第5話 沖田壮馬は歓迎される

 小岩井日菜は会社の中にいる限り、デキる女の仮面を被っている。

 電話対応をしながらスケジュール調整だってできるし、スケジュール調整しながら備品発注だってできる。


 そんな彼女を隣の席で見つめているのが沖田壮馬。

 かつて、高校時代は頼りなさと幼さしかなかった日菜が、今では立派なデキる女子になっていて感動すると同時に「俺も負けてられないな!!」と信念を燃やしている。


 だが、ここで疑問が生じる。


 小岩井日菜はどこまでがデキる女の境界線なのだろうか。


 彼女は事務職であるため、基本的に社外へは出ない。

 昼食の際に出るくらいで、それも30分程度。


 ちなみに、最寄りのコンビニでもコミュ症になるので結果はアウト。


 会社にやって来る取引先の社員の応対は完璧。

 常に「会社の中にいるわたしは無敵! ふんすっ!!」と完全な自己催眠状態で生活している日菜なので、ここではよほどの事がなければ転ばない。


 つまり、セーフ。


「おお、いたいた! 壮馬くん! 今日の夜って暇?」

「あっ、井上先輩! お疲れ様です!」


「ははっ、いいよ、そんなかしこまらなくて! 歳だって2つ違いだし! それよりさ、支店長が壮馬くんの歓迎会していいって言うのさ! なんと支店長のおごりで!」

「そんな! 半端な時期に入った俺のために!」


 井上は壮馬に耳打ちする。


「いいの、いいの。僕らもタダ酒飲めるから嬉しいし! ここは口実になってくれよ! ねっ? あ、それともお酒ダメなタイプ? だったら無理しなくてもいいから!」


 井上隼人はやとはコミュ力が高い。

 企画立案能力にも長けており、杉林支店の営業は彼がエースである。


「お酒は人並みには嗜みますが。いいんですか? 本当に」

「もちろん! じゃあ決定で! なるべく少人数にしようね! 使えるお金が増えるから!! あーっと! 真奈美さん発見! ちょっと今夜さー!!」


 井上は嵐のように去って行った。


 話を戻そう。

 小岩井日菜の境界線についてである。


 例えば今回のように、会社の仕事の延長線上に発生するイベント。

 飲み会の席では、日菜のデキる女仮面が剥がれるのだろうか。


「小岩井さんってお酒飲まれるんですか?」

「わたしですか? まあ、それなりに。ですが、基本的に飲み会にわたしは」


「本当ですか! 良かったぁ! 真奈美先輩も井上先輩もそれほどまだ仲良くないですし、俺、話が面白くないってよく言われるんで! 小岩井さんが来てくれるの、本当に助かります!! ……ところで、何か言いかけました?」


(……うにゅ。沖田先輩の視線が刺さる! ふぎゅぅぅぅっ!!)


 日菜は凛とした表情で壮馬に向かって宣言する。


「任せて下さい。わたしが沖田くんに社会人の飲み会での立ち振る舞いについてレクチャーしてあげます!」

「うわぁ! 頼もしいです! ありがとうございます!!」


「すみません。ちょっと私は席を外します」

「あ、はい!」


 日菜はフラフラと給湯室へ。

 そこで速やかに頭を抱えて、しゃがみ込む。


(うああああああっ!! 飲み会行きたくないぃぃぃ!! でも、沖田先輩に頼られたぁぁぁ! 嬉ししゅぎるー!! でも飲み会、行きたくないぃぃぃぃ!!!)


 考察はここで打ち切ろう。

 既に答えが出てしまったクイズほど興の冷めるものもない。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 駅通りには居酒屋が多く軒を連ねており、元気の良い客引きのお兄さんがクーポンを渡して来る。


「ちょ、沖田くん! 別に、全てのクーポン受け取らなくてもいいのよ!?」

「ははっ! 壮馬くん両手がクーポンだらけじゃん! おっ、僕が予約した店のヤツもある! お手柄だね!!」


「すみません。どうしても一生懸命に差し出してくれるクーポンを断れなくて。でも、お役に立てたなら良かったです! ……あれ? 小岩井さん?」


 後ろを振り返ると、日菜はお兄さんの群れに囲まれていた。

 両手には纏めると一冊の本になりそうな量のクーポンと、加えてなにやら数枚の名刺を渡されている。


「お姉さん、高校生くらいに見えるのに! 合法ロリってヤツだ! うちで働かない? お姉さんなら稼げるよ!!」

「ふぎゅっ!? いえ、わた、わたしなんてスタイルも悪いですし」


「いいねー! そーゆうウブな反応! 絶対お客にウケる! 今の会社のお給料いくら? 3倍は稼げると思うんだけどなー!!」

「ふにゅ……。わた、わたしは……その、前世がナメクジだったので……」


 訳の分からない事を言い出した日菜。

 飲み会が始まる前に迎えるクライマックス。


 コミュ症は人の倍のライフを用意して日々を生きております。


「小岩井さーん! どうしましたか? あ、これは失礼しました。お話し中でしたか! わたくし、山の森出版、杉林支店の沖田壮馬と申します!!」


 壮馬はお辞儀をして、自分の名刺を取り出した。

 相手はキャバクラのスカウトマンである。


 何を売ろうと言うのか。


「あ、ああ、お連れさんがいたのね? いや、別にこっちは気にしなくて良いので! 失礼しまーす!」


 だが、壮馬の珍プレーが日菜を救う。

 日菜は一瞬、心の底から安心した顔を見せる。


 壮馬は受け取ってもらえなかった名詞を見て首を傾げ、エア名刺交換にて反省中であった。

 声を大にして言いたい。



 見ろ、日菜の素の一面を。



「沖田くん、行きましょう。先輩たちがお待ちです」

「ああ! そうでした! 俺がグズなばっかりに!! すみません、急ぎましょう!!」


 2人は先行していた先輩コンビに追いついた。


「お、ヒーローが帰って来た! やるなぁ、壮馬くん! 名詞でキャッチを撃退するとか! 僕にはできない発想だねー!」

「良かったわね、小岩井さん。無事に人混みを抜け出せて」


「申し訳ありません。先輩方の貴重なお時間を浪費させてしまいました」

「よゆーっすよ! まだ6時だから! 4時間は飲める! タダ酒が!!」


 井上の予約しておいた居酒屋『二死満塁で送りバント』に入り、それぞれが最初の一杯を注文した。

 壮馬、真奈美、井上はビール。


 日菜はメニューを見て固まっていた。


「小岩井さんは決まったかしら? って言うか、初めてね、小岩井さんと飲みに行くの! 自分の歓迎会の時も用事があるって出られなかったから!」

「そうなんですか? 小岩井さんお酒苦手なんですか?」


 申し訳なさそうな壮馬を見て、日菜の直感が働く。


(沖田先輩が責任を感じちゃう! 早く選ばなきゃ! ええと、ええと! あ、この水みたいに飲めるってヤツがいい!!)


「わたしは獺祭だっさいというヤツをお願いします」


「おおー! いきなり日本酒か! 小岩井さん、やるなぁ! じゃあ、注文するね! すみませーん!!」


 すぐに飲み物がやって来た。

 そうなると、やる事は1つ。


「では、僭越ながら場の年長者、この僕、井上隼人が……! 杉林支店にようこそ、壮馬くん!」


「「「かんぱーい!!」」」


 飲み会はこうして始まる。

 不安要素を過積載して、トロッコは脱線するタイミングを探し始めていた。

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