4章2節:アステリアの苦悩

 《シュトラーフェ・ケルン》と出会ってからというもの、日に日に「《魔王軍》とルミナス帝国が攻勢に出ようとしている」という噂が広まっている。

 やはり連中は、傭兵や冒険者を戦争に参加させるためにわざとあの話を触れ回っているらしい。

 間違いなく王家の命令だろう。立場と金銭を与える以外にどのような飴、或いは鞭を使っているのかは分からないが、あの極悪人共を上手く利用したものだ。


 私たちはネルの体調悪化を気に病みながらも、どうすることも出来ず、どこか現実逃避をするように簡単な依頼を受けて過ごしていた。

 そして、五日ほど経った。


 一人で中心街のギルドに向かうと、ギルド前の広場で、王国正規軍の者たちがまさに噂通りのことを叫んでいた。

 敵の侵攻に備える為に既に正規軍が現地に待機しているらしいが、確実に勝利を得る為に志願兵を募集しているのだと言う。


 なお、総司令官はラトリア王国第三王子、ローレンス・フォルナー・ラトリアであるようだ。

 彼は私より少しだけ早く生まれた同い年の兄であり、武闘派の権化のような男だ。

 いつも「女は男に抱かれて子を産む仕事だけをしていればいい」と語り、剣術修行に打ち込む私を見下してきた。

 まだこちらが素人だった頃には「練習試合」と称して随分といたぶってくれたが、修行の果てに強くなった途端に試合を挑んでこなくなるという、情けない奴である。

 とはいえ、あんな男でも戦場で討たれれば自軍に大きな混乱をもたらすことになる。

 どさくさに紛れて殺し合いを挑んでやりたい気持ちもあるが、恐らく、その私情を優先できるような余裕はないだろう。


「どのような職業でも良い! 下級種族でも構わん! ラトリアを守りたいと思う者は剣を取れ!」


 軍人たちの呼びかけに応じ、多種多様な人々がテーブルに置かれた契約書にサインをしている。

 見てみると、貧しそうな農民や物乞いのような姿をした人間など、明らかに戦闘の心得が無さそうな者もちらほら居る。

 現状、敵軍はまだ侵攻を開始していないため、この戦いはもしかすると「敵軍が恐れをなすか、停戦交渉が上手くいって撤退する」という結果を迎えるかも知れない。

 彼らはその可能性に期待し、戦わずして報酬を得ようとしているのだろう。

 言うまでもなく、交戦が始まったら彼らのような人間は真っ先に轢き潰されてしまうだろうが。


 私は仲間たちに徴募が始まったことについて伝えるため、一旦、宿に帰った。


「みんな。前に話してた噂だけど、どうやら本当だったみたい。広場で正規軍人が徴募してた」


 相変わらず不安そうな顔でネルの手を握っているリーズが、こちらを見る。


「そうですか……《魔王軍》の連中、本当にやる気なんですね」

「まだ実際に交戦が発生するかは分かんないけどね。で、私は志願しようと思ってる。ウォルフガングも来てくれるよね?」

「ああ。以前に言った通りだ」

「という訳で、私とウォルフガングはしばらく王都を離れるよ」


 リーズとライルが、ひどく悲しげな目をした。

「今の二人は頼りにならないから置いていく」という、私の意図をすぐに察したのだろう。


「リア様……?」

「おいリア、それってもしかして……」

「ほら、この状態のネルちゃんは流石に戦場に連れていけないでしょ? だから二人にはこの子の護衛や世話を任せたいなって」

「嘘です! 『任せる』などどおっしゃいますが、それが理由ならここに残るのは誰か一人で充分な筈です!」

「俺やリーズは役立たずってことだろ……まあ、そうかもしんないけどさ」


 なんだか凄く心苦しい気持ちになって、私は俯いた。

 いや、パーティのリーダーとして何も間違った判断はしていない筈だ。

 二人とも、ネルの傍から離すと不安に取り憑かれて戦えなくなってしまうに違いない。

 大体、戦いが長期化すれば、その間に彼女は死んでしまうかも知れないのだ。

 最期を見届けられなければ二人はきっと、深く深く後悔するだろう。


 あれこれと言い訳を思い巡らせたけれど、結局、なにも表には出せなかった。


「……リーズちゃんもライルも、お金を自由に使って好きに過ごしてて良いから」


 これ以上、皆の顔を見ているのは辛い。

 そう思った私は一人だけで部屋を出て、でもやっぱり皆のことが気になってしまって、静かに扉に背を預けた。

 室内では、ウォルフガングが二人に声を掛けていた。


「悪いな。殿下は基本的に器用なお方だが、あれでもお前たちより年下なんだ。上手く想いを伝えられない時もある……怒らないでやってくれ」

「……はい。リア様が気を遣って下さっているのも、今の私たちが頼りないというのも全部分かっているのですが、つい」

「時々どうしても不安になっちまうことがあるんです。『リアは俺たちのこと信用してないんじゃないか』って。そんなことないって信じてるんですけどね」

「そう心配するな。間違いなく自覚は無いだろうが、殿下はエルミア陛下と似てお優しい方だ。お前たちのことも臣下として……仲間として大切に思っているだろう」


 扉越しにそんな会話を聞いているうちに、何かが零れ落ちる。

 私は、泣いていた。

 どんな強敵よりも、仲間の信頼が、友の優しさが心を突き刺してくるのだ。

 みんなそうだ。ルアもそうだった。誰も彼も私のことを見誤っている。

 かつて世界を憎み、唯一の友人すらも大切にするどころか疎ましく思い、残される側のことなんて何も考えずに命を投げ棄てた女のことを勘違いしている。

 自分勝手に復讐を果たす為に周りの人間を巻き込み続けている女のことを勘違いしている。

 私は単なる外道だ。この道の先には孤独しか待っていない筈なのだ。

 だから、信じないで。優しくしないで。

 

***


 後日、朝。

 例の依頼を受けた私とウォルフガングは、いよいよ出発することとなった。

 少しだけ痛みが治まったのか、ベッドで寝息を立てているネル。

 そして、私を気遣うように不器用な笑顔を見せてくれているリーズとライル。

 こちらも精一杯笑って、皆に言った。


「じゃあ、行ってくるよ。《魔王軍》なんてサクっとブチのめして、ささっと帰ってくるから」


 ウォルフガングもそれに続く。


「そういうことだ、こっちの心配はしなくていいからな」

「ええ。リア様もウォルフガング先生も、どうかご無事で」

「終わったら『五人で』また遊びに行こうぜ」

「うん。それと……リーズちゃん、ライル」


 二人の顔を見て、ある思いつきを言葉にすべきか否か逡巡する。

 しばしの沈黙の後に、私は《迅雷剣バアル》を召喚してリーズに手渡した。


「えっと……リア様?」

「二人にはネルちゃんの身体を治す方法について調べて欲しいんだ。情報収集や移動の為にお金が必要なら幾らでも引き出して良い。その剣も急に呼び出したりしないから安心して使って」


 呪血病を治すなど、全くもって有り得ない話だ。そんな方法があったのならば、それこそ世界が一変するレベルの発見である。

 すなわち、これは単なる気休め。

 どうせ救えなかったとしても、失意に沈んだまま重苦しい時間を過ごすよりは、最期まで悪あがきをした方が良い。

 これはネルの為というより、リーズとライルの為の提案でしかないのだ。

 たった一歳とはいえ私よりも年上である二人だから、そんなことは分かっている筈。

 それでも、力強く答えてくれた。


「……承知致しました! 必ず、この子を救ってみせます!」

「こっちは俺たちに任せてくれ。ネルを元気にしてやって、それが終わったら、リア達が居ない隙を見計らってリーズとだな……」

「何よ、ライル。なんで私の方を見てるの?」

「あっ、いや、なんでもねえ」


 暗い雰囲気を振り払う為か、わざとらしく話題を変えたライル。

 そういうところには気が回る癖に、肝心の恋に関しては駄目駄目である。

 いや、リーズもリーズで鈍感が過ぎるのだが。

 いい加減、ちょっとは背中を押してやるか。


「ライルってほんとヘタレだよね。本人が居ない場では『リーズと二人っきりでイチャイチャしてくる』とか調子の良いこと言ったりしてた癖にぃ~」


 かつてスラムで依頼を受けた日の朝の出来事をそのまま伝える。

 すると、二人は顔を真っ赤にして互いに目をそらした。


「ライル! あなた、そんなこと言ってたの!? 私のことそういう目で見てたの!?」

「ち、違ッ……いや違わないけど! ってかなんでそんな台詞覚えてんだよリア! ほんと性格悪いなこの王女様!」

「なはは。ラトリアの王族はみな悪辣なのだよ~! 私とて例外ではないのだよ~!」

「うぜ~! リアのことは友人として好きだし良いヤツだと思ってるけど、たま~にマジでイラっと来るぜ……」

「まあまあ、怒んないで……じゃあ、頑張りなよ。二人とも後悔だけはしないようにね、いい?」


 色々な意味を込めてそう伝えると、リーズとライルはすぐに頷いた。

 不安と焦燥感に支配されていたほんの少し前までの二人は、もう居ない。


***


 ラトリア防衛任務に参加する者は、集合地点である「北部平原」に建設された城壁まで自力で向かうことになる。

 この世界ではよくあることだが、依頼主は大抵、傭兵や冒険者の経済的事情など考慮しない。

 現地までの旅費や事前準備の為の費用は全て自腹だし、持ち逃げされるリスクが高いから報酬が先払いされるケースも少ない。

 従って「序列入りパーティや歴戦の傭兵などは高額な高速馬車を利用するが、下級の冒険者や傭兵は徒歩で必死に移動するしかない」という格差が発生する。


 そんな訳で、私たちは荷物や軽食を馬車に積み込み、王都を出立した。

 最初はウォルフガングと二人きりの静かな旅になると思っていたが、偶然にも、とあるパーティと乗り合わせることになった。

 半竜人の青年、温厚そうな修道術士、気の強そうなプラチナブロンドの少女の三人組――すなわち《竜の目》である。


「……ホント最悪。ピンク女だけでも嫌なのに、前の仕事の時に邪魔してくれたおっさんとも同行することになるなんて!」

「ああ、お前はドラゴン使いの……《狩人の刃ウェーナートル・ラーミナ》の一件では世話になったな。今回も仲間で良かったよ」


 相変わらずライバル意識むき出しのルルティエを、年長者らしく穏やかにあしらうウォルフガング。

 一方でシスティーナは私たちと馬車の旅をすることになり、嬉しそうにしている。


「なんだかリアちゃん達とは縁を感じますね~」

「なはは。喜ぶべき縁なのか分かんないけどね」

「こちらは嬉しいですよ。ね、ゲオルクさん?」

「感情的なところはともかく、こいつらが戦士として頼れるのはよく分かっているしな……そういえば他の二人は? あ、前に会った時はもう一人居たか?」

「あの子たちは別の仕事をやってもらってるんだ。こっちも気になるけど、どうしても外せない用事があってね」

「へぇ……まあ、よそのパーティのことをあまり詮索するもんでもないか」


 幌のある馬車の後方に座っていた私とゲオルクは、流れ行く風景に目をやった。

 王都内部とは異なり、外の領地には閑散とした街並みが広がっている。

 時折、王都占領の前哨戦で破壊された家屋の残骸や、人の亡骸が視界の端に映り込む。

 王都の外なんて概ねどこもこんなものだが、この辺りは特に死体が多い。

 治安の悪い北部領地から王都に逃れようとして行き倒れたり、魔獣や盗賊に襲われたりする貧困者が多いのである。

 これは人の責任か、魔族の責任か、或いはその両方なのか。

 そんなことを思いながら外を眺めていると、ゲオルクが声を掛けてきた。

 

「ふと思ったが、オレらやお前らがこの仕事に参加してるってことは、他の序列入りも来てるかもな」

「あ~、確かに。他のパーティの動向は分かんないけど、《シュトラーフェ・ケルン》は前に会った時に参加表明してたなぁ」

「連中は冒険者と言いつつ王家に直接雇用されてるようなもんだから、まあ来るか」

「……なんか、王都解放の時に匹敵するくらいの総戦力になりそうだね」

「とはいえ、ルミナス帝国と《魔王軍》が密接に繋がっているのに対し、こっちは正規軍と傭兵と冒険者の寄せ集めだけどな」

「『統率の取れた平凡な多数は、突出した個人を凌駕し得る』って話だよね、分かってるよ。油断はしないって」

「やっぱりお前らは味方だと心強いな……じゃ、一緒に頑張ろう。状況によっては手伝ってやってもいいぞ、な?」


 二人の仲間の方を向くゲオルク。

 システィーナはニコニコしながら頷いたが、ルルティエは「なんでこいつらと協力なんか……」と不満げである。

 でも、前だって結局は共闘してくれたし、必要になれば何だかんだ手を貸してくれるのだろうな。


 それからは雑談をしたり、何もせず休息を取るなどして時間を過ごした。

 風景は段々と変化していき、生命の息吹をまるで感じさせない荒野が迫ってくる。

 そうして丸二日ほど移動に費やした後、ついに目的地に到着するのであった。

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