第38話 終局に向かって

 エルナ達は、目立たないよう数百頭の馬で戦場からこっそり抜け出し、リンデの方へ向かった。タークが一緒にいるから、ナハトもその動きに気付いていた。壁に近い所で戦いながら、ナハトはステファンに言った。


「ステファン、馬を出すよ」


「え?」


「ターク達が逃走した。リンデに向かってる」


 まだヴァルヌス要塞は戦いの最中だ。しかしナハトは、厩舎きゅうしゃからまだ残っていた馬を二頭引き出した。

 軍用サーベルはそこそこの重量があるので持って行くか迷ったが、結局腰に装着した。


「まだ勝敗は決まってないだろ、なんでもう逃げるんだ?」


「でも負けそうだと判断したんだろう。元々この戦争は、フォルクバルドを巻き込んだ政権争いなんだから、本当にこの国が欲しいんじゃないんだ。それが指揮官の命に関わるなら尚更だ」


「お前は俺が知らないことも知ってるんだな……」


 文句を言いながらも、飛んでくる弾に注意しながら、ステファンも馬の鞍にまたがった。


「リンデの近くなら、俺にとっては庭みたいなもんだ。場所はわかるのか?」


「かなり正確に」


 タークの後を追っていけばいい。昔はずっとそうだった。違うのは、今は立場が違うことだ。家出少年を見つけて終わりではない。決着を付けなければならないのだ。

 他の兵士達は戦いに気を取られて、ナハトとステファンの動きに気付かない。彼らは移動する目標に向かって、馬を走らせた。


 道なき森の中を、速歩で進んで行く。木の葉はほとんど落ちてしまって、踏む度に潰れるが、ナハトの視線は揺るがない。ステファンも見知った土地だからか、ぴったり付いて来る。


「……あとちょっとだったのに」


 不意に零れたナハトの独り言は、馬の蹄の音に掻き消された。

 しばらく馬を走らせると、前方に約百名のシバート兵の馬が見えた。赤と紺の軍服だから見間違えようがない。


「ここで足止めする」


 ナハトは呪文を唱え始めた。

「〈光の弓よ、矢を束ね、空から敵に降らせ給え〉」


 ナハトが両手を手綱から放すと、光でできた弓が、既に矢をつがえた状態で出現する。


「森で狩りをするなら、銃より弓矢の方が似合ってると思わない?」


 つるを引き絞り、ナハトが言う。瞬間、天に向かって放たれた矢は幾多にも別れ、木々を超え、正確にシバート兵の頭上から降り注いだ。移動分も計算されており、寸分の狂いもない。銃だと木が障害になるから、優れたやり方だといえた。


 光の矢を受けた兵士達が、ばらばらと落馬していく。魔法が収まった後、たった一騎だけが残っていた。あの攻撃を防ぎきれる者など予想が付く。タークが乗った馬だ。後ろにフード付きの灰色のケープを深く被った誰かが乗っていた。


「ナハト、お前は本当に大した奴だな」


 タークはこんな状況でも、ナハトの魔法を褒めた。


「ちょうど、エルナを殺して命乞いしろって奴らが出て来て、揉め始めててな。皇帝の息が掛かった奴だったんだろうが、少し面倒なことになってたんだ。さっぱりしたぜ」


「君の所の内輪揉めを収めに来たんじゃないよ。後ろの人が君の契約者だね」


 もうナハトにも感じ取れる。女性だ。エルナというのが名前なのだろう。つまり第一皇女だ。


「じゃあ、そいつを殺せばいいんだな!」


 ステファンが気炎を吐いた。その言葉に、顔を隠した女性がびくっと震える。


「ナハト、俺にも戦わせてくれ。足手まといにはならないようにするから」


「……うん」


 ナハトは少し言い淀んだが、ステファンが呪文を唱え始めるのをとめはしなかった。どうなるか見たい気持ちもあった。ただ、タークに攻撃されると危ないから、自分も呪文を唱えようとした。

 ナハトの期待も空しく、タークは剣を斜め上に構えた。呪士と具士では、圧倒的に魔法を繰り出す速さが違う。ステファンが呪文を唱え終わる前に、鎌鼬かまいたちのような一撃が飛んで来た。

 ステファンが直撃を受けて馬から滑り落ちると、悲鳴を上げたのは、タークの後ろにいる女性だった。


「待って! 待ってよ! 話が違う!」


「“何”の話が違うんだよ」


 タークがイライラしながら答えた。


「この人は死ぬべきじゃないの!」


 そう言って、女性は馬から降りた。フードが頭からずり落ちる。赤い真っ直ぐな髪をした女性だった。瞳は黄金のように輝いている。今の皇帝も金色の瞳をしているというから、彼女の正体は確定した。女性はケープを脱いでステファンの前にしゃがみ込むと、傷口に当てた。


「俺、こんなところで死ぬのか?」


ステファンの声が、小さく、しかしはっきりと聞こえた。致命傷であることがわかっているのだ。


「エルナ、そいつは死ぬべきだ」


「この人は駄目!」


「畜生、死にたくねぇ……」


 タークが宣言したにも関わらず、エルナはそれを否定する。ナハトは二重の意味で驚いた。一つは、彼女がタークの本質を知らないようであること、もう一つは、ステファンを本当に死なせる気がないということだ。

 ナハトの頭の中で、ぼんやりとした仮説が生まれた。それを利用するには今しかない。


「二人とも、僕のこと忘れてない?」


 エルナとタークが、はっとしたようにナハトの方を見た。お互い、周囲に対する警戒心をもう少し持つべきじゃないかと、ナハトは要らぬお節介を焼きそうになった。しかしすぐに思考を切り替えて、エルナに向かって挨拶する。


「シバート帝国の第一皇女、エルナ殿とお見受けします。その兵とは知り合いですか」


「ええ。一度きりしか会ったことないけど、私にとっては大事な人なの」


 エルナは率直に答えた。それがナハトという存在の前では命取りであることを、彼女は知らなかった。


「なら、助けますか。あなたになら出来ます」


「え……?」


 エルナは、ナハトの言葉に目を瞬いた。タークがはっと気付いたような顔をするが、もう手遅れだ。


「彼はもう死にます。しかしこの場には、彼を助ける条件が揃っています」


 ナハトはちらりと、タークの方へ目をやった。


「君、〈反魂はんごん〉については説明したの?」


「……」


 沈黙が雄弁な答えだった。〈反魂〉とは、タークの契約者が銀の指輪を同時所有している時に使える、死者蘇生の魔法だ。逆にナハトの契約者が金の指輪を同時所有している時に使える魔法を〈しょく〉といい、世界を闇で覆ってしまう。ドルイドが使った魔法もこれだった。


 ナハトはエルナの前に片膝を付いた。


「〈反魂〉は、自分の寿命を代価に、死者を蘇らせる魔法です。その代り、与えた寿命の分しか生きられません。それでも良ければ、僕が手を貸しましょう」


「ナハト! 俺に敵を助けさせる気か」


「彼が君の敵なんて思えないね。君は誰にだって公平であるべきだし、その能力は契約者が自由に使っていいものだ」


「エルナ、こいつの話に耳を貸すな。何考えてるかわからないぞ」


「指輪の状態で契約する時よりも、いまいち情報伝達に不備があるのは気付いてたけど、教えないのは契約違反だと思わない?」


 ナハトとタークが口論していると、エルナはナハトの前に両膝を付いた。軍服を女性用に手直ししたのだろう。膝丈スカートの、赤と紺の軍服が似合っていた。これで両者とも膝を付いたことになる。


「タークは今まで誠実に尽くしてくれました。それには感謝していますが、時に、従順でない獣のようでもあります。あなたはどうですか? 教えてください。ステファンを助けるにはどうしたらいいですか?」


「僕にとっても彼は友人でした。少しの間でも彼の命が長らえるなら、僕も本望です。この魔法は、タークが主体になって、身体の治癒を行い、死者の魂を冥界めいかいから呼び戻します。そして僕が、彼の記憶を魂にもう一度定着させます」


「死後の魂に記憶はないの?」


「ありません。あなた方の宗教は、死んだ後も悪人は地獄で責め苦を受けると教えますが、本来の冥界はそういった場所ではないのです」


「と彼は言ってるけど、ターク、どうなの? 助けられるの?」


 エルナはタークの方を振り向いた。タークは渋い顔をしていた。ナハトの狙いがわからないのだろう。その勘は正しい。ナハトも、これからすることを考えると、上手くいくか不明だし、不安だ。


「……ナハトの説明は間違ってない。お前が望むなら、俺はそいつを生き返らせてやれる」


 タークは苦り切った顔で言った。結局は契約者に折れたのだった。


「じゃあ、私の残り寿命の半分を対価に、ステファンを生き返らせます」


 エルナが宣言した。


 そこから先は、話がとんとんと進んだ。タークがステファンの怪我を治し、渋々ながらその手を右手で取った。そして左手をナハトと繋ぐ。ナハトの余った手はステファンと繋がれた。変な光景に見えるかもしれないが、当事者達は大真面目なのだ。


「カッコ悪……」


「器があると、力の伝達にちょっと邪魔だね」


 タークとナハトが呟く。


「じゃあやるぞ」


 そしてタークが長い呪文を唱え始めた。



 ふわりと意識が浮上する。ステファンは自然と眼を開けると、昼のような白い光が溢れている。自分は仰向けに寝ていたらしい。ゆっくりと起き上がると、辺りを見回した。おかしな構造の建物だった。全体は六角形で、白い石で出来ている。そして床はなく、ほとんどを螺旋階段が占めている。その階段は一つが九平方メートル程の広さがあり、外側の壁は、上から下までびっしりと本が詰まった本棚になっている。内側は、彫刻された木製の瀟洒しょうしゃ手摺てすりが付いていた。しかし、一番異常だったのは、その螺旋階段に、上も下も終わりが見えないことだった。ステファンは階段の一つで寝ていたのだった。


「何だここ?」


「“死者の記憶庫きおくこ”」


 馴染みのある声が後ろから聞こえた。思わず振り向くと、ナハトが立っていた。いつもの軍服ではなく、青と白を基調にした、丈の長いローブに、水色のマントを羽織っている。頭には、幅広の青い布飾りが付いていて、白い布が二本、流れるように垂れていた。


「この姿で会うのは初めてだね。まあ、必要がなかったから、この姿を見せた人間は誰もいなかったとも言うけど」


 両手にはそれぞれ、緑色の本と、真鍮しんちゅう製のような六角柱の、細かな装飾が施されたランタンを持っている。その中には、黄色い炎が燃えていた。


「ナハト、ここは何処どこなんだ」


 ステファンは思わず尋ねた。彼の姿形については、気にならなかった。


「この世に生まれた全ての者の、誕生から死までが記された書物を収めた書庫だよ。どんなことをしたか、その記録を残すためにあるんだ。僕の本体はここの管理者であり、全ての本と繋がっている。で、君の本はこれ」


 そう言って、緑色の本が目の前に差し出された。大きさは両手の平くらいで、厚さは2cm程だった。


「うっすいなあ」


「そりゃあこの年齢で死んだら、こんな厚さになるよ」


 ナハトの言葉に、ステファンははっとした。


「俺、やっぱり死んだのか」


「うん。でも、生き返ることもできる。頼まれたからね」


 ナハトはランタンの方を、ステファンに向けて掲げた。


「そして僕からも、お願いがある。今からする僕の話をよく聞いて、戻るか戻らないか決めて。選択権は君にある。ここには時間の概念はない。よく考えてから決めるんだね」

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