第十六話

 アークがメラトゥス共和国へ訪れてから、はや3日。スターライト隊一行は彼女たちの本拠地である研究所ラボへと到着していたのだが。


 少しくたびれた印象の内装。白く清潔なカーテンからは朝日が差し込み、鉄パイプ製のいかにも簡素なベッドを照らす。家具や調度品も殆ど無いやや狭い客室、というよりはとりあえず寝るための場所といった趣が強く、実際にそこはラボ内の仮眠室として機能していた。


「ぶぅー。きょうもけんさ検査ー?」


「そうよ。仕方ないじゃない、先生の命令なんだから」


 アークはキャリアダックから降りてからずっと各種身体機能や精密検査を受け続けていた。


 最初は見るもの全てが初めてで面白がっていたアークも、流石に三日間ずっと狭い部屋で機械やコード類に繋がれるのは辛いものがあるようだ。アマネも彼の心情は理解できるが、だからといってこの検査は防疫とアークの特異な能力を調べるための非常に重要なものだと先生から聞かされている以上はどうしようもなかった。


 とはいえ、見張りの兵士や鉄格子といった強硬的な手段は取っていない。そもそもアークがその気になればそういった類いのものは物理的に無効化される可能性が高く、先生やアマネも出来ればそのような事はしたくないと考えていた。


「ぶぅー!」


 いやいやながらも白い検査着を着て仮の寝床であるラボの一室でアマネを待っているあたり、彼の生来の素直な性格が伺えるが、その事に助けられている面も否めない。


「もう少し我慢して……。そうだわ、今晩はアークの好きなお肉にしましょう! 今日の検査を大人しく受けてくれたら、こーんな大きい肉料理を(先生が)ご馳走してくれるわ! ……きっと」


「にくー?! わかった、がまんするー!」


「ふっ……チョロいわね……」


「にくー!」


 だが、アマネはそろそろアークの扱い方を学習したようで、毎日この調子でアークを検査室へと連れて行っているのだ。


「ま、先生もアークの為なら多少の食費には目を瞑ってくれるでしょう。これは必要な経費なんですから」





 * * *




「ふぇっきし! ちくしょーデス!」


「おや先生、風邪ですか? 駄目ですよ、お腹出して寝てたら」


「いや、きっと誰かが超絶天才美人科学者であるこの私の噂話をしていたに違いないデス……と、今はそんな事どうでもいいデス。マリア、そっちの用意は出来たデスか?」


「バッチリですよ。後はアーク君とアマネを待つだけ……と、ちょうど到着したようですね」


 タイミングを見計らったかのようにガチャリとドアを開けて入ってくる二人。そこは真っ白な壁と床、そして背もたれの付いた椅子が中央に置かれた部屋だった。マリアと先生は壁際でなにやら複雑そうな機械を調整していたようだ。


「さてアーク、今日も今日とて検査で悪いデスが、あと少しで終わりデス。本日はお待ちかね! デバイスとのリンク試験デス!」


「ぶぅー! でもがまんするー。にくー!」


「にく……? まぁ大人しく検査を受けてくれるなら何でもいいデス。ほれ、さっさとこの椅子に座るデスよ」


 先生に促され、アークは中央の椅子へと跳び乗る。すると先生は彼の頭に妙ちくりんな金属製の帽子のようなものを被せた。半球の物体から何本ものコードが伸びている様はなかなかに気味が悪い。


「なにこれー?」


「なぁに、タダの脳波検出器デス。あと、これと、これと、これを取り付けて……と、デス」


 そしてアークの手首と足首、そして顔に電極コードを手際よく取り付けていく。恐らく心拍数や体温などの生体データも記録するつもりのようだ。


「うう、むずむずするー」


「はいはい、我慢よアーク。もう少しだけ先生の我儘に付き合ってあげて」


「わかったー」


「ワガママって……ま、いいデスけど。そんじゃアーク、検査開始デス。まずは何もせずボーッとしてるデス!」


「ぼー……」


 先生らは早速、機械に向かって何やら操作を始めだす。静かな部屋に機械の駆動音とスイッチを押すガチャガチャした音だけが反響していく。


「アーク、頭の中でアークスターを動かすようなイメージ出来るデスか? こう、デバイスを使うときのような感じでやってみてくれデス」


「んー、わかったー」


 アークは先生に言われた通り、アークスターに搭乗している時の感覚を思い出す。あまり広くはないコックピット、そこに座っていると何故だか安心感のような、懐かしさのようなものを感じるのだが、アークにはまだそれを言語化するのが難しい。


「先生、これ……!」


 アマネがポツリと呟く。その視線の先には各種計器類の針が著しく振れ出し、それはつまり、長年の謎とされていたデバイス起動に必要な脳波の検出を意味していた。


「ふぅむ。思ったとおり、アークは常人とは異なる脳波パターンでデバイスを操作しているようデスね」


「通常の脳波も見られますよ。少し興奮気味ですが、戦闘状態を意識しているせいかもしれませんね。二種類の脳波パターン……」


 先生とアマネが小難しい話をしているようだが、今のアークには聞いたこともないような未知の言語に聞こえる。


 アークスターに搭載されていたデバイスと、オーガー級から奪取したデバイス。その二つを手にした時から感じていた何か。アークは胸の内にザワザワしたもの感じていたのだが、なんとなくその正体が見えてきた気がする。


 本来、そこにあった筈のモノを喪失していた感覚。そしてそれをようやく見つけて、取り戻したという晴れやかな安堵感。割れた黒曜石の破片同士が綺麗に嵌る、あの感じ。


 だが、まだ足りない。


「あと……ひとつ……」


「ん? アーク君、何か言ったかい?」


「…………」


「マリア、何してるデスか! ちゃんとデータを記録してるデス?」


「……はいはい、きちんと処理していますよ。先生」


 研究が飛躍的に進みそうな手応えを掴んだ先生は興奮気味に指示を飛ばしだす。結局、その日の検査は夜遅くにまで及ぶのだった。





 * * *




「うーむ……デス」


 先生の唸る声が深夜のラボに反響する。アークやアマネ達は既に自室へと帰っており、研究所には警備員の他には誰も残っていない。


 ペラペラと紙を捲り、別のデータを表示しているディスプレイとを見比べる。その向こうにはちょっとした部屋ほどの大きさをした箱状の何かが低い音を立てている。


 魔石と電気を応用したこの巨大なコンピュータはこれまでの三日間、アークを検査した結果を解析しているのだ。


「アークの身長は173センチ、体重は……キログラム」


 アークは比較的スリムかつ筋肉質な細マッチョ体型だ。だが彼くらいの体型と身長であれば、恐らく体重はもっと軽い筈であり、この数値は明らかに異常だと分かる。


 他にも先生の目は様々な数値をなぞっていく。血圧、心拍数、各種血液検査の結果……おおよそ調べられる数値はあらかた測定してあるのだが、そのどれもが、特に身体能力という観点からすると常人では異常、あるいは逸している。


 すると、魔石コンピュータが味気ないビープ音を鳴らし、その演算処理が完了したことを告げる。早速、先生はその結果を確かめるのだが。


「……やっぱり、筋肉や骨格の組成が人間とは異なっているデスね。これでアークの異常な身体能力と不可解な体重にも一応の説明がつくデスけど」


 魔石コンピュータが解析していたのは、アークの体組織を分析しその組成を測定していたのである。その結果、彼の筋肉や骨には常人では考えられない量の重金属元素が見られ、またそのタンパク質も所々で差異が見られるという結果だった。分子レベルで多様なタンパク質などが金属元素と結合しあい、独特の分子構造を作り上げているらしく、これが未知の特性を発揮しているだろうことは先生にも理解できる。だが、今の科学技術でそれを再現するのは至難の業、そもそも再現できたとして生物として機能するのかすら疑わしいレベルだ。


 つまり、アークの身体は半有機物、半無機物とでもいうべきハイブリッドな構造をしていると言える。やたら頑丈な体も、ゴブリン級程度なら簡単に倒してしまうようなパワーも、まさに人間そのものでないのなら、何も不思議な事は無い。この結果から、恐らく遺伝子なども人類とは異なる可能性が高いというただの想像でしかなかった推察が補強され、先生は複雑な気分に陥ってしまう。


「その反面、脳は特に人間と変わらず……デバイスを操作する時に異様な脳波が検出されるだけのようデスね。ふーむ……デス」


 強化された肉体に、ごく普通の脳。この組み合わせが何を意味するのか。先生はいくつかの仮説を組み立てるが、如何せん現時点では情報が少なすぎる。これらの仮説もまだ想像や妄想の域を出ない代物だ。


「……うーん、どうにもイヤな予感がしてならないデス。この私ともあろうものが、予感なんて非科学的な……デス」


 ひとまず、アマネや他の者たちに要らぬ心配と疑念を生じさせるのは良くないと判断した先生は一通りのデータは極秘扱いにし、公には適当に誤魔化そうと決める。いつの時代も真実が常に正しい結果をもたらすとは限らない。


 しかし、いつかはアークの真実をみんなに教えなければいけないだろう。


「そう、今はまだその時ではないのデス」


 その言葉に、まるで自分に言い聞かせるようだと先生は思わず苦笑してしまう。果たして、真実とは一体なんなのか。哲学めいた問答は心の片隅に追いやり、彼女は残りのデータの精査に取り掛かる。

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