第16話 小岩井日菜はひとりでケーキが作れない

 仕事を終えた壮馬が家に帰って来た。


「おう! お疲れさん、壮馬! 腹ぁ減っただろ!? すぐ飯にぽぉぉぉう!?」

「ただいま、親父! 紹介するよ、こちら会社の先輩で小岩井日菜さん!」



「は、はじめまして。わたし、沖田くんのふぎゅっ!?」

「おおおおい! 母さん、えらいこっちゃ!! 壮馬がリクルートスーツのよく似合うお嬢さんをお持ち帰りして来やがった!! こいつぁ、一刻の猶予もねぇな! よし、商店街の回覧板におめでたの報告だ!!」



 小岩井日菜、壮馬の父に挨拶を試みるも、失敗に終わる。

 だが、恥じることはない。


 このテンションで食いつかれると、平然とした受け応えをする方が難しい。


「親父。しばらく作業場使わないよね? ちょっと借りるよ。ケーキ作るんだ」

「す、すみません。わたしのお願いで夜分にしつれ」


「てめぇでてめぇのウェディングケーキ作るってぇ!? ったく、壮馬ぁ! お前ってヤツぁ、バイタリティの塊か!! よっしゃ、待ってろ!! すぐに上物の白い粉用意してやる! お嬢さん、スーツが汚れちゃいけねぇ! エプロン持って来るからな!!」


「……ふみゅ」

「すみません。騒がしい父親で。でも、この春まで病気を患っていたので、ああやって元気に騒いでくれると俺は嬉しいんですよね」


「お、沖田くんのそーゆうところは、わたしも高く評価しています。や、優しいのは、ポイント高いです。……ふぎゅっ!? って、藤堂先輩が言ってましたよ!?」

「さあ、時間もないですし。作りましょうか! 莉乃さんの誕生日ケーキ!!」


 明日はいよいよ小岩井莉乃の誕生日。

 「妹のために手作りケーキをプレゼントしたい」という日菜に胸を打たれた壮馬は、一肌脱ぐ事を決意した。


 和菓子屋だってケーキのひとつくらい作れるのだと、場所と材料を提供する男気溢れる後輩社員。

 ついでにレクチャーまでしようという大判振る舞い。


 スピード勝負の週末の夜が始まる。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 材料は壮馬の父が既に用意していた。

 何なら今、メレンゲを立てているところである。


「親父、気持ちは嬉しいけどさ。作業は小岩井さんにやってもらわないと」

「っかぁぁぁ! こいつぁオレとした事が! ついつい出しゃばっちまったぃ!! すまねぇな、小岩井ちゃん! これ、良かったら使ってくれ!! 母さん! オレらは大福でも食いながら、孫の名前を考えよう!!」


 という事で、作業スタート。

 既にスポンジケーキの下準備が完全に終わっているが、父の厚意を無下にいる事もないと、壮馬はそこから引き継ぐことにした。


「小岩井さん、お菓子作りの経験ないんでしたよね?」

「うみゅ。ないです……。お、女の子として、わたしもチャレンジした事はあるんですよ!?」


「凄いじゃないですか!」

「……結果、キッチンが汚れるからと母に叱られました。今は妹に叱られます。うみゅ」


「ここならいくら汚してもらっても構いませんから! では、小岩井さんには生クリームの準備をしてもらいます!」

「みゅ、生クリームですか!? そんな、いきなり……。もっと順序だててください!」



 日菜さん、順序立ててあるから安心して欲しい。



「……よし、あとは焼けるのを待つだけだ!」


 壮馬は壮馬で、工程をカットしないで欲しい。

 3分クッキングだろうか。


 とにかく、スポンジケーキが焼けるまで、2人で生クリームを作ることになった。

 生クリームもよもや2人がかりで挑まれるとは、本懐だと思われる。


「じゃあ、俺、隣で見てますね!」

「……うみゅ。……沖田くん。言っておきますけど、慌ててクリームをひっくり返して、挙句シャツが透けたり、スカートが脱げたりはしませんからね?」


「はい? はい!」

「うみゅ。分かっていれば良いんです」


 彼らはオタクである。

 男女が2人で料理をすると、ラッキースケベが起きる確率はだいたい半々くらいだと考えている。


 女子がエプロンを装備すると、その確率は7割にもなると考えていた。

 23歳と25歳が、何を真剣な顔で話し合っているのか。


 日菜はシャカシャカとクリームをかき混ぜていく。

 壮馬が「電動泡だて器がありますよ」と言ったが、「こっちの方が気持ちがこもる気がするんです」と日菜はその申し出を丁寧に断った。


 気持ちを込めてかき混ぜた結果、普通に生クリームが仕上がっていた。

 日菜はコミュ症だが、ドジっ子属性は併せ持っていない。


 落ち着いてやれば、このくらいはできるのだ。

 ならばなぜキッチンの使用を禁止されているのか。



 それは普通に料理が下手くそだからである。



 オーブンが「ケーキ焼けましたよ」と合図にチンと鳴る。

 壮馬が取り出して、しばし冷やす。


 その間に雑談ができるのが、かつての先輩後輩、今の後輩先輩の良いところである。


「きっと莉乃さん、喜びますよ」

「そ、そうでしょうか。莉乃って大人びているから、わたしの考えくらい見抜かれてるんじゃないかって時々思います」



「それでもいいじゃないですか! 俺だったら嬉しいですよ! 内緒で誕生日のお祝いをしてくれてるって分かったら! 日菜さんみたいに可愛い人だったらなおさら!!」

「みゅっ!? か、かわ、ふぎゅ、名前……!! 沖田くん、減点です!!」



 日菜は色々と言いたい事があったものの、コミュ症発動中のため言葉にできず、結果として壮馬から減点する事で平静を保った。

 なお、日菜の中にある壮馬ポイントは85000である。

 今回の減点は3。


 誤差も良いところであった。


 ケーキ作りも最終工程。

 と言うか、生クリーム泡立てるシーンしかお届けできていない。


「……あぅ。ふぎゅぎゅ……! はうっ!! うみゅ……。しゅばっ!!」

「お、上手ですよ、デコレーション! って、俺は和菓子専門なので、こんな事言われても嬉しくないでしょうけど」


「べ、別に。何を専門にしているかと、相手を褒める気持ちは違うものだと思うので、うみゅ、沖田くんは褒めたら良いと思います」

「そうですか! だったら最高ですよ! せっかくなので1枚撮っておきましょう!!」


「ふぎゃっ!? や、急にカメラ向けないで……。うみゅ……」


 こうして少しいびつな装飾が施されたバースデーケーキが完成した。

 明日は莉乃の誕生日。


 果たしてサプライズは成功するのか。

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