1章4節:アステリアの覚悟
それから三日間、私たちはスラムでの情報収集に専念した。
人さらい共に関する追加の情報は得られなかったが、奴らが狩場にしそうな「弱者の多いエリア」に関しては何となく目星をつけられた。
そして、その後の早朝。
私はいつも通り「意識を半覚醒させながら」安宿で寝ていた。
睡眠していても周囲の状況を察知できるように会得した技術だ――時折、疲れていると本気で寝込んでしまうので完璧に徹底出来ている訳ではないのだが。
ともかくそんな状態なので、ライルが疲れた様子で帰宿し、「つ、疲れた……」などと言いながら、とぼとぼと歩いているのがすぐに分かった。
こんなに遅くなったということは、恐らくは無事に標的と接触出来たのだろう。すぐに報告を聞いても良かったのだが、彼はこんな様子だし、リーズもまだ眠っているので今は待とうと思った。
だがけしからんことに、ライルは自分に割り当てられたベッドではなく私の方に倒れ込んでくるではないか。
私はつい、上体を起こしてベッドの脇で鞘に入っていた剣の一本を「瞬時に手中に出現させ」、座ったままライルの首筋に迫ってしまった。
「ひ、ひぃぃぃぃ! ごめんなさいアステリア様! 悪気はなくてマジで寝ぼけてましたスイマセン!」
ベッドの上で平伏し、全力で謝る彼。
変な気がないことは分かっているのにうっかり死なせるつもりで迫りかけたので、むしろこちらのミスなのだけれど。
「いや、私こそゴメン……お疲れなのは分かるけれど、気をつけてね。寝てる時の私は加減出来ないから、近づいたらホントに危ないよ?」
「『この前の一件』でよぉ~~く理解しております!」
以前、私とリーズとライルが宿で寝ている最中に運悪く盗賊の集団が押し入ってきたことがあったのだが、意識が完全覚醒するより速く飛び起きて剣を抜いていたので、つい全員殺してしまったことがある。
別に命まで奪うつもりはなかったのだけれど、眠っている間はそんな少しばかりの配慮が出来なくなってしまうのだ。
ウォルフガングがもし居たならば、同じことがあってもこちらが手を出すまでもなく、あの人が即座に反応して全員を殺さずに無力化してくれただろう。私などまだまだ未熟ということだ。
私は剣を鞘に戻し、怯える金髪の少年の手を両手で優しく包み込んだ。
「ほら、寝ていいよ。なんならお詫びに、抱きしめて眠らせてあげよっか?」
「超絶遠慮しておく! いや、惹かれるものはあるけど……やっぱ止めとくよ、あんたの方がうっかり寝落ちしたらこっちが永眠させられるかも知れない」
「もう……寝落ちなんかしないのに。まあいいけどさ」
他愛もない会話をした後、ライルはすぐに自らのベッドに移動した。
なお、リーズはと言うと「ライルのバカアホポンコツヘタレ剣術ヘタクソ騎士」などと寝言を言いながらぐーすか寝ていたのであった。
ライルが仮眠に入ってから三時間ほど経ち、再び目覚めてから、改めて話を聞くことになった。
私たちは狭い部屋でそれぞれのベッドに腰掛けたまま、改めて会議を始める。
「……奴らは旧時代の古城跡を拠点として利用してた。どうやら建物全域に《
「そっか。何人かの高位術者を囲い込んでるのか、それともメチャクチャにレベルの高い術者が一人居るのか……どっちにしろ厄介だなぁ~」
「で、そんな感じだから、悪いけど流石に内部の戦力までは把握出来なかった」
「いや、充分やってくれたよ。ありがと」
ライルに向かって微笑みかけて感謝すると、彼は照れくさそうに頬を掻いた。なんだかんだ、リーズと同じくらい素直な奴だ。
しかしどうしたものか。一応、こちらには「《術式》への対策」があるので多少の防御結界ならば正面から強引に突破出来るが、術者の練度が高い場合はそうもいかない。
私が幾つかの選択肢を思い浮かべながらも顎に手を当てて唸っていると、ライルがこんなことを言い出した。
「もうさ、手っ取り早く、誰かが囮になって捕まってみるのはどうだ? リアとかそういうの得意じゃないか、あざといし、弱いフリするのに慣れてるし」
「あざとい」とは何だ「あざとい」とは。
実際、それが一番分かりやすいと思うけれど、なんとなく茶化したくなったのでわざとらしく頬を赤らめて困り眉で言った。
「……えっち」
「えっと、リア様……?」
「そんなことしたらゲスな連中にイヤらしいこといっぱいされちゃうかも知れないじゃん。私って美少女だし」
自分の身体を抱きしめて怯えるフリをしていると、隣のベッドではリーズが「私が絶対にお守りします、リア様には指一本触れさせません!」などと言ってガッツポーズしている。
一方でライルは、何を想像したのか恥ずかしがって目をそらしていた。元の世界ならば遊び人であってもおかしくないような見た目の男がこんなにもウブなのは、なんだか面白い。
「いや、いざという時に黙ってイヤらしいことを受け入れるような女じゃないだろ……つーか、リアはその……」
彼は私のベッドの脇にある三本の剣を見た。言いたいことは分かる。
私は「剣に純潔を捧げた女」なので、何があっても絶対に他者に抱かれてはいけないのだ。
「なはは、もちろんここは死守するつもりだよ。でも怖いなぁ~」
私が自らの下腹部を指差しながら言うと、ライルの顔が更に真っ赤になった。リーズも真っ赤になっている。
さて、純情年上コンビをイジって遊ぶのにもひとまず満足したので、素直にライルの提案を受け入れてあげよう。
「……なんてね。良いよ、ちょっと囚われのお姫様になってくる」
「最初からそう言ってくれよ、意地悪王女様。そういうところが『あざとい』っつってんだよ」
「ごめんごめん。じゃ、私とリーズが人さらい共に捕まったら、ライルも追いかけてきてね」
「またかよ……良いけどさ」
隣で黙って話を聞きながら頷いていたリーズが、突然、ベッドから立ち上がった。
「……ってなんで私も捕まることに!?」
「きみだってバレずに追跡出来るようなタイプじゃないんだから当然でしょ。それとも宿でお休みしてる? 傍で守ってくれないと私がイヤらしいことされちゃうかも……」
「い、いえ……確かにリア様の言う通りです。大人しく捕まるのは癪ですが!」
「勿論、自分自身や私が手を出されそうになったら戦っていいけど、基本的には我慢してね?」
「善処してみます……」
これで一通り話がまとまった。
我ながら、なかなか攻めた行動をしようとしているなと思う。
そのことにライルの方も気づいたのだろうか。
「……なんつーか、俺から提案しといて言うのは野暮かもだが、冷静に考えて無茶だよな」
「確かに。でも五年前のあの日……王都を出て冒険者を始めてから、無茶じゃなかったことなんて一度もなかったしさ。ちょっと感覚が麻痺しちゃってるよね」
最初は「上っ面だけの怯え」ではなく、心の底から真に恐怖を感じて生きる毎日だった。
王宮での生活は嫌なことばかりだったけれど、外の世界はあれ以上の悪意と退廃、差別と暴力で満ち溢れていた。
人間は他の種族を見下していて、見下される側もまた地位の転覆を狙っている。
人間同士でも差別が止むことはない。上流階級の連中は貧困層を虐げ、貧困層の者たちはいつでも彼らの破滅を望んでいる。おぞましいことに、不祥事を起こした貴族の公開処刑は庶民にとっての娯楽となっている。
郊外をちょっと歩けば、すぐにならず者や娼婦の死体を見ることが出来る。
傷や病によって外見が悪化したせいで気味悪がられて、表の社会から迫害された者を見ることが出来る。
魔族によって強引に子を宿らされた女を見ることが出来る。
生まれたことを呪いながら、「自分はこんなにも不幸なのだから他人から富や幸福を奪う権利がある」と主張するかのように略奪を繰り返して生きている半魔を見ることが出来る。
これらの救いがたい現実を知っていく度に、私の心の奥底にある殺意の剣は研ぎ澄まされていった。
今ではもう、恐怖や絶望すらも無意識に斬り刻んでしまっている。
しかし、死というものを経験していないからか、あるいは自らの生まれた世界を否定するほどの殺意を抱けないからか、ライルやリーズは恐怖と隣合わせで生きているようだ。
二人はこれまでの日々を思い出しているのか、俯いて暗い顔をしていた。
「……正直、私は昔も今も怖くて仕方がありません。リア様の足を引っ張りたくないので、考えないようにしているだけで」
「俺もだ。今回の件だって『そもそもウォルフガング先生が戻ってくるまで待ったほうがいい案件なんじゃね?』とか思ってたりさ」
確かにその方が確実だろう。彼はライルやリーズどころか、はっきり言って私よりも強い。
だが、いつまでも頼り切っている訳にはいかないのだ。
もちろん年齢の問題もある。たとえ今のウォルフガングが健康であっても、十年後に生きていたら奇跡だろうと思っている。
だがそれ以上に彼は、冒険者を続けるにせよ他の仕事をやるにせよ私たちが《ヴェンデッタ》ではない個人として自立することを望んでいるから、どこかで手を貸してくれなくなる可能性もあるのだ。
そう、かつて「アステリア第三王女」はウォルフガングを信じなかったことを悔やんだが、やはり他人など自分の思い通りにはならないのだから、依存する人数は可能な限り減らしていくに限る。
「……ウォルフガングは出来るだけ私たちが自ら問題に対処し、成長することを望んでる。ほら、『いつまでもこうして四人で冒険者を続けていられる訳じゃない』ってたまに言ってるじゃん」
「でもあのおっさん、今でもバリバリ現役だぜ? 死ぬまで引退しねーだろうし、忠誠心の塊だから生きてるうちに王女サマを突き放すことも考え辛い」
「忠誠心に関しては認めてるけど、『だからこそ』距離を置くことだってあるよ」
「分からんな……っつーか、あの人が居なくなった後のことなんて考えてねえ。俺は今この瞬間、程々に生活できてりゃそれでいいからな」
ライルの消極的な意見に対し、リーズは何も言わない。
彼女はライルと違って、しばしば「ウォルフガングの意思を尊重して少しでも自立すべきだ」と主張してはいる。
だがそんなものは尊敬する師を思っての建前でしかなく、本質的にはライルと同様に未来への恐怖に囚われている人間だから、「今を生きていられればいい」という考えを否定出来ないのだ。
なんとも頼りないと感じてしまうけれど、二人が抱えている「それぞれのトラウマ」を思えば無理もない。肯定はしないが、無理に意識の変革を求めることもしない。
私がどこまでも私でしかないのと同じように、他人もまた他人でしかないのだから。
「……ま、それならそれでいいや。怖くて何も出来なくなるよりはずっとマシだからさ。でも、とりあえず今回の件は私たちだけでやるつもりだから」
私はそれだけ伝えて、話を打ち切った。
過去に思いを巡らせる。
クソったれな元の世界での生活。勇者に憧れながらも結局は現実を変えられない、腹立たしい少年。
生まれ変わってから、王宮内で冷たい視線を向けてくる者たち。
惨たらしく命を奪われた、愛する母。お母様を救えなかった仲間たち。
人と魔。王家の連中と、他者から奪うことしか能がない蛮族共――何もかも間違っている。
こんなにも理不尽に満ちた世界なんて大嫌いだ。
そう思って、「世直し」という名目ではあるが怒りのまま、闇雲に敵を斬ってきた。
だが結局、今になっても「どうすれば怒りを完全に解消し切れるか」が分からないのだ。
王家の者たちを殺したらこの炎は収まるか? 或いは魔族を根絶したら?
もしそうしても怒りが収まらなかったらどうしよう? 次はこの心に抱いた剣をどこに向ければいい?
もし思いつく限りのことをやって、それでも世界を許せなかったのならば、最後はこの世の全てを斬り尽くすまで戦うことにしよう。
今の私はあの頃とは違う。強くなって、昔よりも色んなものを斬れるようになった。
だけれど、世界に勝とうと思うのならばまだまだ足りない。高序列とはいえ所詮は一介の冒険者に過ぎず、一人じゃ大したことは出来ないのだ。
――もっと強大な存在にならなければ。
そんな、今はまだ漠然としている、誰にも見せていない意思を再確認するのであった。
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