第11話 沖田壮馬は見て学ぶ
「おい! 沖田! ここのところの数字が間違ってるぞ!」
「本当ですか!? す、すみません! すぐに修正します!! 本当にすみません!! すぐに修正しますので!! 本当に申し訳ございません!!」
沖田壮馬は新入社員。
まだまだ仕事は足取りがおぼつかない。
「え、いや、そこまで謝らんでも……。別にワシ、怒ってないよ?」
「はっ、ははぁっ!! 申し訳ございません!!」
壮馬は最敬礼のその先、いわゆる土下座までしようとしたが、それを見かねた井上によって止められる。
「壮馬くん! マジで支店長怒ってないって! この人、こういう声なんだよ!」
「そ、そうなんですか!? あ、哀川翔さんみたいな声だから、てっきり……」
「ここは僕が適当に流しとくから、ほら、修正でしょ? 行きなって!」
「すみません、井上先輩! このご恩は忘れません!!」
そう言って、自分のデスクへと肩を落として歩いて行った壮馬。
残されたのは支店長と井上隼人。
「新人の時のミスって怖いよなぁ。ワシもあったよ。まだ覚えてる。熱した鉄板の上で土下座させられるのかと怯えたもんだ」
「じゃあなんで壮馬くんを怖がらせてるんですか! ヤメてくださいよ、本当に。嫌ですからね、僕。上司がパワハラで捕まるのとか」
「いやでも、井上? ワシ、普通に喋っただけでパワハラになるの?」
「スーツ着た人が哀川翔の声出したら、それはもうパワハラでしょう」
今の世の中、色々な人が生きづらい人生を歩んでいる。
だが支店長の悲哀について語るのはまだ時期尚早なのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇
しょんぼりした壮馬がデスクに戻って来た。
日菜は平然を装って彼を出迎えた。
ただし、内心は穏やかではいられない。
沖田壮馬が落ち込むところを見るのは、日菜にとっての初体験であるからだ。
(お、おぉ、沖田先輩のしょんぼり顔キタコレー!! ああー! 普段元気で礼儀正しい分、憂鬱な表情が映える! 写真撮りたい!! って、そうじゃないでしょ、日菜! 沖田先輩の助けにならなくっちゃだよ!!)
心の中で興奮して、ついでに一周して冷静になった日菜は、身を乗り出して壮馬の書類を確認した。
「あっ。ここの数字が間違っていますよ。6と2の間の0がひとつ抜けています。帳簿は途中でミスがあると気付いた時には手遅れな事がありますから。今度からはチェックポイントをいくつか作る事をおススメします」
真剣な表情で「なるほど」と書類に目を落とす壮馬。
なんだかいい気分になってきた日菜さん、さらに語る。
「自分で帳簿のセーブポイントを作るんです。そして、確認。大丈夫だったらきちんと保存して次の戦いへ。そうすれば、全滅した後に再始動する場所がゴールに近くなります」
「……分かりました。今度からは俺もその作戦を使わせてもらいます」
「はい。もちろんどうぞ。わたしから学べる事はいくらでもどうぞ。だってわたし、沖田くんの教育係ですから。ドヤぁ。あ、すみません、最後のはなしで。心の声が漏れてしまいました」
さて、今度は日菜が重大なミスをしでかしたのだが、おわかりいただけただろうか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ、あの。沖田くん?」
「はい! なんでしょうか、小岩井さん!」
「なんだか、ものすごく視線を感じるのですが」
「すごい! やっぱり分かるんですね! ずっと俺、小岩井さんの事を見てますから!」
昼休みからずっと、壮馬は日菜の事を見つめていた。
日菜が「自分から盗めるものは全部どうぞ」と言ったばかりに、素直な壮馬は早速みとり稽古を始めたのだ。
「休み時間はまだしも、今は就業時間ですよ?」
「支店長にさっきの書類を再提出して小岩井さんのお言葉を伝えたら、いいぞ、今日はもうずっと小岩井を見てろ! とご指示を賜りました!!」
日菜は心の中で叫んだ。
(あ、あのおじさんめ……! なんでそんな余計なこと言うの!? お、沖田先輩に見られながら仕事なんて、できる訳ないじゃん!?)
実際に、日菜の仕事の正確さが目に見えて低下していく。
「小岩井さん。ちょっと来てくれる?」
「はい。なんでしょうか、藤堂先輩」
「……あなたの資料がこっちのプリンターから印刷されて来たわよ。沖田くんにバレる前に、回収して。回収!」
「ふぎゃっ!? す、すみませぇん!」
視線を自分のデスクに戻してみると。
ギンッと力強く目を見開いてこちらの様子を伺っている壮馬がいた。
「……あー。あなたたち、また何か妙な事になってるわね?」
「わ、分かるんですか!? さすが藤堂先輩!」
真奈美は思った。
(分からない理由を聞きたいわよ! もう既に? あなたたち2人が? 意識してか無意識なのかは知らないけれど? お互いに相手の事を大事に思い始めてる事くらい!! こんなピュアな社内恋愛見せられたら、応援するしかないでしょ!? くぅぅぅ! 尊いわね! くぅぅぅぅっ!!!)
山の森出版・杉林支店の女子社員は、よく心の中で叫ぶ。
叫んだあとに冷静さを取り戻すのもみんな同じ。
「いい? 小岩井さん。沖田くんの事はカボチャだと思いなさい」
「あの、わたし昔から……じゃなくて、昔は緊張しいで人前に出る度に人をカボチャに置き換えていたんです。そしたら、最終的にはカボチャがこっちを見ているような気になってきて、人間相手の方がよっぽどマシだと思いました」
これはコミュ症を患っている小岩井日菜さんの感想です。
個人によって効果的な場合もあるため、彼女の個人的な感想を真正面から受け取らないようにしてください。
「じゃ、じゃあね。なにか好きなもの! 好きな人でもいいわ! そう、アイドルとか! その人に見られていると思うのよ! 昔憧れていた人とかでもいい! 誰かいない!?」
「そ、尊敬していた先輩なら……いますけど……」
「それよ! その人に見つめられていると思って仕事をするの! そしたら、沖田くんの視線なんて気にならなくなるわ! ねっ、名案!!」
「は、はい。分かりました。失礼します」
それから終業時間になるまで、日菜のミスは4倍に増えた。
なにやら「視線が2つに増えた」と彼女は供述していたが、その意味が分かるのは日菜しかいないため、事件は迷宮入りするのであった。
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