断章:地上世界の真実、黎司の決意③

 文字が読めないがゆえに退屈しているリゼッタ。彼女が時折ちょっかいを出してくるのを適当にあしらいながら、俺は手もとの本を読み進めていった。

 しかし、最初に開いたもの以外も内容としては物語であったから情報源にはならなかったし、どれも出版日が書いてあるであろうページが抜けていて「20」という謎の数字の意味を解き明かす助けにもならなかった。

 大した成果を得られなかったことに頭を抱えていると、アルケーとヴォルガスが戻ってきた。

 二人とも心なしかしょんぼりしているように見える。


「どうしたんだ、アルケー」

「いやぁ、存在崩壊……もとい、呪血病について書いた本があったんだが、ボロボロになっていて殆ど解読出来なくてな。読めた部分も呪血病の本質を知る手掛かりになるようなものではなかった」

「そうなのか。何が書かれていたんだ?」

「ざっくりまとめると『この地上世界の生命もまた、ずっと前から呪血病に悩まされていた』とのことだ。かの病は、我々の祖先である始祖人類だけの問題ではなかったということだよ」

「ふむ……」

「もしかするとこれは『始祖人類は地上で生まれ、後に天上大陸に移住した』ということを示唆しているのかも知れんが……はっきりしたことは何も分からん」

「そうか。まあ、ここにある本は書かれてから相当な時間が経っているようだし、それが分かっただけでも運が良かったと思うべきか」

「確かにな……で、なんでその子がここに?」


 アルケーとヴォルガスがリゼッタを見た。

 彼女はへらへら笑っている。

「自分で説明してくれ」と言いたいところだが、俺がした方が手っ取り早いか。


「『天上大陸に連れて行って欲しい』って」


 包み隠さず伝えると、アルケーはやれやれといった感じで苦笑いを浮かべた。


「引き受けたのか?」

「ああ。勿論、今はこの世界の探索を優先するつもりだからそこは心配しないでくれ」

「別に心配はしてないんだが、なんというか君らしいと思ってな。本当に面倒事を抱えたがる」

「すまん……放っておけなくて」

「構わないよ。私のような異端者にも手を差し伸べたチョロい男だ、こんな可愛らしい少女に助けを求められたら断れる筈もないか」

「見た目を理由に助けた訳じゃないんだが……ともかく、悪いがこれから一緒に行動することになった」


 リゼッタはアルケーの前に出て、彼女を見上げながら片方の手を両手で取った。


「よろしく、おねーさん」

「ああ。ちなみに私は世話を焼かれるのは好きだが世話を焼くのは嫌いだから、頼るならレイジにしてくれよ?」

「なにそれ~。そんなんじゃレイジに愛想尽かされちゃうでしょ。あたしが奪っちゃうよ?」

「好きにするといい。私は別にハーレムの中の一人でも構わんからな」

「あはは。そういうことならおねーさんと喧嘩しないで済みそうだね。一緒に世話焼かれよっか!」


 何やら二人で言いたい放題言っている。

 俺はライトノベルか何かの主人公みたくハーレムを築くつもりはないのだが。

 そんなことを思いながらヴォルガスに声を掛ける。


「他に存在崩壊や神、この世界の歴史について書かれた本は知らないか?」

「いや、この図書館に残ってるものは一通り把握してるが、他には無かったな」

「そうか……じゃあ、他に本がありそうな場所って知ってるか?」

「あ~、それなんだが、ここからしばらく歩いたところにも図書館っぽい施設があったんだ。でも動物の住処になっちまってて内部を調べられねえんだよ」


 そう言って、ヴォルガスは俺に期待の眼差しを向けた。

 なるほど、「退治してくれ」ということか。


「……お前も一緒に行くか、ヴォルガス」

「よし来た! 実はそろそろあっちに移ろうと思ってたんだが、俺一人じゃ動物に喰われて終わりなんで困ってたんだよな。アルケーだけじゃなくお前さん自身も結構やれるんだろ?」

「一応、上では街を荒らすならず者や地上から迷い込んできた動物をぶっ倒したりしてたからな」

「はは、そいつは頼りになるな。いや~、お前さん達と会えて本当に幸運だったぜ」


***


 より良い生活を求める娼婦の少女リゼッタと、より良い世界を作る為の知識を求める男ヴォルガス。

 地上世界で偶然出会った二人を交え、俺たちは旅を始めた。

 各地を渡り歩き、旧時代の文献を探す旅を。

 でも、俺たちが呪血病や世界について知るヒントとなるようなものは全く見つからない。

 文明が崩壊してから長い時間が経過しているとすれば仕方のないことなのだが、それでも、どこか作為的なものすら感じるくらいには何もなかった。

 どこまで行っても待っているのは朽ち果てた街と、凶暴化した魔物と、苦しい生活を送る魔族と、遠い過去の残り香だけだ。

 

 さて。ヴォルガスは「この世界では作物が育たない」と言っていたが、その原因は、地上のあらゆる地域で発生しているマナ欠乏である。

 《術式》のマナ消耗効率が天上大陸よりも悪いことから、アルケーがその答えに辿り着いた。

 この事実はヴォルガスをひどく絶望させることとなった。

「マナの濃度の制御」なんて、出来るとしたらそれこそ神だけだろう。

 意図的にこんな世界にしたのか、それともやむを得ぬ事情があったのかは分からない。どちらにせよ確かなことは、地上は「神の住まう楽園」どころか「神に見捨てられた地」だったということだ。

 ヴォルガスは旅の中でこの地がいかに救われないかを実感してしまったのか、「世界の改善」とは異なる理想を語るようになった。


 四人で旅を始めてからニ年が経ったある日の夜、路地裏。

 天上大陸から持ってきていたテントの中でアルケーとリゼッタが身を寄せ合いながら眠っている。

 そんな二人を眺めていると、外で見張りをしているヴォルガスが声を掛けてきた。

 それに応え、俺もテントから出る。

 彼は少しの沈黙の後に、こんなことを言った。


「なあ、お前さん達はいつ地上に戻るんだ?」

「『いつ』って、この世界で呪血病の治療に繋がる何かを見つけることが出来たら帰るつもりだが」

「どうせ何もねえよ、無駄だ」

「どうしたんだ? 諦めちまったのか?」

「違う。『もっといい方法』があるって気づいただけだ」

「……何が言いたい?」


 そう問うと、ヴォルガスは俺の両肩を掴んで力強く訴えかけた。


「……なあ、レイジ。お前さんはリゼッタに対して『地上に連れて行く』と約束しただろ?」

「ああ」

「あいつだけじゃなく俺も……いや、この地獄にすらも居場所がない、苦痛と絶望の中で辛うじて生きてる奴ら全員を上に連れて行ってくれ!」

「は、はあ……!?」

「この世界にはもう未来なんざ無い。だから天上に俺たちの国を作らねえか!? そこでさ、皆で平和に暮らすんだよ! 地上を変えるよりずっと現実的な話だとは思わないか!?」


 そして、ヴォルガスは滔々と意図を――怒りを語った。

 同じ人間なのに、ただ見た目が違うというだけで住む世界を分けられる理不尽さ。

 生まれたばかりの子供が、魔物どころか同じ人間にも喰われる理不尽さ。

 親を喪った子供が腐り切った屍肉を貪ったり、或いは身体を売り続けた果てに病に冒されて死ぬ理不尽さ。

 生まれたことを誰にも祝福されない理不尽さ。

 それら全てに対する怒りを、彼は語り続けた。

 

「なあ、子供たちに……この世界に生まれた全ての人間に何の罪があるってんだ? この世界に生まれたことそのものか?」

「そんなことはない! 生まれることに罪なんてあるもんか」

「でも現実にはこんな仕打ちを受けてる。罪がないってんなら、上の連中は地上人に過ごしやすい世界を分け与える義務があるんだ! この世界を見てきたお前さんなら分かってくれるだろ!?」


 圧倒的な気迫に飲まれて少し動揺してしまった。

 でも、やがて俺は同意を示すように首を縦に振った。

 ヴォルガスの物言いは少々過激だ。でも内容自体はもっともだと思う。

 無論、上の人間が地上人を迫害している訳ではないから彼らにも罪はない。単に真実を知らないだけだ。

 だから人々はこの真実と向き合い、地上人に手を差し伸べねばならない。

 武力や権力を持つ者は、そうでない者に施しを与えねばならない。

 これまで俺自身が可能な限りでそうしてきたみたいに。

 

――と考えたところで、一つの気づきを得た。 


 そうだ。俺はどうして、これまでずっと一人で「勇者」になろうとしてきたのだろう?

 結局、愚直に強くなることを目指して、愚直に周りの人間を救うだけじゃ何も変わらないのだ。

 二度も同じような生き方をしてきたんだから、もっと早く気づいても良かった筈だ――救っても救っても不幸は途絶えないものだと。

 この世界そのものが「人が不幸になる構造」をしているのだと。

 それを変える為には、より多くの人間が団結するしかない。

 《絆の誓い》などという、まるで俺の在り方や理想にそぐわない力が与えられた意味がようやく理解出来た。

 俺がなるべきは、上から人に手を差し伸べる孤高の「勇者」などではなく、同じ想いを抱く者達を束ねる「先導者」だったのだ。


「地上人の為の国」。それを建国することが真に弱者の為になるのであれば。

 弱者が救いを得られる世界を用意出来るのであれば、俺は喜んでその礎となろう。

 

「ヴォルガス、お前の提案に乗ろう。リゼッタみたいな奴を今後も救い続けるにしても、上の人間との軋轢は必ず生まれる。だから最終的には『安心出来る居場所』を作るしかないんだよな……」

「レイジ! 分かってくれたか!」

「リゼッタ……はすぐに同意してくれるだろうけど、タイミングを見てアルケーにも話してみる」


***


 それから何度かヴォルガスと二人、日によってはリゼッタも交えて「夢」を語り尽くした後、アルケーに想いを伝えた。

 つまり「呪血病の調査を中断し、地上の民が平和に暮らせる場所を上に作りたい」と。

 正直、これはアルケーの望みを否定はしないにせよ少なくとも一時的に無視する形にはなるから、断られると思った。

 そもそも本来はアルケーの為に地上に来たのだ、彼女が「嫌だ、調査を継続する」と言うのであれば大人しくそれに従おうと思っていた。

 そうなったらヴォルガスやリゼッタは俺たちから離れるかも知れないけれど、仕方のないことだ。

 でもアルケーの反応は予想とは異なるものだった。


「ああ、構わないよ」


 拠点として使っているホールのような施設。崩れた天井から陽光が差し込む中、彼女は笑顔で即答した。


「えっと……良いのか? お前って正直、そういうの興味無いだろ?」

「ああ、無いな! 私は飽くまで医者であり、医者が人を救う方法は『傷や病を癒やすこと』だけだ。国家、秩序、政治、経済……そんなもの私には関係ない」

「じゃあ無理せず断ってくれても……」

「いいや、確かに興味はないけれど、君には感謝してるから付き合わせて欲しいんだ」

「『感謝してるから』、か」

「ああ。まず、君が居なきゃ私はここまで来られなかった訳だしな。自分を救ってくれた男の為に寄り道するのも一興だろう。それに、この荒れ果てた地上であてもなく旅をするのに少々疲れていたところだ」

「そうか……何というか意外だな。お前って研究狂いみたいなとこあるから、情で動くことはないものだと……」

「失礼な! 私とて人だし女だ。そういう気分になることもあるさ」

「……分かった。ありがとう、アルケー」


 こうして相棒の合意を得た俺は、ニ年ぶりに天上大陸に戻ることになった。

 結局、ここで当初の目的は果たせなかったけれど、代わりに新たな仲間と、目を背けてはいけない真実を知ることが出来た。

 地獄で生きてきたリゼッタとヴォルガスの為、そして全ての弱者の為に俺は戦ってみせよう。

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