第9話 藤堂真奈美は気付いてしまう
藤堂真奈美。
彼女は山の森出版・杉林支店における営業のエース。
同じく営業を担当している井上隼人には若干の遅れを取っているものの、その成績は本社の数字に置き換えても見劣りはしない。
彼女は言う。
「営業のコツは些細な事によく気付くこと」であると。
対象の雑談や仕草、服装や態度から商機を掴むのである。
とは言え、仕事の際にいきなり本領を発揮できるほどの熟練スキルは身に付けていない真奈美。
そのため、日頃から会社にいる時も周りをよく見る訓練をしていた。
「おはようございます!」
「おはようございます。遅くなりました」
壮馬と日菜が一緒に出社して来た。
いつも早出一等賞を競い合っている2人にしては、遅い出社である。
「昨日はたくさん飲んだものね」と納得した。
納得しかけた真奈美だったが、彼女の目が違和感を察知する。
(ちょっと待って!? 沖田くんって自転車通勤よね!? 2人同時に出社するっておかしくないかしら!?)
本当に些細な違和感だった。
それだけだったら、彼女は「まあ、偶然ってこともあるかしら」と納得していただろう。
普段より遅い出社時間。
同伴出勤。
これだけならば、パズルは組上がらなかった。
「ふぁあぁっ!! はぁぁっ!!」
思わず叫んでしまった真奈美。
咄嗟に手で口を塞ぎ、新たな違和感に恐れ慄いた。
(沖田くんのシャツ! 昨日と一緒じゃない!? ネクタイも!? 待って! 1回待って!! まだ、判断を焦る時ではないわ、藤堂真奈美!! 確認よ、確認するのよ!!)
彼女は実にさり気なく、自然に壮馬の隣へと移動して、この上なく当たり障りのない挨拶をした。
「おはよう。沖田くん」
「あ、おはようございます! 藤堂先輩!! 昨日、すごく楽しかったです!!」
真奈美は自分を恥じた。
一瞬でもこの純粋な瞳をした同い年の新入社員が送り狼になったのではないかと勘繰った、自分の心を恥じた。
「私も楽しかったわよ。また行きましょうね。ところで」
「はい! なんですか?」
真奈美は確認しておきたかった。
目の前にいる青年の身の潔白を。
「いえ、同じシャツとネクタイをいくつも持っている人っているわよね?」
「そうなんですか? でも、確かにそれって楽かもしれませんね!!」
「うん。うん? あの、沖田くんは同じシャツとかネクタイを持って……?」
「いません! 新しいものを買う時は、ついつい別のデザインのものを選んでしまうんです! 貧乏性なんですかね。ははっ!」
爽やかに笑う壮馬を見て、真奈美は「あ、うん。そうね」と返事をした。
続けて思った。
(一瞬で沖田くんが容疑者に浮上してるじゃない!!! どういうことなの!?)
始業時間まで残すところあと7分。
彼女は朝一番に取引先へと行く予定である。
限られた時の中で、彼女はどこまで真実に近寄ることができるのか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「お、沖田くん? 昨日は結構飲んだけど、よく眠れた?」
「いやぁ、それが自分でもビックリなんですよ! 俺、初めて女の人の部屋で寝泊まりしたんですけど、普通に眠れるものなんですね!!」
「ほっ……ほぉ……」
(ほら来たぁぁぁぁ!!! 確定じゃない!! 女の人の部屋で寝泊まりしてるぅぅぅ!!)
容疑者の自白によって、嫌疑が限りなく深まった。
だが、彼女は歩みを止めない。
この綺麗な瞳をした青年が、送り狼ではない事を証明して見せると。
「ふぐっ……。お、沖田くん? あの、昨夜はすぐ寝たのよね?」
「寝付くまでは時間がかかりました! もう全然離してくれないので!」
「ほっ、ほぉぉ……」
(ほらぁ出たぁぁぁぁっ!! なんかプレイボーイみたいなセリフぅぅぅ!! ヤダ、聞きたくなかった!! 沖田くんの口からそれは聞きたくなかった!!)
失意のどん底に叩き落とされる真奈美。
だが、それでも彼女は立ち上がる。
不純異性交遊だけはあって欲しくない。
純愛であって欲しい。
その一縷の望みに賭けて。
「ふ、ふぅ、はぁ……。お、沖田くん? ゆうべはお楽しみだったのね? 2人で」
「いやぁ、それが日菜さん全然起きてくれなくて! 妹の莉乃さんが相手をしてくれました!!」
「お、お、おふぅ……」
(もうヤメてぇぇぇぇぇぇ!!! 妹さんがいたの!? 現場に!? 待って、本当に、お願いだから!! アブノーマルが過ぎて、私の理性が焼け焦げそうよ!!)
藤堂真奈美の戦いはこれで終わった。
彼女は「今日からどんな目で沖田くんを見れば良いのよ……」と、自分の鍛え抜かれた目力を呪った。
「ね! 朝ごはんも一緒に食べましたし! 楽しかったですよね、日菜さん!」
「……沖田くん! 会社では小岩井と呼んでください!」
「ああ、すみません! 小岩井さん! 今度、また遊びに行ってもいいですか?」
「べ、別に構いませんけど。わたし、沖田くんの教育係ですので」
「あ、あの、沖田くん? 小岩井さん? 最後のもうひとつだけ良いかしら?」
「嫌だなぁ、藤堂先輩! 1つだけなんて! 10でも20でも聞いて下さいよ!!」
「ヤメて! 私が死んじゃう!!」
「そうなんですか!? それはいけませんね! では1つにしておきましょう!!」
真奈美は「どうもありがとう……」と息も絶え絶え答えると、質問した。
「沖田くんは、その、小岩井さんと妹さん。どちらも幸せにしてあげられるの?」
「俺にできる事で2人が幸せを感じてくれるなら、何だってやります!!」
「……ふっ、ふふ」
(とんでもない新入社員がうちに入って来たものね……! そこまで言い切るなんて、さすがは沖田くん……!! もう、私は静かに見守るわ!!)
涙を浮かべてハンカチを目頭に当てている真奈美に、日菜が耳打ちした。
「さっきから先輩、何を聞いているのですか? 沖田くんは昨日、その、わたしが酔っぱらってしまったので、やむなく家に泊まってもらっただけです。一緒に住んでいる妹が気を利かせたらしくて。あ、当たり前ですけど、何もありませんでしたよ!?」
真奈美は数秒間ほど顔が記号で構成された顔文字みたいになった。
そして、永遠のような数秒ののち、笑顔で親指を立てて、日菜に向かって言った。
「ええ! そうだと思っていたわ!!」
その表情は実に晴れ晴れとしており、この日、真奈美は大口の契約を2つも纏めたと言う。
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