8章29節:王女と魔王の対決

 《迅雷剣バアル》で腹部を貫かれたアルケーは微かな笑みを見せた。腹と口からだらだらと血を流しているというのに、刺した側であるライルよりも落ち着き払っていた。


「……これで終わりか? この剣は雷を発生させられるんだろう?」


 必死の形相で剣を持つ手に力を入れるライル。しかし、何も起こらない。


「くそぉ……俺じゃ駄目だっていうのかよ……!」


 やがて焦りが限界に達し、彼はパニックを起こしてその場に座り込んだ。

 アステリアは自身の所有する聖魔剣の使用権を仲間全員に与えているので、本来ならばライルもこれが宿す能力を発動させられる筈だった。

 だが、もともと剣を扱い慣れていないことに加えて冷静さを失ってしまっている為、それが上手くいかなかったのである。

 自信のなさが焦燥感を生み、焦燥感が失敗を生み、失敗が更に自信を奪う。彼はありふれた負の連鎖に囚われていた。


「哀れだな少年。まあ年齢を考えればそんなものか」


 そう言いながらアルケーは《迅雷剣バアル》の柄を握り、自ら引き抜いた。

 赤く染まった刃が、アルケーの肉体から溢れ出る血で汚れきった雪の上に落ちる。


「一人は無力化、もう一人は戦意喪失。やれるだけのことはやったし、そろそろ行かせてもらうとしよう」

「……逃げるのか」


 ライルはアルケーを見上げて力なく言った。

 

「その少女の覚悟に応えたいとは思うが、生憎と他にもやるべきことがあるのでね」


 アルケーは治療の《術式》と空間接続の《術式》を同時に使用。

 もはや敵ですらないライルに堂々と背中を向け、後方に開けたゲートを通って去っていった。

 残されたのは打ちひしがれた少年と、意識を失った少女だけであった。



 一方その頃。

 ウォルフガングとアウグストは無数の死体が転がる大通りで斬り合っていた。

 両者共にアウグストの配下が飛び散らせた血にまみれ、壮絶な姿となっている。

 あれからウォルフガングとフレイナは協力して敵部隊を殲滅。後者は疲れ切って物陰で休んでいるため、この場で戦っているのは二人だけだ。

 特殊な魔法や異能が絡まない、まともな一騎打ちであれば《権限》などに頼らずとも攻撃を捌けるウォルフガング。ダスクによって運動能力を人外の域にまで引き上げられているアウグスト。

 二人とも負けはしないまでも決め手がなく、かといって退く訳にもいかず、どちらかの体力が尽きるまで戦い続けるしかなくなっていた。

 そんなところに突如として空間の歪みが発生し、アルケーがやってくる。


「リーズ、ライル……」


 ウォルフガングは心配げに名を呼びつつも、より一層、気迫を込めて剣を構えた。

 一対二となる上、敵の片割れであるアルケーは最強の術者。ウォルフガングにとっては天敵と言ってもいい。

 別に命など今更惜しくもないが、ここですぐに終わってしまったら彼らは魔王ダスクの援護に向かうだろう。勝てないにせよどうにかして時間を稼がねば――と思っていたウォルフガング。

 しかし、アルケーは彼の予期せぬ行動に出る。


「陛下、この辺りで」

「しかし……」

「あいつと約束したのでね。ここは無理にでも退いて頂く。無論、『あの子』もな」

「ダスクめ……全くお前というやつは……」

「……そういう訳だから逃げさせてもらうよ。真剣勝負に水を差すのは気が進まないとはいえ、この方を殺させる訳にはいかん」


 アルケーはウォルフガングに向かって言った。

 彼は剣撃で返すも障壁によって弾かれ、アウグストと共にゲートの先に消えていくアルケーを見ていることしか出来なかった。

 この結末を不愉快に思ったウォルフガングであったが、しかし固執して立ち止まることはなく、フレイナを連れてリーズとライルのもとへ歩いていく。


 そして、片腕と片脚のないリーズを見て絶句するのであった。

 彼女は意識を取り戻し、呪血病の痛みで泣き叫んでいる。ライルは同じく涙を流しながら残った片手を握っている。

「天の神よ、なぜこの世はかくも残酷なのか」――ウォルフガングは心の中で悲嘆した。

「痛い」と言うばかりのリーズを今すぐにでも解放してやるべきかと考えたが、一瞬でその思考を捨てた。

 それはアステリアの勝利が決まってからだ。そうでなければリーズは心残りを抱えた状態で地上に行くことになってしまうから。


「……ライル。リーズのことは任せる」

「ウォルフガング先生……?」

「俺は殿下のところに行ってくる」

「で、でも先生だって相当無理してるんじゃ……」


 ライルの指摘は正しかった。負傷自体はなくとも体力的限界が近く、今のウォルフガングが魔王との戦いに大して貢献出来ないことは明らかだ。

 それは彼自身も理解していたが、しかし、少しでもアステリアに力を貸したいから――それが出来ないのであればせめて結末を見届けたいから、足を止めることなど出来なかった。


「俺のことは気にするな。じゃあ、また後でな」


 そう言い残し、この場を立ち去る。

 一方、フレイナは口を開いて愕然としたままであった。

 激痛に苦しむ呪血病患者を見たのが初めてでなくとも、それが知人で戦友で、しかもほんの少し前までは気丈な剣士だったとなると、受けるショックは大きい。

 どう声を掛けたら良いのか分からずにいる自分に苛立つフレイナ。とはいえ、今の彼女にはウォルフガングのように戦場に向かう程の体力と気力も残されていない。

 フレイナは座り込み、家屋の壁にもたれ掛かって空を見上げた。


「……リア、必ず勝つんですのよ。皆あなたの帰りを待っていますわ」



*****



 私はたった一人、帝城を守る兵やアウグストが差し向けてきた追手を倒しながら、中庭や通路を駆け抜けた。

 進む程に辺りは静まり返っていき、やがて誰も居なくなる。どうやら最小限の衛兵以外は避難を済ませているようだ。

 冷たい空気が流れる中、こつこつと音を立てて歩いていくと、一際大きな扉があった。

 この先は玉座の間。扉の奥から感じられる気配の正体は間違いなく魔王ダスクだろう。


 正直なところ、今回ばかりは不安で仕方がなかった。

 今、この場に立っているのは「世界に復讐したい」という私欲の結果だ。

 でもそれだけではなく、色んな人の想いを背負ってもいる。ここでもし負けたら彼らに顔向け出来ない。

 なんだか「らしくない」ことを考えているかも知れないな。

 私は変わってしまったのだろうか。

 かつての御剣星名は他者に絶望していたけれど、今は少しだけ「人の為に頑張ってもいい」と思えている。

 これが良い変化なのか悪い変化なのかは分からない。

 確かなことは、少なくとも心を奮い立たせる理由にはなるということだ。

 

 深呼吸の後、おもむろに扉を開ける。

 中は広々としており、薄暗い色の壁が陰鬱さを感じさせる。床も黒色で、赤の絨毯が敷かれている。

 そんな、いかにも「魔王城」じみた部屋の最奥の玉座で、奴は待っていた。


「……セナか。いや、『リア』って呼んだ方が良いか?」


 魔王ダスク、或いは時崎黎司。

 ユウキの憧れる「勇者」。昔の私にとっては「気に食わない不良」であり、今の私にとっては「絶対に生かしてはおけない仇敵」。

 彼はレイジを思わせる、無愛想で不器用ながらも気を遣うような口調で続けた。


「こんなことを言うべきじゃないのかも知れんが、俺はここに辿り着いたのがお前で良かったと思ってるよ」

「……どういうこと」

「もし倒されるとしたら、相手はお前じゃないといけない。そんな気がしてな」

「つっても、黙って死ぬつもりはないんでしょ」

「当然だ。前世のことも含めてお前に償いたい気持ちはある。でも、それ以上に俺は『魔王ダスク』としての責任を全うしなきゃならない」

「それで良いよ。曲がりなりにも私を守ってくれた奴を斬るより、魔族にとっての救世主を気取る馬鹿野郎を斬る方が気持ちが楽だもん」


 私は両手に聖魔剣を呼び出した。

 もういい。前回の邂逅と合わせ、ダスクに言いたいことは言い尽くした。

 レイジに対しては――いや、今更「ヒーローぶるなら私を助けて欲しかった」なんて言ったって、こっちが恥をかくだけだ。

 そもそも、ただ暴れるだけの不良に私の孤独が癒せるものか。あの息苦しい現実から私を救い出せるものか。ずっと傍に居たユウキだって、わざわざ一緒に虐められて馬鹿を見るのが関の山だったんだぞ。


「……そう。こいつに出来たことなんて何一つ無いんだ」


 自らに言い聞かせるように呟き、気合を入れ直した。

 ダスクもまた玉座から立ち上がり、白銀と漆黒、二つの聖魔剣を抜く。

 その瞬間に「レイジ」は鳴りを潜め、目の前の男は純然たる人類の敵となった。


「決意を固めたようだな。であれば我を……魔王ダスクを討ってみせよ、英雄リア!」


 かくして、長きに渡る魔王戦争を締めくくる最後の戦い、そして前世から続く因縁の一つに決着を付ける戦いが始まった。

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