第35話 真意

 ナハトは、今や自分の部屋となった寝室で、ベッドに腰掛けて話し始めた。


「僕とタークは人間じゃない。君達が言う“神様”という概念が一番似てると思う」


「神様がふたりもいるのか?」


「僕ら以外にもいるよ。昔は、神様は沢山いるもので、好きな神様を選んで信じるのが当たり前な時代もあったんだけど、忘れられてしまうものだね」


 遠い昔に思いを馳せるように、ナハトはくすくすと笑った。その姿が、ステファンには何だか神々しく見える。


「……お前、なんか変わったな」


「タークに綻んでた所を治してもらったから、違って見えるのかもね」


 ナハトは自分の手をじっくりと見て、それから視点をステファンに向けた。


「僕らはある計画に従って動いている。発起者はまた別にいるけど。その計画は、“正しい人間は正しい世界を創ることが出来るか”という実験でもあるんだ」


「“正しい”ねえ……具体的にはどういうことなんだ?」


 向かいの椅子に座っていたステファンは先を促した。


「僕とタークの本体は、この世界とは別の場所にいる。力の一部を指輪の形にして、この世界に投げ込んだんだ。望ましい資質を持った人間と契約するためにね。そして二つの指輪と契約できた時、その人間は世界を願うままに創り返ることができる」


「話がでかすぎて付いていけねえ……」


「指輪に選ばれれば、その内自覚もできてくるよ。――そう、僕らは指輪という道具だ。人間の形を取ってから百年ちょっとになるけど、その経緯は今は飛ばそう」


「百年間も、人間として、歳も取らずに暮らしてたのか」


 ステファンは初めて知る事実に戸惑いを隠せなかった。今まで当たり前のように近くにいたはずのナハトが、急に知らない“ひと”に見えた。


「そう、四十年くらいはある女性と一緒に暮らしてたこともあったよ。僕と見た目の年齢がどんどん離れていくのに、彼女は気にしないみたいだった」


「凄い奴がいたもんだな」


「情熱的というのかな。でもやっぱり、長年の歳月には勝てなかった。僕は歳を取らないのを気付かせないために頻繁に引っ越しをしてたけど、彼女は足を悪くして寝たきりになった」


「……それで?」


 ステファンは、その後に起こった憂鬱な出来事を何となく予想してしまった。


「彼女は自分から毒を飲んで死んだ。僕の足手纏いになるのは嫌だって、わざわざ遺書に書いてあったよ」


 予想を超えて悲劇的だった。自殺したのだ。生半可な決意ではなかったはずだ。

 その時、ふと思い出した。


「そういえば、あの作戦の後からモニカが着けてる髪飾りって女性物だったよな」


「君は変な所で記憶力が良いね。そう、元々あれは彼女の持ち物だよ。僕がモニカにあげたんだ。形見の品を他人に譲って怒るような人じゃなかった。むしろ役に立ててくれる方が喜んだと思う。良い人だったよ。だから僕も、何も言わずに彼女を振り切って姿をくらますようなことはしなかった。でも、話が脱線したから戻そう。とにかく、僕とタークはお互い契約者を探してて、今のタークの契約者はシバートの上層部、いや皇族なのかな。それで戦争にも参加してる。あいつは別に、どっちかに肩入れするような性格じゃないから、フォルクバルド兵を殺すことと、僕を助けることは、あいつの中で矛盾しないんだ」


 一息に言って、ナハトは大きく息を吐き出した。


「契約者がシバートにいるのは知ってたから、会いに行こうとは思ってた。でもまさか、こんなことになるなんてね」


 それで、ナハトの話はお終いらしかった。



 指令室に行くと、茶髪の上司がナハトの生還を大層喜んでくれた。


「このままじゃ、君に借りを作るばかりで返せないと思ってたぐらいだ。生きてて良かったよ。あと、君の隊員も全員無事だよ。大部屋を宛がっておいたから、そちらに行くといい」


「勿体ないお心遣い、感謝します、リッター少将。では失礼します」


 ナハトは丁寧に頭を下げて、ステファンと共に部屋を後にした。

 大部屋に向かう途中で、ステファンはナハトに問いかけた。


「敬礼しなくて良かったのか。それに、何だか個人的に親しそうだったけど」


「個人的、そう、個人的ね」


 ナハトはふふ、と笑った。


「いつか、その話も君にできる日が来るといいね。長い長い話だから。でも確かに、敬礼しなかったのは失礼だったかな」


 それはどういう意味だろう。ステファンは疑問に思ったが、ナハトはずんずんと先に進んでしまっていた。



 大部屋の扉を開けると、まさかの女子トークが開催されていた。


「でさ、結局誰が好きなの? やっぱりオリヴァ?」


「その話はもうやめましょうよ……」


「それともステファンとか? あいつ、顔は良いよね」


「顔が良いと、不便な時もあるぞ」


 ステファンの言葉に、ベッドの上にいたイレーネとモニカはようやく、二人が扉の所に立ち尽くしているのに気付いたらしい。話に夢中になっていたのがバレたせいか、首を竦めた。


「二人とも元気で何より、と言いたいところだけど、オリヴァとアルノーは?」


「あの二人は、食料の配給を貰いに行ってます。私達が行くと、どうしても目立つので」


 ナハトの問いに、イレーネがしゃきっと答える。見慣れた光景が帰って来て、ステファンの視界が少しぼやけた。


「飛び入り参加で、ずいぶん活躍したらしいね」


「ご迷惑でしたか?」


 モニカが少し心配そうに訊いて来る。


「まさか。君達がいなかったら負けてたよ。ここの司令官も感謝してた。本当にありがとう」


 隊長の言葉に、全員胸を撫で下ろした。軍の命令なしに独断行動したのは、やはり不安だったのだ。

 その時ちょうど良く、オリヴァとアルノーが戻って来た。


「隊長、お久しぶりです!」


 アルノーは喜びのあまり、ナハトにハグをして、ステファンに引き剥がされた。


「お前は上司と部下の関係も守れないのか!?」


 ステファン自身も、ナハトとは元から知り合いだったから、割と気安く接していたが、一応線引きはしている。さすがに上司にハグはないと思う。


「いいじゃんか、会いたかった人に会えるって、奇跡みたいなことなんだぞ!」


「確かに、戦争では真理かもしれないね……」


 持って来たスープをテーブルに並べながら、オリヴァが遠い目をしていた。ルディのことを思い出したのかもしれなかった。


「これから俺達はどうなるんだ?」


 食事の準備を始めながら、ステファンはナハトに尋ねた。


「君達は一応、第五師団に加わると思うけど、今度の作戦がどうなるかは上層部が決めることだから」


 それだけ言って、ナハトは沈黙した。というより、アルノーが食い気味に喋り出したからだ。


「それよりもまず、飯だ飯! 腹が減っては戦はできぬ!」


「この不味いレーションも、今は何だか懐かしいなあ」


 オリヴァが携帯食糧の封を開ける。スープを持って来たのがオリヴァで、固形食糧を持って来たのがアルノーで本当に良かった。逆だったら、今頃スープがひっくり返っていたはずだ。

 その夜は、和やかに過ぎて行った。嵐の前の静けさのように。

 フォルクバルド軍上層部が、大規模な進撃作戦を決めたのは、ちょうどその夜だった。



 二日後には、ナハトは指令室に呼び出しを受けた。


「シルフを急襲して、その勢いでリンデまで進撃する!?」


 さすがのナハトも唖然とする作戦だった。現在シルフはシバートの勢力圏だ。それを奪い返して、リンデまで襲撃するというのだ。危なっかしい作戦だった。

 フェリクスもその反応を予測していたのか、表情を変えない。むしろ、最初から青い顔をしていた。


「偵察の情報だと、最近シルフでは目立った戦闘がなかったため、兵の士気が落ちているそうだ。そこを狙うというのが、この作戦の要だ」


「確かに最近の激戦区は、キーファーやウルメ、ビーゼンでしたけど……」


「第一師団と第二師団が主となって、それに余力のある師団から兵を集めて、三万くらいにはしたいらしい。これ以上戦争が長引くと、国力の差から言って負けは見えている。一か八かの作戦に掛けるしかないというのは私も同感だ。敵兵の一番の入り口になっているリンデを取り戻せば、和解の可能性が生まれる。君の隊は出せるか」


 そう言われて、ナハトは考え込んだ。頭の中では考えはすぐに決まったが、本人達に確認を取りたかった。


「検討します。少し時間をください」


 ぴしりと敬礼して、部屋を後にした。



 足早に大部屋に行く。他の兵と接する機会が多いと何かと気まずいだろうというフェリクスの配慮で、ナハトの部屋からは近く、他の兵士達の部屋からは少し遠い部屋だ。青緑色の壁紙が張られている。かつての知り合いの瞳の色を思い出させるようで、ナハトは落ち着かなかった。

 部屋には六人が揃っていた。作戦について話すと、全員が大なり小なり驚きの反応を示した。 


「僕からは、できることなら命令を受けずに自己判断で動けることを条件に、四人提供したいと思う」


「四人!?」


 それぞれの強さに差はあるが、三分の二を分割して兵力として出すというのだ。ナハトもかなり大きな決断をしたようだ。


「行きたくなければ残ってもいい。ここの防衛だって、重要な仕事だ。そして候補者は、イレーネ、アルノー、オリヴァ、モニカの四人だ」 


 つまり、ステファンは何故かヴァルヌス要塞に残しておきたいらしい。しかし隊員達は、隊長の意図を全て汲み取れるわけではない。


「……その人選の理由は、訊いていいのか」


 ステファンが恐る恐る言った。仲間と一緒に戦えるなら、それが誰だって構わないのだが。


「戦場での有益さで決めた」


 ナハトの答えは簡潔だった。簡潔過ぎて、裏がありそうだった。しかし選ばれた四人は、ナハトの元を離れて戦うことを了承した。


「あたし達、隊長の指示がなくても戦えます」


「俺も、ここじゃあまり役に立たないかもしれません。隊長は、俺の地図の魔法真似できるようになっちゃいましたし」


「リンデってステファンの故郷なんですよね。荒廃してたら、見ると辛いかもしれません」


「私は何処で戦っても構いません。そこに理由があるなら」


 四人とも、平常心を保っていた。ナハトは頷く。みんなこの戦いで精神的に成長した。それは平和な世では役に立たないかもしれないが、少なくとも今は求められている。


「では、この四人を作戦に参加させます。各自、全力を尽くすように」


 ナハトの言葉に、全員が敬礼した。

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