12章6節:王家の疑惑

 ライングリフ殺害未遂事件が起きる数日前のこと。

 王宮、王妃マリーシエル・フォルナー・ラトリアの私室にて、レティシエルは不安げに母と向き合っていた。

 父が寝室で吐血していたことを報告しに訪れたのだ。

 マリーシエルは夫の容態を聞いても彼のもとに駆けつけようとはせず、不機嫌そうに足を組んで座ったままでいる。


「……またなのね。適当な侍女に掃除させておきなさい」

「母様は行かないのですか? こういう時、父様にお薬を飲ませていたはずですが……」

「あの人、私のことが嫌いなんだわ。体調を崩す前も、崩してからもずっと傍で支えてあげたのに少しも礼を言わないのよ」

「不器用な御方ですから。きっと心の中では感謝しているかと……」

「有り得ないわ。今更になってエルミアやアステリアのことを気にかけているような男なのよ? ああ、あの女どもの名前を呼ぶのも忌々しい……!」


 俯き、白髪まじりの金髪を掻きむしるマリーシエル。

 娘はその様を見下し、「王権『ごとき』に執着した者の末路だ、自分はこうはならない」と心の中で思った。

 母がおもむろに皺だらけの顔を上げると、彼女はまた不安を演出して問うた。


「母様が行かないのであれば代わりに私が。お薬を頂けますか?」

「……それなんだけど、今は切らしているの」

「え?」

「契約している薬師が消えたのよ。国王の治療という何よりも優先すべき仕事を怠るだなんて、探し出して処刑しなきゃねえ」

「失踪、ですか……余程のことがあったのでしょうね」

「ライングリフかローラシエルに状況を調査させるし、必要に応じて別の薬師を呼ぶから、あなたは何も気にしなくていいのよ」

「承知しました。とはいえ心配ですから父様のところに戻りますね。お薬はなくとも話していれば少しは気が紛れるかと」

「そうしてあげて。私はともかく、子供のことは今でもちゃんと愛しているでしょうし」


 頷き、退室するレティシエル。

 母と別れた瞬間に彼女はすっと無表情になり、「やはりそういうことでしたか」と冷たく呟いた。

 先の会話で確信に至ったのである――母は父に毒を盛ったと。

 むしろ、彼女はこの確信を得る為に両親と接触していた。


 レティシエルは人から盲信される一方で、決して人を信じ切らない女である。

 ゆえに、ずっと前から「母が王太后として権勢を振るう為に父を暗殺する」という可能性を考え始めていた。

 父がストレスと加齢で体調を崩しだしたのはそれを実行する好機であったに違いない、とも。実際、件の薬師とはそのタイミングで契約を結んでいる。

 そして先日、王宮内で「薬の受け取りを担当していた侍女が自殺する」という事件が起きた。これによりレティシエルの疑念が更に強まっていた中で薬師が失踪したのである。

 

 レティシエルが推理する――二人は母の圧力により「毒物を王宮に持ち込む」「それを受け取る」といった形でしぶしぶ暗殺に加担していたが、ついに良心の呵責に耐えられなくなったかもしくは怖気づいたのだろうと。

 薬師は外部の人間なので行方をくらます選択ができた。しかし他に行き場がない宮廷侍女のほうは切羽詰まって命を絶ってしまったという訳である。


 自らの考えを再確認したレティシエルは、傍らに立っている生真面目そうな近衛騎士の青年に声を掛けた。彼はレティシエルに籠絡された手駒の一人であり、このような者は貴族、騎士、正規軍人、侍女、平民など各層に紛れ込んでいる。


「例の薬師が消えたそうです」

「ということは……」

「間違いないでしょうね。今すぐ行方を追って下さい。他の近衛騎士……あとは冒険者と情報屋から応援として十数人ほど手配しておきますので」

「発見した場合、こちらで確保しますか?」

「動きがあるまでは静観しつつ、市井の情報網に『王宮に毒を持ち込んだ男』として居場所を流して下さい」

「よろしいのですか?」

「ええ、後のことはアステリアあの子に任せましょう。ライングリフ派の手の者が争奪戦に勝ちそうになった場合のみ加勢して頂ければ」

「御意」


 去っていく青年。その背中を見送りながらレティシエルは言う。


「恐らく兄様もシュトラーフェあたりを出してくるかと思いますが……それくらいは凌いでみせて下さいね、アステリア」

 



 それから数日後。

 王都がライングリフ殺害未遂事件の噂で持ち切りになる中、ライルとリルは露店の立ち並ぶ裏通りを疾走していた。

 

「クソッ! なんか色々と厄介なことになってきちまったな……!」

「今は薬師を捕まえることだけ考えるニャ! 気配はこっちニャ!」


 王都に派遣された《アド・アストラ》は情報収集の結果、王宮に毒物が持ち込まれたこと、犯人が行方をくらましていることを掴んだ。

 そしてつい先程、二人は薬師の具体的な潜伏場所と、彼が妙な四人組に追われていることを知り、他の《アド・アストラ》メンバーの集結を待たず急いで確保に向かった。

 この薬師の存在は王家に痛手を与えるスキャンダルとなる。追手――冒険者パーティ序列第四位《シュトラーフェ・ケルン》に二人だけで立ち向かうのが危険だと分かっていても、身柄を渡す訳にはいかないのである。

 なお、《アド・アストラ》がこういった情報に至れたのはレティシエルの支援のお陰であるが、彼女とアステリアが共同戦線を結んだことをまだ聞いてないため、それを知る由もない。


 袋小路の手前に辿り着くと、そこでは五十歳前後の気弱そうな男が、噂通りちぐはぐな印象の四人に追い詰められていた。

 リルとライルは《隠匿コンシール》で気配を消し、奇襲するタイミングを窺うことにした。


「さあ、ウチらと一緒に来るっす。大人しく従ってくれれば痛い目に遭わせずに済むっすよ」


 笑顔で脅迫しているポニーテールの女はアルマリカ。《シュトラーフェ・ケルン》の筆頭だ。

 それに続くのは白衣姿の柔和な青年、トリスタン。


「僕もあなたと同じ薬師でして。植物のことはそれなりに理解しているつもりです。たとえばこれを飲み込むと人間族の場合……」


 トリスタンが懐から取り出した毒草を見た男は、その強力さを知っているがゆえにすっかり怯え切って失禁する。

 このまま待っていたら彼が危害を加えられてしまうかも知れない――そう考えたライルはリルと目配せし、まず《迅雷剣バアル》による長距離刺突でトリスタンを射貫こうとした。

 だが、それよりも早くアルマリカが振り返り、ライルに矢を放つ。

 咄嗟に剣の能力を使うのをやめ、身体を逸したため無傷で済んだが、これで奇襲は封じられた。

 ライルとリルは仕方なく袋小路に躍り出て四人と対峙する。


「おや、アステリア殿下んとこの犬じゃないっすか」

「犬じゃなくて猫ニャ。で、序列入り様がそんな冴えないおっさん追いかけ回して一体どういうつもりニャ?」

「依頼、とだけ。守秘義務ってやつがあるっすからね。むしろアンタたちの方が怪しくないっすかぁ?」

「こっちにも事情があんだよ。とにかくその男は譲ってもらうぜ」


 ライルがアルマリカに剣を向けると、白銀の鎧で全身を覆ったベルタが立ち塞がる。

 それと同時に、偏屈そうな痩身の男性、オーラフが天に手を掲げた。


「やれやれ。この極悪人どもを援護せねばならんのは未だに受け入れ難いが、これも仕事か」

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