8章12節:紅と黄金の結末
「肩慣らしはこの辺りにしておくか」
バルディッシュが言い終わるや否や、彼の速度は格段に向上した。
触れたもの全てを引き裂く暴風を纏いながら、テレポートしているのと大差ない速さで空中を移動している。
こうなれば幾らアレスと言えど余裕を持った回避は出来なくなる筈だ。
だがそんな状況であっても、彼は今まで以上に楽しげに笑っていた。
「へぇ……凄いな。高速化の魔法かい?」
「魔王さんに『パワー任せじゃ格上には絶対に勝てない』って言われたんでな。魔人らしくそっちにも手を出してみたのさ。お前も何か使えるんだろ?」
「もちろん。じゃあ、そろそろ見せてあげようかな」
アレスもまた大気中のマナに干渉し始めた。
そして行使するのは、かつて墓標荒野で巨獣の群れを焼き払った爆撃系魔法。
幾つもの青白い炎が星のように降り注いでくる。
嵐と星の雨。二つの天災が今、衝突した。
アレスとバルディッシュはただでさえ魔人――マナ操作能力のある魔族種の中でも特にその適性が高い種であるのに加え、並の戦士とは比較にならないほどの練度を有する。
そんな二人が最大出力で魔法を放ったことにより、空洞域全体が震えた。
橋が揺れ動き、取り残された連合軍の者達が魔物ごと落下していく。
更には余波だけでなく攻撃そのものも人々を苦しめた。
アレスは彼ら、正確には「自衛できない弱者」など仲間だと思っていないから、無差別に天から炎を降らせているのだ。
バルディッシュもまた、彼らに興味はないが殺さないように配慮する理由もない。
橋の中央部がこれまで以上に強烈になった衝撃波に何度もさらされている。序列十位が他の冒険者を庇っており、しばらくは耐えていたが五分も経たないうちに全滅。周辺の人々もすぐに肉塊となった。
しかし、これだけの破壊をもたらしても当事者らは未だに無傷である。
バルディッシュは超高速移動の中でも炎の雨を正確に回避し続けている。
アレスも広範囲攻撃によって彼を牽制することで突撃を読み切っている。
前者は炎が出現する前からどこに降ってくるかが分かっているような動きをしているし、後者もバルディッシュが武器を構えて突撃を行おうとする前から回避行動を始めていた。
「お互い『魔眼』を使い始めたら埒が明かないじゃないか」
「よく言うぜ。こっちは誰かさんのせいで片眼しかないんだ、読み合い勝負じゃお前の方が有利だろうが」
死闘を繰り広げながら軽口を叩く二人。
見れば、彼らの黄金の瞳はバルディッシュが魔法を使い始める前と比べて明らかに輝きを増していた。
――魔眼。
それは一部の魔族が生まれつき双眸に宿している異能力である。
アレスやバルディッシュの魔眼の効果は「未来予知」。
予知出来るものは「目視した対象の行動」に限定される上に時間もせいぜい数秒先ではあるものの、戦闘においては充分に活用出来る。
彼らはこれを用いて互いに一寸先を読み合うことで全ての攻撃を躱しているのだ。
「こうなったら仕方ねえな。一対一の戦いでズルはしたくなかったんだが……頼らせてもらうぜ、魔王さんよ」
ふと、バルディッシュがそんなことを言った。
その直後、彼の速度とパワーが更に増した。
鍛錬で到達出来る領域を超越したその肉体的強度に、流石のアレスも僅かに困惑を見せる。
「まだ強くなるとはね……今度は一体どういう仕組み?」
「まあ、あえてクサい表現すんなら『友情の力』ってとこか?」
「キミの主である魔王との?」
「そういうこった!」
友情の力。すなわち魔王ダスクが持つ《権限》、《絆の誓い》。
ダスクと絆を紡いだ《魔王軍》幹部たちは皆その恩恵を受けており、望めば基礎能力を大幅に引き上げられる。
エストハイン王国での戦いにおいて、特に肉体を鍛えている訳でもないリゼッタが尋常ならざる身体能力を発揮していたのもこれが理由だ。
また、エメラインも元より屈強なオーガ系の半魔ではあるが、この力によって更に強化されていた。
「ひとりの魔人」の限界を突破したバルディッシュを前にして、アレスが少しずつ追い詰められていく。
後者の方が魔法による消耗が速いのも劣勢に拍車をかけていた。
《術式》を介さないで直接行使する魔法は高効率ではあるものの、多用すればマナ欠乏状態になるというのは変わらない。
バルディッシュが使っている魔法は飽くまで自己強化なのに対し、アレスの魔法は広範囲を攻撃するものである為、コスト面において劣っているのである。
アレスは体力的な不利を補うため、黒の魔剣を構え、その能力を解放した。
バルディッシュや橋の上に居る人々から生命を吸収しようとしたのだ。
しかし、それを見たバルディッシュは不敵な笑みを浮かべた。
彼は能力が発動するよりも早く接近し、ハルバードで剣を打った。
瞬間、通常の武具よりも優れた強度を持つ筈の魔剣が、いとも簡単に砕け散った。
咄嗟に退いたためアレス自身は無事だったが、これで武器の一つを失ってしまったことになる。
もはや死体しかない橋の上に着地したアレス。彼を追うようにバルディッシュも降りる。
「その動きは読めてんだよ。黒い方の能力はオレも知ってるからな」
「酷いじゃないか、父さんの形見を壊すなんて」
何の感慨もなさそうにアレスが言うと、バルディッシュは彼にハルバードを突きつけた。
「わりぃな。だが前の戦いではあれに散々苦しめられたんだ、そりゃ対策していくだろ」
「対策、か。その武器の能力ってことかな」
「さあな!」
バルディッシュが突撃を行い、空中戦が再開される。
逆転の為の切り札を一つ奪われたアレス。
このまま行けば敗北は必至だ。しかしバルディッシュは決して勝利を確信し油断を見せることはしない。
彼は鋭い目でアレスを観察し続けた。
「ここまでやっても白い方の力は引き出せねえか」
「これは何の変哲もない剣だ……と言ったら?」
「まさか! お前ほどの男がわざわざ頼りねえ武器を戦場に持ち込むもんか!」
その言葉に対し、アレスは炎弾を返した。
攻撃というよりも回避の為の弾幕を展開しつつ、魔剣を砕くほどの力を持つバルディッシュから逃げるように飛び回る。
端からは臆したようにも見えるが、実際には白い剣の能力を解放するタイミングを虎視眈々と狙っていた。
「どうしたアレス! 逃げてるだけじゃいつか負けちまうぞ!」
「いやぁ、この時間を少しでも長く楽しみたくてね!」
バルディッシュの挑発を軽く受け流すアレス。
強者は決して勝利を急がない。確実に勝てるタイミングが来るまで待つ。待つ。待ち続ける。
そして、決定的な好機がやって来た。
彼我の距離がほんの少し大きく空いたのだ。
たったそれだけ。バルディッシュの速さなら次の瞬間には目前まで迫っているだろう。
だが、それを見逃す《紅の魔人》ではない。
彼は距離を詰められる前に白の剣を全力で投擲した。バルディッシュを狙うのではなく、彼の横を通り過ぎるような形でだ。
剣は空中で不自然に反転し、バルディッシュを貫くべく飛来する。
白い剣に宿る「必中」の能力だ。これを使ったあらゆる攻撃は標的がどれだけ離れていようが――レインヴァールのように特殊な回避能力を持った相手でない限り――必ず命中するのである。
とはいえ、投擲を行った時点でバルディッシュはそちらに意識を向けて警戒していた。
その為、背後からの急襲にも即座に反応し、振り返って刃を叩き割ることが出来た。
しかし、聖魔剣を二本とも破壊されたアレスは慌てるどころか冷たく言い放った――「貰ったよ」、と。
未来視の力により、白の剣が飛んできた時にはもう結末を知っていたバルディッシュは、諦めの入り混じった笑みをこぼす。
彼の腹部は、僅かな隙を突いて接近していたアレスの腕に貫かれていた。
ハルバードが手からすり抜け、雲海に消える。
それからふたりの魔人も橋まで落ちていった。
大の字になって倒れ、血反吐を吐きながらも楽しげに空を見上げているバルディッシュ。
アレスもまた力尽きて座り込み、近くの岩にもたれ掛かった。
「アレスよぉ……聖魔剣を囮にするなんて無茶苦茶だぜ、お前……」
「キミに勝てるなら剣の一本や二本くらいは安いものさ」
黒の魔剣が破壊された時点で、アレスは予測していた。
バルディッシュの武器の能力が「触れた物体の強度の無視」であることを。
その上でタイミングを見極め、一度しか使えない代わりに魔眼の力をもってしても避けられない「詰みの一手」を放ったのだ。
もしバルディッシュにもう一枚何かしらの切り札があったら確実にアレスの方が負けていただろう。
彼自身そのことをよく分かっているから、立ち上がってゆっくりと親友の傍まで歩み、力強く握手をした。
「良い勝負だったよ」
「昔よりもか?」
「当然。今回はあと一つ何かが違ってたら負けてたんじゃないかな」
「オレとしては今度こそ勝ちたかったけどな……まぁいいや、次は絶対勝つからな……」
「キミほどの強者ならばいつでも歓迎だよ」
その言葉を聞いたバルディッシュは、安心したように目を閉じた。
それと同時に、アレスは自らの体に力がみなぎるような感覚を得た。
直感に従い、空洞域を越えた先を見据えて念じる。
すると、肉体に凄まじい加速が掛かって瞬時に目標地点に到達した。
まるでバルディッシュの加速魔法を用いたかのようであった。
「へぇ。これが例の《権限》……《戦乱の誓い》ってやつかい、神様」
既にリア達が去って誰も居なくなった地で、アレスが独り言ちた。
彼は《権限》に覚醒していたのだ。
その能力は「殺した相手の術技の習得」。今の戦いの果てにバルディッシュの魔法を習得したという訳である。
乗り越えた強者の
それはどこか、倒した相手を食らって飢えを凌いでいた少年時代にも通ずるものがあった。
「なるほど、ボクにぴったりじゃないか。これからは一緒に更なる強者と戦っていこう、親友……でもまあ、今回ばかりは流石に疲れちゃったな」
そう言ってアレスは倒れ伏し、意識を失った。
かくして空洞域での戦いは終結したのであった。
*****
ルミナス帝国帝城の会議室。
円卓を囲っているのは魔王ダスク、皇帝アウグスト、皇女チャペル、アルケーの四人だ。
作戦会議中、ダスクは自らに力を与えている絆の一つが消滅したことに気付き、悲しみを隠し切れない顔で他の者達を見た。
「……皆、すまない。どうやらバルディッシュが討たれたようだ」
それを聞いたチャペルが、自らの口を両手で押さえて泣き崩れた。
彼女の父やアルケーもまた眉尻を下げている。
少しの沈黙が流れた後、アルケーが平静を装って言った。
「そう悲しむことじゃない。戦いの中で死ねたならあいつにとっては本望だろうさ。何なら、時々言っていた《紅の魔人》が相手だったかも知れないしな」
「……ああ。せめて納得の行く終わりを迎えられたことを祈ろう。さあ、この犠牲を無駄にしない為にも絶対に奴らを食い止めるぞ」
ダスクが言う。
泣いたままのチャペルも含め、皆が力強く頷いた。
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