第28話 小岩井日菜は読みたい
休日。
沖田壮馬は部屋の掃除をしていた。
彼は几帳面な性格なので、定期的に部屋の掃除をする。
だが、今日は断捨離を敢行しようと思っていた。
同級生にいささか遅ればせながら会社勤めを始めた壮馬。
家業の手伝いも立派な仕事に違いないが、彼は自分の中にまだ甘えがあると考えていた。
気持ちの切り替えには掃除が最適。
それを大規模で行うには、断捨離しかない。
実に論理的な発想だった。
「おお。このノートパソコン、こんなところにあったのか……!」
片付けの最中に懐かしいものを見つけて手が止まり、結果としてミッション失敗に陥るのは愚か者のする事である。
壮馬は本来ならば賢人に分類される男。
だが、そのノートパソコンには特別な思い入れがあったのだ。
彼はスマホを取り出し、電話をかけた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
小岩井日菜の休日の朝は早い。
そして忙しい。それについてはかつて語った通りである。
現在、彼女は積みアニメの消化をしながら、Twitterで感想を呟いていた。
人気のラブコメが待望のアニメ化をされたのだが、日菜はその作画に納得していない。
「ふみゅ。……告白のシーンで顔面が崩壊していて草、と」
コミュ症にも種類があり、ネットだろうとリアルだろうと全てのコミュニケーションを断つ僧侶スタイルがいれば、日菜のようにネットでは雄弁に語るマルチスタイルの者もいる。
「うみゅ。……お風呂シーンが真っ白で大草原、と」
スマホ片手にアニメのクオリティを上げるべく奮闘しているオタク戦士の日菜さん。
そんな彼女のスマホが急に震えた。
「ふぎゃっ!? あば、あばばばばばっ! えっ、やっ! はっ!?」
オタク戦士の日菜は死んで、いつもの日菜が戻って来た。
彼女は着信に激しく狼狽えた。
テーブルの上のコーラをこぼした挙句、座椅子の金具で尖った部分が背中に刺さったと言う。
「ど、どうしよ! 出なくちゃ! えっと、落ち着いて! ふぎゅっ!? 今日、まだ500文字も喋ってない!! 声出るかな!? しゃ、喋り方ってどんなだっけ!?」
だが、出ないと言う選択肢はない。
そう思うだけでも彼女にとっては凄まじい成長である。
意を決して、通話ボタンをタップした。
『もしもし、日菜さんですか? 休日に電話をしてしまってすみません。沖田です。今ってお時間大丈夫です?』
電話の相手は壮馬であり、彼は紳士らしく休日の時間を奪う非礼を詫び、日菜の都合についても配慮するエチケットを見せた。
対して日菜は。
「え、ええ。よろしくってよ?」
淑女っぽくなっていた。
彼女は基本的に、壮馬に引っ張られる。
(ふぎゃあぁぁぁぁっ!! やっちゃったぁー!! 会話が! 会話のスタートラインで転んだぁ!! なんかラブコメの負けヒロインのお嬢様キャラみたいな喋り方になったぁー!! ま、負けヒロインじゃないもん!! と、とにかく、お詫びしないと!!)
「あの、えっ、あぅ。ふみゅ」
『お忙しいようでしたら、またの機会にしますけど。気を遣わないで言ってください!!』
「ぜ、全然! 忙しくないでしゅ!!」
『本当ですか! 良かった! 実はですね、懐かしいものが出て来たんですよ!』
「うみゅ?」
『ほら、俺と日菜さんが高校生だった頃、文芸部で俺の書いたしょうもない小説を読んでもらっていたじゃないですか!』
それは、日菜にとって大事な思い出だった。
何度思い返しても色あせる事のない、今でも鮮明に思い出せる、そんな記憶である。
「お、覚えていますよ? 沖田くんがどうしてもというので、いっぱい読んだ記憶があります!」
『ははっ! すみませんでした! だって、日菜さんしか読んでもらう相手がいなかったので! 生徒数も少ない高校でしたし!』
2人の高校は各学年3クラスしかなく、それでいて部活の数だけは多かったため、部員が数人の文化部は珍しくなかった。
(楽しかったって言わないと! わたしの人生のハイライトだよ!! 沖田先輩が卒業してからは消化試合だったんだからぁ!! ふぎゃあぁぁぁぁっ!! 何のセリフも浮かんでこない!! わたしのポンコツー!!!)
『高校時代の思い出話はまた今度にしましょう! それでですね、出て来たものと言うのがあの頃使っていたノートパソコンでして! なんと、俺の書いた小説のデータがバッチリ残ってるんですよ! それで、思わず日菜さんに伝えたくなってしまって!』
「人魚のお話とか、トンボに転生するお話とか……」
日菜は壮馬に読ませてもらった小説の内容を全て覚えている。
今でも朗読できるくらいにハッキリと。
『あははっ! そうです、それです! あとは、キャンプファイヤーで焼かれる薪の話とか! シェイクスピアのパロディも! ロミオとお味噌なんてのもありました! いやー! 自分でもこんなにしょうもないものを書いていたとは、驚きです!』
日菜は何か喋らないといけないと焦っていた。
人は焦ると、つい本音が飛び出してしまうものである。
「沖田くんは、もう、その、書かないんですか?」
気付けば彼女は、ずっと聞きたかった事を口に出していた。
日菜は壮馬と再会してから、ずっと気になっていた。
だけども、同時にそれを聞くのが少し怖かった。
自分の大切な思い出が、「そんなのとっくにヤメましたよ!」と壮馬に否定されるのが怖かったのである。
だから、聞けずにいた。
電話口の壮馬は少し黙り込んだ。
日菜は慌てて「ふ、ふみゅ! えと、あの!!」と取り繕おうとした。
『日菜さんは、また読みたいですか? 俺の書いた、どうしようもない小説を』
「よ、読みたいです! 読みたい!! 読ませてくれるんですか!?」
『おおっ。日菜さんがそんなにハッキリ喋るのって珍しいですね。……そうですか。……じゃあ、また書いてみようかな』
「ふぎゅっ!? か、書くんですか!?」
『はい。日菜さんに、なんだか背中を押された気がするので! 一時期は、本気で目指してたんですよね、小説家。はは、笑っちゃいますよね』
日菜は、今日使う予定だったエネルギーを全て込めて、壮馬に言った。
「わ、笑いません! それに、これから目指せば良いじゃないですか! わた、わたしは、沖田先輩のお話、もっとたくさんの人に読んで欲しいです! ……ふぎゅっ。すみません、興奮してしまいました」
それからしばらく雑談をして、電話は終わった。
日菜はベッドに飛び込んで、ジタバタと自分の良くないハッスルについて猛省するのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
一方、壮馬は。
「参ったな。ただの思い出話のつもりだったのに。あんな風に思ってくれてたのか……。日菜さん……」
彼は掃除を中断して、古いノートパソコンの整備に休日を費やした。
その作業は日が沈む頃まで続いた。
「さて。これで良いか。……また相手してくれるか? 相棒」
この日から、壮馬の部屋の机の上には古いノートパソコンが鎮座するようになったのだった。
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