第17話 策略の始まり

 エッシェ城の占拠は一日で終わった。その翌日、ユリアは首都アイヒェに報告にいくことになった。

 中庭で、自身の使い魔ファミリアであるハーネスに乗り込む。緑色の大きな鳥だ。空を飛ぶ使い魔は、多くが鳥の姿をしている。それは伝統というだけでなく、遠くから見ても目立たないことも関係していた。


「報告に行くだけだから、すぐに戻る。何かあった場合はエルマーに任せる」


「了解しました」


 そう言い残して、ユリアは飛び去った。


 数人が見送りに来ていたが、リーゼの視線は、あるふたりに注がれていた。ナハトとタークである。身長や体形が似ているので、ふたり揃うと一瞬同じ人物が二人いるかのように錯覚する。それでもよく見れば、動き方が違うので、別人であると気付く。そして性格は正反対だった。ナハトとタークは、何か真顔で喋っていた。小声なので聞き取りづらい。ただ、真剣な話題なのはわかった。


(面白くない)


 それがリーゼの率直な感想だった。自分の師匠であるナハトをタークに取られたような気がした。それが錯覚なのは承知している。


(これからどうなるのかな)


 新しくタークがジークムントに入るなら、人間関係は大きく変わる。予測が付かなかった。



 その頃ユリアは上空で、ハーネスに最大速度を出させて翔けていた。


「ナハトとタークの件は、早めに意見を纏めないとまずいな」


 ユリアが焦っている理由は、クローネの報告だけではない。ナハトとタークが本来の力と記憶を取り戻した以上、どうするかは三人で話し合わなければならないだろう。

 やがて、アイヒェの街並みが見えて来た。青灰色のスレートの屋根が、日光を反射して時折きらりと光る。その近くにはツェーレ川が流れている。アイヒェの街は城塞を持たない。攻めにくい地形ではあるが、交易のための、開かれた街だった。


 ユリアは城に下り立つと、会議室に向かった。扉は閉ざされており、見張りの兵が一人立っていた。


「ヴァイセ宰相はまだ会議中ですので、お会いできません。会議が終わり次第、ご連絡します」


「そうか。国王はどうしている?」


「本日の会議にはおいでになっていません」


「……最近は本当に酷いな。今日のは重要度が高い会議なのに」


 ユリアは頭を抱えた。カール国王は元々政治に興味がなかったが、最近は輪を掛けて悪化している。公の場に出ることがほとんどない。芸術には興味があって、絵画集めを趣味としていたが、それも最近はご無沙汰だ。


「先にそちらに行くとしよう」


 ユリアは、会議室に背を向けて歩き出した。


「ユリア様お待ちください、いくらあなた様でも」


 後ろから兵士が引き留めるのを無視して進む。計画の発端はそもそもカールだし、この国の政治的トップでもある。彼の意向を訊かないままに物事を進めることはできない。

 

 カールの部屋に向かうと、途中で深緑色のお仕着せを着たメイドに会った。


「陛下は今、誰にもお会いしません」


 無表情で告げられたが、そんなことで引き下がるユリアではない。


「急を要する要件だ。通る」


 メイドを押しのけて、先に進んでいく。いくつかの部屋を抜けて、最後の部屋に辿り着いた。


「カール! 入るぞ」


 呼び捨てにできるぐらいは気安い仲だったはずだ。しかし返事はない。


 薄暗い部屋は、カーテンが僅かに光を通すように束ねられているだけで、静まり返っていた。それでも、奥の椅子に、こちらに背を向けて座っている男が見えた。


「なんだ、返事くらい……」


 近付いて覗き込んだユリアは、驚愕に目を開いた。自分と同じ金髪に青緑色の瞳をした男は、ただそこに座っているだけだった。眼は虚ろで、生命が宿っていることを感じさせない。ユリアは思わずカールの手首に触れると、死人のように冷たかった。


 ユリアは乱れる息を整えた。


(誰かが、カールを殺して、その死を隠していたのか。だから公の場にも出て来なかった)


 死んだ時期はわからなかった。死体の時間を止める魔法がかかっているようだ。


(そんなことができる人物は限られている)


 一番に候補に挙がったのはランドルフだった。しかし、彼の魔力量では長期間魔法を維持するのは無理だ。


(呪具を使っているか、他に協力者がいるか)


 心臓が早鐘のように打っていた。明らかに何かまずいことが起きている。


 その時、足音も荒く、ランドルフが部屋に入って来た。会議が終わったのだろうと見当が付いた。


「ランドルフ、これは一体」


「ああ、見つけてしまったのか」


 その平静な言葉に、ユリアの感情が爆発した。ランドルフの胸倉を掴んで叫ぶ。


「お前か、お前が殺したのか」


 ランドルフは何故か戸惑っているようだった。


「国王を殺して、その死を隠す。それがどういう意味だかわかっているのか」


 不意に、胸に焼けつくような熱を感じた。軍服に覆われた胸から、血に濡れた短刀が突き出していた。ぎこちない動作で後ろを振り向くと、カールによく似た男が、ユリアを背中から刺していた。


「お前……カールの影武者の……」


 そういう存在がいることは知っていた。顔は似ているが、名前は忘れてしまった。


(こんなに早く来れるものか……いやあのメイドが知らせたのか)


 男は短刀を引き抜いた。鮮血が部屋に飛び散る。ユリアは床に膝を付いた。自分の死が、間近に迫っていた。


「危ない所でしたね、ヴァイセ様! メイドに呼ばれた時は驚きましたが」


 影武者の男が喋る。不自然なことが起きないよう、近くの部屋にいたのだろう。


「でも大丈夫です! 俺がお守りしますから」


 カールは死んでもそんな台詞は言わない、とユリアは思った。


「アルベルト、私は彼女を殺すつもりは」


「いいえ! 秘密を知られた上、あなたに手を出そうとする者は許せません」


 アルベルトと呼ばれた男は、ランドルフに丁重にお辞儀をした。


「ヴァイセ様、あなたは、俺達のような赤字続きの下級貴族の味方になって下さる唯一の方です。どうかご自愛くださいますよう」


 しばらくして、ランドルフが呟いた。


「私も、かつがれる神輿みこしの一つか……」


 ユリアは薄れゆく意識の中でそれを聞いていた。すでに身体は無様にも、床に這いつくばっていた。軍人の自分が、まさかこんな所で死ぬとは思わなかった。カールが教えてくれた、“約束の指輪”の言い伝えをふと思い出した。


 “相応ふさわしくない者が指輪を使おうとするならば、災いが訪れるだろう”



 ナハトはその頃、エッシェ城の図書室にいた。テオは牢に入れられてしまったから、ここには彼一人しかいない。心を落ち着かせるために、本を物色していた。何もしていないと、これからあの三人をどうするかを、ひたすら考えてしまうのだ。その時、ふと、何か繋がりが切れるのを感じた。

 慌てて廊下を走り、タークがまだいる自室に向かう。

 向こうも、同じことを感じているようだった。


「ターク、今」


 ナハトはどう言ったらいいのか迷った。タークはナハトより落ち着いていた。


「多分、ユリアが死んだ。これが使い魔の繋がりって奴か。あとはランドルフって奴が死ぬと、俺達はどうなるかわからない」


 ふたりは、隠し書庫に入った。ここの場所はまだ誰にも教えていない。秘密の話をするにはうってつけの場所だった。


「病気や怪我……じゃないよね」


「十中八九、殺されたんだろう。何で怒りを買ったかまではわからねーけど」


 タークは剣を抜いた。


「俺らの記憶と力が戻ったのは、ユリアに任せてたからだと考えてもおかしくない」


 剣の切っ先が、見えない敵に向けられる。


「記憶も全部戻ったし、仲間を簡単に殺すような奴らに温情を掛ける義理もないな。“約束の指輪”を私物化しようとするとどうなるか、思い知らせてやろうぜ」 


「初代国王は指輪を不正利用させようとしてたわけではないと思うけど」


 ナハトはなだめるように言った。


「そういや、あいつはお前の契約者だったな。多少は情もあるか」


「ただの事実だよ。それに僕は、この話を知ってる王族の直系ぐらいは潰したいと思ってる」


「なんだ、俺より過激派じゃねーか」


 タークが心底面白そうに笑った。


「……ターク」


 ナハトは、少し目線を落としながら言った。


「比較的自然に、僕らの目的を達成できるかもしれない方法があるんだけど、聞く気ある?」



 ナハトはエルマーと、お茶を飲みながら対談していた。


「タークと同じくらい強い魔法使いねぇ……確かに魅力的な人材だけど、僕らに協力してくれるかな」


「ただでは頼めないけど、彼女の仲間を逃がす代わりって言えば、なんとかなると思う」


 エルマーは机を叩いた。


「それって僕に逃走を見逃せってこと? バレたら処罰ものだよ。隊長の留守を預かってるのは僕なんだからね」


 そんな脅しでは、今のナハトは揺るがない。

 

「怪我人は無理だ。今、動ける人数だけでいい。夜中にこっそりやるから」


 更に畳みかけていく。


「ジークムントの人材不足は深刻化してる。エルマーだって、罪人を全員殺していけば平和になるなんて考えてないでしょ?」


「……とりあえず、そのマリーって子に会ってはみるよ。君の推薦だからね」


「ありがとう。僕からも先に話しておくよ」



 同時刻、地下牢では男達が愚痴を言い合っていた。他にやることがないのだ。


「俺の畑どうなったかな」

「閉じ込められてから、どれくらい経っただろう」

「家畜の世話もあるのに……」

「女達は塔の方にいるらしいが、無事だろうか」


 様々な文句が吐き出される中、看守が声を上げた。


「おい、そこの眼鏡!」


 エドアルトは顔を上げた。眼鏡はそれなりに高級品だ。視力が低くても、掛けている者は少ない。


「面会だ、出ろ」


 看守の後ろには、静かにナハトが立っていた。


 面会のために用意された部屋は、案外広かった。窓に鉄格子が嵌っている以外は普通の部屋だ。エドアルトは両手を縛られた状態だったが、お互いに向かい合って座っていた。監視は付かなかった。ナハトが拒否したからだ。


「僕だけ牢に入らないですみません」


 ナハトは謝罪したが、エドアルトはそれは必要ないと思った。


「お前からすれば、あるべき場所に帰ったんだろう。で、何の用だ?」

 

 今後のことなんですけど、とナハトは前置きした。 


「エルマーに……今ここを仕切っている人物に、あなた達をこっそり逃がしてもらえるようお願いしました。マリーを人質に残していく形になりますが」


「は?」


 話の展開が早過ぎて、エドアルトは付いていけない。


「逃がすといっても、頼み事があるんですけどね。それが僕からの条件です」


「おい、お前の都合でマリーをどうこうしようってなら」


「彼女は快諾してくれました。エルマーは同じ貴族には甘いので、要求を呑むでしょう。大体条件は整いました」


 そこで、ナハトはエドアルトを見据えた。


「僕があなたにお願いしたいのは、この国の王様になってくれないかということです。エドアルト=ライヒ」


 フルネームで呼ばれたのは初めてだったが、それすら些細なことだった。二の句が継げない。

 王族でも貴族でもない自分が王様? ナハトは頭がおかしくなったのかと思った。

 しかし、ナハトはいつも通り、静かな水面のような瞳でゆっくり瞬きした。


「それが一番、理想的なので」

 

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