第13章:ラトリア継承戦争

13章1節:英雄ライングリフ

 王妃マリーシエルが処刑された翌日の昼。

 ラトリア国王バルタザールは食事すら取らず、ベッドの上で膝を抱えていた。

 そんな父にレティシエルは薬を差し出したが、苛立たしげに払いのけられる。

 彼女は粉末と飲み水で汚れたカーペットを一瞥し、「珍しく本心から気を利かせたというのに。そんなに死にたいなら勝手に死んでいけ」などと思った。

 

「今のは私が独自に用意した薬だったのですが……」

「どうせ毒に決まっている! それよりアステリアはどこだ? 信じられるのはあの子だけだ……!」


 王はライングリフ派でないレティシエルにすら不信感を抱いていた。

 幼い頃から器用であった彼女は父に本性を悟らせないよう立ち回ってきたものの、エルミアとアステリアを見捨てた点が印象に響いているようだ。

 それを察すると共に自分を棚に上げていることに怒ったレティシエルが、少し不愉快そうに言う。


「……ローラシエル姉様を殺したのに?」

「私が託した領地を守ろうとしたがゆえのことだろう? とはいえローラシエルが悪いとも思っておらん。あの子は素直だから、マリーシエルかライングリフ辺りに命令されてやったのではないか」

「姉様だけではありません。たぶんグレアム兄様もアステリアが……」


 黙り込む父。その可能性が高いことは充分に理解しているが、もはやアステリアに縋るしかない彼は目を背けざるを得なかった。


「あの子の居場所は王都にはありませんよ。兄様に戦いを挑んだのですから」

「であればアステリアを受け入れるようライングリフにお前から言ってくれ」

「……ええ」

「やはり後継者にするのはあの子でなければ……それがエルミアへの贖罪なのだ……」


 うわ言のように呟くバルタザールと喋っているのが嫌になり、レティシエルは憐れみの視線を向けたのち退室する。

 個人的感情で王位継承候補を変えるなど無能も良いところだ。だがこれほど心身ともに追い詰められてしまえば仕方がないか、と彼女は思った。

 側室制度を復活させるほど愛した女を捨ててまで選び取った正妻と娘を突然失ったのだから。しかも前者は自分を裏切った末に処刑されたときた。

「こんなことになるなら捨てるんじゃなかった」という後悔に囚われるのも無理はない。


「……ま、みっともなさすぎですけど」

 

 小さく毒づく。

 誰にも聞こえないように言ったつもりのレティシエルであったが、壁に背を預けていたライングリフが反応する。

 傍らにはウォルフガング、ルア、フレイナ、クロード。ライングリフ派の重鎮たちだ。


「同感だな。毒殺しようとしたのは当然許されんが、母様の気持ちもよく分かる」


 仲間の前だからか他人事みたいに言う兄に対し、レティシエルは微笑みかける。


「父様『も』殺すのでしょうか?」

「それを望む貴族も居るだろうが、やらせんよ」

「はぁ。飽くまで自分は関係ないと」


 ライングリフはレティシエルの前に立ち、感情のない目で彼女を見下ろした。


「こちらからも聞きたいことがある。お前、これからどうするつもりだ?」

「何のことでしょう?」

「アステリアの側に付いて勝ったところで、女王になるのはあいつだぞ?」


 そう言われたレティシエルは一瞬だけきょとんとした後、口を両手で隠してくすくすと笑い出した。


「兄様、もしかして何か誤解なさってます?」

「そう思うなら説明して欲しいものだが」

「私、女王の座になんて興味ないのでご心配なく」


 ライングリフが微かに目を見開いた。並大抵のことでは動揺しない彼には珍しい、驚きの表情だ。


「誰の側に付くとか誰と敵対するとか、そういうのはいいんです。私は世界に公平さをもたらす存在でありたいので」


 答えを聞いたライングリフはレティシエルを威圧するように鋭く睨みつけた。

 

「なるほど、それが聖人会を設立した理由か……お前の空虚な野望がそこまで肥大化していたとはな」

「空虚な野望だなんて。心から世の安寧を願っているというのに」

「……レティシエル。その聖女気取りを咎めるつもりは今のところないが、ラトリアに害が及ぶのであれば容赦はせん。覚えておくことだ」

「素敵な愛国心ですこと。これほどに国を想い、国益の為なら他の全てを犠牲に出来る人間などそうそう居ませんよ。父様と母様は兄様を産んだことを誇るべきでしょうね」

「当たり前だろう。国に身も心も捧げる……それが王になる運命を背負って生まれた者の責務だ」


 ライングリフが毅然とした態度で本心を、根本思想を告げる。

 彼は強権的な振る舞いゆえに敵対者から憎まれやすいが、本質としてはむしろ献身の権化である。

 《魔王軍》の攻勢によって崩壊しかけたラトリアを立て直したのも、天上大陸を支配する覇権国家へと押し上げようとしているのも決して己の欲望を満たす為ではない。


 英雄には二つの種類がある。

 一つは《勇者》と呼ばれるレインヴァールのように、苦境の中にある人々が抱く希望の象徴になれる者。

 そしてもう一つは、自らの属する国や共同体の利益の為に敵対者を容赦なく蹂躙できる強さと冷徹さを持つ者。

 この男もまた、まごうことなき英雄なのだ。



 レティシエルの前から去るライングリフ。

 その後ろに続く四人は何も聞かない。

 毒薬事件の真相やレティシエルの思惑。彼らとしても全く気にならないわけではないが、ライングリフが触れないことについて詮索しないのは暗黙の了解であった。

 そうしたところで真実は分からないだろうし、もし分かったとしても単に余計な迷い――クロードの場合は不利益――を生むだけだからだ。


 靴音を立てて通路を進む中、ふとライングリフが振り向かないまま言った。


「クロード、例の部隊の配備は進んでいるか?」

「予定通りに。しかし、これで間に合うんでしょうかねえ」

「アステリアはすぐには動けんよ。ローラシエルの一件があるから、こちらの兵力展開速度を警戒する筈だ。加えてテロリスト共も宣戦布告に反応して動き始めている」

「あぁ、今はなき《北ラトリア解放騎士団》のような……確かにああいう手合いはアステリア様を放ってはおきませんか」

「あの規模のテロ組織はもう無いが、有象無象でも足止めくらいにはなるだろう」


 次にフレイナとウォルフガングに声を掛ける。


「砲兵の準備は?」

「こちらも万全ですわっ!」

「それは良かった。父君……カーマイン公に直接感謝を述べておきたいところだな。ウォルフガング、お前のほうはひとまず聖魔剣の獲得に専念してくれ」

「御意。大事な局面で役に立てないのは悔しいですがね」

「気にするな、戦いには実力で埋められない相性というものがある。剣を見つけられた後は当代最強の騎士として活躍してもらうとしよう」

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