7章2節:魔王の覚悟②
仲間たちとの会議を終えた後も、俺に休まる暇はなかった。
やるべきことは《魔王軍》に所属する将兵やルミナス帝国側の徴兵によって集められた者たちへの命令だけではない。
民衆に間もなく決戦が始まることを伝え、戦意のある者には都を守る準備を、そうでない者には避難の準備をさせた。
当然、ラトリアの連中が都に突入することになればたくさんの犠牲が出るだろうが、少なくとも非戦闘員は生き延びられるだろう。
何よりも大切なのは人の命である。たとえ国外での生活が苦しくとも、生きてさえいればいつかまた居場所を得られる筈だ。
気づけば会議から数日が経ち、ようやく僅かながらも一息つく時間が出来た。
夜、寝室。俺はチャペルの柔らかな膝の上で休んでいた。
「ダスク様、相当お疲れな様子ですね」
チャペルが俺の頭を優しく撫でながら言う。
「ああ。流石にな……だが俺が選んだ道だ、頑張ってみるよ」
「あまり無理をなさらないでくださいね、本当に」
「今、無理をしなければいつするんだ」
「……そうですよね。ごめんなさい」
見上げていたチャペルの表情が陰る。
この子にこういう顔をされると、凄く申し訳ない気持ちになってしまうな。
「……こっちこそ悪い。心配してくれてるんだよな」
「はい、凄く心配なのです。ですからその、何か私に出来ることはありませんか?」
チャペルにして欲しいこと。色んな発想が浮かんでは消えていって、最後に残った望みは我ながら何ともつまらないものだった。
こういう時、魔王なら皇女様にキスでも求めるのがお約束なのだろうか?
「そうだなぁ……昔話にでも付き合ってくれないか」
「それで良いんですか? えっと……普段は気が引けてしまうような大胆なことでも……大丈夫ですよ?」
「これが良いんだ」
「むう。分かりました」
チャペルは一瞬だけ不満げにした後、すぐに穏やかな笑顔を見せてくれた。
そんな彼女の姿を記憶の宝箱にしまってから目を閉じ、これまでの人生を想起して、滔々と語っていく。
故郷での平和な日々。それが壊された後の一人旅。
アルケーとの出会い。地上での出来事。
魔族の為の村を作ったこと。大切な居場所をまたしても蹂躙され、人間に、世界に絶望したこと。
チャペルには語っていない前世のことも含め、ここまででも既に激動の人生と言えるようなものだったけれど、そこからも様々な出来事が起こった。
魔族を救う為ならば手段を選ばないことを誓った俺は、まだ創設者としての影響力が十分に通用していた当時の《ドーンライト商会》を利用し、資金を集めさせた。
その資金によって、次は東方エリアではなくルミナス帝国領に拠点を築いた。
更には天上人、地上人を問わず腕の良い戦士をかき集めていく。
結局、弱者は平和的な交渉の場に立つことすら許されない。だから俺たちは、軍団として強くなっていった。
力さえあればルミナス帝国であっても兵を派遣して制圧するのは容易ではなくなるし、それ以上に、利用価値をあちらに提示出来るのだ。
この時はまだラトリアとルミナスの関係は悪いものではなかったが、それでも双方ともに世界制覇を虎視眈々と狙っていた。
そんな状況下であれば、俺たちを排除するよりも利用したほうが良いと考えるだろう。
実際、読みは当たっていて、ひとまず俺たちとルミナス帝国は対等な立場で不可侵を誓い合うことが出来た。
そこまで上手く行った理由として、当時のルミナス皇帝であるアウグストの父が、息子と同じく「様々な種族が平等に暮らす世界」に理解を示してくれたというのが大きい。
理想だけを語っていても誰も相手にしてくれないが、そこに力が伴っていればまた話は変わってくるという訳である。
そして、天暦1000年がやってきた。大陸創造から1000年が経ったことを祝う祭が各所で開かれるこの年は、「計画」を実行するにあたってこの上ない絶好の機会だった。
俺は各国に部下を送り込み、浮かれきった民衆に冷や水を浴びせる形で宣言させた。
「我らは地上という地獄に放逐されし民、魔族。そしてこの腐った世界に平等をもたらす軍勢、《魔王軍》である!」
このとき初めて、俺たちは《魔王軍》と名乗った。
世界を恐怖で支配し、強引にでも平等をもたらす「悪役」だ。これ程に相応しい名前はないだろう。
部下らは《魔王軍》の名を広めて「魔族の受け入れ」を各国に要求すると共に、テロを起こしていった。
犠牲が出るのは心苦しいが仕方のないことだ。力を持っていることを示さねば天上大陸の人間が我々を受け入れる筈もないのだから。
どのみち異端者として避けられてしまうのであれば、見下され虐げられるよりは恐怖の対象であった方が幾らかマシだ。
なお、秘密裏に繋がっているルミナス帝国には俺が直接赴き、「魔王」として演説を行った。これに関しては、表向きは《魔王軍》と帝国の間に友好関係がないことを主張する為の茶番である。
かくして《魔王軍》は世界の敵となった。
宣戦布告を行って以降はずっと、戦いばかりの毎日だった。
そんな中、ラトリアの国王が戦死した。これを好機と見てルミナス帝国は「惰弱なラトリアを切り捨て、《魔王軍》と共に歩む」と公表。
ここでようやく俺たちと帝国は正式に同盟を結べたという訳だ。
ちなみに世間的には、帝国のこの動きは「《魔王軍》の脅しに屈した」ということになっている。
そもそも俺たちと帝国は元より協調の道を模索していたので、なるべくしてこうなったのだが、しかし誤解が広まるのはありがたかった。
恐怖され、憎まれるのは《魔王軍》だけで良いのだから。
《魔王軍》は強かった。まず魔族は身体能力に優れている者が多いし、先天的なマナ操作能力、すなわち《魔法》を使える者も居る。
その上、こちらには《術式》という強力な技術だってあるのだ。
俺たちはどんどん領土を拡大していき、ルミナス周辺諸国全てを支配した。
これに慌てた《天神聖団》は《ドーンライト商会》に多額の献金を行い、以前は禁忌と見なしていた《術式》を流出させると共に公認。天上人側もまた、一歩遅れて《術式》を手にすることとなった。
この時には既に商会の中にも「利益追求の為に《魔王軍》とは手を切るべきだ」と考える者が現れ始めており、それ故に裏切りが起きてしまったのだろう。
とはいえ、新技術をすぐに受け入れられる人間はそう多くない。それが少し前まで宗教的禁忌であったのならば尚更だ。
結局、こちら側の優勢は覆らなかった。
そういった状況下の天暦1028年、チャペルが生まれた。
出生から一年も経たないうちに、彼女が俺の婚約者となることが決まった。
アウグストは俺とチャペルを結婚させることでより強い結びつきを作ろうとしていたし、俺にとってもちょうど良い話だった。
政治的な意味でもそうだが、チャペルの母は魔物を操る《魔法》を使うことが出来たから、その力を引き継いでいてくれるならば戦力的にも期待出来ると思った。
そして、成長したチャペルはその期待に応えてくれた。いや、期待を遥かに上回ってくれた。
彼女の天才的な魔物支配能力にアルケーと俺が作り上げたゲート開放用の《術式》を合わせることで、地上から無数の魔物を連れてきて戦争に利用することが出来るようになったのである。
そう、最初は利用する目的でチャペルと婚約したに過ぎないのだ。
チャペルは幼い頃から一貫して「人も魔族も関係なく、みんなが手を取り合って平和に暮らせる世界になって欲しい」と言っていた。
そんな彼女だから、支配した魔物が人を殺し人に殺されることに心を痛めていたけれど、それに対し気を遣いつつも「やめてもいい」とは言わなかった。
チャペルの助力もあって《魔王軍》の勢いは更に強まり、やがてラトリア北部、最終的には王都も占領することに成功。
俺たちの勝利は決したか――と思われたところに、あいつらは現れた。
《勇者》レインヴァール。《ヴェンデッタ》のリア。つまりユウキとセナだ。
二人だけではない。他にも「《魔法》でも《術式》でもなく特異武装の力でもない、全く新しい異能を用いる者」が数人、台頭してきた。
彼らは《権限》を持っているのだとすぐに気づいた。俺自身がまさにそうなのだから。
そして《権限》覚醒者たちは、その圧倒的な強さによって王都を解放したのであった。
さて。王都にこちら側の戦力が集中している隙を突くように、ラトリアは解放戦の裏で別の作戦を実行していた。
それは「チャペルを拉致する」というものだ。
彼らはルミナス帝国に潜む内通者と協力し、帝国内に侵入。城を出て貧困者を救うための慈善活動に従事していたチャペルを捕らえた。
彼女がさらわれたことを聞いたとき、情などとっくの昔に捨て去っていた筈の俺の頭は怒りでいっぱいになった。
俺はたった一人で侵入者たちを追撃。全員を屠り、チャペルを救出した。
恐怖から解放された彼女はわんわんと泣いて俺に抱きついてきた。
その時、思ったのだ――「せめてこの子だけは守ってやりたい」と。
ずっと利用し続けている後ろめたさ故か。それとも、守れなかったセナをこの子に重ねているのか。
或いは気づかないうちに俺はチャペルに本気で惚れていたのか。
何でもいい。とにかくこの子を大切にしたいという感情で心が満たされたのだ。
だが、俺にこの想いを伝えることは許されない。
俺は「一人の少女を愛する男」ではなく「数多の弱者の為に戦う魔王」なのだから。
「……チャペル。今までありがとう」
昔話を終えて出てきたのは、そんな言葉だった。
それを聞いたチャペルが怒りを露わにする。怒っていてもやはりこの子は可愛らしくて優しげだ。
「そのような言い方をなさらないで下さい! まだ終わっていませんっ……!」
チャペルはそう言うと、膝枕をやめて俺の上に馬乗りになった。
「絶対に生き残りましょう、一緒に。ですから、その……『もっと生きていたい』と思えるようにして差し上げます……」
キュートな皇女様の顔が紅潮する。彼女はおもむろに俺に近づくと、唇にキスをするのであった。
幼い頃、彼女は「早く魔王様と結婚したいです」なんて言いながら何度も戯れにキスをしてきたが、本気でするのは初めてだった。
深夜。隣に居るチャペルの寝顔を眺めていると、寝室にアルケーが入って来た。
俺たちの様子を見るなり、彼女はやれやれといった風に苦笑いをする。
「おっと……元気付けてやろうと思ったのだが、むしろお邪魔だったみたいだな、レイジ」
「何の話だ?」
「とうとうチャペルに手を出したのかと」
「いやいや、まさか」
「君は何をいまさら初心なフリをしてるんだ。私どころかリゼッタまで抱いている癖に、婚約者は抱かないのか」
「それはお前たちが求めてくるから……」
「皇女様とて君に恋する女。延命の《術式》を使っている私やリゼッタと違って外見通りの年齢とはいえ、あまり子ども扱いしたら可哀想だぞ」
「昔はともかく、今は子ども扱いしてるつもりはない。婚約者だからとかじゃなく、俺は女としてこの子を愛している……って、こんな話をお前にするもんじゃないな」
「ずっと昔から『私は一番じゃなくて良い』って言ってるだろう。それに私だってチャペルが好きなんだ。この世界じゃ珍しい程に優しい子だしな。でもそれだけに危うくもあるから、支えてあげたいんだろう?」
「ああ。だがこの子の望み……『人と魔が共存する世界』を実現するには結局、戦争するしかなかった。皇女チャペルを、ルミナス帝国を危険にさらすしかなかった」
「仕方ないさ。大半の人間は得体の知れない異邦人のことなんて受け入れられないものだからな。だから五十年前の事件が起きた訳で……」
「分かってる。チャペルには悪いが、端から平和的解決なんて無理だったのさ。俺に出来るのは支えてやることじゃなく、世界中の憎しみの全てを受け止めて死ぬことだけだ」
「苦しくないのか? 怖くないのか?」
「傷つくのも怖がられるのも憎まれるのも、慣れてるからな」
俺はそう言うと同時に、この世界に転生した時のことを思い出していた。
かつて女神にも同じようなことを言ったな、と。
あの時はまさか自分が魔王になるだなんて思ってもみなかった。
まあ、「不良狩り」なんて言って喧嘩に明け暮れていた俺如きの末路としては上等な部類なのかも知れないな。
「なるほど……だからチャペルを抱けないのか。これから殺される予定の悪役たる君の身では、この子はあまりにも眩しすぎるから」
「……多分な」
「それなら仕方ないか。でも後悔はしないようにな。愛人からの忠告だ。じゃ、私は戻る」
手を振り、去っていくアルケー。
彼女にも本当に迷惑をかけたな。どうか、誰でもいいから俺の代わりに彼女の夢の成就を手伝ってやってくれ。
「呪血病を治したい」なんて豪語した女だ、魔王風情には勿体なさ過ぎる。
セナ。ユウキ。お前たちは今どうしてる? きっとこれから俺を殺しに来るのだろうな。
無論、お前たちが相手であっても大人しく負けるつもりはない。俺はこの世界で守るべきものを得たから。
「勇者」として、「復讐者」としてそれを否定するのであれば、こちらは「魔王」として立ちはだかってみせよう。
でも。
死ぬことで少しでも前世や現世における贖罪が出来るというのであれば。
せめてお前たちに殺されたいな。
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