第39話 思惑

 ステファンは眼を開けて、ああ、帰って来たのだなと実感した。頭上には冬の寒々し気な青空と、葉を落とした木ばかりだった。


「大丈夫!? 生きてる!?」


 体を起こして早々、赤いモノに抱き着かれた。これが皇女エルナか。ナハトとタークは、と見ると、少し離れた所に立っている。ナハトの視線は、真っ直ぐステファンを見つめていた。


(わかってるよ)


 エルナに気付かれないように、腰に差したナイフを抜く。そのまま一気に心臓のある左胸の辺りを突き刺した。



 “死者の記憶庫”では、最後の説明を受けた。


『人の心臓を狙う時は、刃を横にするんだ。肋骨に当たると勢いが落ちちゃうけど、寝かせて刺せば、肋骨の上を滑って、奥まで入る』


 武器の使い方の復習まで講義内容だった。



 エルナの金色の瞳が驚愕に見開かれる。そんなにも予想外なのか。ステファンは躊躇ためらわずにナイフを引き抜いた。赤い鮮血が迸り出る。ステファンの顔にも掛かった。これが命だ。朱く激しいもの。

 ステファンはナイフを捨てると、エルナを抱えて一目散に逃げ出した。ここまで計画通りだ。後はナハトがちゃんとやってくれるだろう。地面に積もった落ち葉で足を滑らせないように気を付けながら、その場から離れるために、全力で走った。



 してやられた、とタークは思った。最初からナハトの計画に踊らされていたのだ。ステファンを一緒に連れていたのは、契約者の見込みがあったから、育ててみようと思っていたのだろう。そのために同じ軍に入るなんて、ずいぶん無茶なことをしたが、こいつは昔から、一度決めてしまうと諦めない性格だ。

 タークがステファンを殺した時のエルナの反応を見て、エルナにとってはステファンは重要人物だが、ステファンはエルナを覚えてないということまで推察したのだろう。そこからすぐに、エルナを巻き込んだ。一度生き返らせてステファンと契約してしまえば、不老不死になるのだから、寿命など関係ない。“死者の記憶庫”でも契約が可能だとも知っていたのだろう。そして生き返ったステファンがエルナを殺してしまえば、タークとの契約は切れる。そこまで見通したから、実行したのだ。



 ステファンは、息を切らせて後ろを振り返った。誰も追っては来ていなかった。ナハトが上手く足止めしているようだ。タークという男は治癒魔法が使えるから、きっちり死なせて契約を切らないと駄目だと教わった。呼吸を整えながら、エルナの身体を下ろす。その口が弱々しく言葉を紡ぎ出した。


「……私、教会は攻撃対象から外して、あなたは聖職者だから兵士にはならないと思ったし、それなのに、なんで……」


「リンデを攻撃したら、俺の家族に被害が及ぶとは考えなかったのか?」


「……」


 それは、周りの人間のほとんどを信用できずに生きて来た少女には難しいことではあった。

 ステファンはその返事を訊いてみたかったが、答えはなかった。赤の少女はすでに事切れていた。女性に失礼だとは思ったが、身分を示す物を探す。軍服だけでは少し物足りない。探している内に、首から緑色の“幸運のメダイエ”が滑り落ちた。教会に巡礼に来たことがあるらしい。だからステファンのことも知っていたのだろうか。そういえばナハトが言っていた。『沢山あるとあんまり、ありがたみがない』と。まさにその通りで、彼女は沢山の巡礼者の中の一人に過ぎなかった。


 とりあえず、計画の第二段階までは終了だ。今まで走って来た方を観察した。血の付いた落ち葉は風で少し流されている。別の誰かがここを特定するのは難しいだろう。大きなエニシダがあって、春は黄色い花が咲く。馬で駆ける時はよく、この場所を目印にした。今となっては懐かしい思い出だ。

 軽く穴を掘ってエルナの遺体を埋め、綺麗な落ち葉で隠すと、もうここに死体が隠されているようには見えなかった。これでステファンの最低限の仕事は終わった。しかし、ナハトは大丈夫だろうか。タークとかいう野郎に勝てるだろうか。ふと気が付いて、左手を見る。左の小指の付け根に、指輪でもしていたような黒い跡がくっきりと浮かんでいた。


 “死者の記憶庫”でナハトは、それまで話せなかったことを色々教えてくれた。自分の過去や、学校では教えてくれない思想、人間とは何かまで。


『俺は今まで、家族の敵を討つことばかり考えて来た。でも今は、ルディが死んで、沢山の死体を見て、こんな戦争なんて、早く終わらせるべきだと考えるようになった。戦争なんて本来は、最後の外交手段の一つであるべきなんだ。どっちみちお互いが傷付くんだから』


『それは、君の世界が広がったってことだよ。家族以外にも気を配れるようになったんだ』


 ナハトは手を差し出した。その意味がわかったから、ステファンもその手を取った。


『成長した君に、“不老不死”の加護を』


 “死者の記憶庫”に初めて、水色の光の“天の御柱あめのみはしら”が立った。



 ナハトとタークは相対していた。ナハトの目的はあくまで、エルナが死ぬまでの時間稼ぎだ。元より、タークとの実力差はわかっている。どう戦うかが問題だった。逆にタークは、ナハトを振り切らなければいけない。


「お前を退けてエルナを取り返さなくちゃならないんだろうが、お前と全力で戦ってみたい気もするんだよな」


 不思議とゆったりした口調で、タークは言った。


「ここまで虚仮こけにされたのは初めてだ。お前はホント、ヒトを操る天才だよ」


 抜き身の剣を正眼に構える。


「さあ、どう出る?」


 先に仕掛けたのはナハトだった。


「〈天地あめつちよ、我が意に応えよ、雪と風の支配する世界をここに〉!」


 ごう、と音がした。にわかに空が曇ると、周囲に分厚い灰色の雲が広がる。そこからちらほらと雪が降り始めたと思うと、あっという間に吹雪になった。


「すごいな。でも、魔力の消耗も激しいだろ」


 タークの視界は不良だ。しかしまだ余裕はある。

 返事の代わりに、前後左右から、黒くて細長い棒が向かって来た。その棒が、音もなくタークの身体を貫き、地面に縫い止める。その時初めて、タークはその攻撃の意図に気付いた。


「こりゃ厄介だな」


 黒い棒は、闇属性魔法だった。貫いた場所を消滅させ、更に周囲も消去しようとする。普通の雷や風なら振り切ってお終いなのだが、棒から身体を引き抜こうとすると、自身の防衛機構により、凄まじい抵抗力が働く。


「くっそ」


 この感覚を、ナハトは身をもって知っていたのだろう。無理矢理手足を引き抜くと、その部分は闇が飲み込んだように消失している。消滅した部位をすぐに再生させると、タークはナハトの姿を探した。しかし、吹雪の中に紛れてよくわからない。元々この吹雪自体がナハトの魔法だから、魔力の方向すら特定しにくくなっている。


「よく考えてあるな」


 タークは手放しで称賛した。即興でこの攻撃を編み出したとは思えない。自分と戦う可能性も、前から考えてあったのだろう。

 ナハトの声は聞こえない。詠唱中の呪士は、無駄なお喋りなど出来ないからだ。


 ふと、吹雪が弱くなっているのに気付いた。恐らくナハトの魔力切れが近いのだ。天候操作と、闇属性魔法を使ったから、相当な負担になったはずだ。その前にも戦っていたようだし、タークの知るナハトだったら、この辺りで逃走していてもおかしくない。

 しかし、ナハトはまだ、諦めていなかった。


「〈さやけき氷よ、はなと散れ〉!〈結晶し、硬化し、我が敵を切り刻め〉!」


 少し明るくなった空を、キラキラとした破片が舞う。それは小さいけれども美しい氷の刃だ。一つ一つの攻撃力は強くないが、何度も受け続けるとさすがに痛い。タークは思わず、剣に魔力を集中させて、全方位型の球状結界を展開した。


「〈小さな光、空の宝石よ、私はあなたに名前を付ける。氷と氷を繋ぎ合わせて〉」


 どこか懐かしい呪文が聞こえた。

 

「〈三は面、 二は線 〉」


 氷の刃が一つにまとまりだす。この呪文はナハトが俺に教えた物の改造版だ。


「〈一は災厄まがつみを射抜く矢〉!」


 一つになった氷の矢が、タークの結界に突き刺さった。結界にヒビが入る。全方位型の結界は、面積が広い分、一点突破型の攻撃に弱い。その切り替えの遅さを狙われたのだ。あの魔法は【星座の守り】だったが、これは【氷晶の矢】とでも呼ぶべき魔法だった。

 せめぎ合う結界と氷の矢を見て、タークは結界を解いた。瞬時に襲い掛かる氷の矢を剣で叩き落とす。方向さえわかってしまえば、容易いことだった。


「もう終わりか?」


 姿の見えない敵に問い掛ける。返事はない。しかし攻撃も止まっている。雪の断片が舞っているだけだ。

 そこに、森の奥から金髪の青年が走って来た。


「ナハト!」


 なんで来た、とタークは思った。それはナハトも同じだろう。彼が来る必要など何処にもないのだから。 

 しかし彼は、タークの前に立つと、きっと睨み付けた。


「お前の契約者は死んだ。お前が戦う理由はもうないはずだ」


 それは確かだった。タークは戦いの最中にエルナが死んで、契約が切れたのを感じていた。自分の契約者は“不老不死”ではないから、あっけないことで死んだりする。しかし彼は、タークの性格を理解していない。


「……戦う理由ならある」


「二人とも、そこまでにして」


 潜んでいたナハトが、近くの木から降りて来た。仲裁ちゅうさいしようと思ったのだろうが、無駄というものだ。

 困ったような顔をしたナハトの右目が黒く染まっている。闇属性魔法の後遺症だろう。


「てめえは知らないだろうが、ナハトと戦える機会なんて滅多にないんだ」


 この器を手に入れてから、様々なことがあった。しかしナハトは、基本的に人間を思い通りに動かして、目的を達成しようとする性格だ。逆に自分は、己の実力を試したくなる。全てを見極めたいのだ。 


 ナハトが、ステファンを庇うように立った。視線はタークに向けたまま、ステファンに言う。


「“不老不死”っていったって、契約時の状態に速やかに戻るっていうだけで、怪我すれば痛いんだよ。君はもう下がってて」


 そう言うと、ナハトは腰に吊り下げていたサーベルを引き抜いた。タークは驚きに目を見張った。


「俺に、普通の剣で戦いを挑む気か?」


 タークの持つノートゥングは、ヴンダーの中でもかなり上位に入る代物だ。魔法の価値が薄れたこの時代では、もう手に入らないだろう。その剣と、一般兵に支給されるサーベルでやり合おうなどと、普通の人間なら思わない。


「彼を巻き込みたくないんだ。それとも、剣技で負けるのは嫌?」


 相変わらず、煽るのが上手い奴だ。タークはナハトと剣で勝負をすることにした。それに、ナハトがどんな戦い方をするのかも興味がある。極力自分で戦うのを避けてきたナハトが、今はタークに全力で立ち向かって来る。それだけの価値が、今の契約者にあるとは思えない。ナハトはナハトなりに、この戦いに決着を付けたいと思っているのだろう。


 ナハトとタークは、距離を取って剣を構えた。ナハトが小さな声で呪文を唱える。


「〈その鋼は水のよう。いかなる攻撃も受け流し、形は自在〉」


 サーベルの刃が、水色の光を帯びた。


「……始めようか」


 大地を蹴ったのは、どちらが先だっただろうか。二つの剣が、二度、三度とぶつかり合う。腕力で勝てないのがわかっているのか、ぶつかり合った瞬間に、ナハトは攻撃をいなして来る。


(折れない)


 タークは、言葉には出さなかったが、心の中で感嘆していた。ナハトが最初にサーベルに掛けた魔法は、タークの剣と打ち合っても、その刃を欠けさせもしなかったからだ。これが普通の剣だったら、チーズのように切れていたはずだ。


(なら、これならどうだ)


 タークは、自分の剣に炎を纏わせた。破壊力が格段に上がる。そこから、やや上段からの突きの攻撃を繰り出した。これを捌くのは至難の業だ。どんな反撃に出て来るか。

 しかし、ナハトは動かなかった。むしろタークの剣を自分から受けに行った。お互いに、自分達の急所は知っている。胸の中央、心臓の右、そこに指輪があるはずだった。その急所に、タークの剣が深々と刺さる。ナハトの身体は火に包まれた。タークは言葉を失った。このタイミングで戦意を喪失したなんてありえない。なのにどうして。

 答えはすぐにわかった。ナハトは持っていたサーベルを落とすと、タークの剣に、手の平をひたりと当てた。


「〈百年の時を長らえし剣よ、眠りたまえ。闇は安らぎを与えたもう〉」


 手の平が当たった部分から、タークの剣が崩壊していく。

 剣を折るために、自分から攻撃を受けに行ったのだ。タークの剣はナハトに刺さったまま動かせない。激しい動揺を感じた。お前は。どうしてそこまでして。


「もう終わらせよう、ターク。君と僕が犯してきた、全ての罪を清算する時が来たんだ」

 

 刃が完全に折れると、タークは震える手で、黒い柄を手元に引き寄せた。ナハトの身体は、すぐに鎮火する。しかし、その身体は透け始めていて、すぐに座り込んでしまった。


「ナハト!」


 ふたりの戦いを見守っていたステファンが駆け寄った。その肩に手を回して支える。その役目は、タークには権利がないものだ。

 ナハトはタークを見て、最期の瞬間に手を出さないことを悟ったらしい。ステファンに向かって話し掛けた。


「君はとても優しい人だ。できるならその心を忘れないでほしい。迷っている人を、どうか導いてあげて」


 そう言ってナハトは、自分の胸に両手を突っ込んだ。中身を引き摺り出すと、ステファンの前に広げる。青い石の付いた銀の指輪と、太い黒い指輪が、ギメルリングのように繋がっていた。そして黒い方の指輪が崩壊を始め、砂のように散っていった。ナハトの器も消滅しかかっていた。その透き通った手の平には、銀の指輪が残っていた。


「契約の証として、この指輪を君に。誓いを守り、もう一つの指輪を手に入れることを願う。約束が果たされるために」


 瑠璃色の瞳の青年は、そう言い残して、この世界から永遠にいなくなった。

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