第37話 殺しの代償

 イレーネ、アルノー、オリヴァ、モニカの四人らを含む増援隊は順調に進んでいた。第五師団で顔なじみになった兵士が多かったのもさいわいした。彼らは他の仲間とも合流しながら、木々に覆われた細い道を、シルフ近郊へと向かって進んで行く。

 行軍の最中、一回も戦闘はなかった。偵察はされていたかもしれないが、対応が間に合わなかったのだろう。シルフまで1kmを切ったという所で、ようやく相手側の攻撃が始まった。大砲が雨あられと降って来る。避ける方法はほぼない。ただ突っ走るだけだ。モニカだけが、頭上に花弁の結界を一枚出現させていた。


 混成団の名目上トップの、第一師団長の命令が飛んだ。


「横に展開せよ!」


 こちら側も慌てて手頃な場所を見つけて、馬に繋いで来た大砲を設置する。ちゃんと方向を調整しないと、役に立たない精密機器なのだ。

 その間にお互いの歩兵が最初に走り、銃を撃ちまくる。シルフは防御に向いた構造の都市ではない。敵方も打って出るしかないのだ。

 次いで、列を整えた味方側の騎兵が突進する。第五師団に騎兵団はなかったから、四人は初めて、騎兵の戦いを見た。馬は大砲の音にも怯えず、怒涛の勢いで疾走していく。途中で銃に撃たれたのか、時折馬上の人が落ちる。それでも隊列が乱れることはない。嵐のように歩兵を蹂躙していく。


「これが、本来の戦争なんだね……」


 オリヴァは呆然と呟いた。魔法を使った戦いも、特に隊長やルディの大型魔法は凄まじかったが、生身の人間同士がぶつかり合う戦場には、別の迫力があった。お互いがあっという間に大量の死体の山を築き上げる。その光景を見ながら、アルノーが言い出した。


「なあ、俺らは一応自分の馬と馬車があるんだから、脇を通って、シルフの街中まで行けるんじゃね?」


 地図の魔法で、大体の人間の位置を把握し、検討した末の結論だ。


「確かに先回りして、混乱させるのは良い手だと思いますが……」


 モニカも、高台にある多数の大砲が火を噴くのを眺めていた。あの重くて動かしづらい的がなくなれば、幾らかやりやすくなるだろう。


「反対意見は?」


 アルノーがぐるっと周囲を見渡す。否はなかった。


 街中に固定された大砲という、目立つ的を狙いに行ったのは、オリヴァとモニカだった。周りの火薬の量が凄まじいので、大規模な攻撃をすれば爆発に巻き込まれる危険がある。その点で、二人は慎重だった。オリヴァの魔法と剣と、モニカの結界の組み合わせは、元々の付き合いの長さもあり、息が合っていた。結界が全方位型でないのもいい。オリヴァが攻撃する方向を自由に決められる。そしてモニカが、飛んでくる弾を防ぐ補助に徹して、マスケット銃の弾も見逃さない。大砲の弾に対しては、ナハトが言っていた『斜めにして軌道をずらす』というのを、要塞での訓練で使えるようになっていた。放物線を描いて落ちて来る砲弾を、角度をずらして地面に落とせば、直撃は免れる。大砲隊は、混乱に陥りつつあった。



 一方で、イレーネとアルノーは狙撃に適した場所を探した。途中で敵兵を撃ち殺す羽目になったが、敵が作った見張り台まで行くことが出来た。ここなら、眼下の敵を十分に狙うことが出来る。

 魔法弾もあるが、大した威力はなく、あくまで補助だ。イレーネの魔法の神髄は、百発百中であることなのだから。今回は、周りに気を配りつつ、アルノーも狙撃に参加した。重要そうな人や物を片っ端から撃っていく。

 ふと、誰かが見張り台の方を見た気がした。しばらくすると、大砲の弾が飛んで来た。レンガで出来た壁が一部崩れる。


「気付かれた!」


 今まで敵に見つかったことはなかった。ここは人の眼が多いのだ。


「どうする? 場所を変えるか」


「でも、ここが一番高い所なのに」


 話している間にも、二発目が来る。


「伏せて!」


 驚いたことに、反応したのはイレーネの方が早かった。アルノーに覆い被さるようにして、レンガで舗装された床に伏せる。二発目の砲弾は、イレーネとアルノーがいた辺りを直撃したが、見張り台そのものを壊すことは出来なかった。

 二人の姿が見えなくなったので、砲手は大砲の向きを元の位置に戻した。見えない目標を相手にしている暇はないのだ。最大の目標は、死に物狂いの勢いで攻めてくる本軍だ。


 口の中に入った砂だかの破片を吐き出して、アルノーは起き上がった。掠り傷だけだった。


「イレーネ、大丈夫か?」


 何とはなしに尋ねる。彼女なら平気だろうという、根拠のない安心感があったからだ。


「イレーネ……?」


 返事がなく、小さなうめき声だけが聞こえる。攻撃の後、イレーネはアルノーから退いて、横になって丸くなっていた。


「何処か怪我したのか」


 そっと、手足や背中を触ってみる。衝撃の強かった背中を痛めたらしく、アルノーの手から逃げようとする。


「待ってろ、治療できる所まで連れてってやる」


「何言ってんの、戦いなさい」


 小さな声が聞こえた。


「戦場で一人ぼっちになったとしても、戦いなさい」


 イレーネはもう、死ぬ覚悟を決めてしまったようだった。攻撃が止まった今なら、確かにアルノーは銃を使える。しかしマスケット銃の命中率は心許ない。だからこそ、通常の戦闘では、銃を少なくとも一列に並べる“数撃ちゃ当たる”方式を採用しているのだ。それに、住民の避難もまだ終わっているか不明だから、地面に関する魔法を使うのは躊躇ためらわれた。


「ごめん、俺はルディを一人ぼっちで行かせちまったから、もう誰も失いたくない」


 戦場では甘ったれた考えだと、自分でも思った。それでも、このまま彼女を死なせるような真似はしたくなかった。


「ぬるいわね。味方が死ぬのが嫌なら、逃げるか戦争を起こさないようにするしかないのよ」


 身体は動けなくとも、イレーネの弁舌は相変わらず鋭かった。


「次回から気を付けるよ」


 そう言いながら、アルノーはイレーネを背負った。両肩に担ぐようにしてもいいのだが、イレーネの背中に負担を掛けたくなかったからだ。武器だけ持って、背嚢は捨てた。せめて医療品を入れてくれば良かったが、後悔しても後の祭りだ。



 イレーネは数年前のことを思い出していた。父と母と、妹の四人で暮らしていた頃だ。小さな農家だった。暮らしは不安定だったが、それ以外の生き方を知らなかったから、何も疑問に思うことはなかった。問題だったのは、父親が暴力を振るうことだった。特に酒に酔うと酷く、家族全員に当たり散らした。

 ある日の夜、妹が床でしこたま殴られ、気絶した。よくあることだったので、妹をベッドに引き上げ、そのまま寝た。明日には起きて来るだろうと思っていた。それがいかに間違った判断であったかは、翌日知った。妹は二度と目を覚まさなかった。

 葬式のために訪れた教会では、頭を強く打ったことが原因だろうと言われた。それでも、イレーネはあの時医者を呼ぶお金もなかったし、どうすることも出来なかった。


 だから、イレーネと母親は決意したのだ。父親をこの世から葬り去ることを。もう、我慢の限界だった。妹を失った悲しみは、怒りへと変わった。殺される前に殺す。

 やり方は簡単だった。泥酔した父親が寝ている所に、眠り薬を盛り、濡れた布巾を掛けて窒息させる。翌朝には、何が死因かわからない、綺麗な死体の完成だ。苦しみもしなかったのだろうか、腹立たしいことに、死に顔は何の苦悶も浮かんでいなかった。

 それでも、あの一家は何かあるという噂は立った。二人が立て続けに死んだのだから、問題があったと思われても仕方なかった。


 イレーネと母親は、都市部に引っ越すことにした。しかしその土地は母親には合わなかったらしく、すぐに病床に就いてしまった。覚悟はしていたが、引っ越してすぐに見つかる仕事はなかった。折りしも戦争が始まった頃だったから、イレーネは、三つ編みにしていた髪を短く切って、軍に入ることを決めた。軍隊は男が多いから、それを殺すことはもう経験済みだったし、気が楽だった。つまりは男が嫌いだから、殺しても特段胸は痛まない。魔法部隊で最初に銃で人を撃ったのも、イレーネだった。我ながら良い仕事を選んだと思った。後悔も躊躇いもなかった。

 自分の過去は誰にも話したことがない。病気の母親のために人を殺すことにすら、アルノーは不満を述べていたが、それがイレーネの生き方だった。


 だから、アルノーの背中におぶさって、自軍の陣地の奥深くにあるであろう救護所に向かっている今の状態は、いつものイレーネなら、暴れてでもやめさせたいことだった。それが出来ないのは、負傷のせいで体がまともに動かないからだと思った。


(あったかいなあ)


 ぼんやりとそんなことを思った。久し振りに感じる、広い背中だった。


「ね、あたしあんたのこと、結構頼りにしてたんだよ」


「そうかあ? 当たりきつかった気がするけど」


「それは生い立ちから来る性格だからしょうがないの」


 日頃、イレーネとアルノーが穏やかな日常会話をすることは少なかった。しかし、困った時はいつだって手を貸してきた。


(お父さん、あんたのこと許す気もないけど、この世の男全員が、あんたみたいな乱暴者じゃないってことはわかったし、好きになったひとのせなかでしんでいけるなら、それくらいがあたしのばつにちょうどいいのかもしれない)



「イレーネ、もう少しだから、……イレーネ?」


 答えはなかった。首に巻き付いてたはずの腕の力が抜けて、だらりとぶら下がっていた。

 アルノーの心臓が、不安で高鳴り出した。自分の背中の上に載っている仲間は、まだ生きているだろうか。それとももう、駄目なのだろうか。


「大丈夫、大丈夫だから」


 半ば自分に言い聞かせるようにして、アルノーは見張り台の階段を下りて行った。

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