第40話 小岩井莉乃は一緒に書きたい
8月も下旬に差し掛かると、朝夕は少しだけ過ごしやすくなってくる。
とは言え、日中は太陽がハッスルしており、人々は涼を求めて歩き回る。
そんな人々に「ここは違うわ」とそっぽ向かれたファミリーレストランがある。
だが、お客がまばらなファミレスほど居心地の良い場所もない。
「お客さまー! お冷のおかわりをお持ちしましたー!」
「あ、すみません、莉乃さん! と言うか、このお店ってセルフサービスじゃありませんでしたっけ?」
「あはっ、バレちゃいましたかー。だって、暇なんですよぉー! 今日は平日で、しかもお昼時も過ぎちゃいましたー。お客さんなんか、壮馬さんを含めても3人だけですよー」
アルバイトはやる事がなければ楽だろうと言うのは、正しくもあり、誤りでもある。
特に単純作業や接客業などは、何もしていない時間が長くなれば体感時間の経過が遅くなると言う魔法にかかる事がままあるのだ。
「もう2時間くらい経っただろ?」と時計を見て、実際は15分しか経っていなかった時の絶望感たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。
深夜の工場作業系などが最たるものではあるが、接客しない接客業と言うのもなかなか時間が過ぎてくれない定番に挙げられる。
「壮馬さんって、今日はお休みなんですねー。お姉ちゃんは普通にお仕事に行きましたけどー」
「そうなんですよ! 支店長が、そろそろ疲れが溜まってくる頃だから有休使えって言ってくれまして! お言葉に甘えた次第です!」
なお、新入社員に、それも入社して3ヶ月の者に有休を消化させてくれる企業はホワイトオブホワイト。
TOTOの新品のバスタブくらい白い。
もしもそんな職場と巡り合ってしまったら、絶対に手を離してはならない。
「なるほどー」
「莉乃さんは夏休みなのにアルバイト頑張ってるんですね! 受験勉強の進み具合はどうですか?」
「えっへへー! 壮馬さんが小論文の書き方を教えてくれたので、ばっちりですー! この間の模試もしっかりA判定でしたよー! 優秀な先生のおかげですー!」
「いや、俺はちょっとだけ利いた風な口を挟んだだけですよ! 莉乃さんの元から持っていた才能と、それを生かそうとする努力の成果ですね!!」
壮馬はそう言うと、水を一口。
すぐさま莉乃が「お冷をお注ぎしますー」と対応する。
ファミレスのお客は3人。
ホールに出ているスタッフも3人。
マンツーマンディフェンスの様相を呈していた。
店長は早いところ雇用形態を見直さないと、人件費だけでもかなり節約できるのではないかと思わざるを得ない。
もしくは、既に万策尽きてヤケクソになっているのだろうか。
「ところでー。壮馬さんは今日、何をされてるんですかー? お仕事ですかー?」
「ああ、いえ。これはですね。恥ずかしながら、小説を書いていまして」
莉乃さんの大きな瞳が輝いた。
「なんですかー! そのお話、聞きたいですー!!」と言ったかと思うと、スタッフルームに駆けて行く莉乃さん。
10分ほどで私服に着替えた彼女が壮馬の向かいに座った。
「あれ? もうお仕事は終わりですか?」
「はいー! 店長にもう上がっていいですか? と聞いたところ、別にいいよと言われましたのでー!」
壮馬は「そうでしたか!」と応じて、行きつけのファミレスの未来が陰る気配を感じた。
「では、何か頼みましょう。俺も休憩しますから」と、彼はせめてもの援護射撃を試みる。
多分、もう手遅れだと思われた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ご注文のミニオムライスとオニオングラタンスープ。そしてポテトフライをお持ちしました」
店長がオーダーしたものを持って来る。
壮馬は「これはすみません」と頭を下げる。
「ところで、ポテトフライは頼んでいませんけど」
「お客様は御贔屓にしてくださいますので。こちらはサービスでございます。弊社の従業員の食事も注文してくださるのですから」
壮馬は店長のご厚意に甘える事にした。
「ありがとうございます。では、遠慮なく」と再び頭を下げた。
店長は「最後までご愛顧を賜れると恐縮です」と言って店の奥に消えていった。
壮馬は色々と察したと言う。
「すみません、壮馬さん! いつもあたしばかりご馳走になっちゃいましてー」
「いえいえ。大人として、未来ある若者の食事代くらいは出させてください!」
「あはっ! やっぱりそーゆうところ、ステキですー。それで、壮馬さん! どんなお話を書いているんですかー? 気になりますー!!」
「いや、これは参ったなぁ! そんなに大した物語じゃないんですよ」
「あ、もしかして聞いちゃダメなヤツでしたかー?」
莉乃は相手が不愉快な思いをしないように、自分の振る舞いをすぐに見直す事の出来る聡明な女子である。
立ち入った事を聞いてしまったのではないかと、壮馬に謝った。
「いえいえ! 別に、秘密にしている訳でもないですから! そうですね。一言で表すと、実体験を踏まえたお話です。都会に出たものの、地元に帰って来た主人公が居場所を見つけるまでの過程の話で。しょうもないでしょう?」
「いえ! とってもステキだと思います! じゃあ、主人公は誰かと接する事が好きな人なんですね! それに、とっても優しい人!」
莉乃の口にした主人公は壮馬の考えていたものとは違っており、そしてそれは魅力的に感じられた。
彼は率直に目の前にいる女子高生に聞いてみた。
「どうしてそう思ったんでしょうか?」
「だって、そっちの方が壮馬さんのお話っぽいですもん! やっぱり、自分と同じような感性を主人公が持っていた方が書きやすいのではー?」
壮馬は主人公の設定を決めきれていなかった。
魅力的な男を想像したいのに、どうしてもリアリティがなく薄っぺらいものになってしまう気がして、試行錯誤を繰り返していた。
そんな彼の頭の中に光明を射しこませたのは、活発で賢い乙女であった。
「なるほど……! 実体験を踏まえているのに登場人物だけ別のところから持って来ようとするからいけなかったのか!! そうですよね! ある程度は俺に寄せなければ、感じた事や過ごした時間に現実味を持たせるのは無理があるに決まってます!!」
「もしかして、あたしお役に立てちゃった感じですかー?」
「はい! すごく! やっぱり考え方の違う人と話をしていると、いいアイデアを閃くことができます! 莉乃さん、良ければ今後も時々でいいので、相談に乗ってくれますか?」
莉乃の表情がパァッと明るくなり、「あっ!」と言って平静を装った。
だが、嬉しそうな表情は隠しきれていない。
「あたしで良ければ、ぜひぜひー! 壮馬さんの物語に参加できるなんて、とっても光栄ですー!!」
「そうですか! うわぁ、助かるなぁ!!」
この時、壮馬の物語の舵が切られたのだが、その事実に彼が気付くのはずっと先の話である。
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