5章9節:《崩壊の空》
「《崩壊の空》の発生」。
戦場に割り込んできた聖団騎士のその言葉を聞いて、私はつい、アルフォンスに対して放った拳を止めてしまった。
彼も彼で反撃することはなく、騎士のすぐ傍へ移動する。
「ついにその時が来てしまったか……皆、アレセイアを守るぞ。そちらの男と少女は放してやれ」
「了解!」
アルフォンスと彼の指示を受けた聖団騎士らはライルとネルを解放し、私たちに背を見せてこの場を去ろうとする。
そんな彼らを、突然の出来事に当惑している私は呼び止めた。
「待って! 一体、何がどうなってるっていうの!?」
それに対し、アルフォンスだけがこちらを振り向いて答える。
「私の部下が言った通りだよ。これから我々は空から降り注いでくる怪物共を迎撃し、時間を稼ぐ。従ってこの戦いは中断……いや、あなたの勝利としておこう」
「じ、時間を稼ぐって……」
「呪血病発症者を減らしていけば《崩壊の空》は収まる。そうなるまで街を守り、被害を最小限に食い止めるのが我々の仕事だ。その子を救いたいと思うのなら、あなた達は早急にアレセイアから脱出するといい。《崩壊の空》はまだ外までは広がっていない」
「それは……でも、トロイメライ様のことを忘れて逃げるなんて!」
「動けない少女を連れたまま戦えるほどこの災厄は甘くないぞ。それに後々、関係者全員を説得するつもりであるにせよ今のあなた達は聖団の闇を見た侵入者でしかないし、本来、重篤な発症者の命は平等に奪わねばならないんだ。理解してくれ」
「冗談じゃない。絶対にトロイメライ様を探し出してみせるわ。もちろんネルも絶対に守り抜く!」
まだトロイメライ様がこの街にいらっしゃるというのなら、何もせずに帰る訳にはいかない。
ここまで旅をしてきたことを無意味にしない為に、微かな希望をも手繰り寄せねばならないのだ。
そう思って決意を口にしたら、アルフォンスは呆れたように溜息をつき、再び私に背を向けた。
「……そうか、意志は固いということか。ならば後はあなたの自己責任だ。好きにすればいい」
「ええ」
それ以上は何も言わず、この場を後にした聖団騎士たち。
彼らの背中を見送ることもなく、私はライルとネルのもとへ駆け寄る。
その時、ライルの腕に抱かれているネルが目を覚ました。
彼女は起きるや否や、「痛い」「苦しい」「怖い」と泣き叫び始めた。
暴れるネルを力強く抱きしめるライルの顔は焦りと悲しみに満ちている。
そんな彼に声を掛け、急いで宗教施設の外へ向かうのであった。
***
施設を出た私たちを待っていたのは、アレセイア上空に広がる「闇」であった。
時間的にはまだ昼、しかも晴天であった筈なのに、太陽はすっかり覆い隠されている。代わりに周囲を照らすのは、闇の内側から迸っている紫の閃光だ。
まるで空に出来た風穴のようなそれは少しずつ拡大している。このまま広がればいずれはアレセイアどころか西方大陸、果てにはこの天上大陸全域が覆われてしまうかも知れない。
そして、そこから無数の「漆黒の雫」が垂れ落ちているのだ。
雫はよく見れば、四足獣型や人型、或いはスライム型の魔物のような姿をしている。だが、吸い込まれそうな黒色が「これは魔物とは異なる存在である」ということを感じさせてくれる。
それらは地上に辿り着くと周囲の人々や建造物を無差別に襲い、殺された者や破壊された物体は呪血病発症者の末路のような黒い塵へと変わる。
《崩壊の空》から生まれし漆黒の獣。まさしく神話通り、破滅そのものが具現化したかのような存在だ。
ああ、この絶望的な光景を見てようやく実感が湧いてきた。
《崩壊の空》とは神話ではなく、今ここにある現実なのだと。
残酷すぎて認めたくないけれど、聖団の行いはきっと正しいことだったのだと。
騎士や修道士たちが必死に獣を撃退しているが、絶え間なく押し寄せてくるそれを抑え切ることは出来ず、たくさんの人間が塵になっていく。
この災厄に対処する為に――多数を救う為に、聖団は「どうせすぐに死ぬ少数」を犠牲にしていたのだ。
「……なんだよ、これ」
ライルが空を見上げ、唖然としている。
気持ちは分かる――が、今は急がねばならない。
「一緒に行くわよ。本当はネルと安全な場所に隠れていて欲しいんだけど、建物を簡単に壊しているところを見ると、そんな場所は無さそうだから」
「おい、こんな状況下でトロイメライ様を探すってのか!?」
「そうよ。道は私が切り開くから、ライルはネルを守ることだけ考えて」
「……ああ、分かったよ」
人々が逃げ惑う中、私たちは街中を突き進む。
彼らの動きに規則性はない。ありもしない安全地帯を求めて彷徨う者、アレセイアから出ようとしている者、獣に追われて走り回っている者、様々である。
もしトロイメライ様が見つかったのであれば皆が救いを求めてそちらへ向かうだろうから、恐らくはそうではないということだ。
沈みそうになる気持ちを強く奮い立たせ、群衆をかき分けていく。
その時、目の前に四脚の獣が飛び込んでくる。
「邪魔をしないでッ!」
両手で雷剣を握り、一閃。
放たれた電撃の波が獣を斬り裂く。
死体はすぐに漆黒の塵となって風に吹かれていった。
だが落ち着く間もなく怪物共が人や施設をかき消しながらやってくる。
一体一体は大したことない。こちらの攻撃は普通に通るし、あちらはパワーこそ凄まじいが動きに関しては知性のない魔物と大差なく、攻撃を回避するのはさほど難しくない。
だが、とにかく数が多いのが厄介だ。
それに奴らは全方位から迫ってくるから、後ろに居る二人にも気を配らねばならない。
ライルはネルを抱きかかえているため《術式》しか使えず、戦闘能力が激減しているのだ。そもそも、彼は開けた場所で多数を相手取るようなことは不得手だ。
「私が……私がやらないといけないのよ……」
自分に言い聞かせるように小さく呟く。
どうも、先のアルフォンスとの戦闘から身体に異変が起きているようだ。
結局のところ実際に《術式》が発動出来たのは一回だけであるのにも関わらず、マナを消耗し切ったとき特有の頭痛と倦怠感に見舞われている。
それに加え、今まで感じたことのないような正体不明の痺れが左腕に走っているのだ。上手く力を込められないから右腕だけで剣を振ることになってしまっている。
正直なところ不調そのものだが、だからこそ、せめて気力だけは保たねばならない。
「私がやらなきゃ……」
雷撃を放ち、人型の獣五体を倒す。
そうだ、私は無理をしてでも戦わねばならないのだ。
「私がやらなきゃ……!」
ライルとネルを喰らおうと殺到した四足獣を十体ほど斬り刻む。
大丈夫、まだやれる。
ネルをこの旅に付き合わせた責任を取らなきゃ。残り少ない大切な時間を奪ってしまった責任を取らなきゃ。
「私がッ……!」
街路の先で人を貪っていた獣を斬ろうとしたところで突然、凄まじい吐き気に襲われた。
血と胃の内容物が混じったものがゴボゴボとこみ上げてきて、舗装された道の上にぶちまけた。
苦痛で倒れそうになるけれど、そうしたら二度と起き上がれない気がしたから、剣を支えに立ち続ける。
そんな私を見るに見かねたのか、ライルが慌てて駆け寄ってくる。
「おい、リーズ!」
「はぁ……はぁ……さあ、早く先に進みましょう」
「待てって! このままじゃお前が死んじまうよ!」
「そんな弱気なこと言ってる暇は――
と言いかけたところで、ネルの虚ろな片目がゆっくりと私の方を向いた。
もはや顔の半分は漆黒に染まっており、こうして向き合っているだけで身が引き裂かれるような気持ちになる。
だけど、目をそらすなんて許されない。
「どうしたの、ネル」
「もう、やめて……」
「やめてしまったら、あなたが……!」
「お姉ちゃんが死んじゃうのは嫌だよぉ……」
ボロボロと涙を流すネルの顔を見て、私はハッとなった。
自らが完全に冷静さを失い、自棄になっていたことに気づいたのだ。
使命感や責任感。そして「昔のように後悔したくない」という思いにばかり引き摺られて、肝心のネル自身の気持ちを考えられていなかった。
彼女は今の私を見て、間違いなく悲しんでいた筈だ。
たとえば「リア様が自分に対して同じようなことをしたら」と考えてみると、私だって同じ想いを抱くだろうから。
「……街を出よう。『逃げやがった』なんて批難する権利は誰にもねえし、そんな奴が居たら俺がぶん殴ってやるよ」
今にも泣き出しそうなライルが、無理やり笑顔を作った。
私はネル本人に問いかける。
「本当にいいのね?」
「よくないよ……死ぬのは凄く怖いんだもん……でもお姉ちゃんが私のせいで辛そうなのはもっと嫌だから」
「……そうね、ごめんなさい」
強がりを押し通すことが出来ないネルに対して申し訳なく思いながらも、私は彼女の顔とライルの顔を順番に見て言った。
「行きましょう。かなり消耗してるけど、アレセイアの外に辿り着くまでは持ち堪えられる筈よ」
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