第19話 策士の繰り糸

 城塔では、女達がひっそりと収容されていた。奥で誰かが泣いている。次第に我慢が出来なくなって、思わずマリーは声を掛けた。


「そんなに泣いても、悪いことから逃げられるわけじゃないですよ」


 するとその女は、きっとなって反論して来た。


「何よ、あんたはこのまま兵士達の慰み者になっても平気なの」


 戦場では強姦や略奪はよくあることだが、司令官が女性だったためか、まだ目立った行為は見受けられなかった。規律が取れた軍隊は私欲で動かない。しかしそれは時間の問題ともいえた。


「いえ、そんなことは……」


 マリーは歯切れ悪く返答した。ジークムントの誘いの件は口止めされているからだ。


(良い方に行けばいいんですけど……)


 少女の悩みはまだ終わりそうになかった。



 翌日、エルマーは兵士からの報告を受けていた。


「――それから、大変申し上げにくいのですが、男の捕虜が三十人程脱走したようで……」


 まだ若い男は、歯切れ悪く言った。


「すぐに追っ手を――」


「女性を置いて逃げるような腰抜けは放っておいていいよ」


 ナハトの企てを了承しているエルマーは手を振った。


「そもそも、逃げた奴らをどうやって見分ける気だい?」


「あっ!」


 捕虜は全員私服だから、町で紛れてしまえば見分けがつかない。兵士はそこまで思い至らなかったらしい。


「敵の親玉の首は隊長が持って行ったし、他の奴らの処遇についても、その内連絡が来るだろう。従って僕らはこのまま待機するべきだ。――何か異論があるかい?」


「いえ! 自分が間違っておりました!」


 去っていく兵士の姿が見えなくなってから、エルマーは溜め息を吐いた。一応ユリアに指揮権を委ねられているが、自分と同程度の将官クラスの者もいるから、彼が自分に報告に来てくれたのは運が良かった。恐らく他の者に同じ話はしないだろう。しかし、誤魔化すのも気分が悪い。


「難儀な約束をしたな……」


 自分の教え子は、いつの間にか人を思い通りに動かす術を身に付けたらしい。



 エルマーが報告を受けるより前の夜、ナハトは馬小屋からこっそり馬を引き出していた。元々アイヒェ城に共にいた身だ。顔ぶれは大体分かっている。将官クラスしか馬に乗って来なかったらしいが、元いた馬は他の家畜小屋に移されていた。


「どう、どう」


 ナハトは動物にそんなに好かれる性質たちではないが、馬は大人しく付いて来た。性格と足の速さで選んだつもりだ。急げば、アイヒェに辿り着くまで六時間くらいしか掛からないだろう。


「ターク」


「ああ」


 馬の手綱を、近くにいたタークに渡す。ごくわずかに纏めた荷物を載せると、鞍に跨った。歩哨の動きは把握している。今は別の場所を回っているはずだ。近くに人がいないのを確かめて、ふたりは馬を走らせた。


 アイヒェ城についたのは午前三時くらいだった。二手に分かれて、それぞれの仕事に取り掛かる。

 まずナハトが向かったのは、兵舎の一つだった。エッシェ城に来た軍の残りだと考えると、常駐している軍は、ここに全員いるはずだった。

 扉の鍵を魔法で壊すと、ナハトはするりと中に入った。そのまま呪文を唱え始める。そこで運悪く、向こうから来る若い兵士に出会った。この時間に起きているなら、巡回だろう。


「あれ、ナハトさん帰って来てたんですね」


 相手はナハトを知っているらしい。残念ながら、ナハトにとっては沢山いる兵士の中の一人で、顔や名前は思い出せなかった。 


「どうしてここに?」


 近付いて来た兵士が尋ねてくる。当たり前だ。深夜の兵舎に、いつものナハトなら用がある筈もない。


「強いて言うなら、戦力の削減ですかね」


「うーん、あなたの言うことは難しいですね。しかし寒くないですか? もうすぐ冬だし、夜は冷えますね」


 兵士は長袖の上から腕を擦った。


「寒いでしょう。あなたの周囲は今、摂氏マイナス十度くらいまで下がってますから」


「は?」


 魔法の知識が乏しい兵士は首を傾げた。さっきナハトが唱えた呪文が効果を現していた。

 ナハトの息が白いのを見て、兵士はようやく異変に気付いたようだった。


「何か、したんですか?」


 兵士は足元が覚束なくなって、床に座り込んだ。ナハトは静かにそれを見下ろした。


「僕の基本属性は氷ですが、この魔法好きじゃないんですよね。時間掛かるし」


 近くの観葉植物の葉が凍り付いて、パキンと音がした。

 

 床に倒れた兵士が凍死により完全に事切れたのを確かめてから、ナハトは壁に触れた。氷属性の魔法を兵舎全体に広げ、固定する。全員眠ったまま、安らかに、永久とわの旅に出るだろう。

 自分が魔力を暴走させた時よりも強力な魔法だ。


「僕も寒いのが最大の欠点だな……」


 いくつか押さえておきたい場所はある。ナハトは、次の目的地に向かって歩き出した。占拠した後、誰も勝手に逃げ出せないよう、城門も一つを残して塞がなければならない。


(にしても、タークが近くにいるせいか、魔力が減る感じがあまりしない。変なの)


 待ち合わせ場所の礼拝堂には、タークが先に着いていた。抜き身の剣からは血が滴り落ちている。


「誰か斬ったの? 血が付くと掃除大変なのに。あと、炎属性の魔法使わないでね。この城にはまだ利用価値があるんだから」


「小言が多いな」


 タークが呆れたように言った。


 その時、建物の角から、誰かが姿を現した。この城に住んでいる人間だろうか。身なりの良い格好をして、剣を持っていた。

 タークがすかさず、剣を振る。その衝撃は相手を吹き飛ばしただけでなく、建物の壁も破壊した。


「ほい、終わり」


「少しは人の話を……」


 今度はナハトが呆れる番だった。無駄に城を壊さないでほしいのに。


「細かいこと気にするなって。宰相と国王、どっちから行く?」


「国王は顔も一応知られてるし、王族だから逃げ切れないだろうな」


「じゃあ、宰相からだな。部屋はあっちだったか」


「ちょっと待って、エドアルトさん達に、もう入っていいって印の狼煙のろし上げなきゃ」


 ナハトの立てた計画を実行しているから、漏れがないよう努めるのはナハト自身の裁量が大きい。ふたりは唯一破壊しなかった城門の上で狼煙を上げた。


 その後は宰相の私室に向かって走る。流石にふたりだけで城を占拠するのは時間が掛かった。夜明けが近い。


「ここだね、鍵掛かってるだろうけど」


 ナハトが扉を指差す。いるかどうかはわからなかった。


「んなもん、切っちまえ」


「えっ」


 ここまで来ても、破壊行為が止まらないらしい。タークは扉を軽々とバツの字に切って、蹴り破った。 


 部屋の中は無人だった。やや地味だが品の良い机や椅子、チェスト、ベッドなどが置かれ、整然とした部屋だった。


「当てが外れたか。慌てて逃げたわけでもなさそうだし、別の部屋にいるのかもな」


「それだと心当たりがないなあ、どうしよう」


 タークはずかずかと室内に上がり込んだ。


「何処かに手掛かりねーかな」


 部屋の中を歩き回り、机の下に引かれた絨毯じゅうたんを踏んだ時、何かが作動する感覚がした。


「転移魔法だ!」


 ナハトが叫んだ瞬間、ふたりの姿は部屋から消えた。


 空中から床に落ちる。大広間に出たようだった。大した衝撃ではなかったが、楽しいものではない。


「あの絨毯が呪具トラップか……器用なことするなあ」


 ナハトは思わず感心していた。


「そうだな。無人の部屋に上がり込む不躾者には有効だな」


 声は遠くから聞こえた。ナハトとタークは瞬時に声がした方を見る。


 一人の男が立っていた。宰相のランドルフだった。平時の服を着ていた。ふたりで城に入ってから占拠するまでの時間を考えると、その間に支度する時間はあっただろう。


「こうしてまみえるのは久しぶりだな。随分と暴れたようだが」


「自分で招待しておいてよく言うぜ。ちなみにこんな場所に呼んだってことは、俺らと戦う気があるのか」


「そうだ。ユリアはお前達に甘過ぎた。いや、危険性を理解していなかった」


「仲間じゃなかったのか」


「責任に対する考え方の違いだ。お前達を作り出した者として、お前達を壊すのも私の使命だ」


「国王様はなんて言ってるんだよ?」


「国王?」


 ランドルフは一瞬、何を言われたのか理解しかねたような表情をした。


「――ああ、あの、自分が望むことしか起こらないと信じていた愚かな男か」


 過去を懐かしむように彼は言った。その言葉に、ナハトとタークは、カール国王はもう死んでいる可能性が高いと推測した。となると、この計画で最後に残ったのはランドルフということになる。


「俺に、変な奴らを送りつけてたのはお前か?」


 タークは尋ねた。あの内の何人かは、タークを化け物呼ばわりしていたが、それも今なら納得できる。人間ではないから、人間扱いされていなかったのだ。


「そうだ、そこまでは辿り着いたんだな」


 褒められても全く嬉しくはない。


「他人任せにしないで、自分でやる時が来たらしいな!」


 そう叫んで、タークは斬りかかろうとした。慌ててナハトが腕を掴んで止める。


「ターク、待って! あれが見えないの!?」


 よく見ると、大広間全体に細い糸が張り巡らされている。


「さすがに自分から網には引っ掛からないか。冷静な相方を持っていて助かったな」   


「まじか。どうするよ」


「もう少し探りを入れたいな」


「わかった、任せる」


 タークは剣を構えたまま、ナハトの後ろに下がった。ナハトは呪文を唱え始める。


「〈水よ踊れ、大気に満ちよ〉」


 細い水の流れが幾筋も空を舞う。水に濡れた糸は、先程よりは見やすくなった。


「当たっても、何も起きない。強度は普通の糸より少し強いくらいかな」


「了解」


 タークが剣を縦横無尽に振る。刃から生まれる風が、糸を切り裂いていく。


 しかしランドルフは平然としている。


(そんな単純な罠じゃないのかも)


 ナハトは目を眇めて、観察した。わずかに空間が歪んでいるように見える。タークに叫んだ。


「ターク! 糸を切りながら、最短経路で近付いて!」


「わかってるよ!」


 いや、わかってない、とナハトは思った。罠が何か見当が付かないからこそ、飛び込ませたのだ。


 糸を切り続け、ランドルフの近くまで来た時、切り損ねた糸がタークの右腕に当たった。まるでチーズでも切るように、腕が切断される。タークは右腕ごと剣を落とした。切断面からボタボタと血が流れ出す。しかし、すぐに手首の辺りが赤く光り出し、右腕が再生する。タークは戸惑いながら、元通りになった手首を動かしてみた。


「敵の前で余所見とは間抜けだな。手足を失うのは初めてか?」


 ランドルフが呆れたように言った。タークはすぐに気を取り直すと、剣を拾おうとする。


「お前達の肉体など、魔力の集まりに過ぎない。首がもげようと、本体が無事なら再生する」


 ランドルフが衝撃波を放った。気がそぞろになっていたタークはまともに攻撃を食らい、ふっ飛ばされた。


 ナハトは慌ててタークの身体を受け止めた。瞬間、背中に電流が走る。タークは進行方向の糸だけ切っていたから、後ろの糸がまだ残っていたのだ。急いで風属性の呪文を唱えて、糸を切る。ふたりともさほどのダメージを受けたわけではないが、ランドルフの戦法に振り回されていた。


(一定の条件下で魔法が発動するようになってる。この人はそんなに魔力量が多くないって聞いた。ずっと前から色々準備して、この部屋に仕込んでいたんだ)


 敵ながら、全力で相手してくれるようだ。ならばこちらも、相応の覚悟を持って当たらなくてはいけない。人間であっても、その力を侮ってはいけない。ナハトは気を引き締めた。

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