第24話 新たなる戦いの始まり

 秋の始めのことだった。フォルクバルド共和国東部は、昼に雨が上がった後、霧に包まれていた。その為に、その日は一日中薄暗かった。雨でぬかるんだ道の上を、ナハトは歩いていた。ふと森が途切れて視界が開けると、遠くに青い屋根の街並みが見える。霧がなければ、もっと美しかっただろう。


「こうも天気が悪いと、嫌になっちゃうな。――まあ夕方までに着けるからいいや。あれが城塞都市リンデ……」


 リンデは、東方のシバート帝国と国境を接しており、それなりに貿易で潤っている。市街地全体が石造りの城壁で覆われている、古い街だった。

 ナハトは早速、数少ない門へと向かった。


「リンデへようこそ! この街に入るには、通行料として五百ラウプ頂きます!」


 受付にいた、チョビ髭の男性がにこやかに言った。


「……お金取るんですか?」


 街に入るのに通行料を求められたのは初めてだ。百年経つとそんなに変わるものだろうか、とナハトは思った。城塞の壁を乗り越えるのは難しくないが、今は問題になりそうなことを起こしたくない。どうしたものかと思案していると、向こう側を通りかかった金髪の少年が口を挟んだ。


「払う必要はありませんよ。この街は悪意のない者に対しては常に開かれています。そうですよね?」


 少年の威圧感に押されたのか、受付の男性はたじろいだ。


「あなたはシュルツ騎兵団長の……!」


 どうやら、この街ではそれなりに有名人らしい。


「失礼しました! どうぞ!」


 男性は手の平を反すように、あっさりとナハトを通した。



「あの、ありがとうございました」


 ナハトは街に入って、ようやく少年をまじまじと観察することができた。整った顔立ちに、深緑色の瞳をしている。歳はナハトの外見年齢より、少し下だろうか。そして神学校に通う者に許された深緑色のケープを着ていた。


「ったく、気を付けろよな」


 少年は、初対面時とは全く違う、荒っぽい口調で喋り始めた。


「あいつらは、街に不慣れな人間に嘘付いて、金を騙し取るんだよ。お前みたいなトロそうな奴が引っ掛かりやすいんだ。感謝しろよ?」


 あまりの変貌ぶりに、多少のことでは動じなくなったナハトも、やや驚いた。


「さっきと大分、態度が違いますね」


「あれは外用の顔だからな」


 少年は頭の後ろで手を組んで、にやにやと笑った。


「で、お前は何しに来たんだ? 観光? それともシバートに行くのか?」


「シバートに行きたいんですが、その前に旅券を作らないといけないんです」


 旅券と言っても、この国に戸籍などはない。犯罪者として指名手配されていないかなどが、多少調べられるだけだ。


「あの手続きは数日かかるからなー。その間何処泊まる? 連泊するなら教会だけど、今日だけなら、俺の家に来ると待遇良いぜ。俺も今日は帰るし」


「でもその恰好……」


 ナハトは躊躇った。神学校には大体寄宿舎があって、理由がないと外泊できない決まりになっている。


「あさってが姉の結婚式だから、外泊許可が下りたんだ」


「それはおめでとうございます」


 教会にとって、結婚はめでたいことだし、家族の出席が推奨されている。数日は家族で過ごすといい、という取り計らいなのだろう。


「でさ、どっちにするんだ?」 


「教会で……」


 さすがに、初対面の人の家に泊まるのは気が引けた。


「じゃあ、案内してやるよ。あ、言い忘れてたけど俺の名前はステファン。よろしく」


「よろしくお願いします」


 ステファンに連れ立って、ナハトはこの街の中心部にある教会に向かった。


「一応、教会堂にも寄ってくか。ここはそれなりに有名で、巡礼者も結構多いんだ」


 大きな教会には普通、巡礼者や貧困者用の宿がある。ステファンが言っていたのは、多分そこだ。

 ナハトとステファンは、教会堂に入った。数メートルもある長いステンドグラスがずらりと並んでいる。青いガラスが多く、夕暮れの時間では不思議な空間を演出していた。熱心に祈りを捧げている人も数人いた。

 ナハトは教会には特段何の感情も抱かないが、敷地内で僧侶と思われる人物が、蔓で編んだ籠を運んでいるのが目に留まった。中には、じゃらじゃらと音がする、丸い金属がいくつも入っていた。見た目は銀に見えるが、合金かもしれない。


「あれは何?」


「“幸運のメダイエ”。巡礼の証みたいなもんだな。帽子に付けるのが普通だけど、首に下げる用の紐も取り付けられるようになってて、毎日祈ると願いが叶うらしいぜ」


「沢山あるとあんまり、ありがたみないな……」


「そう言うなよ。教会の大事な収入源なんだからな」


 どうやら、王国から共和国になって以来、大分商売っ気が出て来たらしい。この街だけの話かもしれないが。


 そうこうしている内に、民家とはやや造りの違う、大きめの白い建物に着いた。


「後はここで受付すればいいから」


「うん、どうもありがとう」


 歩いている内に、ナハトは割とすぐにステファンと打ち解けた。彼の方が年下に見えるのもあるが、とても親しみやすい人物であることは間違いなかった。

 ステファンは軽く手を振って、彼自身の家へと向かって行った。



 その日の深夜には霧も大分収まり、空には細い月が見えるようになった。

 動きが起きていたのは、シバート帝国側だった。夜だというのに、大勢の人間がゆっくりと移動していた。


「全く、こんな天気が悪い日に進軍とかどうかしてるぜ。ぬかるんだ道で大砲動かすのがどれだけ大変なのか、上官にはわかっちゃいねーんだ」


「だが、そのおかげで国境近くまで敵にばれずに済んだわけだが」


「わかってるよ。それじゃあ、こんな夜遅くまで働いてる俺らが、目覚めの一撃を食らわせてやるとするか」


 兵士達が愚痴るように会話をしていた。すると、大砲を設置するよう命令が出た。東側の空がうっすら明るくなり、その光の中で兵士達は何とか準備を整えた。


「砲撃用意!」


 それが、戦いの開始の合図だった。



 爆音と共に、ナハトは目を覚ました。遠くで何かが壊れる音が、断続的に聞こえる。


「……砲撃!?」


 ナハトの戦闘経験は、すぐにそれが攻撃であることを察知した。ベッドから跳ね起き、叫びながら通路を通り、全員を起こす。ドアから顔を出した職員に、手早く尋ねた。


「ここで、一番頑丈な建物は何処ですか?」


「教会堂じゃないか?」


「じゃあ、全員両手に持てるだけの食料を持って教会堂に集まってください。あと、武器を準備してください。僕は近くの建物にも声を掛けて来ます」


 教会関連の施設はいくつかある。ナハトは走った。遠くでは、大砲の音と銃声が止まらない。ここは教会だから、まだ攻撃対象になっていないだけだ。いつ敵が攻めて来てもおかしくない。


 一通り伝達を終えて、ナハトは教会堂へ向かった。


「全員集まってますか」


 と訊くと、大体の人物が多分、という顔で頷いた。ナハトは扉に、椅子を使って内側からバリケードを作るように指示した。その間に、運び込まれた荷物の確認をする。マスケット銃が二丁あった。


「武器はこれだけですか」


「ここを何だと思ってるんですか。それにこれは、畑を荒らす害獣用ですよ」


 確かに、教会にまともに武器がある訳はない。ナハトはこっそりと息を吐いた。これで大人数を相手に戦うのは無理だ。籠城できなくなったら、さっさと降伏するしかない。窓の外には、まだ敵影は見えなかった。


 その夜は、城塞都市リンデにとって、悪夢のような時間だった。


 次第に夜が明けてくると、ナハトは窓を少し開けて、屋根に上った。街の至る所から煙が上がっていたが、大規模な火災は起きていなかった。喧噪もなく、兵達が淡々と動いているのが見えた。赤と紺を基調にした軍服。シバート帝国軍だった。ほぼ街の制圧を完了したらしい。敵ながら見事な早業だった。


 教会堂に戻ったナハトが現状を告げると、人々は戸惑いを隠せなかった。


「私達はどうしたらいいのでしょう」


 年配の女性が泣き崩れた。彼女の生涯でも、他国に攻められたのは初めてだろう。


「食料がもたないし、頃合いを見て投降するしかないでしょう。司令官は有能みたいですから、無駄な殺しはしないと思います。この街を占拠するのが目的のようですから」


 ナハトの言葉に、中年の男性が顔を上げた。


「そうだ、ステファンの家はどうなった。あそこはリンデで一番大きな城なんだ。騎兵団もまだあったはずなのに」


 ということは、ステファンの家はかつて城塞都市の領主の一族で、この街の警備を担っていたようだ。それなら、受付の男性の態度も頷ける。


「僕が見て来ましょう。何処にありますか」


 誰かが地図を描いてくれたらしく、ナハトはその紙を受け取った。


「じゃあ行ってきます。皆さんも無理はしないように」


 そう言い残して、ナハトは窓から出た。市街地に入ると、屋根の上を走り、軽々と境を跳んでいく。普通の人間には出来ない芸当だ。幸い、まだ空は薄暗く、頭上に気を止める者はいなかった。


 ステファンの家もとい城は、大きさですぐにわかった。その屋根にシバート帝国の旗が翻っている。どうやら真っ先に攻撃されて、作戦本部にされたらしい。家の者が生き残っている可能性は極めて低かった。


「まさかこんなことになるとは……」


 当初の予定も滅茶苦茶だ。何のために辺縁の街まで来たのか。

 しかし、ステファンに世話になった恩はあるので、ナハトは家の周囲を探り始めた。この国はしばらく平和だったが、ナハトは戦争も隠密行動も慣れている。兵が辺りをうろついていても動揺することなく、人から見えない位置を移動していく。すると、見張りの兵同士が喋っているのが聞こえた。


「昨日の子供、ちょっと歳が行ってたんじゃないか」

「けど、男は成長しないと顔がどうなるかわからないからな」

「ま、精々生き残れるといいな。他は皆殺しちまったし」


 ステファンのことを言っているらしかった。その言葉に、ナハトは思い当たる節があった。


(成程ね)


 騎兵団が動かなかった理由も大体想像が付いた。いきなり襲撃を受けたから集結していなかったし、有事の際にどうするか決めていなかったのだろう。団長が真っ先に殺されたのだから、動けもしない。

 大体の事情がわかったので、ナハトは夜が明けきる前に、急いで教会堂に戻った。


 ナハトの帰りを、みんな待ち侘びていたようだった。しかしナハトは、ステファンの家は襲撃を受け、多分誰も残っていないと言っただけで、それ以上の推測は黙っていた。

 建物の中は、悲哀と恐怖で満ちていて、どうにも動かしようがなかった。


「僕はもう行きます。皆さんは先程お伝えした通りに」


 突入してくる兵が少数なら撃ってもいいとは言ったが、報復を受ける可能性もあると念押ししたので、この教会堂は近い内に投降するだろうと思った。


「君はどうするんだい?」


 ナハトはどう答えるか少し迷ったが、結局、曖昧な返答に留めた。


「知り合いを探しに」



 その後、歴史書にはこう記された。

『フォルクバルド共和国の国境に位置する街リンデは、隣国のシバート帝国から襲撃を受け、両国は戦争状態に突入した。緒戦は準備ができていたシバート帝国が有利だったが、地理の情報で勝るフォルクバルド共和国が次第に勢いを付け、戦線は膠着し始めた――



 ステファンは、薄暗い部屋の窓から夜空を見上げていた。下を見ると、高い塀が見えて興醒めだからだ。窓には鍵が掛かっていて、バルコニーには出られない。いつまでここに閉じ込められているんだろう、と思った。


 一ヶ月前、ステファンの家はシバート軍の攻撃を受けた。起き出した両親は目の前で撃ち殺された。姉も多分殺された。翌日家に戻ってくる予定だった兄が、まだいなかったのだけが救いだった。そして自分は、何処かもわからないがそれなりに立派な屋敷に閉じ込められている。しかも拷問を受けるのではなく、勉強やら運動やらと、学生のようなことをさせられていた。


「あいつら一体何がしたいんだ」


 ステファンは下を向いて溜め息を吐いた。シバートの奴らは変わり者なのか。


「教えてあげようか」


 声は外から聞こえた。慌てて顔を上げる。バルコニーに、何でもないことのようにナハトが降り立った。灰色の外套を着ていて、その裾がふわりと広がった。この屋敷はシバート軍に警備されていたはずだ。しかもここは二階なのだ。驚いて目を擦ってみても、まだちゃんといる。


「幽霊じゃないんだから」


 ナハトはくすくすと笑った。そして鍵をいとも容易く開けて、中に入って来た。慌てる素振りもなく、窓を閉める。


「どうやって開けたんだ?」


「魔法で壊した。わからなかったかな」


 ステファンには不可解な発言をしつつ、ナハトは辺りを見回した。


「君を探すのに結構時間使っちゃった。そうだ、他には誰がいるの?」


「俺以外の子供が数人と、見張りの兵士が何人かいる。子供はもう寝てるけど」


「そう」


 辺りに誰もいないのを確かめて、ナハトはようやく肩の力を抜いたようだった。


「君、自分の状況が知りたいんでしょ。助けてもらったお礼に教えてあげる」


 そしてナハトはシバート帝国の制度について話し出した。


「この国では、囚人の中で能力が高い人間を高官として取り上げる制度があるんだ。家柄とかの縛りがないから、側近として使いやすいらしいね。でも、大人は恨みを持ちやすいから、子供からおもに選ぶ。君はその候補生として引っ掛かったってわけ」


「なんだよ、そりゃ」


 王と貴族がいなくなったフォルクバルドに、そんな制度はない。地位が欲しければ、議員になるか、街の領主になるか、商売で儲けるかぐらいだ。 


「君はどうしたい? 今、二国は戦争中だ。このままシバートで暮らして、地位を築く道もある。自分の家族を殺した人間に服従できるなら、それが一番安泰だ。――それとも、復讐したい?」


 ステファンは面食らった。ナハトの口からポンポンとそんな言葉が出て来るのに驚いたのだ。しかし、なるべく落ち着いて考えてみる。 


「復讐ってどうするんだよ。戦争に勝つっていうのか。第一俺は軍隊に入れる年齢じゃないし」


「何歳?」


「十六」


「じゃあ問題ないよ」


 そう言って、ナハトは紙を一枚差し出した。そこには、『復活ジークムント・求む魔法使い』と大きく書かれていた。戦意を高揚させるためのチラシだ。

 魔法使い。その言葉を聞いたことはあるが、実際に見たことはない。非常に珍しい存在だと聞く。


「昔この国には、ジークムントっていう魔法使いの部隊があってね。訓練に時間が掛かるから、その入隊は十五歳からだったんだ。それを復活させるらしい。まあ、人口から考えても絶対的に人手不足だからね。君も多少は魔法の素養があるみたいだし、悪くない話じゃない?」


「俺には魔法の素養があるのか? 初めて聞いたけど」


「あるよ。僕も魔法使いだから、それはわかる。魔力持ちも、ルーネが読める人も、今だって一定の確率で生まれてる。ただ、知る機会がないだけ」


「お前は魔法使いなのか」


 自分で言ってみると、その言葉はしっくり来た。警備をすり抜けてここまで辿り着くのは至難の業だ。ナハトは黙ったまま、窓を背にして立っている。室内が暗いから、月と星が窓からよく見えた。夜の似合う人だと、場違いに思った。


「上手い話は、空から流れ星みたいに降って来るんだな」


 わざとおどけて言ってみる。声が震えていた。この決断は、聖職者を目指していた自分には勇気が要ることだった。


(神様、彼らの所業をあなたが許すというなら)


「父さんと母さんを殺した奴は見つからないだろう。でも俺は戦うよ」


(俺は、あなたの御許を離れます。人を殺すことを厭いません) 

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