第16話 死者は眠り、生者は動く
ユリアは、長い渡り廊下を歩いていた。少し下がった場所から、兵士達が報告してくる。
「城内の制圧、全て完了しました」
「捕虜は、男三十二人、女子供六十四人です。男は地下牢に、女達は城塔の牢に入れてありますが、いかがいたしますか」
「しばらくは食料も与えて、ちゃんと世話してやれ。まだ政府に報告も入れていない。沙汰が決まるのはその後だ」
簡潔に指示を出すと、約束されたサロンに向かった。
扉を開けると、ナハトが「どうぞ」と迎えてくれた。その笑顔は張り付いたようで、瞳は笑っていない。タークは、と見ると、ナハトの背中側の壁に凭れ掛かるように立っていた。左手は剣の柄に掛けられている。いつでも抜けると言っているようだった。
質素なテーブルには、不思議な香りのするティーセットと、日持ちさせるために固焼きにしたビスケットが乗っていた。
恐怖のお茶会、というものがあるなら、まさにこの時かもしれない。ユリアが殺されることはないだろうが、この場所での失言は、何に繋がるかわからなかった。
「あなたが知っている全てを話していただきます」
ナハトが、有無を言わせぬ口調で言った。ユリアは頷いた。
「……事の始まりは、十八年前だった。私と国王カールはいとこ同士に当たる。話す機会も多少はあった」
ユリアの昔語りが始まった。
「ある時、王にだけ伝えられる
まだ首都がエッシェだった頃だ。この部屋も昔使ったことがあるが、当時あった金目の調度品は全て持ち去られていた。
「金と銀の指輪だった。それぞれに、赤と青の魔石が嵌っていた。呪具なのはわかったが、そこに刻まれていたルーネを、私もカールも読めなかった。カールは言った。『この二つの指輪にはね、世界を変える力があるんだ』と。『それが代々王家の中で、言い継がれてきた。アイヒェの丘に石塚があって、その下に指輪が埋まっている。そして指輪に選ばれた者には、大いなる力が与えられる』。私はお伽話の類だと思った。しかしカールは、密かに部下に指輪を探させ、とうとう見つけたそうだ。その指輪が凄まじい不思議な力を秘めているのは私にもわかった。だから、魔力は少ないがルーネをよく読めるという、ランドルフという男を訪ねた。彼はルーネを読んだ。
『金の指輪には“己の
それだけでは、何も解決しなかった。口伝によれば、指輪との”契約”が必要なのに、身近な所ではそれに該当するような人物はいなかった。考え抜いた末に、一つの仮説が湧いた。“もし、この指輪に意思があれば、その力を使うだろうか”と。そして、ランドルフの力も借りて、その指輪を
……しかしカールは、それだけでは足りなかったらしい。指輪に繋がるような言い伝えが残っているかもしれないとして、アイヒェに侵攻することを提案して来た。ヴィリー族は、我々よりも先にあそこに定住した民族だった。良い土地だったし、確かにエッシェはもう手狭だった。しかし、指輪のことを誤魔化すためには、穏便に譲渡してもらうわけにはいかなかった。
そのために私達は戦った。疑心暗鬼にかられながら、ヴィリー族の文化と故郷を破壊した。石塚のことなど、覚えている人間が一人も残らないように」
ユリアはそこで言葉を切った。喋り過ぎて、喉が渇いていた。薄黄色のハーブティーを一口飲んだ。
「紅茶も出せなくてすみません」
ナハトが淡々と謝罪した。彼は特段、顔色を変えなかった。ここでちゃんとした茶葉を手に入れるのは難しいのだろう。
「一つだけ訊いていいですか? 僕らの魔力と記憶をあそこまで強固に封印したのは何故です?」
「何故も何もない。どうなるかわからなかったからだ」
どうなるかわからない物でも利用しようとするのは、人間の
「俺からも訊きたい」
ずっと黙っていたタークが口を開いた。
「主の権限を二分したってことは、お前もランドルフも俺の居場所は知ってたんだよな。おれにちょっかいかけてたのはどっちだ?」
「ちょっかいというのが何を意味するのか知らないが、私は放置していたから、やったとしたらランドルフだな」
「成程」
タークは納得したらしく、また黙ってしまった。
ティーポットが空になった。参加者全員が冷え冷えとしたお茶会は、ようやく終わりの兆しが見えて来た。ユリアはやっと気を緩めた。
「正直、真相を話したら怒られるかと思っていたんだがな。そうだナハト、お前に確かめてほしいものがあるんだ」
ナハトは何か別のことを考えているようだったが、ユリアに話し掛けられると顔を上げた。二人は連れ立って、一つの部屋に入った。
「こいつが首謀者で間違いないか?」
テーブルの上に置かれた盆には、生首が一つ乗っていた。血はもう大分固まって、首の周りにこびり付いていた。
その時のナハトの心情を悟ることが出来たら、ユリアの運命は何か変わったかもしれない。
血を受けるための盆の上にあったのは、フォルカーの首だった。肌は青白く、透明さすら感じられた。
「……間違いないです」
感情の乏しい声だった。ユリアはいつもその声に訊き馴染んでいたから、ナハトに起きた変化に気付かなかった。
「そうか。お前がここに来た甲斐があったというものだ」
ユリアは安堵の溜め息を吐いた。
「これでこの仕事も終わる。他に処分した方がいい奴はいるか?」
「いいえ、いません」
恐ろしく事務的な答えを、ユリアは気にも留めなかった。彼女の欠点は、他人の感情に鈍感な所だった。
*
「……うるさい」
ドアが開いて開口一番、タークに言われたのがその台詞だった。今の自分の心は、タークに伝わってしまう程大荒れらしい。
ナハトは自室のベッドに寝転がって、枕に顔を埋めながら、その言葉を聞いた。ナハト自身は一言も喋ってはいないし、乱暴な振る舞いをしたつもりもない。それでも幾らかの感情は伝わってしまうようで、ドアの前に立ったターク本人は関係ないのに、やや不機嫌になっていた。自分達の正体を思い出したはいいが、今まで隠されていたことを詳細に説明されると、動揺が止まらない。まして、人が死に過ぎた。
「しっかし狭い部屋だな。こんな所に隠れて楽しいか?」
ナハトとタークは城の中で好きに動くことを許されていた。止めようとして止められる者がいるかは不明だったが。
「まあ、罪状から考えたら仕方ないんじゃねーの。アイヒェで報告するのに、証拠も必要だろうし。重罪だと、槍に刺して晒し首にするんだったな」
「重罪……」
タークは、フォルカーについて何も知らない。ナハトを慰めるつもりはあるようだが、言葉には容赦がない。この、理不尽な残酷さが現実だ。
ナハトは起き上がった。フォルカーと城塔で話し合ったことも、身分証を投げ捨てたことも、遠い昔のように思えた。あれは本当にあったんだろうか? 自分の記憶すら疑わしくなってくる。
一番確実なのは、死者の記憶だ。そこに辿り着く道を、ナハトは探していた。記憶を取り戻すよりも、あそこに繋がる扉を開く方が難しかった。
「僕はあの人のこと、詳しくは知らない。でも、一生懸命生きてて、誰にでも優しくて……」
一人の人間に入れ込んでは駄目だと思うのに、感情が揺れる。クローネで出会った中で、一番特別だったのは、やはり彼だった。若干の下心があったとしても、彼が示してくれた率直な人間らしさ、優しさは抜きん出ていた。
「こんな死に方をするべき人じゃなかった……!」
思わず叫んだ言葉は、若干の湿り気を帯びていた。
「だけど、お前と契約できる程の大した奴じゃなかったんだろ。いいか、俺達は完全に信用されてるわけじゃない。ユリアがいない所でこそこそするな」
タークの警告は厳しいが優しい。
「これからどうする?」
タークがベッドの端に座った。色々なことがありすぎて、考えるのが面倒らしい。
「……考えたくない」
今はまだ、死者を悼んでいたかった。今日だけで沢山の犠牲者が出た。
しかしいずれは、全ての決着を付けなければならないだろう。
静かな夜が、月の下で
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