8章28節:虚ろの力

 空中を駆けながら魔弾を放つアルケー。

 それを追うリーズの肉体は、限界を迎えようとしていた。

 左腕が痺れる。息苦しい。内臓が締め付けられ、吐き気を催す。頭がズキズキする。

 既に常人ならば苦痛と恐怖で泣き叫んでいてもおかしくない程に呪血病が進行している。

 リーズとて人並みに死を恐れる気持ちはあるから、少し前なら泣いていたかも知れない。

 だが、最期まで愛する仲間達と共に戦い抜くと誓った今の彼女には止まっている暇などない。

 かつて失った仲間と来世で再会する為、後悔のない生き方をしようと誓った彼女には休んでいる暇などない。


 とはいえ、呪血病は気持ちでどうにかなるような生易しいものではない。

 加速中、痛みで集中が途切れて《術式》の制御に失敗し、リーズはウォルフガングらが戦っている広場から少し離れた家々の間に落下した。


「うぐッ……!?」


 うめき声を上げつつも何とか受け身を取ったものの、脆くなっていた左腕が衝撃で潰れ、腐れ落ちる。

 アルケーはその隙を見逃さなかった。

 剣を支えに何とか立ち上がるリーズ。

 そこに魔弾を撃ち込むべく、着地したアルケーは人差し指と中指で銃のような形を作り、彼女に向けた。

 リーズは死を覚悟し、目を瞑る。

 しかし魔弾は発射されず、代わりにアルケーが爆発に飲み込まれた。


「リーズ!」


 名を叫びながら駆けつけてきたのはライルだった。

 

「どうしてここに!?」

「あっちは先生と炎のお嬢様に任せてきたよ」


 リーズは彼が独断でそうしたものと勘違いし、強く睨んだ。


「何してるの!? こっちは私が何とかするから戻って――」 

「戻らねえよ! 苦しんでる彼女を一人にしておけるかっての!」


 語気を強めるライル。その表情は怒っているようにも泣き出しそうにも見えた。

「こんなに真剣で、必死で、『この人に頼りたい』と思わせてくれる彼を見たのは初めてだ」とリーズは感じた。


「……分かったわ。一緒に戦って!」

「ああ!」


 そんなやり取りをしているうちに、煙の中からアルケーが出てくる。

 白衣を払って煤を落とす仕草は見るからに余裕そうで、実際、彼女は素早く障壁を展開して爆炎を防いでいた。


「……呪血病か」


 彼女はリーズをじっと見て、特に攻撃するでもなく言った。

 その目にはどこか哀れみのようなものも感じられたので、リーズは苛立った。


「だったら何だって言うのよ。敵に哀れまれるのなんて御免だわ」

「いや、純粋に疑問でな。最後くらいは親しい者と共に平穏に過ごせば良いだろう。そんな体になってまで戦う必要があるのか?」

「簡単な話よ。命を賭してでも仕えたい人が……助けたい人が居るの。たったそれだけ」


 答えを聞いたアルケーは恋人の顔を思い浮かべて、悲しげに視線を下げた。

 

「命よりも大事なもの、か」

「ええ。私はその人に希望を感じている。だから、どうせ死ぬならその人の為に命を使いたい」

「眩しいな……君といいダスクといい幹部あいつらといい、武人ってやつの生き様には惹かれるものがあるよ。私には真似出来ん」


 肩をすくめ、自らの仲間とリーズと同一視するような物言いをしたアルケーに対し、ライルが激昂する。


「あんたらこそ何なんだよ! 好き放題暴れ回って皆の大事なものを奪いやがって!」

「お互い様さ。ダスクもまた人から奪われた身。『怒りを理解してやってくれ』と言うつもりはないがね」

「『奪われる痛みを知ってる』ってか? ならどうしてそれを他人に押し付けられんだよ……!」

「君たちだって傷ついたら痛いだろうに、嫌だろうに、それでも敵を殺しているじゃないか。そう、立場以外は何も違わないよ」

「そ、それは……!」


 口ごもるライル。

 彼の前にリーズが立ち、アルケーに剣を突きつけた。


「無駄話はもう終わりよ。あなた達が立ち塞がるのなら、こっちだって戦う以外の選択肢は無いんだから」

「……だろうな。では再開といこう」


 その言葉と共にアルケーとリーズは跳び上がり、宙を舞う。

 ライルはそれを何とか追いかけ、《発破ブラスト》による牽制を行ったり、《隠匿コンシール》でリーズの気配を一時的に遮断し、アルケーの攻撃を外させるなどしている。

 二人の連携は完璧だった。

 だが如何せん、彼らとアルケーの間にはこの連携をもってしても埋められない程の実力差がある。

 二人とも《術式》に依存した戦闘スタイルを取っている以上、その分野における頂点と言っていいアルケーに敵う道理がない。

 リーズに関しては剣術と聖魔剣というアドバンテージもあるが、《絆の誓い》で強化されているアルケーはそれに対抗出来てしまっている。

 高速戦闘に付いていく術がない為に得意分野を殺されているライルはもっと悲惨だ。


 リーズの剣を躱す《加速アクセル》。ライルの炎を弾く《防壁バリア》。

 無数の雷を落とし行動範囲を狭める《雷撃ライトニング》。《術式》の効果を弱める《解呪ディスペル》。

 周囲のものを吹き飛ばす《強嵐テンペスト》。吹き飛ばされた礫を操る《変位マニューバ》。それらを爆弾に変える《破砕デモリッシュ》。

 こういった《術式》全てを無詠唱で畳み掛けるように行使するアルケーを倒す手段が、二人には無い。

 早々にその現実に気付いてしまったライルは、恥も外聞もなく泣き喚きたい気持ちに駆られた。

 例えばこの場に居るのがウォルフガングやアステリアだったなら泣き言を吐いて頼ってしまっていただろう。

 人の本質というのはそう簡単に変わるものではない。ライルは昔も今も内気で保身的だ。

 けれども、今だけは恋人の為にそのような弱い自分を隠し通さねばならない――そう思っているから、辛うじて戦い続けていられる。


 一方でリーズは、全身に走る疼痛を堪えながらアルケーを上回る方法を模索していた。

 否、「模索」という程のものですらない。ただただ神に「ご都合主義」を祈っている。

 かつて彼女はアルフォンスが用いた超常破壊の《権限》、《公正の誓い》の下でも《加速アクセル》を発動させた。

「あの時のようなことが起これば、或いは」と考えたのである。


 速く。速く。速く。もっと速く。この世の全てを追い抜く程に。

 愚直に願い続けるリーズ。


 結果。彼女の中に眠る「何か」が、強い想いに応えた。

 リーズが瞬時に距離を詰めると、アルケーは初めて動揺を見せた。

 彼女が反射的に後退したことで刺突を躱されたものの、「これならば届く」とリーズは確信した。

 同時に、自らが一体、何を為してしまったのかも直観する。

「『距離という概念そのもの』の破壊による瞬間移動」。これは、ただ単に速度を上げるだけの《加速アクセル》とは異なる性質のものだ。

 そう――リーズは全く新しい能力を目覚めさせていたのである。

 そして、これが「神の奇跡」でないことも今の彼女にはすぐに察せられた。


「……そういうことなのね」


 リーズは一人、小さく呟いた。

 

「それでもいいわ。どの道、これが最後の戦いなんだから……!」


 失われた左腕の付け根から、まるで《崩壊の空》のように「闇」が溢れる。

 そんな光景を前に、アルケーは目を見開いた。


「まさか……《虚ろの力》を発現させたのか!?」


 リーズは闇と雷光の入り混じった一閃で返した。


「それが何か知らずとも、なんとなくは分かるだろう!? 君は本気でここで終わるつもりなのか!?」


 再び白と黒の剣撃を放つ。

 気づけばアルケーは攻撃する余裕を失い、回避に徹するしかなくなっていた。

 とはいえ、命惜しさにリーズを躊躇させるような言葉を投げかけた訳ではない。

 かつて呪血病を研究していたアルケーはこの現象について知っているから、敵なりに心の底からリーズの身を案じているのだ。


 《虚ろの力》。それは、ごく一部の呪血病患者が発現させる、魔法でも《権限》でもない異能力。

 力の性質は持ち主によるが、共通しているのは「呪血病を急速に悪化させる」という点だ。

 この世界を取り巻く絶望のろいがもたらす、最低最悪の祝福である。

 

「リーズ! やめろ……やめてくれよ……」


 あまりの痛ましさにライルはとうとう耐えかね、立ち止まってしまった。目の前の現象は彼の決意すらも残酷に置き去りにしていったのである。

 しかし、今のアルケーにはこの隙を突いてライルを殺すような余力もない。

 宇宙最速の存在となったリーズに翻弄され、やがて《迅雷剣バアル》の雷が直撃し、アルケーは墜落した。

 リーズはとどめを刺そうと彼女の傍に降り立った――が、片脚が崩れて倒れ込んでしまう。


「あ……あぁ……」


 ライルはその姿にネルを重ね、悲痛な声を上げた。

「自分はまた、こんな形で仲間を失うのか」と、既に覚悟していた筈のことを心の中で嘆いた。

 それから愛する少女のもとへおもむろに歩み寄り、傍に転がっていた《迅雷剣バアル》を手に取って。


「う……うわああああああッ!!!」


 ふらついているアルケーの腹に、ありったけの激情を込めて突き刺すのであった。

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