第18話 水面の下

「俺が王になる……? 冗談も大概にしろよ」


 エドアルトの声は震えていた。


「冗談なんかじゃありません。それから話は最後まで聞いてください」


 ナハトは平然としている。これくらいの反発は想定内だ。


「計画としては、まず僕とタークが馬で先にアイヒェ城に乗り込みます。あなた達は夜闇に紛れて来てください。朝には僕らがあらかた片付けて城門を抑えているので、後は自由に占拠してください」


杜撰ずさん極まりない計画だな……」


「戦力的には問題ないです。正直、これが唯一の機会だと思います」


 魔法使いですらないエドアルトは、ナハトとタークの現在の力量などわからないだろう。怖じ気付くのも無理はないが、それでは困る。


「このまま何もしなければ、あなた方は多分全滅します。罪状がどれ程になるかはわかりませんが、まともな裁判など受けられないと思ってください。それに、この捕虜の人数なら、移動させるより殺した方が早いんです」


 もっと重要なのは、ユリアが殺されたことだ。それはすなわち、城内にナハトとタークをよく思っていない共謀者がいる可能性が極めて高いことを意味する。その人物とは決着を付けなけなければならないし、その人物がナハトに関係した者を、一般人だからと見逃すとは思えない。しかしそれはナハトの胸に留めておく。ナハトとタークの正体など、知らないでおく方が幸せなのだ。


「ご忠告痛み入るよ。今のカール国王は、血も涙も金もないって噂だからな。……で、その後はどうするんだ?」


 エドアルトは呆れたように目を閉じた。王宮を占拠した後も問題は山積みだ。


「一応議会が城の外にあるので、……あまり機能してませんが……国王亡き後の新しい政治体制を作るよう要請して、それが解決されるまで解散できないでしょうね」


「別の奴が国王になるのか?」


「それは現時点では不明です」


 エドアルトは黙りこくった。


「……それが失敗したら、俺達に罪をなすり付けてトンズラってか。いい性格してるよ、お前」


 ナハトはその案は考えていなかったのだが、顔に出ないよう努めた。安全策を見込んで動いていると思われている方がましだ。無私無欲の善意など、警戒すべきものだからだ。


「相手の思惑に気を回すのは賢明です。商人の血ですかね。僕としては、浮浪者を働かせて秩序を保てる、あなたの実務能力を高く評価してますが」


 ナハトは椅子から立ち上がって、エドアルトの後ろに回った。そろそろ面会を終わらせないと不審がられる。

 必要なのは、決め手の一言だ。身をかがめて、エドアルトの耳元で囁いた。


「フォルカーさんの首、取り返したくないですか?」


 覿面てきめんに効果があったのが、手に取るように分かった。エドアルトが動揺して、体が小刻みに震えている。

 フォルカーの首は、ユリアが首都に持って行ったままだ。何が何でも取り返したいだろう。


「~~……くそっ!」


 エドアルトが顔を手で覆って俯いた。それが返事だった。

 ナハトはその様子を静かに眺めていた。死者を悼む気持ちを利用する後ろめたさや、様々な感情が心の奥底を流れるが、一番効果的な方法を使うのは、交渉でも魔法でも同じだ。


 話が終わり、エドアルトは牢に戻された。ナハトは見張りの兵士に、追加で賄賂の銀貨を支払った。

 ナハトが去ると、エドアルトと同じ牢に入っていた男達に取り囲まれた。幾つもの質問が飛び出す。


「ナハトは何を言ったんだ?」

「どうしてお前だったんだ」


 エドアルトは大きく息を吐き出すと、「後で話す」とだけ言った。まだ看守がいるし、隙を見てこの話を広めるしかなかった。



 その日の深夜、看守がうつらうつらと舟を漕ぎ始めたのに気付くと、エドアルトは近くの者達を集めてナハトの話を聞かせた。ほとんどが上手くいくのか半信半疑だった。今まで自分達は元・王宮に住んでいたわけだが、現・王宮を占拠する羽目になるのだ。しかし、故郷を追われた恨みのあるヴィリー族は、この話に乗り気だった。最初の動揺が収まると、全体の四割程が賛成派に回った。


「でも、この話持って来たのはナハトだろ? ここが襲われたのだってあいつの所為なのに」


 誰かの言葉に、エドアルトは溜め息を吐いた。国家の動きがいくら鈍重でも、ナハトとは関係なく、遅かれ早かれ見つかっていたはずなのだ。

 しかし、反論したのは、それまで黙っていたテオだった。


「君はあの子をちゃんと知らないから、そんな風に言うんだ。それに、彼を仲間に引き入れたのはフォルカーさんの判断だ」


 テオはそこで息を切った。身体の内側から出る熱を抑えきれないようだった。


「僕らは生きていくために、集まって仲間になることを決めた。足を引っ張るような発言はやめて、もっとまともな話をしたらどうだい?」


 その場の雰囲気が変わるのを、エドアルトは感じた。


(やはりヴィリー族の、国王に対する恨みは深いな。その所為で好戦的な流れになっている。……ここまでお前の予想通りなんだろうな、ナハト)



 次の日の昼、ナハトは一人で廊下を歩いていた。昨日から密かに出発の準備を始めていたので、若干眠かった。窓から零れる光に目を細めていると、向こう側からリーゼがやって来た。


「ナハトさん! 昨日ずっと見かけなかったから心配してましたよ。……なんだかお疲れですね?」


 いないだけで心配だったらしいので、ナハトは気が重くなった。これから更に心労を掛けるだろうから、尚更だった。彼女は誰に味方するだろうか。


「大丈夫、今日は早く寝るから」


「いけません、今すぐ何か食べましょう。この前も大丈夫とか言って、倒れたじゃないですか」


 リーゼはぐいぐいとナハトを台所に引っ張って行った。倒れた理由は魔力切れだったので、食事では解決しないのだが、彼女には同じようなことらしい。


 リーゼがお湯を沸かして戸棚を物色している間、ナハトは窓から外を眺めていた。中庭では、兵士が掘った穴に死体を放り込んでいた。大方の死体はもう埋めていたから、後で見つかった死体か、瀕死でとうとう息を引き取ったか、どちらかだろう。

 人間の形をしたモノが、尊厳もなく投げ捨てられるのを見て、この平和な台所との落差を感じた。


「お茶、冷めますよ?」


 リーゼがおずおずと言った。粗末なテーブルの上には、湯気を立てる紅茶が乗っていた。香りからすると、移動用に固めた茶葉の塊を削って淹れたものだ。戦闘だというのに、わざわざ持って来たらしい。ナハトは質素なカップを手に取った。リーゼはこの程度の生活水準には慣れているようで、愚痴など言わないのがありがたかった。


「……何か喋りません?」


 いつの間にか、自分の思考に没頭していたらしい。リーゼからは特に伝えたいことはないらしく、話をするよう振られたので、ナハトは口を開いた。


「……昔、ジークムントにブルーノって人がいてさ、小さい頃は遊んでもらったりもしてた」


 その名前を、他人の前で口にするのは随分と久し振りな気がした。しかし、リーゼと二人きりの時にこの話が出来るのは丁度良かったとも言えた。試金石として申し分ない。


「そうなんですね。私はお会いしたことないですけど……」


「うん、僕が初めて殺した人」


 リーゼの表情が驚きと哀れみが入り混じったような複雑なものに変わる。ナハトはそれを無視して話を続けた。


「反乱分子と組んで、武器の横流しとかスパイ紛いの活動をやってたらしくて、僕が殺す羽目になった。でも今振り返ると、彼は彼なりに考えてたんだと思う。僕が見たアイヒェ城の外の世界は、貧しさも盗みも殺しもありふれてて、人々は不満だらけだった」


 ジークムントとして任務をして、初めて知ったことだ。


「僕はもう、ジークムントではいられないだろう。国の治安を守るのが仕事なんだから。もしこの国を引っ繰り返そうとする人がいるなら、僕はそれを静観してしまうと思う」


 視線をやると、リーゼは冷静な表情で話を聞いていた。


「リーゼはどう思う? 僕は間違ってるかな」


 ナハトが空になったカップをテーブルに置くと、リーゼは話し始めた。


「私の実家が農奴のうどだって話はしましたっけ?」


「うん。家計を助けるためにジークムントに来たんだよね」


「両親は、いくさが起きる前はまだ良かったって言います。でも私はその時代を知らないし、比べようがないです。だから私は、生活を楽にしてくれるなら、誰が王様だっていいです。正統性とか忠誠心とか興味ないので」


 リーゼの言葉は、日常の生活に追われる、普通の平民的思考だった。


「そっか、リーゼは強いね。僕より凄い」


 ジークムントでありながら、まだ自覚も浅いのかそこまで言い切れる彼女が、寧ろ眩しかった。


「何言ってるんですか、私はナハトさんの味方ですよ」


 リーゼは鼻息も荒く、返事した。


「なるべく多くの人が幸せになれるといいですね」


 その言葉は、今のナハトには重かった。


「ごめん、用事思い出したから行くね」


 ナハトは立ち上がって、席を後にした。日中は人目に付くから、物を動かすのには向いていない。それよりはタークと作戦を詰めたかった。

 あとに残されたリーゼは残念そうな表情をしていたが、やがて食器を片付け始めた。


 ナハトは心もち急ぎ目に歩いていた。この城の中では、タークの居場所はすぐわかってしまう。今は屋根の上にいるようだ。どうしてそこに上ったのかはわからないが。

 歩いている間にも、頭の中の断片的な情報を解析し、新しいアイディアを生み出す。考えられる展開の数が増え、そして対策も検討していく。


 それにしても、とナハトは思った。


(リーゼが拒否的じゃなくて良かった。邪魔になるなら、殺さなきゃいけないかもしれなかったから)


 かつての同僚すら、今のナハトには盤上の駒のようだ。胸が押し潰されるようで、思わず天井を見上げた。


「……君が手を汚さなくてもいい世の中になるといいな」 

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