第15話 不平等な世界

「フォルカーさん、向こうは大丈夫なんですか? 戦力を分散させない方が良かったんじゃ」


「まだ動ける奴を把握するために、俺が回ってるんだよ」


 二人の会話を、ユリアは無関心そうに聞いていた。挟み撃ちにされていることも気にならないらしい。


「あまり頼りにならなそうな援軍だな」


 何気ない仕草で鉾槍を構える。


「とりあえず、お手並み拝見と行こうか」


 鉾槍を振っただけで、周囲に突風が巻き起こる。刃の付け根近くに埋め込まれた二個の魔石が、生半可なヴンダーではないことを物語っていた。

 フォルカーとゲオルクは吹き荒れる風だけで動けなくなった。フォルカーの基本属性は水、ゲオルクの基本属性は炎。どちらも風属性とはさほど相性が良くない。ゲオルクに至っては、自分の攻撃が通用しないのを思い知ったばかりだ。


(逃げるしかない)


 塔の頂上に近い場所にいる程、行き詰まりだ。ゲオルクは這うように体を低くして、入り口に近いフォルカーの元へ向かった。


(こんな狭い所で大きな魔法を使えば、塔が崩れて一緒に生き埋めだ。それはやらないだろう)


 しかしゲオルクは忘れていた。魔法使いが、魔法だけで戦うわけではないことを。

 フォルカーの方に歩き出したゲオルクの背後に、いつの間にかユリアが走り込んでいた。ゲオルクが振り向く暇もなく、無慈悲な一撃がゲオルクの背中を袈裟切りにした。

 崩れ落ちたゲオルクの向こうで、ユリアは相変わらず涼しげな表情を浮かべていた。鉾槍から血が滴っている。


「……どうしてだ」


 自分の命運が尽きたことを悟ったゲオルクは、思わず問い掛けた。


「俺達の故郷を滅茶苦茶にした挙句、ひっそりと暮らすことさえ許されないのか」


「アイヒェの土地を占拠したのは色々な事情が重なってのことだ。お前には関係ない」


「関係ないだと!?」


 声を上げたのはフォルカーだった。土地を追い出されたヴィリー族ですら関係ないなら、遷都の所為で仕事を失ったフォルカーは、もっと無関係だということになる。無性に腹が立った。


「歴史が動く時、周囲には多かれ少なかれ、どうしても影響が出る。その影響を真っ先に受けるのは弱い者だ。だからこそ、強い力が求められる」


「俺は嫌いだな、そんな考え方は」 


「それでこそこそ金品を盗む犯罪者になるなら、似たり寄ったりだと思うが」


 ユリアは素早い動きであっという間にフォルカーの正面に辿り着くと、柄の先でフォルカーの腹を突いた。それだけでフォルカーは立っていられなくなる。背中をくの字に曲げて、痛みに耐えるしかない。


「お前の方が上層部に近そうだな。生け捕りにしたら、それなりの情報が聞き出せるかもしれない」


 冗談じゃねえ、これ以上この女の思い通りにさせてたまるか、とフォルカーは思った。こうなれば、相手を逆上させて攻撃させて、塔諸共もろとも生き埋めになった方がましだ。まだ動く頭脳を動かして、ユリアの弱みがないか、考え始めた。


「……ナハトは、こっち側に付いたぜ」


 とりあえず、お前の味方は裏切ったのだと伝えてみる。それでもユリアは表情を変えない。


「お前はナハトを勘違いしている。あれは人間ではない。道具だ」


「道具?」


 フォルカーの中で、記憶の断片が甦った。まるで首輪のように外せない首飾り、時々見せる下手な笑顔。本人が温厚な性格であることはもうよく知っているから、異常な点が際立っていた。魔力の暴走を経験したことがないのも、何らかの方法で抑え込んでいたのではないか。少なくとも、長年育てた人間を道具扱いする奴をどうやったら許容できるというのか。


(こいつを倒したい。倒せなくとも、せめて一矢報いてやりたい)


 怒りの感情が湧き上がって来る。それが不可能だろうと、ここで退きたくはない。僅かにましになった痛みに耐えて、ゆらりと立ち上がる。


「〈水よ集え、願わくば幾つもの刃となって、我が敵を滅ぼせ〉」 


 大気中から生成した水が、八つのブーメラン状になって、不規則な軌道を描きながらユリアの方へ向かっていく。その全てが一箇所に命中したと思った瞬間、水の塊の中から一陣の光が飛び出し、フォルカーに直撃した。


「がっ」


 少量の血を吐いて、フォルカーは床に倒れ伏した。


 不意に、痩せ細って床に就いた母親を思い出した。随分長いこと忘れていた。


(これが走馬灯って奴か)


『フォルカー、あなたの瞳は水のような色ね。きっと色々な人の渇きを癒してくれるわ』


(癒す、癒すってなんだ?)


 ユリアは降伏の意思なしと判断したのか、鉾槍を振り上げた。


(一つだけ俺がこの女に勝てた点は、ナハトを自由にしてやれたことか)


 『失望させないでください』と、ナハトは言った。


(それは無理そうだな。俺もみんなと一緒に逝くわ。行先は何処だか知らねえけど)


 上体を起こして、首を差し出す。自分は負けた。けれどナハトは、上手く立ち回れば殺されないで済むだろう。


 自分を生み育てた世界は何処までも純粋で残酷で、時々優しくて美しくて、その中を懸命に生きたつもりだった。


(生き残った者に、幸あらんことを)


 フォルカーは神を信じない。ただ何かに祈るだけだ。


 斬り落とされた首から流れた血は、滑るように床へ流れていった。 



 リーゼは、行動計画書を見ながら悩んでいた。実際に取り仕切っているのは別の者だが、意見を擦り合わせ、全体の行動の一貫性を図るためには欠かせない作業だった。


「割り当てられた指定区域の制圧は終わり。捕虜を牢に入れ終わったら、一度誰かと合流した方が良いかなあ。でも誰にしよう」


 慣れない作業で頭が痛い。


「そういえば、ナハトさんいなかったな。誰かもう会ってるなら、教えてほしいかも」


 呟くリーゼの頭上で、建物の壁に大きな亀裂が入った。


「ん?」


 顔を上げたリーゼは、空から大量の瓦礫がれきが降って来るのを見た。


「嘘でしょ!?」


 探索を逃げ切った強者つわものがいたらしい。しかも音もなく建物を破壊したということは、何らかの魔法が使えるということだ。


「〈光よ集え、我が身を守りたまえ〉!」


 慌てて呪文を唱えると、弱いオレンジ色の光の結界が頭上に展開される。しかしそれは、瓦礫を受けた場所から崩れ出していく。


(魔力切れぇ!?)


 ナハトの教えが頭を過ぎる。いつでも魔力は残しておけ、と。調子に乗って使い過ぎた自分を反省した。しかし今すぐ結界を解いたら、瓦礫に押し潰される。


「ど、どうしよう」


 結界の下には、逃げ遅れた兵士も数人いる。


「あなた達、今すぐここから離れなさい!」


 その時、パキリと小さな音がした。ジークムントの入隊祝いにナハトが買ってくれた腕輪からだった。オレンジ色の魔石が更に割れていく。それと同時に、結界の強度が上がっていく。


「……そういう、ことか」


 もう瓦礫は落ちて来ない。犯人は逃げたのだろう。安定した光の結界の形状を変えて、瓦礫を地面に下ろす。

 腕輪の魔石は、粉々に砕けていた。つまりこの石の性質は、魔力を吸収して、限界量を超えるとそれを放出するのだ。


「ナハトさん、知っててこれを選んだのかな」


 リーゼから僅かに魔力を吸収し続け、更に、魔法に使われる魔力を吸収することで限界量に達し、結界を支えるのに必要な魔力を供給したのだ。

 狙ってやったなら、恐ろしい慧眼けいがんの持ち主だ。しかしリーゼはあまり気にしないことにした。彼女の師匠はいつだって、彼女の遥か前を走っている。


「さあ、仕事しますか! まずは瓦礫を落とした奴を確保!」

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