第34話 邂逅
ヴァルヌス要塞への襲撃は、景色がすっかり冬らしくなって来た頃だった。
見張りの兵が、こちらに向かって来る約三万の大軍を発見し、すぐさま報告した。
「どう思う?」
小さくて質素な執務室の中、フェリクスは苦り切った顔でナハトに問いかけた。年月と共に色褪せた薄黄色の壁紙が貼られた執務室は、温かさと同時に冷たさも感じさせる。壁に長剣と盾が、時代錯誤のように飾られている。それでもセンスの良い部屋なのは間違いなかった。
「確かにこの要塞は、ウルメやタンネへも一日以内に行ける要所ではありますが、それ以外にも何か理由があるのかと思います」
「そうだな。包囲戦をやるとしたら三万の兵は妥当だが、こんなに前線が伸びているのに、今更やる必要があるか?」
「現段階では不確定です。とにかく、防衛戦の準備を終わらせて、いつ敵が来ても大丈夫なようにしなければなりません」
「こっちは一万の兵しかいないのにな」
「ヴァルヌス要塞がシバート軍に占拠されたことで幸いだったのは、最新の武器も持ち込んでくれたことぐらいですかね」
「砲撃班が仕組みがわからないと頭を抱えていたが、使いこなせるようにならないと勝てないな」
「でしょうね」
「うん、やることは大体決まった。中尉、予定を纏めてくれ」
「了解しました」
ナハトはフェリクスに敬礼すると、部屋を後にした。
最初の攻撃は、朝から始まった。ドオン、ドオンと大砲が鳴り響く。フォルクバルドの旧式大砲では対処できなかったぐらいに、精度と飛距離が伸びている。
「大砲も銃も、あっちの方が進んでるんだよなあ」
シバートは戦争慣れしている国なのだ。
ナハトは各陣営を見回って、何か問題がないかを検討し、指示を出す。守りの戦は初めてだった。
兵士達も、慣れない武器すら動員して必死に戦っている。それでも、赤レンガの塀が破られるのは時間の問題だった。そもそも自分達が壊して、応急処置しただけなのだ。
昼には、外壁が突破された。
そこから先は、ただの白兵戦だった。一番外の高い塀以外にも、何枚にも渡って壁が立てられているから、屋外の草叢の上で、お互いが銃剣を着けたマスケット銃を持って、撃ったり刺したりの繰り返しだ。時に、敵の固まっている場所に大砲が飛んでくる。
(混戦になりそうだな)
ナハトも魔法を使って戦った。もう自分が指示を出せる段階ではなかった。有能な大隊長か連隊長ぐらいでないと、統率が取れないだろう。今この場で大勢の兵を動かせるのは、軍用ラッパくらいだ。
オリヴァを見習って、剣に雷を纏わせて斬る。下手に威力の強い魔法を使うと、味方を巻き込む可能性があるので危険だった。時に短距離の魔法を組み合わせて応戦するが、ナハトは自分の魔力量がどんどん減っていくのを感じていた。部下達と戦っている時は、防衛一方ではなかったし、彼らと役割を分担できた。第五師団に入ってからは、普通の人間の兵に指示を出すのが普通だった。しかし今は、独りで戦っている。いや、周囲に味方の兵士はいるが、彼らと魔法使いは相容れないのだ。そして、要塞内に入り込んで来る敵は終わりが見えない。
(疲れた……)
折れそうになる心を叱咤して、剣を振るう。その手がうっすらと透けて、サーベルの柄が見えた時、ナハトはこれ以上戦えないのを自覚した。走って戦場から逃げる。拙い状況だった。
一方、タークは久しぶりの実戦を楽しんでいた。不謹慎ではあるが、それは彼の本質から来るものなので、どうしようもない。炎や雷を使った大技が、タークの得意な魔法だった。いくらか味方側のシバート兵を巻き込んだ気がするが、魔法が当たる場所にいるのが悪いというのが、彼の考えだった。解き放たれた鳥のように、伸び伸びと剣を振るう。戦場という生と死の境界に、彼ほど相応しい者はいなかった。
ふと、タークは手を止めた。一瞬、懐かしい気配がしたのだ。
「こっちか」
タークもまた、戦場から離れて走り出した。それを咎める兵はいない。みんな自分の戦いで精一杯なのだ。
要塞の建物内に入ると、広い廊下が続いている。赤レンガを組み合わせて作った内廊下だ。戦場より奥に入り込むと、戦場に出て、大分やられてしまったのか、人気が少ない。その時にはもう、タークは気配の主が誰かに気付いていた。
「ナハトか」
一体こんな所で何をしているのだろう。戦っていたのか。それは直接確かめた方が早い。タークは、導かれるようにナハトの気配を辿って行く。こういう時、指輪の力は便利だと思う。お互いを探しやすいようになっているのだから。
辿り着いたのは、薄黄色の壁紙の広間だった。大きな窓が幾つも空いている。その片隅で、一人の青年が蹲っていた。
「ナハト」
普段と変わらぬ口調で呼び掛けて近付く。みんな出払ってしまったらしい。外の喧騒が嘘のようだ。
声を掛けられた方は、のろのろと顔を上げた。
「ターク、僕は今、あまり良い状況じゃないんだけど」
「見りゃわかる」
ナハトの身体は、若干透けかけていた。魔力が少なくなって、器を保てなくなっているのだ。
「魔法使って戦ったのか? お前は魔力量そんなに多くないんだから、注意しろって言われてただろ」
「久し振りだったから、加減忘れてた。それに最近、前よりも魔力の消費が激しいんだ」
タークの片眉が上がった。
「どっかに休める部屋あるか」
「この近くに僕の部屋があるけど、……変なことしないでね」
「そんな冗談が言えるくらいには元気なんだな」
タークは笑ってナハトを肩に担ぎ上げると、ナハトの案内で部屋に向かった。人間は自分達の都合で、勝手に戦争していればいい。長い目で見れば、歴史書のページが増えるだけだ。
「どうして人間は戦争をやめないんだろう。誰もが平和に暮らせればいいのに」
抵抗する体力がもうないのだろう、ナハトは荷物のように運ばれても、特に暴れることもなく呟いた。
「誰だって欲があるからだ。お前はこの戦争の原因が何か知ってるか?」
「シバートの跡継ぎ問題らしいっていうのは聞いた」
「俺の契約者が、その片方だったから、俺はこの戦争にも出て来た。流石に最前線には出て来れないけどな。よくある権力争いで、他国に飛び火しちまったのは残念だとは思うぜ」
「ふうん」
後にタークは、この時にこんな出会いと会話をしなければ、違う未来があったかもしれないと思うことになる。
*
フェリクスは、自軍の劣勢を感じ取っていた。元々の兵力差がきつかった。ナハトは何処で油を売っているのだろう。今こそ知恵を借りたい時なのに。その時、伝令役の兵士が慌てて執務室に飛び込んで来た。
「師団長、援軍です!」
「援軍!? こんなに早く来れる訳がないだろう。何処の所属だ?」
「それが、五人しかいないんですが、魔法使いらしいんです」
「魔法使い……」
フェリクスの頭に、かつてのナハトの所属隊が浮かんだ。いや、あれは解散になったはずだ。
「とにかく、味方がほとんどいなくなってしまった場所に来て、凄い魔法を出しまくっているようです」
伝令役の兵士も混乱しているようで、喋り方がおかしかった。
「わかった。私が直接見て来る。それと、フェアトラーク中尉を探して、その話をするように」
「師団長が動かなくても……」
「情報は集まるが、ここにいても、何も出来ない」
フェリクスは最低限の武装を整えると、教えられた場所に向かった。
眼の前には、想像もしなかったような光景が広がっていた。風の刃が幾つも宙を舞い、雷の槍が神の怒りを体現するように飛んで行く。味方の兵の死体の上に、敵兵が薙ぎ倒されて乗せられる。地獄というのはこういう場所ではないかと思った。
あらかたの敵を片付けた三人の兵士は、フェリクスの姿を見つけると、こちらに向かって来た。
金髪の少年が一歩進み出て、口を開く。
「失礼ながら、貴殿の格好を見るに、第五師団で高い地位にある方とお見受けします。魔法部隊五人、微力ながらお力添えに参りました」
フェリクスは眼を見開いた。確かに肩のモールや肩章、通常兵士とは少しデザインの違う軍服は彼の地位を示すものだ。しかし、まだ幼さの残る彼が平然とした顔で、丁寧で適切な口調で話すのを見ると、違和感が酷い。ナハトも大概だったので、慣れたと思っていたのだが、やはり子供だと高を括るべき存在ではない。
「……ああ、礼を言う。しかし君達の上司はこの混乱で、何処にいるかわからなくてな。もうしばらく、我々の援護を続けてくれないか」
「了解しました」
金髪の少年は綺麗に敬礼すると、後ろを振り向いた。
「だそうだ」
「とにかく、敵をなんとかして、戦いを鎮めなきゃいけないのは同意するよ」
「同感です」
後ろの二人も頷いた。
そこで、フェリクスは気付いた。
「確か君達は、五人だったんじゃないかね?」
「ああ、残りの二人はあそこですよ」
金髪の少年は、上を指差した。見張り塔だった。
「あそこから何を……」
答えは、そこから飛んで来た。別の場所から走って来た敵兵達を、見張り塔から撃たれた弾が直撃する。その直後、着弾地点から5m程が炎に包まれ、敵兵を全滅させた。
「撃ってほしい目標があれば指示をどうぞ」
整った容貌に似合わず、物騒な発言をする金髪の少年は、驚いた様子もなく言った。
見張り塔に陣取ったイレーネとアルノーは、戦況を観察しながら、狙撃を繰り返していた。
「俺、あんまり役に立ってないな」
アルノーが呟く。彼の魔法は、敵味方が混在した場所で使うのには不向きだった。
「いないよりマシよ。あたしが撃ってる間、ちゃんと周囲を見張って、必要なら攻撃すればいいの」
今のイレーネはあくまで、アルノーを自分の補佐役として捉えている。そうこうしている内に、通常の弾丸を詰め終わったマスケット銃を構えた。魔法弾は雷属性しかもう残っていないが、閃光弾のような効果もあるので、混戦状態では使いにくいのだ。
できれば、司令官を狙いたいが、屋外に出て来る性格かどうかわからない。しかし、部隊長クラスでも仕留めれば敵の兵は鈍る。
「終わらせるわよ」
*
シバート兵達は、突然現れたたった五人の敵兵によって、撤退を余儀なくされた。退却を知らせるラッパが鳴ると、まだ生き残っていた兵士達は動き始めた。
「やったのか……?」
オリヴァが誰に尋ねるでもなく呟く。
「多分そうでしょうね」
モニカも同意する。
「俺、ナハトを探しに行ってもいいかな」
ステファンが問い掛けた。
「それは構わないけど……場所わかるの?」
「何となく、あっちにいる気がする……」
その言葉は本当だった。ぼんやりと感じるのだ。
オリヴァとモニカは首を捻ったが、ステファンが行くことを承知してくれた。
「ありがとう」
ステファンは自分の感覚に従って走り出した。
ヴァルヌス要塞に来たのは初めてだった。しかし何処に行けばいいかが、次第に強くわかってくる。木製のドアの一つの前に立った。ここだ。ここにいる。ステファンは少し迷って、ノックをしてから部屋に入った。その目が驚愕によって開かれる。
ナハトは部屋のベッドで寝ていた。その手を、ベッド横の椅子に座ったシバート軍の男が握っている。
「誰だよ、お前!」
ステファンはまだ着剣したままのマスケット銃を構えた。ナハトを巻き込むといけないから、発砲するつもりはない。しかし銃剣で相手を突き刺すには十分だ。ステファンは剣やナイフの扱いがそこまで上手くないし、銃を手放すなど自殺行為だった。
幸いにも、そのシバート兵は銃を持っていないらしかった。代わりに、黒い長剣を傍らに置いている。瞳は赤い。その視線が、キャンキャン吠える子犬を見る時のようにステファンに向けられた。
「お前に言う必要はない。戦うつもりはないから、少しは落ち着け」
ステファンが叫んだことで、ナハトも目を覚ましたようだった。
「ステファン、どうしてここに……」
悪戯が見つかった子供のように、困惑と後ろめたさが混じった声音だった。しかし二人の手は繋がれたままだった。ナハトは、ステファンが何を見ているか気付いたらしい。
「ターク、もういいよ」
そう言われて、シバート兵は手を放した。
「器の方が損傷が酷かったな。闇属性魔法とは相性が悪いのに、何度も使ったからだ」
「わかってるよ。取り敢えず僕の部下の殺意が消えないから、今日は退いてくれないかな」
「礼の一言もなしか」
「君が自分からやったんだろ。感謝はしてるけど、とにかく帰って」
タークと呼ばれた青年は、二度も帰るように言われたので、心を決めたらしい。剣を腰に装着すると、窓からひょいと外に飛び降りた。
「は、ここ、三階だろ?」
ステファンは慌てて窓に近寄って下を見た。シバート兵は、何事もなかったように草原を走って、畑を通り過ぎるところだった。釈然としない気分でナハトの方を見ると、彼はもうベッドから起き上がっていた。
「タークのことが気になる?」
彼の質問の真意を測りかねた。気にならない訳がない。しかしナハトには、別の意図があるようだった。それはわからないから、取り敢えず思ったことを言う。
「気になるっていうか、あいつ誰だよ。お前は戦闘中に敵兵と何やってたんだ」
思わず、咎めるような口調になってしまった。ナハトもそれは自覚があるらしく、俯いてしまった。それでも彼は説明を始めた。
「あいつはタークって言って、僕とは昔からの知り合いなんだ」
「でも、シバート兵だろ」
ステファンは、ナハトが気安く“あいつ”呼ばわりする人間を知らなかったので内心動揺した。
「君はシバート帝国の全員が敵だとでも思ってるの? 戦争が起きる前は普通に貿易してたくせに。まあ彼は、シバートに長く住んでもないし、今回はちょっと巻き込まれただけみたいだけど」
「ずいぶんあいつの肩を持つんだな」
「戦ってる間に調子が悪くなって、治してもらったんだ。凄く珍しい、治癒魔法の使い手なんだよ。タークが同じ戦場にいるなんて、運が良かった。ああ、もちろん、君が不快に思ってるのは理解できるし、そろそろ僕らの話をするべきだと思ってたんだ」
「何の話だ?」
「僕らは人間じゃないって話。そして僕らの目的についても、話す時が来たみたいだ。君、自分が迷わずにこの部屋に来れた理由がわかる?」
驚いたような、ついにその時が来たのかという気持ちで、ステファンの頭は困惑した。
ナハトは一つ溜め息を吐いた。
「他の皆も来ているんだよね? 早めに合流しないといけないから、まずは掻い摘んで話をするよ」
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