第32話 別れと出会い
養成所に戻って来たナハト達は、重症のモニカの療養に努めて、しばらくの療養を申請していた。しかしすぐに、ナハトの元へある客がやって来た。
「オリヴァの父親?」
ナハトは首を傾げたが、オリヴァは使者の言葉に眉をしかめた。
「父上が来るなんて、良いことじゃありませんよ」
「そんなに難しい人なの?」
「典型的な権力者思考の人です」
「ふうん、じゃあまずは僕が独りで会ってみるね」
「え!」
「大丈夫だよ」
ナハトはオリヴァを安心させるように手を振って、使者に付いて行った。
赤い家具の多い応接間に入ると、身なりの良い一人の男が座っていた。中肉中背だが、皮膚はオリヴァと同じように浅黒い印象で、顔立ちも似ている。
「初めまして。ナハト=フェアトラークと申します」
一応自分の方が年下なので、こちらから挨拶する。相手は
「私の名前はバルドゥール=ベッカーといいます。この度はお会い頂き光栄です。私の
「ご丁寧にありがとうございます。ご子息は非常に優秀な兵士ですよ」
「そうですか。しかし私としては、倅を軍を辞めさせたいのですよ」
ナハトの顔が引き締まる。
「何故ですか?」
「あれでも私にとっては、可愛い息子であり、心配なのですよ。わかって頂けますか?」
「それはほとんどの兵士がそうでしょう」
家族を心配しない者の方が少数派だ。確かにルディが戦死し、モニカが重傷を負ったのは事実だが、そこで臆病風に吹かれて辞めさせたいとは何事だ。ナハトは自分の心が固くなるのを感じた。
相手は、ナハトが簡単に同意しないと気付いたようだった。
「隊長であるあなたの同意がないと、やりにくいのですが」
「僕としては、彼が抜けるのは大きな痛手です。承服できません。本人も戦うつもりでいます。僕の言葉が信じられないなら、本人に直接面会するといいでしょう」
「……」
「他には何かありますか?」
「――いいえ」
それで会話は終わった。バルドゥールは、別の所に向かった。
ナハトは、机の上に用意されていたお茶を飲んだ。話の途中で手を付けなかったので、冷めきっていた。あっさり引き下がってくれたので、彼自身にはそれほど軍内部へのコネがないのだろう。普通、戦える状態の兵士を、家族の希望で除隊させるなどありえない。そんな希望が通るなら、今頃兵士の数は半分ぐらいには減っているはずだ。
バルドゥールが次に向かったのは、モニカのいる療養所だった。
まだ安静指示の出ているモニカは、ベッドに横になったまま、主を迎えた。
「お久しぶりです、旦那様。こんな状態で失礼します」
バルドゥールは頷いた。
「オリヴァを助けてくれたことは感謝する。だが、自分の身も守れないような、生ぬるい訓練を受けさせたつもりはない。お前はクビだ」
「はい」
モニカにはわかっていたから、何の感慨もなく了承した。彼女は、オリヴァの家のメイドだった。家族が襲われた時には、戦って守るよう訓練された。武器の扱いが最初から上手かったのはその所為だ。しかし結局、バルドゥールは息子を軍に置いておくことをやめたくなったらしい。
バルドゥールが去った後、モニカは寝たまま窓の外を眺めた。青空には穏やかに雲が流れ、戦争など何処にもないように見えた。
*
次の動きは、間もなくやって来た。
「査察?」
ナハト達の元にやって来た下士官は、顔も変えずに言葉を続けた。
「はい。あなた方の任務は特殊なため、実際の状況を見たいとのことです」
「そうですか」
このタイミングで査察が入る理由はなんだろうか。ナハトは考えてみた。
しかし、決め手のないままその日を迎えた。
「私は、第四師団から参りました、クレメンス=ネーリングと申します」
やって来たのは、黒髪の、気弱そうな細面の男だった。
「今日からあなた方に付きます」
「はい、よろしくお願いします」
ナハトは
ようやくモニカが起き上がれるようになったが、今日はまだ動ける人員で狩りをする予定だった。
養成所の外には森が広がっているから、そこで見つけた動物を狩り出す。今日の獲物は鹿一頭だった。
「血抜きするよ」
ナハトの指示の下、鹿を逆さに吊るして首を斬った。時折やっているから、部下達も慣れている。食糧不足の時に備えて肉を手に入れるのは、即席で干し肉を作ることを含めて大事な仕事なのだ。
「う、うえっ」
ネーリングと言う男は、血塗れの獣を見て気分が悪くなったようだった。
大丈夫かなこの人、とナハトは思った。こんな調子で、実戦に付いて来れるのか心配だった。
しかしその心配は、ナハトの考えとは正反対に杞憂だった。ネーリングはその日以降来なかったからだ。
何だったんだろう、と全員で首を傾げたが、その答えはすぐにわかった。
ナハトに指令が出たのだ。その内容が内容だった。
「隊長が第五師団の参謀に!?」
部下全員の叫びが一つになった。
そういう回り道で来るか、とナハトは心の中で思った。ネーリングという男は、オリヴァの父親の息が掛かっていたのだろう。そして残虐性がどうのこうのと口実にして報告書をでっちあげ、自分を排除しにかかったのだ。バルドゥールの要望を断ったからか、軍内に自分を煙たがる存在がいるか、それとも本当に第五師団が自分を参謀に欲しがっているか。
(最後のはないかな。普通に金を積まれたとか)
軍人に命令を拒否する権利などはない。ナハトはおとなしく荷物を纏め始めた。残していく部下が気掛かりだったが、罪状を問われるようなことはしていないはずだ。運を天に任せるしかなかった。
ナハトがいなくなった後、魔法部隊は解散を余儀なくされた。元々隊の中で強かったのが、ナハト、ルディ、オリヴァの三人だったのだ。それが、ルディが戦死し、ナハトが移動、オリヴァが家に連れ戻されると、残った四人では、舵を失った小舟のようだった。
*
ナハトが任地に到着したのは、数日後のことだった。到着早々に師団長の所に赴任の挨拶に行く。迎えてくれたのは、癖毛の茶髪の男性だった。年齢は三十代ぐらいだろうか。この歳で少将とは、彼が優秀というよりは、フォルクバルドの人手不足が深刻なようだ。
「ナハト=フェアトラークと申します」
「歓迎する、フェアトラーク少尉」
ナハトは、参謀という地位に就くために一つ昇進したのだった。
「私はフェリクス=リッターだ。……ところで、君はエルマー=フォン=リッターという人を知っているか」
ナハトはぽかんと口を開けた。この時代で聞くには、あまりにも予想外な名前だった。
「その様子だと、知っているみたいだな」
「……!」
はっと、ナハトは気付いた。
「元は私の曽祖父が言い出したらしい。“もしナハトという少年に会ったら、多少の便宜を図ってほしい”とね。これは父親から聞いた話だが、私は他愛のない作り話だと思っていた。しかし、君のことを聞いて驚いたよ。君は何かを知っているのか?」
ナハトは沈黙した。この話はまだするべきではない。問いを打ち切るように敬礼する。
「私の任務は、参謀としての務めを果たして、貴殿の信を得ることです」
「……ああ、そうだったな」
フェリクスもあっさりと敬礼を返す。彼自身も、是が非にでも訊き出したいわけではないらしい。
「――ですが」
ナハトは続けた。
「もし、僕が個人的にあなたを信頼できるようになったら、話しましょう」
フェリクスがナハトの顔をまじまじと見た。ナハトは微笑んで返した。
その日から、彼らの共闘は始まった。第五師団の現在の任務は、シバート軍により占領中の、ヴァルヌス要塞を取り返すことだった。ヴァルヌス要塞はウルメからも近く、防御の重要拠点だった。
ナハトはまず、要塞の情報の洗い出しから始めた。何処かに見落としがないか調べていく。友軍はかなりの間、要塞を包囲しているが、まだ攻め落とせないでいる。敵軍はすでに警戒心が強い。最初から夜の奇襲に掛けるつもりだった。馬一頭に乗って、夜にひとりだけで要塞をぐるりと回っていく。
「あった……」
見張りの兵の死角になる部分だった。完璧ではない人間が計画を立てる以上、見落しは時々生まれるものだ。この要塞には堀もない。ここから突入出来るはずだ。要塞の中央に向かって、指鉄砲を形作る。
「落とすよ」
ぱん、と言って撃つ真似をする。
戦争を終わらせる一助になるし、エルマーの子孫が司令官だというなら勝たせてやりたい。それくらいの情はある。
次の日の夜には、すでにナハトはフェリクスに頼んで、突撃の準備を済ませていた。幸いなことに、新月だった。暗い星明りの下を合計一万の軍が進んでいく。見張り兵に見つかる前に壁に辿り着いた。
「放て!」
号令と共に大砲が火を噴き、壁を破壊する。あっという間に大軍が要塞内に流れ込んだ。
*
この頃にはフォルクバルドも、対象年齢を二十歳以上から十八歳以上に引き下げ、志願制だけでなく、徴兵制が始まっていた。養成所にいると、色々な情報が入って来る。
「私達は追い出されるのにね。これからどうしよっか」
軍から配給されたコートを着込んだイレーネが言う。朝や夜の寒さが厳しくなってきたのだ。コートの下には、色褪せた水色の木綿のロングスカートが見えている。普通の村娘の格好だった。
「どうするって……」
同じように私服姿のアルノーが戸惑ったように言う。
「何とかナハトを取り返せないかな」
ステファンは言ったが、それがいかに難しいかはわかっている。
流れを変えたのは、ようやく歩けるようになったモニカだった。
「私に、考えがあるんですけど」
モニカの話はこうだった。まずオリヴァを連れ戻し、無理矢理第五師団に合流する、というものだ。
「オリヴァの家がいいって言ってくれるかな」
アルノーはまだ迷っているようだった。
「家は許可しないでしょう。本人を説得します。必要なら強引にでも」
モニカには何故か自信があるように見えた。
「そういえば、モニカは最初からオリヴァと仲良かったけど、何か関係あるの?」
イレーネが不思議そうに尋ねると、モニカは笑った。
「私、あの人の家のメイドだったんですよ。護衛兼お目付け役で付いて来たんです。旦那、いえ、あの父親が来た時から、恐らくこうなるだろうと考えていました」
「家に押しかけるのか」
ステファンは冷や冷やした。大きな家というものは、あらかじめ許可を取り付けない限り、人に面会するのが結構面倒なのを知っているからだ。
「戦火を避けようと思っているなら、戦地になる可能性のある本邸ではなく、別邸の方でしょう。私に心当たりがあります」
彼女は、オリヴァがいない方がかえって生き生きと話せるようだった。
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