第25話 集結
「戦況は
占領したばかりのフォルクバルドの小城で、タークは椅子に腰かけて独り言のように呟いた。
しかし窓の外を見ていた相手は、思いがけない答えを返して来た。
「そうね、私も行くわ。ここは情報が遅すぎる」
タークはわずかに目を見開いた。窓の方を見やると、腰まで届きそうな赤髪の少女は、外を見てまっすぐ立っていた。この契約者は行動力にかけては、今までの契約者の誰よりも抜きん出ている気がする。
「前線に出るのか」
「私はどうしても勝ちたいの」
少女が振り向く。耳の辺りで切り揃えた横髪と、金の細長いピアスが揺れた。
「何もしないのは、死んでいるのと同じなのよ」
*
赤い煉瓦を積み上げたフォルクバルドの兵舎前には、約百人の新兵達が集められていた。兵舎の階段を上がった所には少し広いスペースが設けられており、将軍らしき壮年の男性が演説をしていた。
「――ここに集まった諸君は崇高な志の下、祖国のために志願した兵士である! この養成所で訓練に励み、ゆくゆくは戦地に赴くことになる――」
熱が籠った演説を聞きながら、真新しい軍服に身を包んだステファンは別のことを考えていた。新兵達は何列かに分けて直線に並ばされていた。自分は真ん中あたりにいたが、その最前列にナハトがいた。
(なんであいつまで、軍に入ったんだ?)
志願兵の応募書類に手間取ったため、ステファンはナハトの戦う動機をよく知らなかった。家族が近くに住んでいるわけでも、愛国心に燃えているわけでもなさそうだったのに、あっさりと入隊を決めてしまった。自分を助けてくれた分で、お互い貸し借りなしのはずなのに、命を掛けて戦うつもりなのだ。
「――次に、今回新たに復活するジークムント部隊の隊長から、希望者に向けて話を行う」
壇上では別の話が始まった。一応、今並んでいる新兵は全員ジークムント志望らしいと聞いたが、どの部隊に配属されるかは軍上層部次第である。しかも今回が初めての取り組みなのだ。
髭を生やした老年の男性が、壇上に立った。
「我が国が魔法という不確かなものに頼るのをやめてから、もう五十年にもなる。君達は知らないだろうが、かつては魔法使いが大きな力を持っていた。しかしその技術は
そう言うと、男性は手の平に黄色い雷を収束し始めた。
「このように魔力を集めて相手にぶつけると、攻撃不能にすることが出来る。君達もここにいるということは、何かしら魔法の素質があるのだろう。それを伸ばしてほしい」
起きるはずの拍手の代わりに、ざわめきが聞こえた。
「おい、あいつ列から出たぞ」
「なんだ」
ステファンは
「失礼ながら上官殿、呪文もなしに使う魔法は制御困難です。あなた方は、ルーネから教える
淡々とした声が響く。いや、
男はナハトを生意気だと思ったようだった。
「若者は無知だから、そうやって盾突くのだ……!」
男は手に集めた雷の束を、ナハトに放った。しかし雷はナハトの前で音もなく四散する。男はようやく、相手が
「許可なしに動く者は、軍紀違反として処罰の対象になるぞ」
しかしナハトは動じる様子もない。
「撃ってみればいいんじゃないですか。その銃が飾りじゃないなら」
「貴様……!」
その挑発に、男は乗ってしまった。軽い銃声が響き、ナハトが倒れたように見えた。
ステファンは前に並んでいる新兵を押しのけて進もうとした。背の高い者が多かったので、よく見えなかったのだ。
しかし、ナハトは踏み止まっていた。額から血を流しながら、衝撃が去るとまたすっくと立った。
「銃で確実に殺したいなら、頭は狙うなって習いませんでした? 頭蓋骨が邪魔だからって」
男はすでに恐怖を覚えていた。銃弾が額の真ん中に当たったのだ。貫通しなかったとしても、まともに動けるわけがなかった。
「そ、総員構え!」
男が手を上げると、壇上の後ろの方にいた兵士達が、戸惑いながらもマスケット銃でナハトに狙いを付けた。
「お前は何だ? シバートのスパイか?」
「自分から出しゃばるスパイなんていませんよ。僕は、そうだな、あなた達が言う魔法使いというものです」
「世迷い事を……!」
男は一斉射撃を命じた。魔法使いの部隊を作るくせに魔法使いを信じないなど、正気をなくしかけているとしかナハトには思えなかった。それでも、軍隊は階級社会だ。上官の命令を絶対厳守するよう訓練を受けた兵達は、ナハトに銃弾を浴びせた。しかしその銃弾はナハトに当たる前に止まって落ちる。
「貴様……人間か!?」
最早、上官のはずの男は、理屈を付けられない混乱に陥っていた。
「この程度の結界も見えないなんて、本当に
そう言うと、ナハトは呪文を唱え始めた。
「〈水と風よ、地を渡れ、集い集いて万物を動かせ〉」
ごうっと、水を含んだ風が巻き起こった。一瞬嵐が来たようだった。
「ここのマスケット銃はフリントロック式でしたね。濡れると使い物にならないんじゃないですか」
事実、銃はみんな濡れていた。引き金を引いても火花が生じない。弾薬も湿気っているだろう。
壇上にいた者達が戸惑っている中、ナハトは新兵のいる方に進み出た。息を吸い込んで、大音量で叫んだ。
「総員に告ぐ。僕と共に魔法の真髄に触れようと思う者はこの場に残れ。迷いのある者は去れ。三十秒の
誰かに命令し慣れた口調だった。
「
兵達の間に動揺が走った。
「どういうことだ?」
「乗っ取りじゃないか?」
「さっきの魔法見ただろ。あいつに勝てないと思うなら従えってことだろ」
「いや、そりゃねえよ、おっかなすぎる」
大体の新兵達は引き上げた。ナハトは見た目がおっとりした普通の少年、いや青年との境にいるような
本来の上官達も、勝手にしろと逃げるように去って行った。静かになった兵舎前には、七人が残っていた。
「未成年ばかり残っちゃったなあ。他の隊には年齢制限で入れないからね」
ナハトは唸った。額には今はハンカチを当てている。困ったような顔は年相応に見えるので、ステファンは改めて、不思議な人物だと思った。どういう過去の持ち主なのだろう。
「しょうがないか。ここにいる人達を、新生ジークムント隊員としよう。活動するには、また一
促されたので、ステファンは「お前がまず名乗れよ」と言った。ナハトはようやく気付いたようで、声を上げて笑った。
「それもそうだ。僕の名前はナハト=フェアトラーク。十八歳ということにしておこう。君達は?」
”十八歳ということに”ってなんだよ、てかお前そんなに強かったのか、とステファンは問いただしたかったが、話が長くなりそうなのでやめて、素直に答えることにした。グダグダすれば、他の者達も困惑するだけだろう。
「ステファン=シュルツ、十六歳。以下略」
「君のことは知ってるから、それでもいいけど。まあ、他の人達も名前と年齢だけは教えて」
ステファンとナハトのやりとりを聞いて緊張が解けたのか、その場にいた者は順に名前を述べた。ステファンは色彩だけでも個性豊かな面子を眺めた。
「ルディ=ベッカー、十七歳」
頸筋まで少し伸びた黒髪に赤い瞳をしていた。真顔でじっとナハトを見つめている。
「アルノー=クレイです。十六歳」
薄茶色のツンツンした短髪で、黄緑色の瞳だった。好奇心が強そうで、一連の騒ぎが楽しかったのか、少し笑みを浮かべている。
「オリヴァ=フェッテルです。十七歳になります」
黒髪に、ずいぶん浅黒い肌をしている。異国の血が混じっているのかもしれない。瞳は紫だ。
残ったのは女性二人だった。軍隊は基本女性を徴集しない。二人がいるのは、ジークムントが男女を問わない組織だったからだ。
「モニカ=ゾルゲと申します。十五歳」
薄い色の金髪に、赤みがかった桃色の瞳の、おとなしそうな少女だった。長い髪をシニヨンに纏めている。この国では髪を毛先まで纏めるのは、既婚者か使用人である。変わった過去がありそうだった。
「あれ、あたしが一番最後か。イレーネ=ミュンツァー、十七歳です」
アルノーより濃い茶色の髪を、肩の上でバッサリと切っている。軍隊だからかもしれないが、かなり奇抜な髪型だった。意思の強そうなやや吊り目の瞳は、明るい水色だった。
「成程ね。じゃ、みんな集合」
ナハトが階段から降りて来ると、六人はわらわらとその周りに集まった。
「なんだか学校の先生になったみたいだな。ではまず、みんなで戦場に出れるように頑張りましょう!」
場違いな程呑気なナハトの台詞に、ステファンは一抹の不安を覚えざるを得なかった。
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