第10話 小岩井莉乃は家に来る

 今日は日曜日。

 沖田壮馬は山の森出版・杉林支店で過ごす最初の1週間を終えていた。


「おはよう。親父。お袋」


 時刻は午前8時。

 普通ならば日曜日の午前中など予定がなければ惰眠を貪るのが社会人のジャスティス。


 だが、壮馬は規則正しい男だった。

 さらに親孝行で勤労意欲にも満ちている、今時珍しい若者である。


「おう、壮馬。お前、寝てろよ! 疲れてんだろ?」

「平気、平気。それより、店手伝うよ。作業場入ろうか?」


「バカ野郎! お前、どんだけ孝行息子なんだ!! オレが入院してる間ずっと働いてたんだから、もう和菓子の事なんか忘れろ! 和菓子、この世からなくなれ!!」

「何言ってんだ、親父。体調崩した時に助け合うのが家族だろ? じゃあ、分かった。俺、今日は店番するよ。それならいい?」


「かぁぁっ! ちくしょう、この自慢の息子が! この野郎!! そこまで言うなら止めやしねぇ! そのはつらつスマイルで世界を明るく照らしやがれ!!」

「壮馬! ご飯食べた!? ちゃんと栄養取らないとダメよ! お父さんみたいに、急に倒れる事だってあるんですからね!」


 壮馬の父は長年1人で和菓子屋を経営して来た無理がたたって、3年前に早朝の仕込みをしている際倒れた。

 すぐに異変に気付いた壮馬が救急車を呼んで事なきを得たが、発見が遅ければ命に関わったらしい。


 その後、壮馬が一時的に和菓子屋を受け持つことで父は治療に専念。

 この春に完全復活と相成った。


 だが、一人息子としてはまだまだ安心できない。

 親が子を心配するのと同じように、子も親を心配するのである。


「さあ、店を開けよう! 今日もお客さんがたくさん来てくれると良いね!」

「ちくしょう、こんちくしょう!! この息子がオレのところに生まれて来てくれた事を神とお天道様に感謝だ!! アーメン!!」


 沖田和菓子店は今日も活気に満ちている。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「はい! 合計で2300円になります! どうもありがとうござました!」

「やっぱり壮馬ちゃんがいるとねぇ、元気があって良いわよねぇ!」


 常連客のおばあさんが目を細める。


「親父はまだ病み上がりですからね! 俺も手伝える時には店に出ようと思いまして! 今後ともご贔屓にお願いします!!」

「まあ! あたしゃ、もう40年若けりゃ壮馬ちゃんの恋人に立候補したのにねぇ! 壮馬ちゃんは誰かいい人いないのかい?」


「とんでもない! まだ新しい職場にも慣れていないので、そんな余裕はないですよ!」

「そうなのかい? もったいないねぇ。ねぇ、旦那さん?」


 壮馬の父が作業場から顔を出す。


「まったくだよ! この息子が子孫を残せねぇとか、世界の損失だ! 早いとこ嫁さん見つけて、子供は野球チームができるくれぇ作って欲しいね!!」

「ですってよ、壮馬ちゃん! 頑張らないとね! あらあら、長居しちゃったわ。また来るからね」


「ありがとうござました!!」


 昼過ぎになると、客足も落ち着く。

 雑談に興じるのもまた店番の仕事の1つである。


「沖田さーん! こんにちはーっ!」

「あっ、莉乃さんじゃないですか! どうしたんですか!?」


 小岩井莉乃りの

 小岩井日菜の妹であり、高校三年生。


 彼女の趣味は街歩き。

 オシャレな服を着て気の向くままに散歩するのが楽しいらしい。


 姉の置き忘れたコミュ力がお母さんのお腹の中に残っていたのだろうか。

 実にバイタリティ溢れる休日の過ごし方である。


「ふふーっ! この辺りに沖田さんのお店があると姉に聞いたので、来ちゃいましたー!」

「どうぞ、どうぞ! ゆっくりして行ってください! お袋、お茶用意して!」


 作業場から父が顔を出した。


「おい、壮馬! この野郎、嫁さん見つけろとは言ったけど、まさかJKかよ! かぁぁ! うちの息子はストライクゾーンが広ぇや! よし、その低めの球をフルスイングだ! なぁに、先方のご両親の説得は任せろ!!」


「あはっ! 楽しいお父様ですね!」

「よく言われます! 莉乃さん、最中はお好きですか? うちの売れ筋なんですよ! ご馳走します!」


「あ、いえいえ! お気遣いなくー! ちゃんと自分で買いますから! じゃあ、普通の最中と、さくら最中をください!」

「かしこまりました!」


「壮馬! 店番は良いから、お嬢様とトークセッションとしゃれこんじまえ!」

「確かに。お客さんもいないし。莉乃さんが良ければ、そっちのイートインスペースでお話相手を務めさせてもらいますよ!」


「わぁ! 本当ですかー? あはっ、お姉ちゃんに自慢しちゃおっ!」


 壮馬は最中と母が持って来た緑茶を抱えて、莉乃をエスコートした。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「それにしても、よくうちの店が分かりましたね?」

「それはですねー。はむっ。あっ、おいしー! 甘さ控えめなんですね、さくら最中! ちょっとしょっぱい後味がステキですー!」


 美味しそうに自分の店の商品を食べてくれる莉乃を見て、笑顔の壮馬。

 お茶をズズッと啜る。


「お姉ちゃんが教えてくれたんですよー。沖田さんのご実家が和菓子屋さんだって! お姉ちゃんも一緒に行こうって誘ったんですけどー」

「そうですね! 今度は是非、日菜さんも一緒にいらしてください!」


「あははっ、それ伝えたら、多分お姉ちゃん喜びますよー!」

「もちろん、莉乃さん1人でも大歓迎しますよ! お友達割引もさせてもらいます!」


「あ、そーゆう事を普通に言っちゃう人なんですねー、沖田さんって! ダメですよー? 女子高生は多感な年頃なので、そんな風に優しくされると勘違いしちゃいますー!」

「本心ですから! 莉乃さんみたいな可愛らしい子が来てくれると、店の評判も上がりますよ! 大助かりです!」


 莉乃は「ふふっ、もーっ」と少し照れて笑う。

 それからしばらく雑談をすると、彼女は帰って行った。


 「また来ますね!」と去り際に微笑んだ彼女を見て、壮馬の両親が盛り上がる。


「おい、母さん! こいつぁいけねぇ! 定期貯金を崩す時が来たかもしれねぇぞ!!」

「お父さん、気が早いわよ。まずは老後の積み立てから切り崩しましょう!」


「はい! いらっしゃいませ! ごゆっくりどうぞ!!」


 今日も平和な沖田和菓子店であった。

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