第38話 小岩井莉乃は泳げない

 井上隼人が提案した。


「それじゃあ、泳ごうか。せっかくの海だし、まずはひと泳ぎしようよ」

「いいですね! お供します、井上先輩!!」


 元気の良い返事をしたのは壮馬だけであった。


「ふぎゅ……っ! わたしは、その、まだこの環境に適応できていない、ので……! もうしばらく気配を消しています……!」

「私は日菜ちゃんが心配だからここに残るわ! それが使命だと思うの!! 前世から決まっていた事なのよ!!」


 井上も泳ぎたくない後輩に「いいや、泳ぐんだ!!」と強いるタイプではない。

 「そっか。じゃあ、壮馬くんと一緒に泳いでくるね」と2人には断った。


「あー! あたしも行きますー! 壮馬さんの泳ぎを拝見したいのでー!」

「そうですか! ぜひ行きましょう! 莉乃さんは俺がお守りしますよ!!」


「あはは! 頼もしいですー! それじゃあ、お姉ちゃん! 藤堂さん! 行って来ますねー!」


 こうして、アクティブ3人組がビーチへと駆けだした。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 小岩井莉乃。

 高校生とは思えないバツグンのスタイルと、これまた未成年とは思えない配慮のできる一線級の乙女である。


 壮馬は、勝手に彼女の事をなんでもできる女の子だと思っていた。


「莉乃さん! その巨大な浮き輪は?」

「海の家で借りてきましたー! これがあれば安心、安全ですよー!!」



「もしかして、泳げないのですか?」

「もー。そうやってハッキリ言われると恥ずかしいですー。泳げませんともー」



 莉乃にも苦手な事があったのは、壮馬にとって新鮮な驚きだった。

 彼はそのまま素直に感想を述べる。


「意外です! 莉乃さん、なんでも完璧にこなすイメージがあったのに!」

「ふっふふー。小岩井莉乃は泳げないのでしたー。ですので、壮馬さん! あたしの乗っている浮き輪をお任せしますから、助けて下さいね?」


「かしこまりました!! あれ? 井上先輩は?」

「井上さんなら、防波堤まで泳いでくるとおっしゃってましたよー。ほら、あそこにいますー!」


 空気が読める男、井上隼人。

 彼はそのフィジカルを生かして、ガチ泳ぎを披露。

 早速、壮馬と莉乃だけの空間を演出する事に成功していた。


「なんと! これは俺たちも負けていられませんね! さあ、莉乃さん! 浮き輪にどうぞ! 足から行きますか? お尻から行きますか!?」

「じゃあ、お尻から失礼しますー。って言うか、女子高生に向かってお尻を乗せろと言うのは壮馬さんだから許される発言ですよー? よいしょっと!」


 莉乃が浮き輪にすっぽりとハマった。

 それを押すようにして、壮馬は泳ぎ始めた。


「あはっ! 速いですねー! 壮馬さん、やっぱり泳ぎも得意なんですかー」

「いえ、そんな自慢できるようなものでもないのですが。スポーツは全般が好きなので、人並みには泳げるようです!」


 壮馬の泳ぎは人並みよりも上をいっていた。

 バタ足のみの推進力で、莉乃の乗った浮き輪をどんどん沖へと運んでいく。


「おおー! 沖田さんエンジン、速い、速いー! あははっ! 頑張ってくださーい!!」

「なんだか、莉乃さんが無邪気にはしゃいでくれると俺まで嬉しくなります!」


 莉乃は「あうっ」と小さく叫ぶと、顔を少し赤くして壮馬に尋ねた。


「もしかして、子供っぽかったですか? 恥ずかしいですー」

「いいじゃないですか! 俺は普段の大人っぽくてしっかりしている莉乃さんも好きですけど、こうやって年相応に楽しんでいる莉乃さんもすごく魅力的だと思いますよ!!」


「ううー! 泳げないあたしを沖まで連れてきて、言葉責めをするなんてー。壮馬さんって意外とSっ気ありますよねー。新発見ですー」

「ははっ! だったら、海に来て良かったですね! お互いに知らなかったところが見られるなんて!!」


 莉乃は「あははっ」と笑って、「そうですねー」と応じる。

 ついでに彼女は聞きたかった事を壮馬に向けてみる。


「この水着、お友達と一緒に選んだんですけどー。壮馬さんは褒めてくれましたよねー? でも、それって同僚の妹として見たあたしですかー?」


 乙女心の分からない壮馬は、すぐにストレートに切り返す。

 それが乙女心をがっちりキャッチするのだから、この男の恐ろしいところでもある。


「もちろん、莉乃さんは日菜さんの妹ですよ! でも、俺にとってはいつも相手をしてくれる気さくな女の子です! 年の離れた俺にフレンドリーに接してくれる莉乃さんは、日菜さんとは違う意味で特別な女子ですよ! そんな人の頑張って選んだ水着が魅力的じゃないはずないですよ!!」


「うっ、あぅ……。壮馬さんって、ズルいですよね……。ホント……」


 莉乃さんに言葉を失くさせたら大したものである。

 高校に入って2桁の男子から交際を迫られ、その全てを断ってきた莉乃。


 それは、この恋のためだったのかもしれない。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 井上隼人は遠泳していた。

 彼の性格を考えれば、ビーチで女の子に声をかけて回っても良さそうなのに。


 にもかかわらず、彼は遠泳をしていた。


 視界の端には常に壮馬と浮き輪でプカプカやっている莉乃の姿が入っている。


「おー。よしよし、2人とも青春してるなー」


 今回の海水浴には剛力剛志がいないため、彼が最年長と言う事になる。

 井上は軽薄な男だが、それが責任感のない男とイコールで結べるかと言えば、答えはご覧の通り。


「真奈美さんじゃないけど、僕だって後輩の幸せを願うくらいの心は持ちたいからね。そのうち日菜ちゃんの方はあっちの保護者がどうにかするだろうし。まあ、僕はもうしばらく泳いでおくとするか」


 実は学生時代に水泳部だった井上。

 彼の美しいフォームのバタフライを目撃した合宿中の大学生の集団が歓声を上げたという。


 男も虜にするのだから、この井上と言う男、やはりなかなか隅に置けない。

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