「ナハトさん帰って来ないなー。そんなに大変な仕事なのかな」


 その時後ろの方で、低木で作られた生け垣がガサゴソと動いた。


「ん?」


 リーゼが後ろを振り向くと、突如現れた青年と目が合った。黒髪に赤い瞳をしている。


 ――泥棒、強盗、あとなんだっけ。リーゼの頭の中で犯罪者を呼び表す言葉が駆け巡る。


「きゃああああ!」


 思い出したように、中庭に悲鳴が響き渡った。



 応接間の椅子に腰かけたタークは、明らかに機嫌が悪そうだった。


「あっちこっちほっつき歩いてると思ったら、帰って来るのも突然だな……」


 近くに座っているユリアも頭が痛いらしい。


「どうやって城に入って……いや君は昔から、抜け道を探すのが得意だったね」


 タークをよく知るエルマーも呆れ顔だった。


「どういう風の吹き回しで戻って来たんだ?」


「ナハトは?」


 ジークムントの隊長であるユリアの問いに、こんな答え方をする人間はそうそういない。


「ナハトなら任務でいないが」


「任務? なんの?」


 タークは傍らのテーブルに置かれたクッキーを一つ口に放り込んだ。


「ジークムントの……」


 その単語が出た瞬間、タークの表情が変わった。


「馬っ鹿じゃねーの!? あいつをジークムントに入れたのか」


 椅子から立ち上がって叫ぶ。


「これには本人の希望もあるんだけど」


 エルマーがなだめるように声を掛ける。


「適性ってもんがあるだろ!」


 叫びはしたが、タークはすぐに思考を切り替えた。


「いや、いい。何処行ったか教えろ。本人に訊く」


「教えても構わないが、厄介な案件でな。ある犯罪組織の調査に行かせたんだが」

 ユリアはどういう言い方が最良なのか、決めあぐねているようだった。


「ナハトは定期連絡もなく消息不明。向こうはシュピーゲルすら倒す実力を持っている。人数もそこそこいるようだから、兵を三千程投入して、徹底的に叩くことにした」


 戦闘が起きると、彼女は示している。


「これは軍事機密だ。知ってしまったからには……」


「お前らに協力するか、勝手に動けば処罰するってか?」


 タークはくくっと笑った。


「あんたは昔からそうだよな。嫌いじゃないが、意地が悪いぜ。出世するわけだ」



 エルマーが廊下を歩いていると、リーゼが城の中庭の階段に腰掛けているのが見えた。近くの扉から外に出て、声を掛ける。


「随分塞ぎこんでるね」


「隊長が、『付いて来るかは自分で選べ』って」


「君は実戦経験がまだだったね。城の守備を考えたらここに残っても」


「あたしにはわからないよ。どうしてあんな簡単に、人を傷付けることを決めちゃうんだろう」


 リーゼは作戦だけでなく、タークがあっさりと了承したことも不可解なのだろう。


「タークは、人に好かれようとする性格じゃないけど」


「そうね。ナハトさんが言ってた意味はわかる気がする。あの二人は今も、見えない絆で繋がってるのかな」


 リーゼがタークに会ったのは今日が初めてだったが、出会い方も最悪なら、その行動やナハトとの関係にも反発を覚えているらしい。エルマーは、リーゼがナハトに淡い恋心を抱いているのは気付いていたので、慎重に言葉を選んだ。


「……人を愛するのは難しい。でも多分、見返りを求めるのは愛以外の感情だ。それが汚い欲だろうと、自分の心を見つめ直せば、自分の心は決まる。本当の自分は、ここにしかいないんだから」


 エルマーの言葉に、リーゼは立ち上がった。


「私、行くよ。ナハトさんに会いたい。私の戦う理由はそれでいい」


「単純だねぇ……」


 助言したエルマーも、楽しい気分にはとてもなれなかった。任務を果たす重要性や、戦いの高揚感は知っているが、リーゼとタークは会ったばかりで、目的が同じなのに反りが合わないこと、ナハトがいつもとは違う行動を取っていることが悩みの種だった。そして、久々に帰って来たタークが、何か問題を引き起こす可能性もある。兵力の差が圧倒的だろうと、エルマーの気苦労は絶えなかった。

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