第25話 集結

「戦況はかんばしくないみたいだな」


 占領したばかりのフォルクバルドの小城で、タークは椅子に腰かけて独り言のように呟いた。瀟洒しょうしゃな机には報告書が何枚か載っていて、それを一枚摘み上げる。返事は来なくても構わない。

 しかし窓の外を見ていた相手は、思いがけない答えを返して来た。


「そうね、私も行くわ。ここは情報が遅すぎる」


 タークはわずかに目を見開いた。窓の方を見やると、腰まで届きそうな赤髪の少女は、外を見てまっすぐ立っていた。この契約者は行動力にかけては、今までの契約者の誰よりも抜きん出ている気がする。


「前線に出るのか」


「私はどうしても勝ちたいの」


 少女が振り向く。耳の辺りで切り揃えた横髪と、金の細長いピアスが揺れた。


「何もしないのは、死んでいるのと同じなのよ」



 赤い煉瓦を積み上げたフォルクバルドの兵舎前には、約百人の新兵達が集められていた。兵舎の階段を上がった所には少し広いスペースが設けられており、将軍らしき壮年の男性が演説をしていた。


「――ここに集まった諸君は崇高な志の下、祖国のために志願した兵士である! この養成所で訓練に励み、ゆくゆくは戦地に赴くことになる――」


 熱が籠った演説を聞きながら、真新しい軍服に身を包んだステファンは別のことを考えていた。新兵達は何列かに分けて直線に並ばされていた。自分は真ん中あたりにいたが、その最前列にナハトがいた。


(なんであいつまで、軍に入ったんだ?)


 志願兵の応募書類に手間取ったため、ステファンはナハトの戦う動機をよく知らなかった。家族が近くに住んでいるわけでも、愛国心に燃えているわけでもなさそうだったのに、あっさりと入隊を決めてしまった。自分を助けてくれた分で、お互い貸し借りなしのはずなのに、命を掛けて戦うつもりなのだ。


「――次に、今回新たに復活するジークムント部隊の隊長から、希望者に向けて話を行う」


 壇上では別の話が始まった。一応、今並んでいる新兵は全員ジークムント志望らしいと聞いたが、どの部隊に配属されるかは軍上層部次第である。しかも今回が初めての取り組みなのだ。


 髭を生やした老年の男性が、壇上に立った。


「我が国が魔法という不確かなものに頼るのをやめてから、もう五十年にもなる。君達は知らないだろうが、かつては魔法使いが大きな力を持っていた。しかしその技術は秘匿ひとくされ、国民の手の届かないものになってしまった。一方で、銃と大砲の技術は日々進歩している。諸君らが魔法の腕について案ずることはない。攻撃手段の一助いちじょとして考えて欲しい。私が手本を見せよう」


 そう言うと、男性は手の平に黄色い雷を収束し始めた。


「このように魔力を集めて相手にぶつけると、攻撃不能にすることが出来る。君達もここにいるということは、何かしら魔法の素質があるのだろう。それを伸ばしてほしい」


 起きるはずの拍手の代わりに、ざわめきが聞こえた。


「おい、あいつ列から出たぞ」


「なんだ」


 ステファンは唖然あぜんとした。ナハトが階段を上っていた。


「失礼ながら上官殿、呪文もなしに使う魔法は制御困難です。あなた方は、ルーネから教えるすべをお持ちなのですか?」


 淡々とした声が響く。いや、糾弾きゅうだんするような口振りだ。

 男はナハトを生意気だと思ったようだった。


「若者は無知だから、そうやって盾突くのだ……!」


 男は手に集めた雷の束を、ナハトに放った。しかし雷はナハトの前で音もなく四散する。男はようやく、相手が只者ただものではないことに気付いたらしかった。


「許可なしに動く者は、軍紀違反として処罰の対象になるぞ」


 狼狽うろたえながら、腰に下げたホルスターから拳銃を取り出すと、壇上まで上がり切ったナハトの顔に銃口を向けた。

 しかしナハトは動じる様子もない。


「撃ってみればいいんじゃないですか。その銃が飾りじゃないなら」


「貴様……!」


 その挑発に、男は乗ってしまった。軽い銃声が響き、ナハトが倒れたように見えた。

 ステファンは前に並んでいる新兵を押しのけて進もうとした。背の高い者が多かったので、よく見えなかったのだ。


 しかし、ナハトは踏み止まっていた。額から血を流しながら、衝撃が去るとまたすっくと立った。


「銃で確実に殺したいなら、頭は狙うなって習いませんでした? 頭蓋骨が邪魔だからって」


 男はすでに恐怖を覚えていた。銃弾が額の真ん中に当たったのだ。貫通しなかったとしても、まともに動けるわけがなかった。


「そ、総員構え!」


 男が手を上げると、壇上の後ろの方にいた兵士達が、戸惑いながらもマスケット銃でナハトに狙いを付けた。


「お前は何だ? シバートのスパイか?」


「自分から出しゃばるスパイなんていませんよ。僕は、そうだな、あなた達が言う魔法使いというものです」


「世迷い事を……!」


 男は一斉射撃を命じた。魔法使いの部隊を作るくせに魔法使いを信じないなど、正気をなくしかけているとしかナハトには思えなかった。それでも、軍隊は階級社会だ。上官の命令を絶対厳守するよう訓練を受けた兵達は、ナハトに銃弾を浴びせた。しかしその銃弾はナハトに当たる前に止まって落ちる。


「貴様……人間か!?」


 最早、上官のはずの男は、理屈を付けられない混乱に陥っていた。


「この程度の結界も見えないなんて、本当にたちが悪い。あなたの下にくなんて御免です」


 そう言うと、ナハトは呪文を唱え始めた。


「〈水と風よ、地を渡れ、集い集いて万物を動かせ〉」


 ごうっと、水を含んだ風が巻き起こった。一瞬嵐が来たようだった。


「ここのマスケット銃はフリントロック式でしたね。濡れると使い物にならないんじゃないですか」


 事実、銃はみんな濡れていた。引き金を引いても火花が生じない。弾薬も湿気っているだろう。

 壇上にいた者達が戸惑っている中、ナハトは新兵のいる方に進み出た。息を吸い込んで、大音量で叫んだ。


「総員に告ぐ。僕と共に魔法の真髄に触れようと思う者はこの場に残れ。迷いのある者は去れ。三十秒の猶予ゆうよを与える」


 誰かに命令し慣れた口調だった。


いくさにおいては、強い者、賢い者が戦場を支配する。僕は自分より弱い者には従わない。君達はどうだ」


 兵達の間に動揺が走った。


「どういうことだ?」

「乗っ取りじゃないか?」

「さっきの魔法見ただろ。あいつに勝てないと思うなら従えってことだろ」 

「いや、そりゃねえよ、おっかなすぎる」


 大体の新兵達は引き上げた。ナハトは見た目がおっとりした普通の少年、いや青年との境にいるような風貌ふうぼうだ。それを信頼のおける上官としてみるのは難しいだろうとステファンも思った。



 本来の上官達も、勝手にしろと逃げるように去って行った。静かになった兵舎前には、七人が残っていた。


「未成年ばかり残っちゃったなあ。他の隊には年齢制限で入れないからね」


 ナハトは唸った。額には今はハンカチを当てている。困ったような顔は年相応に見えるので、ステファンは改めて、不思議な人物だと思った。どういう過去の持ち主なのだろう。


「しょうがないか。ここにいる人達を、新生ジークムント隊員としよう。活動するには、また一悶着もんちゃくありそうだけど。――じゃあ、自己紹介して」


 促されたので、ステファンは「お前がまず名乗れよ」と言った。ナハトはようやく気付いたようで、声を上げて笑った。


「それもそうだ。僕の名前はナハト=フェアトラーク。十八歳ということにしておこう。君達は?」


 ”十八歳ということに”ってなんだよ、てかお前そんなに強かったのか、とステファンは問いただしたかったが、話が長くなりそうなのでやめて、素直に答えることにした。グダグダすれば、他の者達も困惑するだけだろう。


「ステファン=シュルツ、十六歳。以下略」


「君のことは知ってるから、それでもいいけど。まあ、他の人達も名前と年齢だけは教えて」


 ステファンとナハトのやりとりを聞いて緊張が解けたのか、その場にいた者は順に名前を述べた。ステファンは色彩だけでも個性豊かな面子を眺めた。


「ルディ=ベッカー、十七歳」


 頸筋まで少し伸びた黒髪に赤い瞳をしていた。真顔でじっとナハトを見つめている。


「アルノー=クレイです。十六歳」


 薄茶色のツンツンした短髪で、黄緑色の瞳だった。好奇心が強そうで、一連の騒ぎが楽しかったのか、少し笑みを浮かべている。


「オリヴァ=フェッテルです。十七歳になります」


 黒髪に、ずいぶん浅黒い肌をしている。異国の血が混じっているのかもしれない。瞳は紫だ。


 残ったのは女性二人だった。軍隊は基本女性を徴集しない。二人がいるのは、ジークムントが男女を問わない組織だったからだ。


「モニカ=ゾルゲと申します。十五歳」


 薄い色の金髪に、赤みがかった桃色の瞳の、おとなしそうな少女だった。長い髪をシニヨンに纏めている。この国では髪を毛先まで纏めるのは、既婚者か使用人である。変わった過去がありそうだった。


「あれ、あたしが一番最後か。イレーネ=ミュンツァー、十七歳です」


 アルノーより濃い茶色の髪を、肩の上でバッサリと切っている。軍隊だからかもしれないが、かなり奇抜な髪型だった。意思の強そうなやや吊り目の瞳は、明るい水色だった。


「成程ね。じゃ、みんな集合」


 ナハトが階段から降りて来ると、六人はわらわらとその周りに集まった。


「なんだか学校の先生になったみたいだな。ではまず、みんなで戦場に出れるように頑張りましょう!」


 場違いな程呑気なナハトの台詞に、ステファンは一抹の不安を覚えざるを得なかった。

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