第10話 死は水に流れ

 エッシェの城では、ささやかな宴が行われていた。夏の麦の収穫祝いだ。夕暮れ時、城外に運び出されたテーブルで、普段よりは量が多く、手の込んだ料理が振舞われていた。みんな昨日の騒ぎを忘れたいのか、楽しげに振舞っていた。


「いつもとは全然違うね」


 ナハトは、向かいに座っていたマリーに話し掛けた。


「こんな大きな催し物は初めてですよ。首都でも財政難で色々制限が掛かっているのでしょう?」


 そこに、エドアルトがへろへろになってやって来た。マリーの座っていた長椅子に、やっとのことで腰掛ける。少し顔が赤い。


「目が回る……」


「準備で疲れてたのに、お酒なんて飲むからですよ」


 ナハトは呆れながら言った。この収穫祭の準備をほぼ取り仕切っていたのを知っているだけに、若干の憐れみを感じる。不意にエドアルトが顔を向けて来た。


「……ナハト、フォルカーがヒメルスクーゲルだったってのは知ってるか?」


「あれ、そうなんですか?」


 ヒメルスクーゲルはかつて、旧都エッシェと、農業地帯トラウベを結んでいたキャラバンだ。両者の間には、“白い大地”と呼ばれる大きな砂丘があり、そこでの運搬を担っていた。


「アイヒェに遷都してからは、帆船の発達で水上輸送に取って代わられたと聞きましたが」


「そうだ。フォルカーの家は、かなり遅くまで砂丘に留まっていたらしい。両親の最期は、病死だか餓死だったかもわからないらしい。独りになったあいつは、生きていくために仕方なく生まれ故郷を離れた。それがどれだけ辛かったか、正直俺には想像が付かない。その後、マリーや俺と会って、エッシェ城で仲間が増えて、嬉しかっただろうな。でも、人が増えると食料も金も足りなくなった。俺は主張したよ。『何とかやっていけるだけの人数に制限するべきだ』って。けどあいつは、誰でも受け入れる方針を崩さなかった。どうしようもなくなって、あいつは協力者と一緒に金品を盗んで転売し始めた。商人の教育を受けてるから、目利きは上手かった。そして俺には止められなかった。本当の飢餓きがを知っている人間は、倫理とか道徳を軽んじ始めるから……つまりだな……」


「フォルカーさんが罪を問われる時に、情状酌量の余地を与えてほしいと言いたいのですよ」


 横からマリーが口を挟んだ。


「……ああ、成程」


 ナハトは、エドアルトが急に長話を始めた理由をやっと理解した。


「勝手に変なこと言うんじゃない」


「じゃあ、何が言いたかったんですか」


 酔ったエドアルトとマリーが口論を始めそうになったので、ナハトは別の話題を振ることにした。


「エドアルトさんはどうして、フォルカーさんに付いてきたんですか?」


「しょうもない話だ。俺の大学で友達だった奴が、マリーの親戚でな。たまたま出会って揉め事になって、俺がそいつを撃っちまったんだ。死にはしなかったから、俺が退学になって親に勘当されたくらいで済んだがな」


「あなた、なかなか過激ですね」


「私からすれば格好良かったですけど。第一、銃を出してきたのはあの人じゃないですか」


 今のエドアルトは、口が軽くて思考力も落ちているらしい。ナハトの言葉も大して気にしていないようだった。


「ヴィリー族にも同情はあるが、何人かいるからな。ここにいるヒメルスクーゲルはあいつだけだ。他はみんな、散り散りになっちまった」


「あの……」


 エドアルトの後ろから、おずおずとした声が聞こえた。そして姿を現したのは、十歳くらいの少年と少女だった。二人はナハトの方を真っ直ぐ見て話し始めた。


「お話し中すみません」


「お兄さんが昨日、あの大きな鳥を倒してくれたんだよね?」


 止めを刺したのはエドアルトであり、倒したというのは正確ではないが、一役買ったのは確かなので、ナハトは曖昧に頷いた。


「僕に何か?」


「「あの」」


 二人の声がユニゾンした。


「私達に魔法を教えてほしいの」


「ボクらに魔法を教えてほしいんです」


「魔法を?」


「カミラ、カミル、まず挨拶しろ」


 二人と知り合いらしいエドアルトが注意した。


「名乗るのが遅れてすいません」 


「私はカミラ! こっちがカミル! 双子なの!」


 少女の方が、二人分名乗ってしまった。活発そうな女の子で、長い赤茶色の髪をツインテールにしている。少年の方は短髪だから、同じ白を基調とした服を着ていても見間違えることはない。 


「ボクら、魔法の才能はあまりないんだけど、もっと上手に魔法を使えるようになりたいんです。昨日、あの大きな鳥が来た時、二人して逃げるしかできなかったから」


 ライラはおっとりと言った。

 ナハトの脳裏を、タークの姿が過ぎった。双子だ双子じゃないと言われ、それでもお互い魔法を修練していたあの頃の自分達が、二人に重なった。


「……いいですよ」


 リーゼをそれなりに育てたという自負はある。彼らは確かに魔法の素養は低いが、多少付き合ってもいいか、という気分だった。


「わ、私もお願いします!」


 マリーが立ち上がった。今回の襲撃で戦闘力不足を実感したらしい。


「他にも、魔法を習いたい人がいないか、訊いてみますね!」


 その会話を聞いていた他の村人達が、わざとこちらに聞かせるように言った。


「はっ、調子に乗りやがって」

「あいつの事情を知らないから言えるんだろ」

「どうせ、わざと襲わせて撃退することで、俺らに信用させるのが目的なんだよ」


「あいつら……!」


 怒りの表情を露わにしたエドアルトが立ち上がる。ナハトはその腕をテーブルの反対側から、なんとか握って抑え込んだ。


「いいんです。あの人達の考えが普通でしょう」


 ナハトと行動を共にすることが多くなったエドアルトは、ナハト側に付いてくれるようだった。それだけでも、ナハトの立場は少しマシなはずだ。ただでさえ外に敵がいるのに、これ以上いさかいを増やしたくなかった。


 しばらくして、楽器の演奏が始まり、人々が踊り始めた。大きな焚き火を囲んで、時に二人組で、時に全員で、曲に合わせて踊っている。


「そういえば、フォルカーさんいませんね」


「始めの時は見かけたけど、確かに今はいないね」


 マリーの言葉に、ナハトは辺りを見回した。


「探してくる」


 まさか迷子になっているとも思えないが、ここでは居心地の悪い自分が探した方がいい。ナハトはマリーと別れて、城の敷地内を歩き始めた。


 噴水のある中庭で、ナハトは目的の人物を見つけた。夕陽はもう、大分沈みかけていた。


「こんな所にいたんですか」


 フォルカーは、噴水から伸びる水路の前に座り込んでいた。この城で一番大きな湧き水で、動力なしで動くのだ。水路には、蝋燭を立てた草舟が数艘、ゆっくりと流れていた。蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れている。


「俺の故郷での弔いの風習なんだ。在り合わせの材料で作ったから、長持ちしないだろうけど。あと、本当は川でやるんだ」


 フォルカーは静かな声で言った。今回の襲撃で亡くなった人の追悼らしかった。怪我人はもっと多い。


「三人か。大した人数じゃないっていえばそれまでだが、病気以外で死人を出したのは初めてだ」


「僕らが上手く立ち回らなかったのがまずかったんでしょうか」


「いや、遅かれ早かれ見つかってはいただろうな」


 そこでフォルカーは立ち上がって、ナハトの方を向いた。


「この場所をジークムントに教えたのはお前か」


 責めるような口調ではない。感情のこもらない声だった。


「違います」


 ナハトは、質問の真意を測りかねたが、とにかく否定した。エッシェのことは伝えていないはずだ。


「そっか」


 フォルカーは、安心したような、泣きそうな声で言った。


「ホールンダーまでは知ってても、ここが襲撃されたのは誰かが教えたからだ。だけど今は、お前の言葉を信じたい」 


「僕が嘘を言っているように見えますか」


 ナハトの言葉に、フォルカーは頭を振った。


「そうじゃない。もうそんな段階じゃない。今回は小手調べだ。じきに次の攻撃があるだろう。何人かはこっそり出て行ったよ。行く当てがあるなら、俺もその方が良いと思う。これが最後の宴だろうから、どうしてもやりたかった」 


 フォルカーはいきなりナハトを抱きしめた。その身体が震えていても、ナハトにはどうすることもできなかった。


「俺は怖い。もうすぐ死ぬかと思うと、怖くて堪らない。重罪だって知ってたのに、自分には死ぬ覚悟がなかったんだって思い知らされた。でもみんなの前では明るく振舞ってないと不安がらせちまうから、できないんだ。死に場所がここか処刑台かどうかはわからないが、他の仲間も巻き添えになるだろう。俺には荷が重すぎる。……おかしいな。敵かもしれないお前の方が、今はなんでも話せるなんて」


「フォルカーさん」


 ナハトは、フォルカーの愚痴ぐちを遮った。フォルカーの腕をゆっくりと剥がす。


「僕は、自分が死ぬのが怖いとか嫌だとか思ったことがないんです」


「……はあ」


「ただ、相手の事情も知らずに、無差別に人を殺すのは好きではないです」


 そう言ってナハトは、ジークムントの身分証を水路に放り投げた。ぽちゃんという音が、静かな夜に響いた。


「今、ジークムントのナハトは死にました。これから僕は、自分がやりたいように動きます。だから」


 ナハトはそこで言葉を切った。


「あんまり僕を失望させないでください」


「……お前が笑うと、やっぱり変だわ」


 いつの間にか自分は笑っていたらしい。ナハトは確かめるように自分の頬を撫でたが、よくわからなかった。“人形”と揶揄やゆされることはしばしばあったが、自分の感覚と他人の感覚はそんなにずれているだろうか。


「でもちょっと元気出た。ありがとうな」


 フォルカーは微笑んで、礼を言った。



 翌日、ナハトは早速、魔法の講習会を始めることにした。礼拝堂が手頃な大きさだったので、そこに十人程度の希望者が集まっていた。


「……で」


 ナハトは、冷ややかな口調で言った。


「当然のように混ざってるんですね、あなた」


「俺も一応魔力持ちだしなあ」


 何処で聞きつけたのか、マリーが話したのか、長椅子の端にフォルカーが座って、からからと笑っていた。昨日あれだけ落ち込んでいたのが嘘のようだ。

 ナハトは軽く溜め息を吐くと、魔法の基礎について説明を始めた。


「魔法を使うには、まず自分の特性を知ることが大事です。魔力持ちには普通、一人一つの基本属性があります。呪文なしで使えるのは基本属性だけです。それを調べるために使われるのが、ゲベートと呼ばれる詩です。読んでみてください」


 ナハトはフォルカーに、手書きの紙を渡した。全部読めなくても、書き写せるほどには見慣れている。ほぼ完全に再現しているはずだ。

 フォルカーはつっかえつっかえながらも、多少は読んだ。わからない人間には、何を言っているかも聞き取れないが、ナハトはルーネの読解がかなり得意だった。


「基本属性は水、他は風属性に僅かに親和性があるようです」


「すっげえ、そんなことまでわかるのか」


 他の人達にも読ませてみたが、ジークムントの入隊試験レベルに達する者は誰もいなかった。ナハトは頭が痛かったが、どうしようもない。


「あなた達に、基礎の呪文から教える余裕はありません。自分で作ってもらいます」


 そう言って、小型の黒板を配り始めた。


「テオさんに協力してもらって、使えそうな本を集めました。これを読んで、呪文を作ってください。原則は動かす対象と、与える命令をルーネで編むことです」


 かなり強引な手法なのだが、手っ取り早く使える魔法とは、本人が自分で思い付く言葉なのだ。


 それぞれが、説法用の机の上から適当な本を持ち出し、読み始めた。ゲベートがほとんど読めなかったマリーは、悲愴ひそうな面持ちでまだ本を選んでいる。テオは自分の力量を把握しているのか、平然と読み耽っている。


(大丈夫かなあ)


 口には出さなかったが、ナハトは不安だった。しかし元々無茶な授業なのだ。やれることをやるしかなかった。


「僕は見回りしてくるから、その間頑張ってください」


 そう言ってナハトは礼拝堂を出た。毎日、持ち回り制で見回りが必須になっていた。いつ、何が来るのかわからないのだ。


 広間を歩いている最中、ナハトは足を止めた。ここの暖炉の上には、斜めにヒビが入った鏡が残っている。女性陣が時々身支度の点検に使っている物だ。その鏡を何となく覗き込んで、ナハトは異変に気付いた。首飾りに嵌っている青い魔石が、深い紺色になっている。記憶違いでなければ、昔は水色に近い青だったはずだ。


「ハティ」


 使い魔を思わず呼び出した。ハティはすぐに姿を現した。


〈あの魔法を使い続ければ、いずれこうなるだろうとは思ってた〉


 ナハトは猛烈に嫌な予感がした。


「これ以上黒くなるとどうなるの」


〈さてな〉


 オレンジ色の獣は、知っていても答える気がないらしい。


〈それよりお前、どうして居場所がばれたのかまだ気付いてないみたいだが、自分のファミリアの場所くらい、離れてても察知できんだよ。主がタークを好きにさせておくのも、居場所を特定できるからだ。お前はファミリアの魔法が苦手だから知らなかっただろうが〉


 ナハトは愕然がくぜんとした。ハティの主はユリアだ。つまり、自分がいる限り、この場所は筒抜けだったのだ。


「どうして教えてくれなかったの」


 訊ねながらも、ナハトはわかっていた。ハティは自分よりユリアの命令を優先するからだ。


〈主の意向には沿うが、俺もこの世界から生まれたから、この世界の意思も尊重しないといけない〉


「待って、意味がわからない」


 自分の把握していない所で、何かが起きている。それだけは確信があった。


〈後は自分で考えろ。本当のお前は多分、お前が思ってるより凄いことができる〉


 そう言い残して、ハティは姿を消した。

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