第41話 沖田壮馬はもう一度目指したい
沖田壮馬は本気だった。
一度は夢見た小説家。
高校時代は書き続けていればいつかは叶うと信じて疑わなかった。
大学生になり、アルバイトで学費を稼いで仕事でお金を得る事の大変さを知った。
同時に、努力だけでは夢は叶わないのではないかと思うようにもなった。
限られた人間だけが夢を叶える。
そして、自分は選ばれなかった方の人間なのではないかと思うようになった。
大学3年生になったタイミングで、父親が病気になった。
この時点では「そんなに深刻に考えなくても良い」と両親は言っていたが、心の優しい壮馬が気持ちを切り替える転機としては充分だった。
結果、父親の病状は芳しくなく、壮馬は家業を継ぐことを決意する。
この頃になると、もう夢なんて言ってはいられない。
家業の危機と自分の夢。
壮馬にとっては、天秤にかける事すら必要としない問題だった。
そうやって諦めた夢だったのだが、就職先に出版社を選んだのはまだ未練が残っていたからなのかもしれない。
偶然、夢に燃えていた頃の時間を共に過ごした小岩井日菜と再会したのは、ひょっとすると運命だったのかもしれない。
壮馬は運命論者ではないし、それほどロマンチストでもない。
だが、人生で1度くらいなら、運命とやらに導かれてみても良いような気がしていた。
そうして、沖田壮馬は本気になったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
月曜日。
朝礼が終わったあとに、壮馬は剛力のデスクへ向かった。
「支店長! 少しよろしいでしょうか!!」
「おう。沖田。今日も元気が良いな! 部下の話を忙しいからと突っぱねるような人間にワシが見えるか?」
見た目の話をすると、部下を鉄拳で育てそうな剛力。
だが、中身は意外とハートフルな事を壮馬はもう理解している。
「ご相談があるのですが」
「おう。なんだ? 有休なら使って良いぞ。ワシがヘルプで事務仕事引き受けるから」
「休職したいのですが!」
「そうか、よし! 分かっおばぁぁぁぁぁぁぁ!? おま、おまぁぁぁぁぁぁ!!!」
剛力が椅子から転げ落ちて、そのままブレイクダンスをした。
そのパワームーブは見事であり、今からでもオリンピックを目指せるのではと予感させた。
「どうしたんですか、支店長。とんでもない声が聞こえたんですけど。またまつ毛が眼球に突き刺さったんですか? それとも、紙で指の爪の間を切りましたか?」
「ちょまっ、ちょっま、井上! 沖田が、沖田がヤメ、辞めるって!!」
さすがの井上もそれは想定外。
激しく狼狽える。
「壮馬くん! 何か悩みがあるんなら聞くよ! 支店長がやっぱり無理だった!? じゃあ、僕が出世して支店長になるよ!! 5年……いや、3年待って! すぐに剛力剛志を引きずりおろすから!!」
「そうだぞ、沖田! ワシを引きずりおろすだけで解決するなら、どうぞ引きずりおろしてくれ!!」
壮馬は「いえ、違うんですよ!」と釈明する。
「俺は退職ではなくて、休職を願い出たのですが」
「なんだー。そうだったのか。って、それでも
剛力の強い眼力が光る。
「まさか、お父様のお加減が良くないのか!?」
「いえ! 親父は今日もご飯モリモリ食べてました! 元気そのものです!!」
「そ、そうか! それはとりあえず良かった!!」
「壮馬くん、やっと仕事に慣れて来たって嬉しそうに言ってたじゃない! 支店長が問題じゃなくて、ご家庭も円満なら、本当に僕たちには理由が分からないよ!!」
壮馬は自分の熱意を制御し切れずに、物事の順序を正しく並べ損なっていた。
ちなみに、彼らの会話はオフィス全体に響いている。
ならば、日菜はどうして駆け付けて来ないのか。
直属の上司であり、教育係の日菜はどうした。
「ひ、日菜ちゃん! 気を確かに持って! 大丈夫! 私が付いているわよ!!」
「…………ふみゅ」
あまりのショックに椅子から転げ落ちて、目が点になっていた。
このままでは、真っ白な灰になって最終的には塵になって霧散しそうである。
壮馬は「完全に私事なのですが」と理由を説明し始める。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「なにぃ!? 小説家を目指したいから、仕事を休職したい!?」
「はい! 無理でしたら、退職で構いません! 俺、今ここで本気を出さないと、多分一生後悔すると思うんです!!」
「ちょ、ちょっと待って! それって、仕事しながらじゃダメなの!?」
「俺もそう考えていたのですが、山の森出版の服務規程に副業禁止と記載されていまして。まだプロになってもいない身で厚かましいかと思うのですが、本気で取り組むためには今後、会社にもご迷惑をおかけすると考えたところ、こうするのが筋かと!」
「話は聞かせてもらったわよ!!」
「真奈美さん。ごめんね。今は尊みバーストストリームの話する空気じゃないから」
藤堂真奈美の扱いは、沖田壮馬が入社してから加速度的に悪くなったものの最たる例かと思われる。
「確か、うちの会社ってエンターテインメント部門ありましたよね?」
「ああ。あるが。あれは形だけ残ってるようなもので、山の森出版から小説を出したのはもう10年くらい前になるぞ」
「部署が残っているなら、沖田くんは会社に所属して小説家デビューを目指せばいいじゃないですか! 社員が出版すれば話題になるし、ヒット作でも出したら専属作家として重用されるに決まっているわ!!」
「お、おお……。真奈美さんが、まともな意見を……!」
「私を何だと思っているのよ、井上!」
「脳がお花畑によって支配されている気の毒な女子かな」
剛力がドンッと机を叩いた。
彼は頼れる上司であり、ここぞの男気は元モデルの奥さんを虜にした実績がある。
「沖田! 今日からお前の仕事を半分に減らす! その分、執筆に時間を割いて構わん!」
「えっ!? それはできませんよ! と言うか、そんな事が許されるんですか!?」
「本社の頭の固い年寄り連中は許さんかもな。だから、ワシらだけの内緒のプロジェクトだ! なぁに、沖田が売れっ子作家になれば、誰も文句なんか言わねぇよ!!」
剛力は壮馬とこれ以上の押し問答を続ける気はないらしく、井上と真奈美を含めて極秘プロジェクトの概要を詰める作業へと移行した。
肝心の壮馬には「お前がいるとすぐに遠慮して話が進まんから、デスクで菓子でも食ってろ!!」と指示を出す。
こうして、杉林支店を巻き込んだ、沖田壮馬の本気の挑戦が始まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「日菜さん! 俺、あなたのおかげでもう一度、夢を目指してみようと思えました! ありがとうございます!!」
隣の席の日菜に頭を下げる壮馬。
「うみゅ……。沖田くんが決めた事ですから、わたしは応援します」
いつになく淀みのないセリフを吐く日菜。
彼女は彼女で、1つの覚悟を既に完了させていた。
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