第十七話

 大通りに沢山の人々が行き交う。街のあちこちで賑やかな喧騒と活気が溢れていた。


「すげー! ひとがいっぱいー!」


 スターライト隊の本拠地とも言えるラボのあるこの街・カルランは共和国内では中堅ほどの規模だが、それでも目抜き通りの人だかりはなかなかのものだった。


 赤や緑、黄色といった色鮮やかな野菜やフルーツが並ぶ屋台には多くの人が集まり、うず高く盛られた香辛料の匂いがここまでしてきそうな屋台では気難しそうな主人が値切り交渉を上手く捌いている。その向こうでは凝った紋様と色使いをした絨毯が隙間なく並べられている。


 雑多な雰囲気の屋台通りを抜けた先は個人商店が軒を連ねる大通りだ。何世代にも渡って受け継がれた店舗はどれも年季が入っているものの、こまめな清掃が行き届いているのかあまり古臭い印象は感じられない。金物屋や服飾小物、ちょっとした日用品を扱う店に地元民に愛される喫茶店。買い物をするならば、この通りを歩くだけで大抵は事足りるが隠れたモットーなのだ。


 カルランの街は国内を走る主要街道の中継地点ともいえる場所にあり、大境界に近い立地ながらも比較的栄えた街だ。肥沃な土地に恵まれ農耕と牧畜を主要産業に大陸の台所としても機能している。


 その為なのか、カルランの街は自主独立といったような気風が残っており、共和国内にあって半ば自治権に近いあれこれを獲得している。街道の結節点と食糧庫としての立地を活かし、商業や工業、農業といった各種組合ギルドが幅を利かせている街でもあるのだ。


「うーん、ひとがいっぱい! じゅう10、よりおおい! いっぱいのおとにおい匂いもするー!」


「こーら、はしゃいじゃ駄目よ。アーク」


 今にも駆け出していきそうなアークの首根っこを押さえ、アマネはやれやれという顔をする。


 事の始まりは今朝の食堂での事だった。先生が「アークをで人間社会に適合させるデス! その為には街に出るのが一番デス! というわけでアマネ、今日一日休暇をくれてやるからアークと出掛けてこいデス」という拒否権もへったくれもない命令を出したのであった。


 アマネとしてはダンジョン遠征中に溜まってしまっていた雑務や書類仕事を片付けておきたかったというのが本音だが、休暇らしい休暇も無かったのでリフレッシュには丁度良いという気持ちもある。


「ただ、コイツと一緒っていうのがね……」


「アマネ!!! あっちから!!! にくのにおいがする!!!」


 まるで御馳走を目の前にした犬の如く、目を輝かせ落ち着かない様子のアーク。もし彼に尻尾が付いていれば千切れんばかりに振れていることだろう。


「待ちなさいアーク! アンタ、お金のことまだよく分かってないでしょ!」


「おかねー? それってたべれる?」


「食べられません!」


 生まれてからずっと、じいちゃんとグランヴァール大森林で暮らしていたアークである。食べ物は動物を狩るか、木の実などを採取するのが彼にとっての当たり前であり、人間社会の貨幣経済など知る由もない。


「いいアーク? あっちが果物を扱っているお店、こっちはパンのお店、それから向こうのがお肉のお店」


「おみせー?」


「お店の人は果物やお肉と、このコインとを交換してくれるのよ。このコインが無ければお肉は貰えないの。おーけー?」


「おにく……コイン……こうかん……なんで……? おにくはおにくだよ? アマネはときどき、むずかしいことをいうのなー」


「難しくないわよ! ……難しくないわよね? って、あれ? アーク?」


 一瞬目を離した間に、眼前に居たはずのアークが居なくなっている。いくらこの人手とはいえ、あの赤毛をそうそう見失うはずがないのだが、周囲を見渡してもそれらしい影は見当たらない。


「まさか……」


 アマネはすぐにアークと初めて邂逅したときの事を思い出す。アークの常人離れした身体能力は森の木々の上をまるで野生の猿かなにかのように移動していたのだ。ということは。


「本当に居た?!」


 視線を少し上げてみれば、特徴的な赤毛と白い軍服をラフに着こなす人物が建物の屋根から屋根へと飛び移っているではないか。どうみてもアークその人である。


 驚異的な脚力で跳躍し、猫科の動物を思わせるしなやかな着地。かと思うと、雨樋を伝ってスルスルと地面へと降りていく。僅かに気付いた周囲の人たちはその様子に驚くか、現実離れした光景とその素早い身のこなしにどう反応していいか分からないでいるらしい。


「こらー! アーク、待ちなさいー!」


「おっにく、おにっく!」


 どうやらアークは通りの向こうにある何かの肉を串焼きにしているらしい屋台を目指しているようだ。まさに犬並みの嗅覚を持ってすれば、アークにとってはこの距離の匂いは容易に嗅ぎ分けられるということだ。


「ん……なんだボウズ、注文か?」


「にく……美味しそう……!」


 脇目も振らず目的の屋台へと辿り着いたアークはよだれをダラダラ零しそうな勢いで焼ける肉を眺める。あまりの様子に店主は思わず呆れ返りつつも、てきぱきと串をひっくり返していく。


 赤熱する炭の熱は肉の内部まで程よく焼けている。零れ落ちた肉の脂がジュウジュウと泡立ち、辺りに香ばしい香りをまき散らしていた。


「にく! にくはうまい! おじさん、にくもらうねー!」


 我慢できなくなったアークはむんずとこんがりと焼けた肉の串を掴もうと手を伸ばす。だが、その手を太い腕がガシリと掴んだ。


「おいおい、俺の目の前でタダ食いしようとはフテェ野郎だな……悪ガキは衛兵に突き出して……って、なんだオイ凄い力だな?!」


「にくー!」


 肉を目の前にしたアークは屋台の店主などお構いなしだ。店主は大柄な男性だがアークの腕力の前には赤子も同然、成すすべもなく肉汁滴る串を奪われてしまう。


「あーん……」


「何やってんのよ、アンタは!!!」


 ゴチンという物凄い音が通りに響き渡る。周囲の人たちが思わず振り返るほどの打撃音、見ればアマネがアークの頭を思い切り叩いたのだった。


「あ、アマネー。にく! たべるー?」


「食べないわよ! それから! お店のものを勝手に取ったりしない! いい、これは悪いことなのよ?!」


「わるいのー? なんでー?」


「よく聞きなさいアーク。アンタは力も強いし魔物も倒せる、でもアークスターが壊れたら修理できないでしょ?」


「でも、アマネとせんせいがなおしてくれるー」


「そうよ、私はアークスターを直せるけれど、魔物を倒すことはできないわ。だからスターライト隊はみんなで協力して魔物を退治するし任務もこなせるわ。ここにあるお店も同じなの」


「おなじー?」


「牛や鶏を育てる人、お肉を市場に卸す人、それからこのおじさんみたいに屋台で美味しく焼いてくれる人……たくさんの人達がアークの代わりにやってくれているの。だから、この肉を食べたければ、その代わりを上げなくちゃいけないのよ」


「もしかして、それがさっきいってたおかねー?」


「その通りよ。わかってるじゃない」


「うーん……よくわかんないけど、わかったー!」


「ほら、そしたらおじさんに謝りなさい。悪いことをしたら、ちゃんと謝る」


「うんー! ごめんなさい!」


「本当にすみません……お代は支払うので……」


「お、おう……いや、なんかワケありっぽいし、金を払ってくれるんなら別にいいけどよ……ほれ、坊主、今度からはキチッと金を払えよ?」


「わかったー!」


 本当に分かったのか怪しいが、目をキラキラさせながらこんがり焼けた肉を頬張るアークにこれ以上何かを言う気にはなれないアマネ。やはり彼の内面はまだまだ幼い子供と同じで、想像できる世界が狭いようだ。周囲の人間と折り合いを付けれるような器用さが無ければ、この先うまくやっていくのは難しいだろう。


 そんな事をアマネがぼんやりと考えていた時。




「キャア!」


「あっ、待てっ! 誰か! 引ったくりだ!」




 突然、通りが騒がしくなる。何があったのかとそちらを見ると、地面にへたり込む女性と一目散に逃げる男の姿が。


「なーアマネー。あれなぁに? あたらしいあそびー?」


「違うわよバカ! 引ったくりよ、泥棒! 悪い奴!」


「あのおとこのひと、おんなのひとをたたいたのかー? わるいやつなのかー?」


「ええ、まぁ似たようなもんよ。悪いのは確実! 人のものを盗んだり無理矢理取ったりしたら駄目なの! っていうか衛兵呼ばなくちゃ?!」


「そっかー。じゃ、わるいやつはこらしめなきゃ!」


「へ?」


 人混みの中を器用にすり抜け、引ったくり男はかなり遠くに離れてしまっている。だがアークは即座に跳躍し、近くの建物の屋上へと上がっていく。そのまま上方から男の逃げる方向へと軽やかに駆けていったではないか。


「ちょっと、アーク!」


「おんなのひとを、たたいちゃだめ!」


 凄まじい勢いで煙突や屋根の縁、柵を飛び越えていくアーク。その曲芸じみた動きはとてもではないが常人には真似できないだろう。後方ではなにやらアマネの叫ぶ声が聞こえるが、今のアークは男を捕まえることしか頭にない。


「引ったくり犯め!!! この俺が来たからには大人しく捕まってもらおう!!!」


「けっ、うるせぇ奴だな……韋駄天と呼ばれたオレの脚を舐めるなっ!」


 引ったくり男の進路を塞ぐように、何処からか現れたやたら声の大きな青年が立ちはだかる。だが犯人は走る速度を緩めるどころか、さらに加速するではないか。


「とりゃー! アークキーック!」


「うぎゃ?!」


「ぐえっ?!」


 あっという間に追い付いたアークはそのまま屋上から飛び降り、引ったくり男の真上から飛び掛かる。バランスを崩した男は派手に転げ回り、その際にもう一人の青年も巻き込んでしまったようだ。


 引ったくりと巻き込まれた青年はもみくちゃになりながら民家の壁へと衝突する。あまりの勢いに二人共気絶してしまったようだ。


「はぁ、はぁ……アーク! 勝手に走っていったら駄目でしょ! って、引ったくり犯……完全にノビてるじゃない」


「わるいやつをこらしめた!」


「引ったくりを捕まえたのは良いけれど、関係ない一般人まで巻き込んでるじゃないの!」


「う、うーん……」


 と、白目を剥いていた男性が目を覚ます。どうやら見た目ほどダメージは無かったらしい。


「ハッ?! 引ったくり犯は?! 俺の華麗な活躍は?!」


「おきたー!」


「あ、あの、すみません! うちのアークがご迷惑を……」


 青年は何が起きたのか理解出来ず、辺りをキョロキョロと見渡す。そして完全にノビている引ったくり男を見付けると、ガクリとうなだれてしまった。


「なんてこった……俺の熱い活躍が……!!!」


「あ、あの……大丈夫ですか? どこか怪我でも……」


「おいそこの! お前か、俺の大活躍を横取りしたのは?!」


 ズビシと指を突きつけられたアークはコテンと首を傾げる。憤慨する青年はそのままグイとアークに詰め寄っていく。


「襲われる女性!!! 逃げる卑劣な悪漢!!! そこへ颯爽登場する俺!!! なんて熱いシチュエーション……正義は我にあり!!! そしてお前はそれを邪魔したんだぞ?! まったく、人の活躍を奪うなとご両親から教わらなかったのか?!」


「そんな道徳教育する親なんているの……?」


「じいちゃんはねー! おんなのひとをたいせつにしなさいって、なんどもいってたー!」


「む……確かに女性を守るのは男の使命であり、常に心へ刻んでおかねばならない事だな!!!」


 男性のあまりの大声に周囲はひったくりを捕まえた事よりも、この五月蝿い声は何の騒ぎだと野次馬が集まりだしているほどだ。一体なんなんだコイツは、とアマネがどうにか口にしないよう我慢していた所へようやく衛兵らが駆けつけてきた。


「通報を受けてきたんですが……どうやらひったくり犯は貴方達が捕まえてくれたようですね」


「いやぁ面目ない。我々の仕事だというのに……って、お前は!」


「ん? 俺のことを知っているのか? いやぁ、街の衛兵にまで知れ渡る、俺の英雄譚……!!! さすがは俺!!! グレン・オーガスタス!!!」


 グレンというらしい青年は誇るように胸を張って大きな声で高笑いを上げる。しかし対照的に衛兵たちはどよんとした何ともいえない表情を浮かべるだけだ。


「あの……この人、有名なんですか?」


「あ、ああ……こいつはグレンと言って、街のあちこちで起きるトラブルの側にいる奴なんだ」


「トラブルの側?」


「こいつ自身は何も悪さをしない、むしろ正義感が強いやつなんだ。ただ、その正義感がいつも暴走してトラブルを拡大させたり、被害を大きくさせたりするはた迷惑な人物として衛兵の仲間内じゃ有名だよ」


 今日の騒動と衛兵の話からグレンの迷惑っぷりは想像に難くない。アマネはなんて厄介な人物と関わり合ってしまったのかと後悔し始めている。


「ねーねー、グレンはゔぁーくあーまーヴァルクアーマーにのってるひとなのー?」


「アーク、何をいきなり言ってるのよ……VA乗りなんて、そうそういやしないわよ」


「む? お前、よく分かったな! いかにもそうだが!!!」


「え゛」


 アークは目をまん丸に見開き、グレンの両手を観察する。よく見れば、その人差し指と中指に特徴的なタコができているのをアークは見抜き、それと同じものがマリアやヨウランの指にもあることを思い出したのだ。


「面白いやつだな!!! 少年、名はなんという!!!」


「オレはアーク! よろしくー!」


「ふむ!!! 良い名前だ!!! 特別にアークを俺のライバルと認定してやろう!!! 光栄に思え!!!」


「らいばるー!」


 暑苦しく笑い合うアークとグレン。そのノリについていけないアマネは思わず距離を取るべく、後退りしてしまう。


「うわぁ……グレンのライバル認定かよ……あの坊主も災難だな……」


「シッ! 奴と関わると碌な事にならないぞ。さっさとこのひったくりを連行しよう」


「そう言えばアーク!!! 君が着ているのは共和国軍の軍装ではないか!!! 君も軍人なのかね?!」


「ぐんじんー? よくわかんないけど、オレはすたーなんとか、ってちーむだよー!」


「すたー……スター……!!! もしや、スターライト隊かっ?!?!」


 ガシリとアークの両肩を掴むグレン。アマネはまたぞろ、何か面倒なことになるのをひしひしと感じるのだった。

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