第23話 花葬
ナハトが様子を窺っていると、ドルイドが動き始めた。こちらに近付いて来る。つまり、テオがこちらに移動しているということだ。ドルイドにはナハトの居場所がわかるようだった。
(どうする?)
死んだ者は思考しない。ただ、術者の意のままに動くだけだ。今の彼には闇属性魔法しか使えないが、それは自分の器にダメージを与えることができる。しかし、死者を倒す方法はない。
「……まさか逃げられるとは思いませんでした」
テオの声がした。少し息切れしている。体力の限界が近いようだ。その夜はちょうど半月だったので、近くまで来るのがなんとか見えた。
ナハトは思わず叫んだ。
「こんなことして、本当に契約できると思ってるんですか。そもそも力を貸してほしいなら、誘拐したりせずに、普通に話せばいいじゃないですか」
「君は人気者だから、あまり一人にならないでしょう? それじゃおちおち内緒話もできない。それに、彼にとってはこの城こそが、神聖な儀式に相応しい」
テオは大きく手を広げた。朽ちかけたエッシェ城こそ、初代国王ドルイドの住処だった。
「あの日記帳は、私が隠し書庫で見つけた物です。ルーネの判読には苦労しましたが、彼の苦悩や後悔が刻まれているのはわかりました。ルーネで書かれた本を収集していたのは、彼なりの罪滅ぼしだったのかもしれません」
「……あなたにあの人の全てがわかるとは、とても思えません」
*
ドルイドが統治していた時代、いくつかの戦はあった。銀の指輪が与える恩寵“不老不死”は、確かに死なないという点では彼に有利だった。しかし治世が二十年も続けば、彼が全く老いるように見えないことに、人々が疑問を抱くのは当たり前だった。彼は指輪との契約を切りたいと思い始めた。
ある日ドルイドは、一人机に座って、ぼんやりと外を眺めていた。
『私は妻や子供達と共に歳を取って死にたい。それに私の作った言語はもう十分に広がって、私の知らない単語もあちらこちらで生まれている。私の願いは叶ってしまった。もう契約条件を満たせなくなる』
彼がそう呟くと、銀の指輪が嵌っている左の小指が黒く染まり、指が粉々に崩れると共に、指輪が机に落ちた。
『これだけのことをした代償が、小指一本で済むのか。安いものだな』
ドルイドは微笑んだ。彼は指輪に明瞭な自我があることを最後まで知らなかった。ナハトもそれでいいと思っていた。契約者が望む限り力を貸し、自分の道を歩んでいくのを一番近い場所で見守っていた。できればタークの方とも契約してほしかったが、それは無理なようだった。
ドルイドは、右手に嵌めていた金の指輪も抜いて、一緒に袋に包んだ。それが悪用されないように、ヴィリー族が住んでいたアイヒェの丘に埋め、石塚を立てた。
『いつか、私と同じようにどうしても叶えたい願いがある者が、この場所まで辿り着くだろう』
そう言って、彼は独り去って行った。
指輪と契約者は惹き合う。彼がかつて、神官から指輪を買い取ろうとした時のように。
その後の彼の人生をナハトは“
しかしテオは、ナハトの言葉に逆上したようだった。ナハトの本質を知らないのかもしれない。つかつかと歩み寄ると、ナハトの胸倉を掴んだ。
「ここまで嫌われるとは予想外でした。元は無機物のくせに好き嫌いが激しいですね。けれど君にはわからないでしょう。家族を殺され、故郷を奪われた者の気持ちは。この憎しみは死んでも消えない。フォルクバルドの奴らを皆殺しにするまでは!」
テオの憎悪は、ヴィリー族以外の全ての国民に向けられているらしかった。交渉の余地はもうなかった。彼の望みは無謀すぎる。ナハトは心を決めた。
「ドルイド! こいつと契約する方法を教えろ!」
テオが叫んだ。
本当にそんなことができるのか、ナハトにも予想できなかった。なんとかドルイドの方を見て、驚愕した。彼は地面に跪いて、両手を祈るように組み合わせていた。
そうか、とナハトは思った。多分、彼は死んだ後に知ったのだ。銀の指輪が本当は何者だったのかを。そして、本来背けないはずの死霊遣いの命令に抗っている。それは彼の意思なのだろうか、それとも世界の意思なのだろうか。
驚いたのはテオも同じらしかった。ナハトを掴む手の力が緩む。すかさずナハトは手を引き剥がし、寝技で地面に押し倒した。そして立ち上がって宣言する。
「死ぬのが怖いですか。身体が黒く染まって自由が利かなくなるのが嫌ですか。それなら、あなたが一番恐れる方法で殺してさしあげます」
ナハトは呪文を唱え始めた。
「〈冥界の花よ、我の呼びかけに応えよ。この者に死の安らぎを与えたまえ〉」
空から、黒い花びらが降って来た。それがテオの身体に触れると、その部分が消失した。
「え?」
テオはこの魔法をまだ理解できていないようだった。花びらを手を振って払おうとするが、彼の手の甲が消えただけだった。
漆黒の花弁は後から後から降って来る。そして彼の身体の一部を”なかったことにする”。
「ひっ……!」
手足の半分近くを失って、ようやくテオはこの魔法の恐ろしさに気付いたようだった。痛みはなく、ただ存在を否定される。
「……っ!」
ナハトに手を伸ばそうとして、テオはその、半分以上失われた手を引っ込めた。今の自分は相当酷い表情をしているだろうと、ナハトは思った。右目がよく見えない。闇属性魔法を使う時はいつもそうだ。
「身体が全部消滅するまで時間が掛かります。その間に、自分がしでかしたことを反省するといいでしょう」
すでにテオの身体は、人間の形状を留めていなかった。誰か普通の人が見たら悲鳴を上げるだろう。けれどナハトは平然としている。テオも、ここまで来て許しを請うつもりはないのか、歯を食い縛って耐えている。
「他人を許すのが、一番難しいのかもしれません。あなたは、王国が滅んで新しい国になっても、恨みを捨てられないんですね」
ナハトは最後にそう言った。その時、テオの身体は一片も残さず、この世界から消え失せた。後には、まだ残っていた黒い花弁が、ひらひらと舞っていた。
テオの最期を見届けたナハトは、ドルイドの方へ向き直った。彼の姿は先程よりも不安定だった。魂を入れる器もなしに何度も召喚し続ければ、これだけ摩耗するのも無理はなかった。
「お久しぶりです」
ナハトは恐る恐る声を掛けてみた。言ってみて、随分間の抜けた言葉だと思った。彼に対する思いは沢山あるはずなのに。
「……」
霊は何かを言おうとして、やめた。そして穏やかに微笑んでナハトに一礼すると、その姿は次第に透き通るようにして消えた。呼び出したテオが死んだ以上、長くこの世に留まってはいられなかった。
それでも、とナハトは思う。ドルイドは確かに、契約に値する人間だった。人々を纏め上げ、この地に平和をもたらした。自分が契約できる水準は段々わかってきたが、あれ程の逸材は、そうそう出ないだろう。
「あなたも知ったように、死ぬのが全ての終わりじゃない。また機会があったら、今度はちゃんと話ができるといいですね」
ナハトは消えてしまった相手にそう告げると、アイヒェに向かって歩き出した。まだ政情は安定しているとは言えない。やっておいた方が良いことは山ほどあった。ドルイドが残してくれたものは、今もこの国に息づいている。人々は昔よりも自分の意志を楽に伝えられるようになった。それでも、争いが一つもなくなるわけではないのだ。
僕らは互いに全てをわかりあおうとして
でも結局それは不可能で
少しだけ近付けたように錯覚して喜んで
時に手酷く裏切られて
それでも僕らは この箱庭の中で
誰かと同じ道を共に歩んでいこうとするのだろう
この世界が終わるまでずっと
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