4章5節:静寂を切り裂く一矢
定期説明が終わり、人々が散り散りになっていく。
私もウォルフガングと共に詰所に戻ろうとしたが、《紅の魔人》――アレスが屈託のない笑みを見せながらこちらに歩いてくる。
この男について何も知らなければ「爽やかな美青年」にでも見えていたのだろうけれど、知っていると不気味でしかない。
彼は私の前に立ち、馴れ馴れしく話しかけてきた。
「いや~、凄いなぁ。ここに来て本当に良かったと思うよ」
「何が? っていうか何の用?」
「これほどの数の強者が一堂に会していることってなかなか無いじゃないか。で、ボクは強い奴が大好きなんだよ」
「じゃあ向こう行きなよ。私たち、今回参加してる序列入りの中じゃ一番下のランクだよ?」
こいつは「さっきまで談笑していた相手を容赦なく殺す」などと言われることもある男だ。
どう考えても積極的には関わりたくないので、刺激しない程度にあしらおうとする。
しかし、アレスは私たちの前から去ろうとしない。
「《
「……え、《黄泉衆》? あの人たちも来てたんだ」
「らしいよ。彼らにはそこまで興味無いけど」
冒険者パーティ序列第六位――《黄泉衆》。
序列入りパーティと言えばどこも非常に癖の強い人物が所属しているものだが、彼らについてはそういった話を全く聞かない。
どうやらリーダーも含めてメンバーが頻繁に入れ替わっているようで、どんな人物が所属していて、全部で何人なのか、実態を誰も把握していないのである。
では活動方針に何らかの特徴があるのかと言えば、そういう訳でもない。
端的に言うと、彼らは「序列入りとしては異常な程に地味」なのだ。
なるほど、連中ならば存在していることに気付かなくても無理はない。
きっと、さっきまでこの場に居た冒険者パーティのうちのどれかが《黄泉衆》だったのだろう。
私が一人で納得していると、アレスは話を続けた。
「ボクが最も興味を惹かれるのはキミたちなんだ。噂だけは聞いてるよ……可愛い顔して幾つもの聖魔剣と適合している女の子、それとは逆に、安物の長剣一本でドラゴンを殺す男」
「……人違いじゃない?」
「誤魔化したって無駄さ。二人とも……特にキミの方はまだ若いからか、強者の気配を隠し切れていないよ。そういうの分かっちゃうんだよね」
「だったらなんなの」
面倒くさくなってきたので、ぶっきらぼうに返す。
するとアレスは、胸の前で両手を合わせて頭を下げるのであった。
「お願いだ、どっちでも良いからボクと手合わせしてくれ! 退屈で死にそうなんだ!」
「きみ、ここに何しに来てんの?」
「そりゃ戦場に来る理由なんて『戦うため』に決まってるだろう? なのに、いつまで経っても戦いが始まらないじゃないか!」
「そこは喜ぶところなんじゃ……もしかすると交戦が発生せずに終わるかも知れないし」
「いいや、それじゃあ納得出来ないね! ボクは早く強者と殺し合いたいんだ!」
「は、はぁ!?」
「この気持ち、ボクと同じく『積極的に困難な依頼を受けてる』らしいキミたちなら分かるんじゃないかい?」
輝くような笑顔で言うアレス。
理解した――こいつは「戦い」という行為自体に価値を見出している、いわゆる「戦闘狂」というやつなのだろう。
別に自分のあり方がそれより優れているとは思わないけど、一緒にされたくはないな。
私は、この世に存在してはいけない悪党共を駆逐しているだけで、戦いそのものを求めている訳ではないのだ。
「……付き合ってらんない。もう行くからね?」
「冷たいな~! そこを何とか!」
子供みたいにしつこくせがんでくる彼に呆れ、ウォルフガングが口を挟む。
「済まないがその辺にしてくれないか。うちのリーダーが困っている」
「どうしても駄目かい?」
「ああ。無論、俺も付き合うつもりはない」
「そうか、本当に残念だ……『リア』だっけ、特にキミがすっごく好みだから遊びたかったけれど、仕方ないから他のパーティにも声を掛けてみるよ。じゃあ、また後でね」
そう言って、ようやくアレスは私たちを解放してくれた。
どうも私は厄介な男に好かれやすい傾向にあるようだが、彼はその中でも最悪な部類だと感じた。
あれで、一対一の決闘であればこの戦場において最も強い可能性がある人物なのだから、本当に手に負えない。
まあ、ユウキ辺りが《権限》を駆使して上手いこと奴の戦闘欲を発散させてくれるのに期待しつつ、私は部屋で待機するとしよう。
それにしても、ユウキか。さっき彼とした会話をふと思い出して、なんだか恥ずかしくなってきた。
嫌いな筈なのに、自分から遠ざけた筈なのに、つい彼の姿を思い浮かべてしまう。
「……どうした? 少し顔が赤いが、もしかして熱でもあるのか?」
「え? いや、大丈夫だよウォルフガング。行こっか」
*****
アステリアたちが待機を始めてから、五日ほど経つ。
誰もが自陣で思い思いに過ごしつつ、来るかも知れない開戦の時に備えていた。
そんな中、他の冒険者や傭兵、正規軍人、そして将であるローレンスにすら気取られないよう警戒しながら、不審な行動を取っている者たちが居た。
相対する二つの陣営の双方から離れた丘の上に、《シュトラーフェ・ケルン》の三人が立っている。
周囲には誰も居ないが、もし居たとしても彼女たちに気づくことはないだろう。
《千影》というあだ名の由来であるアルマリカの高度な《
「対象は見えましたか?」
トリスタンが声を掛けたのは、片手に長弓、片手に矢を持ちながらルミナス帝国側の陣地を見つめているアルマリカ。
肉眼で観察出来るような距離ではないのだが、視覚強化の《術式》を使用した今の彼女は、墓標荒野のほぼ全域を見渡すことが出来ている。
「相変わらず来客用の館に閉じこもってるみたいっす」
「どう致しましょう?」
「もう待ってられないっすから、いつも通り建物ごと爆破しちゃうっす」
「ルミナス側にも被害を出してしまいますし、『建物ごと』というのは流石にマズいのでは……」
「はは、冗談っす! 『上』によればそろそろ交渉に決着がつく頃合いらしいっすから、大人しく外に出てくるのを待つっすよ~」
「はあ……にしても、僕とベルタさんは必要なのでしょうか? 特にこんな場所では、三人分の気配遮断を行うのは大変でしょうに」
「トリスっちは万が一、誰かが気配遮断をすり抜けてウチらを発見した時の保険っすよ。毒薬、持ってきてるっすよね?」
「ええ。吸引によって軽いせん妄を引き起こすものから、数秒で死に至らしめる毒霧を発生させるものまで色々と」
「で、ベルタっちは帰りにおぶってもらう為」
「M倒#×○%……」
全身鎧の中から美しい声が漏れる。
やはり全く理解不能な「エルフ方言」だが、僅かに不機嫌さを帯びた声色からアルマリカはニュアンスを読み取った。
「仕方ないじゃないっすか~! これだけマナが薄いと一発撃ったら多分ぶっ倒れちゃうっすから、運んでもらわなきゃ……っと、おお?」
「おや、動きがありましたか?」
「ん。レヴィアス公爵らが馬車に乗って、こっち側に戻ってきてるっす」
「ふむ。停戦交渉に成功したのか、或いは決裂したのか……」
「ウチらにはどっちでもいいことっすね。指令は『使節団を全員抹殺すること』であって、交渉の結果は問われてないっすから」
「そうですね。では、お願いします」
「ハイハイ、やっちゃうっすよー」
まずアルマリカは《
華奢な身体で弓による長距離狙撃を行う場合、膂力強化は欠かせない。
更に矢を隠匿し、迎撃されるリスクや発射位置を特定されるリスクを除去する。
そして空に向かって弓を構え、最後の詠唱を行う。
「《
全文詠唱ではないものの、圧縮詠唱というにはあまりに長い文言。
これは「単体では意味を持たない圧縮されたファンクションを《術式》に加えることで、効果を追加する」という応用的な詠唱法である。
この場合、《術式》としての本来の効果は「触れたものを爆発物へと変える」――《
アルマリカはこれから飛ばす矢に対して《
追加効果によってこの場では爆発せず、着弾時に爆発するように調整されている。
その上で、馬車の移動速度や方向、風速なども考慮に入れて慎重に狙い定め、必殺の一撃を放った。
不可視の矢が空を裂き、レヴィアス公爵の乗っている馬車の馬に命中した瞬間、「無音の爆発」が発生する。
破壊の奔流が必要以上に拡大することはなく、使節団の全員を巻き込んだ時点でぴたっと止まり、範囲内の全てを粉微塵にした上で収縮したのだ。
後にはもう、何も残っていない。
こうしてレヴィアス公爵らは何らかの陰謀に巻き込まれ、唐突に、理不尽に命を奪われるのであった。
*****
私とウォルフガングが墓標荒野に到着してから七日。
陣地内では「停戦交渉を行っていた使節団が《魔王軍》に惨殺された」などという噂が広まっていた。
その件について話があるということで、私たちを含む冒険者、傭兵、正規軍人が揃って城門前に集結している。
そこにローレンスが堂々とした足取りでやって来た。
彼は声を張り、全員に向かって語りかけた。
「諸君。既に聞いてはいると思うが、停戦交渉に向かっていたレヴィアス公爵らが、卑劣なる《魔王軍》の手によって殺された。これは我が兄であるライングリフが配下の者どもに確認させた、紛れもない真実だ!」
群衆がどよめく。
使節が殺されたこと。犠牲者の一人が、現在の上流階級の中で冷遇されているとはいえ大貴族のレヴィアス公爵であること。
これは敵側からの明確な挑発行為であり、もはや開戦は免れ得ないだろう。
私はまだ、何がどこまで真実なのか疑っている段階だが、状況は事実確認など待たずに動き続けるものだ。
「どれだけ難しい状況であっても、兄はレヴィアス公爵らの『開戦を避けたい』という思いを汲んで彼らを派遣した。殲滅すべき薄汚い魔族どもに対しても、寛大な心で『停戦』という選択肢を与えたという訳だ……だが、そんな彼らの思いを外道どもは踏みにじったのだ!」
ラトリア側の正当性を力強く訴えるローレンス。
その語気に、困惑と不安を抱えていた人々が感化されていき、口々に《魔王軍》とルミナス帝国に対する罵詈雑言を吐く。
「外道どもからラトリアを守る為にも、犠牲になった者たちの無念を晴らす為にも、我々は戦わねばならん! 明日の朝十時、すぐにでも敵陣への侵攻を開始することになったので、諸君も戦の準備をしておけ!」
明日、か。まるで、こうなることを予め読んでいたかのように展開が早いな。
――待てよ? 彼は本当にこうなることが分かっていたのではないか?
「ローレンスは初めから停戦の可能性など信じていなかった」と考えるのが妥当だが、妙な勘ぐりをしてしまう。
とはいえ、この脳が筋肉で出来ているような男に政治的策謀を巡らすことは出来まい。何か謀ったとしたら、それは恐らくライングリフの方だろう。
「さあ、魔の者どもを一人残らず抹殺し、報いを受けさせよ! 正義は我々にある! 以上、解散!」
そう締めて、ローレンスは去っていった。
「……なんか、とんでもないことになっちゃったね」
私は、隣に居るウォルフガングに向かってそんなことを言った。
「ああ。いつかこういう日が来るとは思っていたが……」
「勝てるのかな、この戦い」
「分からんな。だが、こうなってしまった以上は勝つしかない。王都占領の悲劇を繰り返したくはないからな」
「う~ん、そうだね……」
歯切れの悪い返事しか出来なかった。
正直なところ、私は不安だった。
これだけ序列入りが集まっているのだし、単純な総合戦力はこちらの方が上だろうが、統率の面で言えば明らかにこちらは劣っている。
正規軍や私たち序列入りはともかく、有象無象の冒険者パーティや傭兵団の様子を見て、改めて危機感を抱き始めた。
ゲオルクとも話したことだが、統率の取れた平凡な多数は、突出した個人を凌駕し得るのだ。
いや、問題は「今回の戦いで勝てるかどうか」だけではない。
停戦する流れにならなかった以上、結果に関わらずこの一件は両陣営の不満に火をつけることになる。
そして、十年前のラトリア北方戦争から王都占領、そして解放までの期間のような、大規模な全面戦争が再び始まってしまうのだろう。
無論、こんなことは参戦の依頼を受ける前から分かりきっていたが、交渉の決裂によって決定的なものとなったことで実感が湧いてきたのだ。
あと、こちらは完全に個人的な問題なのだが、王都に居るであろうルアが心配だった。
「父親の期待に応えて優秀な跡継ぎとなること」を生きる目標としていた彼女は、突然、その父親を喪ってしまったのだ。
あの子の性格なら自暴自棄になりつつも冷静に対処に乗り出すのだろうが、それはきっと、絶望して全てを投げ出してしまうよりも苦しい道だろう。
「学園でのいじめ」という局所的な問題ならともかく、これはもはや私にも手助けしようがない。
何とか上手くやってくれることを祈るのが、出来る精一杯だ。
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