高校の頃後輩だった年下女上司の小岩井さんは会社だと(本人は)完璧(のつもり)なのに1人になると途端にコミュ症

五木友人

第1話 高校時代の後輩が今日から先輩になった

「今日からお世話になります! 沖田おきた壮馬そうまと申します! 不慣れなうちはご迷惑をおかけするかと思いますが、早く皆様のお役に立てるよう頑張ります! よろしくお願いします!!」


 季節は6月。

 山の森出版・杉林すぎばやし支店に新入社員がやって来た。


 山の森出版は地方にある小さな会社である。

 主に教育関係、問題集や参考書などを取り扱っており、業績は良くないが悪くもないと言うまさに中小企業。

 最近ではタウン誌などにも手を伸ばしており、やる気だけは売るほどある。


 沖田おきた壮馬そうま。25歳。

 会社で働くのはこれが初めてであり、非常に緊張している。


 彼の実家は和菓子屋で、両親が切り盛りしていた。

 が、彼が大学四年生の時に父が病を患い、長期の入院、療養が必要な事態に見舞われる。


 彼は迷わず実家を手伝う進路を選んだ。

 そしてこの春。父が完全に快復したため、壮馬は自由を得た。

 とは言え、新卒のカードを失った職歴のない男が就活をするには極めて厳しいご時世である。


 そんな状況で比較的すんなりと山の森出版に入社できたのは幸運だった。


「じゃあ、沖田くんの教育係は小岩井くんに頼むよ。世の中の厳しさを教えてやってくれ! がっはっは!」


 支店長が豪快に笑って、朝礼が終わる。


「どうも。小岩井日菜です」

「あ、はじめまして! 沖田壮馬と申しま……す? 小岩井さん? あれ!? 小岩井さんですよね!? 東高で一緒に文芸部だった!」


 彼女の名前は小岩井こいわい日菜ひな

 23歳。入社2年目を迎えた、仕事のデキる女子である。


「はい。お久しぶりです」

「いや、全然気付かなかった! 雰囲気変わったね! 大人っぽくなったって言うか! 昔はもっと、ほら! おどおどしてたからさ!」


「沖田さん。いえ、業務中は沖田くんと呼ばせて頂いても?」

「えっ、あっ、はい」


 沖田壮馬と小岩井日菜は東高校の出身であり、文芸部の先輩後輩の仲だった。

 彼が三年生の時の一年生部員が彼女で、2人きりの部活だったためよく好きなラノベやアニメの話などで盛り上がった。


 だが、それは過去の話。


 今では2人も立派な社会人。

 25歳でやっと新社会人の第一歩を踏み出した壮馬にとって、日菜は先輩である。

 さらには上司である。


 思わぬ顔見知りに出会って興奮してしまった事を壮馬は反省した。


「小岩井さん! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!!」

「はい。よろしくお願いします、沖田くん」


 高校卒業以来の再会は、実に温度の低い形で始まった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 日菜は給湯室へとやって来た。

 彼女は無言でしゃがみ込む。


 貧血だろうか。


(ふ、ふ、ふぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! 新入社員が沖田先輩だったぁぁぁぁっ!! どうしよ! わ、わたし、なんか変なキャラで挨拶しちゃったんですけど!?)


 日菜はゴンッ、ゴンッと壁に頭を打ち付ける。


(沖田先輩、東京の大学だったからてっきりそのまま就職したのかと思ってたのに! なんでこんなしょっぱい会社に中途採用で来てるの!? 意味分かんない!! って言うか、沖田くんって!! 新選組の近藤局長か!! バカなの、わたし!?)


 日菜はグルグルと給湯室を歩き回る。

 バターになって溶けるのが先か、誰かに発見されるのが先か。



 そう。小岩井日菜はコミュ症であった。



 壮馬の記憶通り、おどおどした女子がそのまま成長していた。

 だが、彼女は仕事を前にする時だけ、デキる女子に変身する術を覚える。


 彼女いわく、「キャリアウーマンのコスプレをする感じ」なのだとか。

 そのコスプレ状態であれば、完璧に完璧を重ねた女性を演じることができる。


 オタク脳を上手く活用した、天才的な発想だった。


「あ、小岩井さん! お茶なら俺が淹れますよ!!」

「ふぎゃっ……!! ……いいえ。結構です。今日入って来たばかりの新人にそんな事はさせられません。沖田くんは席で待っていてください」


「すみません。出過ぎた真似でした。失礼します」

(軽く死にたい……!! 今のでわたしの今日のライフが8割削られた……!! 沖田先輩、相変わらず優しい! そしてわたしはバカ!)


 日菜は冷静さを取り戻すべく、大きく息を吐いた。

 「スーツを着たら変身完了」と呟いて、お茶を淹れる。


 デキる女子が戻って来た感じがして、彼女は落ち着きを取り戻していた。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 沖田壮馬は悔やんでいた。

 日菜に対する態度についてである。


(しまった。小岩井さんだってもう何年も会ってないのに、あんな風に馴れ馴れしくしたのはまずかった。可愛くなってたし、もしかしたら職場恋愛とかをしているのかもしれない。だとしたら、なおの事まずかった)


 壮馬はマジメで実直。

 さらに気配りがデキる男である。


 彼はありもしない妄想を膨らませて、最終的に日菜が職場恋愛している先輩社員と微笑むシーンまで想像した。

 「何と言う申し訳ない事を……!」と、彼はさらに悔やんだ。


 そこにやって来た日菜。

 手にはお盆を抱えている。


「どうぞ。お茶です。明日からは自分で淹れてくださいね」


 キリっとした表情の日菜。

 ただしお盆はガタガタと揺れ、お茶がシェイクされている。


 落ち着いて欲しい。


「すみません、小岩井さん。もう給湯室の場所を覚えたので、平気です」

「そうですか。良かったです」


 湯呑もお盆だと思って乗った先がロデオマシンだとは思わなかっただろう。

 今は壮馬の手に握られて、人心地ついている。


「……あっ! 本当にすみません! このお茶、わざわざ冷たいものにしてくれたんですか? 今日は暑いですもんね! ご配慮、感謝します!」

「……ほわっ!? あ、はい。冷たい緑茶も悪くないと思いまして」



(良かった! やっぱりわざとだったのか! うっかりミスかと疑うところだった!)

(ふぎゃぁぁっ!! や、やっちゃったぁー!! わたしのバカ! 落ちつけ、わたし!!)



 これは、割とすぐにコミュ症になる女と、気が利き過ぎてオーバーランしてしまう男が繰り広げる、恋の物語である。

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