第三十話
前方から
しかし、マリアは直後の出来事に思わず銃のトリガーを引くことができなかった。一体何が起きたのか、目に見えた現象は受け入れる事が出来ず、またそれが何故可能なのかが理解不能だった。
端的に説明すると、狂戦士を縛っていた水の鎖はその形を喪いただの液体となって地面へとこぼれ落ちた。そして機体の自由を取り戻した狂戦士はその身を独楽のように回転、前後から迫りくる二機のヴァルクアーマーをカウンター気味に切り払ってしまったのだ。
『うぐぁっ!』
『いったー!』
『ちょっと、どういうこと~?! ヨウランの魔法が効いてないじゃないの~?!』
思わぬ反撃を喰らい地面に倒れるアークスター。そこへ追撃を仕掛けようとする狂戦士だが、レイチェルの的確な援護射撃でそれは叶わなかった。
『いや、ヨウランの魔法はたしかに発動していた。実際に直前までは動けなかったようだしね……ヨウラン、大丈夫かい?』
『いつつ……ああ、アタシは大丈夫だぜ、隊長。ちょいとドジっちまったが、今度は上手くやってみせらァ! アーク、いつまで寝てんだ、さっさと起きろ!』
『はーい! でも、まほーつかえないよ?』
『うるせぇ! つべこべ言ってんじゃねェ!』
ヨウランは再び眼前の敵に意識を集中し、床に飛び散った水を操作しようと魔法を発動させようとする。だが、液体は少しも彼女の意のままには動かず、少しずつ重力に惹かれて水たまりが広がっていくばかりである。
『なんでだ……?!』
ヨウランは魔法による戦闘に長けているほうではない。それゆえ水属性の基本である流体操作のみに特化させ、
そうこうしているうちにも狂戦士はアークスター目掛けて地面を蹴る。マリアは咄嗟にアサルトライフルを三連射するも、片手剣で精確に切り払われてしまった。
『それなら……!』
マリアは狂戦士に付着している水に意識を集中させる。その殆どが地面にこぼれ落ちているが、いくらかは装甲と装甲の隙間や関節部に染み込んでいるはずだ。その水を氷魔法で凍結させれば体積が膨張し、精密な噛み合わせで駆動する関節部などは致命的な損傷になる。
だが、いくら魔法を行使しようともかの狂戦士の動きは鈍ることは無かった。防戦一方のアークスターは今も激しい斬撃をどうにか捌いている。
『……魔法が発動しない……?! レイチェル、君の魔法はどうだ?!』
『えっ? ええと……あら~? 発動しないわ~! なんで~?!』
自慢の狙撃銃を構えたまま動かないブラストウルフ。彼女自慢の風属性魔法はそよ風すら起こす気配もない。
『髪は? 髪はどうなっている? 発光しているか?!』
『あら? そういえば全然光りませんね~、でもさっきはちゃんと発動したし、魔石の魔力も十分に残っていますけれど……???』
『やはり君もか……原因は不明だが、何故か魔法は使えなくなってしまったようだ。ここからはどうにかしてあの魔物……かどうかは不明だが、敵に対処しなくてはならない。聞こえたかい、ヨウラン、アーク君!』
『まったく、どういうこったよ……了解!』
『ぬぎぎー! こいつぼろぼろなのに、なかみはつよーい!』
マリアのアイシクルティーガーはアサルトライフルを背部にマウントし、代わりに腰から細身の剣を抜き放つ。ブラストウルフは後方で膝立ちのまま狙撃銃を構えたままバックアップに徹するようだ。
『三機で仕掛ける! レイチェルはその場で援護を! もし敵が脚を止めたなら容赦なく撃ち抜いてくれ!』
言い終わる前にアイシクルティーガーは地面を蹴る。アークスターに斬りかかろうとしていた狂戦士は二つの眼孔から漏れる赤い軌跡を残しつつさらに加速した。
『なんて速度なの……?!』
狙撃銃という武装ゆえ、離れていた場所から見ていたレイチェルは思わず驚嘆する。一機当千のエース部隊で知られるスターライト隊、その三機掛かりですら狂戦士を止められない。それどころか圧倒されているではないか。凄まじい剣技の冴えはさらに鋭く、機敏な動作はもはや残像かと見間違えるほど。
ここまで素早く動く標的を前に、レイチェルはトリガーに掛ける指をそっと離してしまう。援護射撃を敢行して、結果的に外してしまうならまだいい。今の乱戦では味方機に誤射してしまう恐れがあり、そんな事態を引き起こすくらいなら傍観しているほうがまだマシだ。
だが、このままでは勝機も訪れない。意を決したレイチェルは再びトリガーに指を掛け、スコープと直結されている照準モニターを覗き込む。狙うは――――
* * *
「先生、無線が繋がりません!」
「むぅ……地下からのデカい反応があったかと思ったらマリア達と連絡が出来なくなるとは……一体ダンジョンの最下層に何があったんデス?」
地上のキャリアダックではアマネと先生が慌てた様子で計器や無線機を操作する。アーク達が狂戦士と戦闘を開始した頃と同じタイミングで探知機が異常な反応を見せたのだ。そのため、何か異変がなかったか確認しようと先程からアマネが無線機による連絡を試みているのだが、聞こえてくるのはザリザリという耳障りなノイズだけだった。
「一体どうしたら……何か、私達に出来ることは……」
「アマネ、落ち着くデス。今の私達に出来ることは何もないデスよ……悔しいデスけど」
動揺しているアマネに不安を与えないよう、努めて平静な声で宥める先生。しかしその表情は何も出来ない悔しさが滲んでいるようにアマネの目には映った。
「アーク……みんな……」
* * *
「……?!」
猛然とアークスターへ斬りかかる狂戦士。だが渾身の袈裟斬りはなぜか踏み込みが浅く、それどころかつんのめってバランスを崩しかけている。
見れば、強化コンクリート製の床が大きく抉れているではないか。レイチェルが狂戦士の踏み込む先を狙って狙撃し、攻撃を妨害したのだ。
『今だ! アーク君! ヨウラン!』
『とりゃー!』
『おう!』
マリアの号令で両機は素早く動く。前方から大きく斬り掛かったアイシクルティーガーの剣は狂戦士の脳天を狙う。だがこれは一種の陽動であり、本命は背後から接近するフラッドウルフだ。ヨウランはいつの間にかサバイバルナイフのような短剣を二振り、両手に握らせ音もなく襲撃する。
流石の狂戦士もこれには反応出来ないだろう。そう思われた矢先、かの機体はマリア機の斬撃を片手剣で受け止めつつ、驚異的なバランスで片脚を拳法家のように振り上げヨウラン機の短剣を蹴り払ってしまった。
『嘘だろオイ?!』
『1対2でも敵わない……だが、これはどう対処する?』
落ち着き払ったマリアの声。アイシクルティーガーの斬撃は防がれてしまったが、それは裏返せば狂戦士の剣を封じている事にもなる。細見の剣は巧みな力加減によりまるで吸い付くように片手剣から離れず、もし強引に振り払おうものなら即座にカウンターをマリアは仕掛けるつもりなのだ。
そして、真の本命はアークスターだ。少し離れた位置で紅の機体はショートソードをその場に突き立て、まるで短距離走でも走るかのような構えを見せる。下半身の人工筋肉がメキリと軋むほど膨張し、機体を重力の軛から解き放たんと一気に収縮した。
『くらえー! アークキーック!』
端的に言えば、ただのドロップキック。だが、アークスターの全身に配されている人工筋肉は先生特別製の次世代機用、その瞬間筋力はエース仕様のティーガー機を軽く上回る。
その加速度はただの蹴りを超えてもはや砲弾か何かとしか思えない。そして狂戦士はマリアとヨウランの攻撃を防いだ直後、咄嗟の回避も防御も間に合わない。
「……!」
アークスターの両脚が狂戦士の腹部に突き刺さり、その衝撃で壁の方まで吹き飛んでいってしまった。あまりの威力に、周辺には錆だらけの装甲片が散らばっている。
『これだけやりゃあ、あの変なヴァルクアーマーもどきもバラバラだろうな』
『ちょっと、やめなさいよ〜。そういうのフラグになっちゃうわよ〜?』
『だがまぁ、ヴァルクアーマーの全重量とあの速度が合わさった運動エネルギーだ。まず無事では済まないだろうね』
『うーん……まだ、みたいだよー?』
もうもうと立ち込める土煙。その向こうに赤い光がゆらりと動く。
『おいおい……マジか……?』
『ほら〜! 言ったじゃないの〜!』
『ほねほねー!』
ガシャリと金属音を撒き散らしながらスターライト隊へと歩みを進める狂戦士。全身に纏っていた装甲はもはや完全に砕け、内部骨格と僅かに露出した人工筋肉が剥き出しの状態になっていた。アークの言うとおり、今度は骸骨の戦士といった風貌だ。
『これは……そろそろ潮時かもしれないね』
『どういうこったよ、隊長?』
『あくまでも我々の任務はこのダンジョンの調査と危険度の選定だ。なにもこの正体不明の機体を倒すことじゃないのさ』
『ということはつまり……ここから撤退します〜?』
『この機体の強さが尋常ではないのは身をもって体感しただろう? 先生なら研究の為にどうにか捕獲しろ、とでも言ってくるんだろうけど……現実的には厳しいと言わざるを得ない』
『……まぁ、な。ぶっちゃけ、このダンジョンでヤベェのはこいつ一体だけだ。アタシ達が上手く撤退したあと、ダンジョンの入口を完全封鎖でもすれば』
『ダンジョンとしての脅威度はゼロよね〜。戦略上も無視していいでしょうし〜』
『決まりだね。レイチェル、煙幕弾の用意を。上手く足止めをして迅速にこの場から撤退する』
『チッ……仕方ねェ……。おいアーク、分かったか? ここは上手く撤退するぞ』
『にげるのー?』
『そうだよアーク君。あの機体を無理に倒す必要はないのさ』
『ふーん? わかったー!』
そうと決まれば話は早い。レイチェルは機体に装備された
「きゃ?!」
その瞬間、激しい衝撃が彼女を襲う。何が起きたのかわからないまま妙な浮遊感を味わった後、背中に衝撃が走る。
『レイチェル、無事か?!』
『こん……のォ!』
仲間の声を聞きつつ、レイチェルはほんの僅かに見えた狂戦士の動作を頭の中で反芻する。あれは、単純に剣を投げつけてきたのだ。それも恐ろしい速度で。
狂戦士の近くに居たマリアやヨウランは勿論、アークでも反応出来なかったほどの動き。先程までとはまるで別物としか言いようがない。
咄嗟に狂戦士へと攻撃を仕掛ける各機だが、ひらり、ひらりと躱されてしまう。まるで宙を舞う木の葉を掴むかの如く、その動きは変幻自在。
『なんなんだ、こいつはよォ!』
『うひょー! はっやーい!』
『くっ……どうやら、重いだけだった装甲が無くなった事で身軽になったようだね……!』
マリアの見立ては正しく、今の狂戦士は人工筋肉の瞬発力を最大限に発揮しているに等しい。
本来であれば装甲の無い機体は銃弾の一発、斬撃が掠るだけでも致命的な損傷になりかねない。だが、この狂戦士のように尋常ではない反射速度と身のこなしを兼ね備えているならば? むしろ装甲は動きの枷にしかならないのだ。
『このっ! チクショウ、抜かれた! 逃げろレイチェル!』
三機掛かりの攻撃を華麗に避け、狂戦士は一直線にブラストウルフへと走る。片手剣を肩口に受けた機体は仰向けに倒れたままで、恐らくトドメを刺しにいくつもりらしい。
『起きろ、レイチェル!』
マリアの叫び声は虚しく大空洞へと消えていった。
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