第2話 小岩井日菜は(自分では)デキる女(だと思っている)

「おはようございます! 小岩井さん!」

「おはようございます。沖田くん」


 新入社員の仕事と言えば、誰よりも早く職場へやって来て机を磨く事である。

 そんな規則はないし、この令和のご時世に実践している人間も少ないが、沖田壮馬はマジメな男。


 少しでも早く職場に馴染むための努力は惜しまない。


「沖田くん。ちょっと頭を下げてください」

「あ、はい。お辞儀の練習ですか?」


 日菜の身長は157センチ。壮馬の身長は175センチ。

 彼女が彼の髪に触れるためには、こうしてもらうしかない。


「髪の毛、寝癖がついています。うちは事務でも時々は営業に駆り出される事があるんですから、身だしなみには日頃から気を付けてください」

「すみませんでした……。早く出社しないといけないと思って、ついないがしろに……。勉強になります!」


「そのひた向きな姿勢は良いと思います。では、わたしは少し席を外します」

「はい!」


(女子が席を立つ時には理由を聞かない! 基本だな!!)


 壮馬は気が利く男である。

 赤子の頃、言葉を覚える前にエチケットを覚えたのではないかと両親も疑うほどに、万事相手の行動を先読みして場を整える。


 それから彼は、続々と出社してくる社員たちに元気のいい挨拶を繰り返した。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 給湯室では、小岩井日菜がうずくまっていた。

 彼女は給湯室が好きな訳ではないが、廊下の突き当りにある給湯室は1人になるのに最適であり、1人になるべき事案を抱えた彼女は今日も元気にうずくまる。


(さっきのは何なの!? なんでわたし、少女漫画のイケメンみたいな事をしたの!? だって仕方ないもん! 沖田先輩の寝癖を他の社員に見せる訳にはいかないもん! 人の事はよく気付くのに自分に鈍感な沖田先輩……! 可愛い……!!)


 感情を爆発させる日菜。

 だが、背後に気配を感じて彼女はスッと立ち上がる。


「あら、小岩井さん。おはよう。早いのね」

「藤堂先輩。おはようございます。お茶ですか? それなら、わたしが」


 彼女は藤堂とうどう真奈美まなみ

 25歳で壮馬と同学年である。


 日菜の2年先輩の社員であり、営業職でバリバリ仕事を取って来るやり手の女子社員。

 杉林支店には女子社員が少ないため、日菜と真奈美の仲はとても良い。


「張り切ってるわね! 沖田くんの教育係!」

「当然です。わたしも2年目ですから、いつまでも学生気分、新人気分ではいられません」


「おっ! 今のはポイント高いわよー! 小岩井さんに任せておけば、沖田くんも安心ね!」

「はい。任せて下さい」


「ところで、そのネコちゃんの湯呑。もしかして、沖田くんの?」

「ふぎゃっ……こほん。はい。先輩社員として、用意させてもらいました」


 真奈美は「そう言うとこもさすがね、小岩井さん!」と頷く。

 一方、日菜はそれどころではなかった。


(よく考えたら、入社2日目で異性の同僚からプレゼントって……! 重い……!? や、でも、沖田先輩だけ自分の湯呑ないの可哀想だし! 昨日、自分の湯呑を用意するように言わなかったのはわたしだし!!)


「それにしても、沖田くんには可愛すぎるんじゃない? ネコちゃん湯呑」

「いえ。沖田くんはネコが好きなので」


「あら、もうそんな世間話までするの? 打ち解けるの早いわね!」

「ほわぁっ……はい。犬と猫、どっちが好きかは定番の会話ですから」


(高校の頃に聞いて知ってただけです! 藤堂先輩、嘘ついてごめんなさい!!)


 それから日菜はゆっくりとお茶を淹れて、1つを真奈美に手渡した。

 「ありがと!」とお礼を言って去っていく真奈美。


 続けて、2つの湯呑が載ったお盆を抱えて、日菜はデスクに戻っていく。

 同じミスを繰り返さないのが小岩井日菜。


 今回はお盆を両手でがっしりと全力を注いで掴む事で、精神的動揺による振動を最小限に抑える作戦を考えていた。


「沖田くん。お茶が入りました」

「えっ!? 言ってくれたら俺が用意しましたよ!?」



「ちょっと給湯室に用事があったので、ついでにお茶を淹れてきました」

「給湯室にお茶淹れる以外の用があったんですか!?」



 日菜は何も答えない。

 口を開くとやらかすと言う事を彼女は熟知している。


 スーツを着ている彼女はキャリアウーマンのコスプレ中。

 会社にいる間はその効果が発揮されるのだ。


「それから、ここでは自分の湯呑を持つのが慣例でして。僭越ながら、わたしが沖田くんのものを用意しておきました。気に入らなければ言ってくださ」

「これ、小岩井さんが!? うわぁ! 嬉しいです! 俺、ネコ大好きなんですよ! こんな可愛い湯呑、自分じゃ買えませんし! 大切にしますね!!」



(ふ、ふぎゃぁぁぁぁ……!! 純粋な瞳の沖田先輩、眩しい……!!)

(小岩井さん、本当に高校の頃とは別人みたいだ! すごいなぁ! 俺も見習わないと!!)



 ゆっくりと2人で並んでお茶を啜り、始業時間までの時を過ごす2人。

 それを眺めていた藤堂真奈美は、第六感が働いたと言う。


(あの2人からは、何かしら。尊いオーラを感じるわね……!!)


 藤堂真奈美は仕事よりも恋愛の経験値が高い女子だった。

 ただし、恋愛は鑑賞する方が専門である。


 彼女は誰よりも早く、沖田壮馬と小岩井日菜の微妙で瞬きをしたら見逃してしまいそうな違和感を察知していた。


 これはラブコメの匂いがすると、彼女の嗅覚が告げている。


 9時になって、山の森出版・杉林支店もお仕事スタート。

 4月入社ではない壮馬に新人研修などはない。


 日菜の指導によって、社会人としての階段を上っていくのである。

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