第三十六話
「……それで、この女性を連れて帰ってきたデスか……」
先生は幼さの残る小さな口をこれでもかと大きく開けて溜息を吐く。その元凶――――アークとぶつかった女性――――は貼り付けたような笑みを浮かべるだけで、先生の露骨な態度に動じる様子もない。
その女性はかなりの長身でマリアと同じか、僅かに大きいほど。それに
「押しかけるような真似をして申し訳ありませんねぇ。でもぉ、どうしても働き口が欲しかったものでぇ……こう見えても私ぃ、料理や掃除は得意なんですよぉ?」
「いや、最初はアタシたちも断ったんだぜ? でも……なぁ……?」
「あの状況だと、ちょっとねぇ~」
どこかバツの悪そうに言い訳をするのはヨウランとレイチェルだ。本来であれば二人とも、見ず知らずの一般人をキャリアダックに連れてくるなどということはしないのだが。
「オレがぶつかったから、オレがわるい! だから、わるいのはオレ! それに、こまってるひとは
「アークがずっとこんな調子だから……なぁ」
「仕方ないわよね~」
「あのぉ。本当にご迷惑でしたらぁ、私も諦めるんですけどぉ…………あ、いたた! 擦りむいたヒザが急に痛みだしてぇ……!」
「せんせー! おねがいー!」
どこかわざとらしく痛がる女性を前に、アークは純真無垢な眼差しを向ける。そして難しい顔をした先生は少し考えた後、また大きな溜息を一つ吐く。
「はぁ……仕方ねーデス。この町にいる間だけデス。その後は……まぁ適当な町や村で別の就職先を見つけるデスよ」
「ありがとうございますぅ! 精一杯、頑張らせてもらいますねぇ! 炊事に洗濯、掃除、なんでもやらせて頂きますぅ!」
ぱぁ、と微笑む彼女の姿を見てヨウランとレイチェルはほっと胸をなでおろす。ここで先生が彼女を追い出しでもすれば、きっとアークが不機嫌になるとでも思っていたのだろう。
「よかったなー!」
彼女の手を握ってブンブンと振り回すアーク。あまりのパワーに彼女の身体は振り回されそうになる。ふと、アークはなにかに気付いたのか、その白く細い指をじっと見つめ始めた。
「こらアークや、女性の手をそんな乱暴な扱いするなデスよ。ところで……オマエの名前はなんていうデス?」
「はいぃ、私のことはベアトリクスとお呼びくださいねぇ」
* * *
「私がアークスターの整備をしている間に、そんなことが……」
食堂の定位置にちょこんと座るアマネ。その前には湯気のたつ美味しそうな料理の数々が。
「うふふ、たくさん食べてくださいねぇ」
(先生! 普通に考えて怪しいですよ、あのベアトリクスってひと!)
(いやそれは分かってるデス……むぐむぐ)
(なら、どうして!)
小声で尋ねるも、先生は妙に落ち着き払った様子でナイフとフォークを動かしていく。他のメンバーも和気あいあい、といった様子でベアトリクスに接しているようだが。
「にく、おかわりー!」
「はいはい、すこぉし待っててくださいねぇ!」
特にアークは彼女の作る肉料理をいたく気に入ったのか、いつもの倍のペースでおかわりをしている始末である。
(んー……あえて言うなら、オンナの勘……というやつデスかね?)
(…………さいですか…………はぁ…………)
全く頼りにならない先生は放っておく事に決め、アマネは厨房で甲斐甲斐しく動き回るベアトリクスをチラリと見やる。こうして見るぶんにはどこにでもいそうな食堂のお姉さん、という風にも見えなくないが。それでもやはり、その仕草にどこか胡散臭さを感じてしまう。
(いやいやいやいや、どう考えても怪しいでしょ……)
そもそも、ベアトリクスという名前はサンマーク聖王国では割とポピュラーな名前だ。彼女の服装も地味ではあるが、一応聖王国では一般人……よりもやや身分の劣る人たちのものがこのような感じだった筈だ。であるならば、彼女は紛れもなく聖王国出身者ということになるだろう。
「あの、ベアトリクスさん? あなたはどうして共和国で働きたいんですか? 無理にこちらへ来なくても、食堂だとか宿屋みたいなところにはいくらでも働き手は募集していると思うんですが」
「…………」
それまでニコニコ顔だったベアトリクスだが、突然表情を曇らせてしまう。言うか言うまいか、逡巡している……そんな空気を醸し出しつつ。
(否定はしない……やっぱり聖王国の人間かしら? 何を企んでいるの?)
「おいおいアマネ……人には何かしら言えない事情が一つや二つはあるんだぜ……?」
「ベアトリクスさん〜、言いたくなかったら無理に話さなくてもいいんですからね〜」
「からねー!」
「なんか私が悪者みたいな空気やめてくれません?!」
ガタリと音を立てて立ち上がるアマネはどうにも納得出来ない。アークはともかくとして、何故ヨウランとレイチェルまでもがベアトリクスの味方をしているのか。
「うぅ……申し訳ありません……これにはグランヴァール大森林よりも深〜い理由がありましてぇ……語るも涙、聞くも涙のお話なんですよぉ…………あれは、そう。私が愛くるしい子供の頃……」
「ねーねー、そういえばマリアはどこいったのー?」
唐突にベアトリクスが抑揚の付いた声色と芝居がかった動きで何やら語り始めた途端、アークがキョロキョロ辺りを見渡しながら遮ってしまう。絶妙なタイミングで割って入られたベアトリクスは妙なポーズで固まったまま動けないでいる。
「ああ、マリアならちょいと私のお遣いデス。心配しなくてもそろそろ帰ってくる頃デスね」
「そっかー! おつかいかー! えらいなー!」
「…………あの、私の話を再開してもぉ…………」
「そういや先生よ、明日はどうすんだ? このまま町でダラダラ過ごすわけじゃねェんだろ?」
「そうデスねー。前線基地に連絡を取ってるんデスけど、
「あの、私の話ぃ……」
「アマネちゃん、私のブラストウルフの腕なんだけど、前より動きが少し固い気がするのよね〜。後で見ておいてくれないかしら〜?」
「ああ、きっとこの前の損傷を修理したときに交換したパーツが馴染んでないかもですね。分かりました、調整しておきます」
「私の……」
「にく、おかわりー!」
「ちょっとぉ、私を無視するなんてぇいい度胸じゃなぁい?! 全員血祭りにあげるわよぉ?! あと、
「は、は〜い……やさいもたべる〜……」
「……はっ?! あ、あらやだわぁ! 私ったら
突然、人が変わったかのように叫ぶベアトリクス。しかし、慌てて取り繕う姿がどこか虚しい。
「そ、それじゃあ私は先に休ませてもらいますねぇ! 後片付けはやるので、食器類は水に漬けておいてくださいねぇ!」
それだけ言うと彼女はそそくさと食堂から出ていく。後にはパタリと閉まるドアの音だけが静かな空間に響くのみ。
「な、なかなか強烈なやつじゃねェか……」
「そ、そうね〜。ヨウランといい勝負だわ〜」
「おい待てコラ。どーいう意味だ? ア゛ァン?!」
「そういう所よ〜?」
「やさい……たべる……うう……」
「あの、先生……本当にベアトリクスさんは大丈夫なんでしょうか……?」
「ま、なんとかなるデスよ、アマネ。たぶんベアトリクスは初めての土地、慣れない職場で緊張してるだけデス、みんな普段どおり接してやってくれデス」
先生はこの騒動の中、一人だけ動じずに食事を続けている豪胆さだ。アマネたちは呆れていいのかどうかすら分からないといった顔をするしかない。
「やぁ、ただいま……っと、どうしたんだい? この微妙な空気は?」
直後に、先生のお遣いとやらから帰ってきたマリアは食堂に流れる、このなんともいえない雰囲気に困惑してしまうのだった。
* * *
「…………」
すっかり日も暮れ、月明かりも分厚い雲に隠れた夜。町から漏れる灯りも頼りない暗さの中、一つの影がキャリアダックに近づいていく。
「遅いわぁ。待ったわよぉ」
「……これはベアトリクス様。申し訳ありません」
「別に良いわよぉ。それよりぃ、共和国軍の情報は手に入ったのぉ?」
「は……流石に細かい部分までは無理でしたが、部隊配置や国境付近の哨戒ルートなどは判明しました。少数戦力であれば、警戒網を抜けて侵攻できるかと思います」
「思ったより上出来じゃなぁい?」
「ベアトリクス様の方は如何でした? そのような下女の格好をなさってまで、
「んー……実際に戦闘を見てないからなんとも言えないけれどぉ、あの感じじゃあ私の足元にも及ばないわねぇ。そこらへんの雑魚に比べたらぁ、ちょっとは強いんでしょうけどぉ……」
そう話すベアトリクスの表情は至って真面目なものだ。そこに嘲りだとか過小評価は存在せず、純粋に彼我の力量差を見極めるどこか武術家のような雰囲気すら感じさせた。
「貴女がそう仰るのなら、そうなのでしょう」
「パイロットがもう一人いるみたいだけどぉ、部隊のレベルからすればそこまでだと思うぁ。ちょっと拍子抜けだけどぉ」
「では、予定通り作戦の実行に?」
「えぇ、私の機体も用意しといてぇ。でも……そうねぇ。念の為にぃ噂の
「例のビーム兵器を搭載しているという機体ですか……? にわかには信じられませんが」
「その真偽を確かめるのも今回の作戦のうちよぉ。それじゃあ、後は手はず通りにぃ」
軽い会釈の後、その人影は闇に紛れるかのように掻き消えた。ベアトリクスは何も見えない真っ暗な夜空を見上げ、どこか艶っぽく溜息を吐いた。
「はぁ……あいも変わらず退屈な任務ねぇ。この私が全力で戦える相手はどこにいるのかしらぁ……。さて、そろそろ戻らないとぉ。食器洗いも残っているしねぇ」
豊かな金髪をかき上げるベアトリクス。指先に髪の毛が引っかかる感触があり、それは紛れもなくヴァルクアーマー乗り特有の
その時、近くでなにかが動く物音が聞こえた。
「……! 誰かそこにいるのぉ?!」
「……にゃ、にゃ〜ん……」
「……なによぉ、ネコチャンねぇ。少し焦ったじゃないのぉ」
咄嗟に見せた鋭い表情を柔和なものに変え、何事もなかったようにベアトリクスは艦内へと戻っていく。
「び、びびった……」
暫くしてから、猫の鳴き声が聞こえた物陰からアマネが転がり出てくる。
「思わずベアトリクスさんを追い掛けてみたけど……これ、かなり不味いんじゃない?! え、彼女ってば聖王国のスパイ?! ヴァルクアーマー乗り?! えぇ?!」
あまりの事にテンパっているアマネはその場でぐるぐる歩き回る。こういうときはどうするのが正解なのか? 先生に報告する? それともマリアに? アークは今日の課題を済ませた?
「あぁもう! と、とにかく先生に報告しときゃいいわよね?! やっぱり怪しいどころじゃなくて、真っ黒中の真っ黒だったじゃないの!!!」
ドタドタと先生の下へと走るアマネ。やはり夜空は分厚い雲に閉ざされて、星の輝きは地上に届きそうにもなかった。
戦甲機人戦記 天明のアークスター 〜銃と剣、魔法と科学が交差する世界で少年は己を知る。正統派ロボットアクション冒険譚〜 すとらいふ @strife
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