第19話 藤堂真奈美はキューピッドになれない

 お昼休み。

 山の森出版・杉林支店の社員は外に食べに行く者が多い。


 ただでさえ少ない社員がさらに減る中、壮馬と日菜はデスクで弁当を広げていた。


「おお! 小岩井さん、可愛いお弁当ですね! それに栄養もありそう!」

「当然です。社会人たるもの、やはり自己管理は基本ですから」


 日菜は料理が下手くそである。

 しかし、壮馬が先日「俺、しばらくお昼は弁当にしようかと思うんですよ。食費を浮かせようと思って!」なんて言うものだから、日菜は頑張らざるを得なかった。


 料理が下手な人間には2種類いる。


 手際が悪い者と、基本を守らない者である。

 ちなみに日菜は前者であり、双方を兼ね備えた真のメシマズ女子ではなかった。


 手際が悪いため、何度もミスをする。

 だが、手順は守るため、いつかは美味しいおかずを作ることができる。


 今週に入り、日菜は朝の4時に起きて弁当作りに励んでいた。

 早起きするため、毎晩9時には就寝している。


 小学生でもそんなに早くは寝ないだろう。


 だが、努力が結果を裏切らないパータンだったらしく、日菜の弁当は毎日ハイクオリティを維持していた。

 「デキる女は料理もデキる」の信念を相棒に、毎日「ふんすっ!」と頑張っている日菜。


「小岩井さん、今日は俺のミートボールとおかずのトレードしませんか?」

「いいでしょう。わたしからはアスパラのベーコン巻きを出します」


 なんだかいい感じのランチタイムを壮馬と過ごせている彼女は、幸せそうであった。

 そんな2人を見つめる視線がある事に彼らは気付いていない。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「くぅー! 見ましたか、今のやり取り! 見ましたよね? 私は見ちゃいました! あのほんわかとした空気感!! ああ……癒されるわ……」


 藤堂真奈美。

 杉林支店の営業でエースの座を維持し続ける彼女の最近覚えた息抜きは、壮馬と日菜のやり取りを遠巻きに眺めて悶絶することである。


「いや、真奈美さん。行って仲間に入れてもらったらいいじゃない? きっと、2人も歓迎してくれると思うんだけど、僕」


 昼ご飯を食べに行こうとしていたところを真奈美に捕まったのは、井上隼人。

 営業成績は地味だが堅実。

 女性関係は派手で豪快で速攻主義。


 杉林支店のムードメーカーである。


「井上先輩。それ、本気で言ってるんなら私、あなたの事を軽蔑します」

「うわぁ。すっごい冷たい目で見て来るじゃん……。なんで? 2人のやり取りをもっと近くで満喫して来るのは何がいけないの?」


 真奈美は「はぁぁぁぁ」と実に大きなため息をついた。

 心の底から井上に落胆しているようである。


「いいですか? 今の2人の距離感は、繊細かつ緻密なバランスで保たれているんですよ。言うなれば、コップいっぱいに注がれた清水なんです。あの空間は」

「うん。もう既に意味が分かんないけど、続けて?」


「清水に私と言う名の枯れ葉が流れて来てみなさい! たちまち台無しよ!!」

「いや、清水に枯れ葉も風情があって良いと思うよ、僕」


 真奈美は井上の意見を無視して、話を進める。


「ああいうのはですね、距離を少しだけとって、声が聞こえるかどうか分からないわ! あ、でもギリギリ聞こえない!! ……となる場所に潜んで見守るのが乙なんです。2人の会話を妄想するだけで持ち点が大幅にアップします」



「ははっ! ちょっと何言ってるのか分からないな!!」

「……可哀想な人だわ」



 真奈美の持論展開は続く。


「ほら! 見て下さい、井上先輩! バカな井上先輩!! 見ました? 今、小岩井さんが沖田くんからミートボールもらう瞬間!!」

「見てたよ? 普通じゃん」


「ホントにあなたは救いようのない人ですね!! 同じ空気を吸うのも嫌だわ!」

「すごい言われようだなぁ。僕、一応だけど君の先輩だよ? 同じ部署のさ」


「あれは、思わずあーんでミートボールを受け取ろうとして、途中で我に返って沖田くんにバレていないか取り繕いながらも平静を装っている小岩井さんを推すところでしょう!? 日頃から何を考えて仕事してるんですか、あなたは!!」

「仕事のことだよ? 昼から会う取引先の人と何話そうかな、とか」



「それって沖岩の尊さよりも大事な案件ですか!?」

「真奈美さん、沖田くんが入社してから脳内のシナプスが激減したよね? あと、沖岩って言うんだ? 2人のこと」



 真奈美は営業先から帰社する際に買って来たあんぱんを齧って、牛乳で流し込む。

 今と言う時間は今しかないのだ。


 それを食事に使うなんてとんでもない。


「はい、出ました! もう私の心にぐっさり来ました! もう見てらんない!」

「一応聞くけど、何が?」



「私、井上先輩が先輩だって事を心の底から恥じるわ」

「奇遇だなぁ。僕も真奈美さんが後輩ってちょっと嫌だなって思い始めてたとこ」



 真奈美はデキの悪い先輩社員に舌打ちをしてから、解説に入る。


「今のはね、小岩井さんの頬っぺたに付いていた卵焼きの切れ端を、沖田くんがそっと指で取って!! それを小岩井さんに食べさせるシチュエーションに悶えるところでしょう!? バカなの!? 井上、バカなんじゃないかしら!?」

「ついに敬語をヤメて、呼び捨てにしたね。いや、別にいいけどさ」


 その後も真奈美の口から飛び出す悶絶シチュエーションの数々は、隣でなんだかんだと聞いてあげる井上によって適切なツッコミが行使されていった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「つまり、あれだよね? 壮馬くんと小岩井さんのカップリングを応援したいって事でいい? 僕、何か間違ってる?」

「ついに分かったのね! 井上!! 私はあなたも話せば分かる人だと信じていたわ! もう、相当に物分かりが悪くてジャーマンスープレックスかけたくなったけれど!!」



「それじゃあ、後押ししてあげなよ」

「……ホントにバカね。井上」



 その時の真奈美の視線は、ツンドラ気候を凌駕するほど冷たかったらしい。


「私なんて下賤の民があの神聖な2人の空間に入ってごらんなさいよ! それでもし変な空気になって、小岩井さんが気まずくなっちゃったらどうするの!? あなた、責任が取れるの!? ねえ、井上!!」


「いや、でもさ。壮馬くんはのんびりした性格だし、小岩井さんはどう見ても恋愛に消極的だし。誰かが後押ししないと、それこそ自然に関係が消滅するかもよ?」

「……えっ」


 真奈美はこのあと、井上に「呼び捨てにしてすみませんでした」と謝罪した。

 なにやら、目から鱗が落ちたそうな。

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