第三十一話

 マリア・ロマノフは卓越した操縦技術を持ったヴァルクアーマー乗りであり、部隊の指揮官としても的確な判断を下せる人物だ。その彼女が部隊の隊長として常に心がけていることとはそう多くない。


 その一つに『予め最悪の状況を想定して行動する』というものがある。


 そうすればあらゆる状況を都度に想定し、それに応じて上手く立ち回ることで大抵のことは要領よく切り抜けられる。もし、その『最悪の状況』へと状況がどうしようもなく転がっていったとしても、前もって心のなかで覚悟を決めておく事で精神的な動揺を防ぐことが出来る。


 それは咄嗟の判断で部下の命を左右してしまう立場の彼女にしてみれば至極当然の思考であったし、いざという時に何も出来なかったという事態を避ける必要性もある。


 今、人間の骨格標本のような内部フレームをむき出しにした謎の狂戦士が片手剣の柄を握る。その剣は倒れ伏したブラストウルフレイチェル機の肩口に深々と突き刺さっており、おそらくこれからトドメを刺すつもりなのだろう。かの狂戦士は、厄介な遠距離攻撃をしてくるレイチェルを優先的に排除しなければならないと判断している。それは翻ってマリア達は後回しにしても、三機を同時に相手取っても勝てると見込んだということだ。


 アイシクルティーガーのカメラ・アイから送られてくる映像がひどくスローモーションに見える。モニターのやや不鮮明な映像がコマ送りのようになり、狂戦士の動きがやけにハッキリと知覚できる。しかしマリア自身の身体も緩慢なことに気付き、彼女が想定する最悪の未来を寸分違わずなぞっているからだと理解した。おそらくこれから一秒もかからずブラストウルフのコックピットは無残に破壊されてしまうだろう。そして勿論、中にいるパイロットは――――


 ならばどうする? パイロットが一人のは痛手だが、これは千載一遇の好機でもあるはずだ。ブラストウルフにトドメを刺す瞬間はどうしても立ち回りが限定される。今の狂戦士は装甲を纏っておらず、こちらは一撃でも当てられればそれで戦闘不能にまで追い込めるというわけだ。自分はここからライフルで牽制しつつ、左右からアークスターとフラッドウルフの挟撃を指示すれば。


 冷徹な思考は、そのとても合理的な判断はまばたきをするほどの時間も要らなかった。これから無線機に向かって叫べばいい。左右から攻撃しろ、と。そうすれば部隊が全滅することはない。躊躇すれば一人、また一人と倒れていくだけだ。未知の強敵を倒すには、これしかない。


 そう覚悟を決めたマリア隊長はいつの間にか強く結んでいた口を開き、腹の底から振り絞るように言葉を吐き出した。




『逃げろ、レイチェル!』




 マリアの叫び声は虚しくも大空洞にかき消える。私は何を言っているんだと、彼女の内にいるどこまでも冷静な思考が呆れたように溜息をつく。


(今更間に合わない……私は一手、仕損じてしまったのか……済まない、レイチェル。不甲斐ない隊長を恨んでくれ)




 その刹那。


『ヨーラン、なげるよー!』


『へ? うわバカなにやっ』


 突如、アークスターはヨウランの乗るフラッドウルフの腰辺りをむんずと掴むと、そのまま強引に持ち上げたではないか。ジタバタと暴れる機体をものともせず、そのままアークスターは狂戦士と倒れ伏したブラストウルフへ目掛けてする。


『てんだァァァー?!?!』


 無線機からはヨウランの凄まじい悲鳴とも絶叫とも分からない声が。しかし流石は彼女といったところか、まるで猫か何かのようにクルリと宙で体勢を直し、今まさに剣を掴んだ狂戦士に蹴りをお見舞いするではないか。


「…………?!」


 想定外の攻撃に狂戦士は片手剣をレイチェル機から引き抜き、その場から大きく離れる事しか出来なかった。過程は無茶苦茶だが、結果的にレイチェルの身の安全は守れたようだ。


『てめっ、アーク! てめェこの野郎! いきなり、な、何しやがるんだ! ブッッッ殺すぞゴラァ!』


『えー? いーじゃんべつにー。ぶーぶー』


『小石投げるのと同じ感覚でヴァルクアーマー投げんじゃねェ! 口から心臓が飛び出るかと思ったぞ!』


 憤慨するヨウランはさておき、それまでピクリともしなかったブラストウルフがどうにか上半身を持ち上げていた。


『すみません……隊長。アークくんもありがとうね』


『いや……私は……』


『いえーい! レイチェルもげんき! ならよかった!』


『オイ、なんで一番身体を張ったアタシには労いの言葉がねェんだ』


『だって、ヨウランはいつだって私の為なら危険を顧みず助けてくれるでしょう〜?』


『……ケッ、その調子なら怪我一つ無ェな。さっさと起きやがれ』


『もう、照れちゃって〜。顔真っ赤よ〜?』


『うるせェ! っつーか無線で顔は見えてねェだろうが!』


 しかし、状況は悪化する一方だ。撤退するには出入り口を目指すわけだが、この人工大空洞に出入り口は一つしかない。そして、その方向は今まさに狂戦士が立ちはだかっている。


 そして、レイチェル自身は軽い打撲程度で済んでいるが、機体の方はかなり厳しいと言わざるを得ない。右肩の付け根を大きく剣で抉られており、この状態では愛用の狙撃銃は構えられないだろう。他の機体に損傷は殆ど無いものの、魔法が使えない今はどうしても突破力に欠けてしまう。


『それで、どーすんのー?』


『ちと厳しいが、なんとかするしかねェだろ。なぁマリア隊長?』


『…………』


『隊長?』


『マリアー?』


『……ん、ああ……済まない。少し呆けていたようだ……』


『ったく、しっかりしてくれよな隊長。おいアーク、奴は装甲を脱ぎ捨ててる状態だ。つまり、こっちの攻撃を一発でも当てりゃあ逆転の目は十分にある』


『よーし、ならバリバリやっちゃうぞー!』


 言うが早いか、アークスターとフラッドウルフは一気に狂戦士へと距離を詰める。両機とも武器は仕舞い、素手での格闘戦を仕掛けるようだ。


 片手剣をゆらりと振る狂戦士。その間合いへと果敢に踏み込むフラッドウルフ。狂戦士の放つ稲妻のような一閃をまさに紙一重、装甲表面を削り取られながらも上手く後方へといなす事に成功した。


『へっ、何度も見てりゃこんなもんよ!』


 そのまま機体と機体がぶつかるような距離までさらに踏み込む。ここまで接近すればいかに速く動こうとも、鋭い剣技も十分に発揮できない筈だ。


 狂戦士としては最適な剣の間合いで戦いたいのだろう、どうにかしてフラッドウルフとの距離を離すべく右へ左へ、時には後方へとステップで動くものの、淡い水色の機体はまるで液体のように変幻自在な歩法でそれを許さない。


『ヨーランすっげー! よーし、オレもー!』


 見よう見真似のつもりなのか、アークスターも同様にして狂戦士へと突撃する。が、勢い余ってフラッドウルフへとぶつかってしまい、そのまま両機とも派手に転んでしまった。相対する狂戦士はコントじみた出来事にも全く動じず、静かに剣を構えて待ち受けているのみだ。


『おいこらアーク! 邪魔してんじゃねェ!』


『あっれー? おっかしいなー?』


『おかしいのはてめェの頭だよ!』


『でもでも、オレにもできるとおもったんだもん!』


『いや、出来てねェじゃん』


『ふっふーん! じいちゃんがいってたんだー! まちがったり、しっぱいしてもいいから、ただしいとおもったとおりにしろって!』


『……お、おう。なかなか良いこと言うジイちゃんじゃねェか』


『それからねー、こうもいってたー! ほんとうにミスったら、わらってごまかせー!って! えへへー!』


『えへへ、じゃねェよ!!! お前のジイちゃんやっぱり無茶苦茶だな?!』


 お互いの顔は見えないが、無線機の向こうでは何故かドヤ顔のアークが目に浮かぶ。どこにそんな自信が秘められているのか、マリアはその向こう見ずな、しかしどんな時でも前向きなアークの言葉に励まされたような気がした。


(ありがとう、アーク君。私も自分が正しいと思えるよう、行動してみるよ)




『……二人とも、大丈夫かい? それにしても、魔法が使えないだけでこれほど苦戦するとは……全く、厄介な相手だね』


 この一瞬の間にアイシクルティーガーは倒れていたブラストウルフを助け起こしていた。とはいえ、やはり決定力に欠ける今の状況では打開策が見当たらない。マリアはこの狂戦士が恐らく魔物のような無人機と推測しており、もしそれが正しければ消耗戦はこちらの不利でしかない。




 マリアは現在に至るまでの状況を簡単に整理する。このヴァルクアーマーに良く似た機体――どうやら魔物ではないようだが――はこのダンジョンの最下層、大空洞のような空間に半ば朽ち果てた状態で放置されていたらしい。それがどういうわけか、突如として動き出しこちらを敵と認識して攻撃を仕掛けてきている。


 どうやらアークスターに執着のようなものがあるらしく、先程のブラストウルフへの攻撃以外は殆どアークスターを狙っている事にマリアは気付く。だが、それが何を示しているのかは不明だ。


 機能停止状態のダンジョンで朽ち果てていた謎の機体。何かアークと関係があるのか?




『おいアーク、そういやなんでお前ビーム使わないんだよ。あれなら一発だろが』


『えー? ビームうてないとおもうよー? あのほねほね狂戦士のめが、ぴかーってひかってるとまほうつかえないんだもん』


『……いや、待ってくれ。アークスターのビームは魔法とは異なる機序で発振している……とかなんとか、先生が言っていたはずだ。試しに使ってみてくれないか?』


 共和国でもビーム兵器は魔力をエネルギー源として開発が進められている。しかし先生によれば、デバイスを介したアークスターのビーム攻撃はそういった既知の技術とはそもそも異なる古代文明の技術体系で組み上げられているらしい。どんな手でもいいから突破口が欲しいマリアたちは一縷の望みに賭けるしかなかった。


『ううーん? でろー! アークビーム!』


 狂戦士へと向けて片腕を向けるアークスター。すると手の平に閃光が迸り、まばゆい光の帯が地下の饐えた空気を焼いて直進していく。


『でたー! ビームビーム!』


『なんだよ出るじゃねェか!』


『いや、だがこれではあまり意味がないかもしれない……』


 アークスターのビームは今の状況でも問題なく使えることが判明したものの、狂戦士は苦もなく回避してしまう。二度、三度繰り返すが、かする気配すら感じない。


 ビームそのものはほぼ光の速度なのだが、エネルギーチャージから照射開始までに起きるほんの僅かなタイムラグが存在する。銃で言えば、引き金を指で引き始めてから実際に弾丸が発射されるまでのほんの一瞬だ。人間では反応できるかどうかというほどの寸時も狂戦士にとっては十分すぎる時間であり、絶大な威力を誇るビームも特段の脅威ではなくなってしまうのだ。


『マジかよ……! ビーム避けるとか反則だろうが!?』


『万事休す、だね……』


『んー……よけられるなら、よけられないようにビームすればいいんじゃないのー?』


『……そういうことか! 出来るかい、アーク君?』


『へっへーん! まっかせてー!』


 何か必中の策でもあるのか、アークは自信たっぷりに言ってのける。マリアはある程度その考えを把握したらしく、ライフルをその場に投げ捨て再び細身の剣を抜き放つ。機体後方にいるレイチェルのブラストウルフをチラリと見やり、そしてゆっくりと前方から接近してくる狂戦士へと剣を向けた。


『ならば行くよ、ヨウラン。レイチェルはそこで待機しておいてくれ』


『なんだかわからねェけど、勝てる算段がついたならなんだってやってやるぜ!』


『隊長、お気をつけて……私の機体ではちょっと援護できそうにありません』


『ふふ、心配しなくてもアーク君は上手くやってくれるさ……きっとね。それに……』


 ふぅと息を吐き、胸の奥につかえていたようなナニカも一緒に吐き出す。


 隊長として部下を守るという責任は持っていたつもりだった。だが先程、レイチェルを諦めかけたことでマリアは気付いたのだ。本当に守りたいのは、大切な仲間である部下なのか、それとも隊長として振る舞う自分自身なのか。


 


『間違ったり、失敗してもいいから、自分が正しいと思ったとおりに行動する事が大事なのさ。そうだろう? アーク君』


 そう言って操縦桿を握り直す彼女はニヤリと不敵に微笑むのだった。

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